61話 言葉を伝える②
ゆっくりと息を吸い込んで、意を決して切り出す。
「私ね、あの日、10年後の自分に会ったんだ」
突拍子もない嘘だと思われてしまうかもしれない。だけど、それが事実である以上、このことを隠しておくことはできない。
「えっと……。どういうことか、詳しく説明してもらえるかな」
彼は戸惑っていた。それもそうだ。私だってあの時は訳が分からなかった。目の前にいるこの人物は一体何を言っているのだろうと。
「扉を開いて目を開けたらさ、普通の家が広がっていたでしょ」
「ん、あぁ。テレビがついてたりしたけど誰もいなかった部屋な」
「それがね、実は人が住んでたんだよ」
「……そう、だったのか」
「別れた後、私、しばらくその場にいたんだ。そしたら2階から足音がしてきて、降りてきたのは10年後の私だったの」
「……」
そう告げると、彼は黙り込んでしまう。無理もない。そんな都合のいいことあるわけないから。
「本当にそれは、10年後の石田さんだったのか?」
「うん。扉のことについても知っていたし、何より友貴の病気について教えてくれたからね。嫌でも信じるしかなかったよ」
「……そっか」
彼は小さく、そうつぶやいた。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「そこでね、2つ言われたことがあったんだ。1つは友貴の薬が10年後の未来でもできていないこと。それともう1つは……」
私はそこまで言って、言葉を止める。これを口にするのはなんだかズルいような気もした。だけど、そんなズルい私も含めて、彼には知ってほしい。もっと私の中身を覗いてほしい。
「将来、私と結婚……っていうのかな。そう言われた」
私は少し言葉の端を濁すようにして言う。天を仰ぐようにしていると、視線の隅で彼が勢い良く頭を上げてこちらを見るのがわかった。だけど、私はまだ、彼とは視線を合わせなかった。
「それって……俺と、石田さんがってことか?」
「……かな」
そう答えると彼は再び両手を握りしめて下を向いた。それを確認してから私は視線を元のように真っすぐに戻す。
数分の間、沈黙が再び訪れる。さっきとは違って、気まずい空気が辺り一帯を覆う。
私はふう……と小さくため息をついて、会話を再開する。
「ずっとずっと自分の気持ちに嘘をついていた。初めは二人で過ごす時間が心地よかった。でも、私の家に泊まってくれた辺りからかな。初めて湧き上がってきた感情があったの。自分でも気づいていたけど、きっとそれは未来の自分にあんなことを言われたからだって、思ってた」
「……」
彼は何も言わない。ずっと、同じ体勢で下を向いて考えている。
「でも、その感情は次第に歯止めが利かなくなって、私の中で大きく大きくなっていった。それでも、私はそんなことないって、自分に言い聞かせてたの」
そこまで話すと、頬を伝う涙が一粒、零れ落ちてきた。自分はなんて醜いことをしていたんだろう。悲しさと悔しさと、ちょっぴりの甘酸っぱさが胸の中でぐちゃぐちゃになる。
「だからね、私、告白された時、どうすればいいのかわからなかった……。本当にこのまま受け入れてしまっていいんだろうかって、怖かった……。もう、どうすればいいかわからなかった……」
一度決壊したダムは、もうとどまることを知らない。あふれだす濁流は感情の波に乗って、一緒に流れていく。
「でも、友貴が死んで気づいたんだ。私は今まで完璧な姉を目指していたけど、そんなことはなかった。友貴にとっては普通以下の姉で……、全然本人の気持ちを理解できていなかった」
垂れていく涙を、制服の裾で払いのける。今は涙さえ鬱陶しかった。
「もっと自分の気持ちに嘘をつかずに生きなきゃ、って思った。逃げてばかりじゃダメだって……。だから……!」
私は勢いよく立ち上がった。ぎゅっと拳に力を込めて、お腹の底から声を出す。
「三代君が、三代勇也が好きだって……、言わなきゃって……! 大好きで仕方がなくて、もう頭の中が一杯になっちゃうくらい好きで、今日もこんなに落ち込んだ私の傍にいてくれて……」
嗚咽するように泣き叫ぶ。そんな私を見て、近づいてきてくれた。そして無言でぎゅっと、背中に手を回し、抱きしめてくれた。あたたかな人のぬくもりが伝わってくる。
「三代君、悲しいよ。何で友貴は死んじゃったの、何で私の前からいなくなっちゃったの。なんで……全部私が悪いのかな……?」
今まで我慢していた感情が爆発する。家族にも、友達にも打ち明けることができなかった感情が、新しい関係になった三代君になら打ち明けることができた。
三代君は私の肩をつかんで、じっと私の目を見た。そこで今日、初めて目が合った。こんなに真っ赤に晴れている目を見られるのは恥ずかしい。鼻水だって出ているかもしれない。けど、それは三代君も同じだった。目は真っ赤に腫れており、鼻水も垂れていた。
「石田さんは友貴君のために頑張った。あの時俺にいっぱい話してくれたじゃないか……。あんなに必死になって駆けつけようとしていた背中を俺は知ってるから……」
「三代君……」
お互い、涙まみれだった。私にとって友貴は何にも代えられぬ存在で、ずっと傍にいた存在だ。そんな存在が、つい先日消えてしまった。全部全部、自分のせいだと思っていた。
「それとこれ、石田さんのお父さんから預かってきたから……」
三代君は涙をぬぐい、黒い手提げから原稿用紙の束を渡してきた。
「これは……」
私も涙を拭い、渡された原稿用紙を手に取り、目を通す。
するとそこには「最強のお姉ちゃん」と題名が書かれていた。




