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57話 姉として①

 俺はタクシー運転手に一度礼を言って、その場から離れる。他のタクシーを待っていたのでは、時間がかかりすぎてしまう。それでは石田さんのお母さんが車で迎えに来るのを待っていたほうが良かったことになってしまう。

 となれば、答えは残り一つしかない。


「石田さん、病院まで俺が送る。自転車に戻ろう」


 俺が自分の足を使って、誰の力も借りずに病院へたどり着くことだ。人に頼るからこうして時間のロスが生まれる。ならば、信頼できる一番の自分を使えばいいだけのことだ。


「でも、それじゃ三代君が大変じゃ……」


 石田さんは俺の心配をしてくれていた。そんな心配なんてしなくてもいいのに。俺のことなんて、いくらでもこき使ってくれればいいのに。


「でも、それしかない。俺は大丈夫だからさ、友貴君のために行こうよ」

「……うん。ありがとう」


 零れるようにそう、ゆっくりと口にする。その言葉は、今にも崩れてしまいそうなほどもろかった。


 自転車に戻り、再び合羽を着てもらう。俺の髪はすでにお風呂に入っているときのように水分を含んでぐちゃぐちゃになっており、上から下まで全部びっしょりと肌を雨粒が覆っていた。


「行こう」


 石田さんが乗ったことを確認して、俺は自転車をこぎ始める。ここまでくる間、漕いだだけなのに、もう太ももとふくらはぎがパンパンになっていた。病院まで持ってくれれば後はどうだっていい。明日学校を休むようなことになってしまってもいい。先生からは恐らく怒鳴られるだろうが、それだってかまわない。石田さんのことを無事に友貴君のもとに送り届けることができるのならば。


 まるで雨が俺たちを病院に連れていくのを阻止しているかのように降り注いでいる。止みそうな気配は一切ない。こんなに降るということは台風はもう近くまで来ているのだろうか。最近はそんなことさえ気にしていなかった。今までだったら、石田さんと遊びに行く前の日は天気を確認していた。明日の降水確率は? 気温はどれくらいだろうか。そんなことさえ、今は気にしなくなっていた。


「はっ、はっ、はっ……」


 上り坂が来て、一気に息が上がる。もはや体力などほとんど残されていなかった。ペダルから足を離されないように必死にしがみついているのが精いっぱい。こんなに雨が降っているのに、身体は火照って熱かった。


 30分もかからなかった。20分とちょっとくらいだろうか。無事に病院の横にある駐輪場にたどり着いた。


「石田さん、行って!」


 俺は自転車を停め、ハンドルに両肘を載せて俯く。流石にきつかった。今までこんなに体力を振り絞ったことは、体育祭でもマラソン大会でもなかった。それくらいきつかった。


「ごめんね、三代君。こんな無茶させてしまって。行ってくるね」


 石田さんは、合羽を脱ぎ捨てて病院の入り口に向かって走っていく。俺にはあんな元気なかったから、付いていかなくて正解だった。



 ※


 三代君と別れ、私は病院の入り口に向かって走った。先生にこのことを告げられてから、ずっとずっと不安が頭の中をよぎっていた。


 友貴は大丈夫なのか

 友貴は助かるのか

 友貴は、このまま生きていられるのか


 不安が今日の雨のようにどっと押し寄せる。考えても仕方のないことほど、考えてしまう。私は医者でもなければ、友貴の病気について詳しく知らない。


 友貴は最近、すごく不機嫌そうだった。正確には私がやってくると不機嫌になる。お母さんから聞いていたが、普段はそんなことないらしい。私、何か嫌われるようなことでもしたのだろうかと、一晩中思い悩んだこともあったが、思い当たる節は見つからなかった。でも、私の知らないところで友貴を傷つけてしまっていたのかもしれない。それならばしっかりと謝らなければいけない。そう思って、一度友貴に謝ったことがあるのだが、何故だか友貴はひどく悲しそうな顔をした。私には理由がわからない。けど、友貴の姉として、家族として今の友貴を受け止めてあげよう。そう決めていた。


「石田友貴の家族の、石田美月です」


 受付を済ませ、エレベーターのボタンを押す。上を見てみると、現在エレベーターは8階。こんなところで足止めされていてはせっかく頑張ってくれた三代君の努力が無駄になってしまうと思い、私は隣の階段を利用する。


 1段飛ばしで階段を駆け上がる。早く、友貴のもとに行きたいという気持ちが一歩一歩、前進する力を私に与えてくれる。

 4階に上りきったときには流石に息が切れていた。手すりにつかまり、呼吸を整える。友貴の待っている412号室はもう目の前だ。私は足に力を込めて、再び歩き始める。


 扉の前まで来て、既に中が騒がしいことに気付く。勢いよく扉を開けると、お父さんとおばあちゃん、おじいちゃんがいた。


「友貴!」


 私はベッドに眠っている友貴に急いで駆け寄る。

 すぐに目が合い、まだ生きていると安心する。


「姉……ちゃん」


 友貴が絞り出すようにしてそう口にした。表情からも、何もしないでも苦しいことがわかる。目もほとんど開いておらず、頬も骨が浮かんで見えるほどやせ細っていた。こんな時に力になれない自分の無力さに腹が立つ。


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