74話 親父④
「納得……」
確かにそうなのかもしれない。なにも意見を言ったからと言って、それで親父がどうにかなるわけではない。俺は少し親父のことを考えすぎていたのかもしれない。逆にそれが親父の怒りを買う原因になっていた可能性だってある。
「分かった。ありがとう、美月。ちょっと話してみるよ」
「うん。また何かあったら連絡してね。頑張って」
そんなちょっとの応援で俺は死ぬほど頑張れるような、安い男だ。だけどそんな人間でも、今日は自分の力を信じて少しだけ前に進まなければいけない。
「そしたらさ、美月、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「うん、なに?」
俺は親父と話をつけるために、あるお願いを美月にしておく。結構大胆な、しかも将来を大きく左右するような選択をさせてしまったのだが、美月は間髪入れずに「大丈夫だよ」と、優しい口調で答えてくれた。
「よし」
そうとなれば、あとはやることは一つ。俺は勢いをつけてベッドから起き上がり、そのまま部屋を出ていく。階段をリズムよく降りていき、再びリビングの襖に手をかける。一回深呼吸をして、そのあとは覚悟を決めて開いた。
「親父、少し話があるんだけど、いいかな」
俺は言葉と言葉の間で息を入れながら、そう話しかける。それに驚いたような表情をして、親父がこちらのほうをじっと見つめる。
「分かった。座りなさい」
親父はずっと鳴り続けていたノイズを消し、この空間は静寂となった。
俺の心臓は高鳴っていた。親父に聞こえているのではないか。そんないらない心配をしながら、机の前に腰かけた。
「えっとな、親父には小さいころから、母さんが死んでからもこうして育ててくれて感謝している」
まずは何はともあれ、今の俺がこうして元気に生活できているのは親父のおかげだ。それを感謝しなければいけない。普段はこうして口にすることがない分、なんだか照れくさい感じもする。
「あぁ……」
親父は短くそう、つぶやいただけだった。目線はじっと、俺のことをまるで睨みつけているかのように見ている。
「それと、俺の話になるんだけど。大切な、守りたい人ができたんだ。今まで親父にこんな話する機会なかったけど、やっぱりちゃんと話さなきゃって思って」
俺はゆっくりと、ゆっくりと言葉を掬い上げるようにしてつなげる。だけど、そんな俺の言葉を親父ははねのけるかのようにしてこういった。
「大切な人……か。くだらん」
見るからにさっきと態度が変わってきているのがわかる。機嫌が悪くなってきているのだろう。こんな些細なことで気分が変わってしまうほど気分屋なのだ。さっきまでの優しい親父は、もうどこにもいないのかもしれない。
「くだらないって……そんな風に言うことはないだろ……!」
俺は勇気をふり絞り、必死に答える。だけど、そんなことを言ってしまっては親父の怒りが増していくばかりだった。
「お前……よくそんな口が利けるなっ!」
親父は勢いよく立ち上がり、机を飛び越えるようにして俺の洋服をつかむ。あまりの勢いに俺は後ろに倒れそうになったが、親父の掴んだ手がそれを許さなかった。
「お前は俺のことをどうしようとしているんだ! お前に俺の悲しみがわからないのか!」
圧倒されてしまうほどの剣幕が、目の前で怒鳴り叫んでいる。鼓膜を突き破るような怒号が、俺を委縮させる。あまりの恐怖に、思考回路が遮断されてしまう。
「なぁ! 自分だけ幸せになろうとしやがって、残された俺は……そのまま放置かよ!」
その言葉を告げられて、俺はハッとした。確かにそうなのかもしれない。親父はあの日の悲しみをずっと一人で抱え込んできた。それなのに、今日俺からこんなことを告げられれば怒りもするだろう。
「そんな……つもりじゃなかったんだ……。すまない、親父……」
声は震えていた。俺は嫌味で言ったつもりでも全くない。だけど、親父にとってはあんなことがあったのだからそう聞こえてしまっても仕方がないだろう。
「お前の言う家族円満な時代に、俺だって戻りてぇよ! けど、現実を見てみろ! 母さんは死んじまったし、秀弘は家を出ていった。そんな言葉は、ただの甘えなんだよ!」
初めて親父の弱音を聞いたかもしれない。確かに母さんはもう戻ってこないし、秀弘、兄貴もこんな家族関係に嫌気がさして出ていってしまった。もう、崩壊してしまったといってもいいくらいだ。確かにここまできたら、俺の言っていることが綺麗ごとに思えてくる。
だけど、そこで止まってしまっていいのだろうか。
俺は美月と友貴君の別れを見た。あんなにお互いのことを心配していたのに、結局最後は言いたいことが伝えられずに別れてしまった。美月もそのことに関して、ずっと落ち込んでいた。
そんな光景を見てしまったら、俺たち家族はまだどうにでもなると思えてしまうのだ。まずは親父との関係を少しでも修復していく。長年亀裂の入った関係を、少しずつ戻していく。あの頃とまでもいかなくても、今よりは少しでも前へ。
「親父、俺はもう決めたよ。俺はこの家を出ていく。だからと言って、親父を見放したりなんかしない。週末にはこっちにも必ず顔を出しに行く。けど、俺はやりたいことをやる。高校を卒業したら就職して、今まで育ててもらった親父に恩返しをする。だからさ……」
あたりにある空気を一杯に吸い込んで、
「親父も好きなことをしなよ。親父ももう、疲れたんじゃないか。親父の俺への愛情は十分に伝わってるからさ、俺のことはもう大丈夫だよ」
突き放すわけでもなく、だからと言って束縛するわけでもなく、程よい距離感を保ちつつ、家族としてやっていこう、そういった提案だった。




