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85話 二人の時間⑦

 それが終わった後は、二人とも急に冷静になったのか、沈黙が訪れた。


 何とも気まずい。


 いくら彼氏彼女といっても、こういう行為をした後は気まずいのだ。しかも初めてだ。

 何の話題を切り出そうか、俺は必死で頭を回転させていたのだが、どうしても途中で横切ってしまうのはあの唇の感触だ。そのせいで結論が出てこない。何を話すのが正解なのか、分からない。


 チラリと横目で美月のほうを見る。美月は膝を抱えて座り込みその間に顔を半分埋めていた。いまだに少しだけ耳は赤みを帯びている気がする。


「こういう時って、なんて話したらいいんだろうな」


 俺は話題を切り出すことをあきらめ、現状の会話に逃げた。


「知らないよ……」


 美月はちょっと不貞腐れたような態度で返事をする。もしかして無理やりされたのが嫌だったのではないだろうかと、俺は不安に駆られる。


「もしかして、嫌だったりした……?」

「……そんなわけないじゃん。すっごい嬉しいよ。けど、なんか勇也にリードされたってのがちょっと気に食わない」


 頬を膨らませて、更に抱え込んだ膝の間に顔をうずめていった。そんな美月が、今は世界で一番かわいらしく、何があっても手放したくなかった。地球が明日滅亡するとしても、俺は最後までこうして二人で手を握って最期を迎えるだろう。


「美月はさ、将来のことって俺くらい考えてる?」


 俺は未来のことを考えていた。ついさっきからとかではなく、ここ数カ月間ずっと。正確にはあの扉に出会ってからずっとだ。


「それを今聞くのもずるい」


 美月は相変わらず顔を埋めたまま、こちらを向こうとしない。


「俺はさ、将来俺たちが結婚している世界があるって聞いても、この世界で本当にそうなるとは思ってないよ」


 俺はわざと、誤解を招くような言い方でそう告げた。


「そしたら勇也は犯罪をこの世界では起こさない可能性があるからでしょ?」

「……まぁ、半分正解だな。それもあるし、俺たちの未来はいくらでも枝分かれしているんだ。それを言ったら美月とこの先疎遠になる可能性だってもちろんあると思う。けど、俺はそんな無数にある枝葉の中でも、一番大きい葉っぱを掴み取りたいんだ」


 俺は片手を空に掲げて、ぎゅっと力を込めて握りしめる。


「やっぱり勇也って言い回しが独特だよね」


 隣を見ると、少しだけ顔を出した美月の赤らんだ頬がこっちを見ていた。黒い髪が重力に倣って落ちている。


 こんなに女の子を可愛いと思ったことは今までなかった。テレビに出ている美少女アイドルを見ても、心動くことはなかった。街ですれ違った綺麗な女性を見ても、「綺麗だな」という感想で終わっていた。だけど、美月を初めて見た瞬間、俺の中の世界の定義が再構築された。根本から覆してしまうような、そんなとてつもない衝撃だったのだろう。


 だが、恐ろしいことに当時の俺はそれに気づいていなかった。確かに胸の奥でざわめきを感じてはいたが、そこまで揺れ動いているとは思ってもいなかった。


 それほどあの時はこの世界に飽き飽きしていたのだ。

 ずっと思っていた。いつか、誰か、この退屈な日々から連れ出してくれる人物が現れるのじゃないだろうか。そんな人物が現れたら俺はその人のことを”ヒーロー”と呼ぶだろう。


 まさに、その”ヒーロー”は目の前にいる。


 色のついていない無機質な世界に彩を加えてくれた。

 空虚でガラクタだらけの日々にたくさんの楽しいおもちゃを与えてくれた。


 そんな彼女のことが好きで好きでたまらない。だからこそ、これから先の未来では幸せにならなければいけないし、その道を作るのも俺の役目だと思っている。

 壁が大きいのは分かりきっている。明日の作戦は一筋縄ではいかないだろう。だけど、それでも俺は立ち向かう必要があるのだから。


「だからさ、俺はこの先もずっと美月の傍を歩いていたいし、並んで歩けるような立派な人間になりたい」


 俺の気持ちはすべて伝えた。後はこれを美月がどうとらえるかだ。

 隣にいる美月に視線をやる。ゆっくりと顔をあげてこちらの方をじっと見つめてきた。


 そう思った瞬間、視界が一気に暗くなる。というより、美月が近づいてきたのだ。

 さっきと同じだけど、少し違うような不思議でやわらかい感触が口元に触れる。数秒して俺は何が起きたのか気づいた。美月の良い香りが身体全体を包む。なんでこんなに優しいにおいがするのだろうか。


 数秒の末、唇は離れて俺は酸素を吸えるようになる。俺からした時とは違って、ずいぶん長かった気がする。当の美月は俯いて、前髪で目元が隠れている。相変わらず顔は全体的に赤くなっている。そんな彼女が、勢いよく顔を上げて、俺に宣戦布告をするかのような勢いでこういった。


「今のが私の答えだから!」


 彼女の澄んだ瞳はどこまでも飲み込んでしまいそうなほど、広い世界のようだった。まるで地平線のように、近づいては離れていく、無限のような存在。それほど神秘的だった。


 本当に今日ほど美月が傍にいてくれて、彼女になってくれてよかったと思える日はない。

 今までは世界に対して劣等感や嫌気がさしていたが、今そんなことを言ってしまっては怒られてしまう。こんなに彩のある日々の、どこに不満があるのだろうか。

 ちょうどお昼ぐらいの太陽が、高い位置でさんさんと輝いていた。


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