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28話 伝わる温度

 名前がなくとも、その感情は触れるだけで俺の心の氷を溶かしていく。今まで解けることのなかった氷がゆっくりと、汗をかくようにして溶けていくように。


「パンダの展示場所は、西館の方だね」


 いつの間にか園内パンフレットを手にした石田さんは左のほうを指さしてそう言った。

 ここの動物園は近辺ではかなり大きく、東館と西館で分かれているようだ。


「すごいな。いろんな動物がいる」


 目の前にはサルたちが楽しく遊んでいるサル山があった。檻の中には木でアスレチックのように足場ができており、サルたちが器用にその上を歩いたりつかまったりしている。何とも元気なものだ。


「どうする、他の動物とかも見ていく?」

「三代君は見たい?」


 上目遣いで、俺の顔を覗き込むようにしてみてくる。


「……取り敢えずパンダだけ見るか」


 正直なところ、他の動物にはあまり興味がわかなかった。サルだから、シロクマだからとか種族に関係はない。動物園の看板にもパンダが起用されていたり、途中で通ったお土産ショップではパンダ関連のグッズが多く売られていたりと、園としてもパンダを目玉とした売り方をしている。しかも、先日石田さんには「パンダが話題」と聞かされていたので、正直今は、パンダしか頭にないのだ。


 ゆったりとした上り坂と下り坂を降りた先にパンダの展示場があった。下り坂の手前からすでに列ができており、入園する時の列ほどまではいかないが、何重にも折り重なって密度が高かった。


「結構かかりそうだね、時間」


 石田さんはショルダーバッグの中から200mlのペットボトルを取り出して、口に含んだ。そういえば俺はというと、カバンの中に入っているのは財布とスマホくらいで水や軽食の類を全くもってきていなかった。


「ん、もしかして水忘れた?」


 あまりに俺がじっと見つめていたからだろうか。その視線に石田さんが気付く。


「う~ん、完全に忘れてた。外だから必要だよな。ちょっと買ってくる」


 そう言って園内にある自動販売機でも探しに行こうとしたところ、腕をつかまれる。


「待って、あれ見て」


 石田さんが指さした先にはカラーコーンに紙が張られており、こう書かれていた。


 “途中で一旦抜けた場合は並びなおしてください”


 その張り紙を見た瞬間絶望する。

 どうすればいいだろうかと、頭を悩ましていた時、先ほどから掴まれていた左手を引き寄せられた。


「私の飲んでいいよ。私回し飲みとか気にしないタイプだから」


 そう言って先ほどまで口をつけていたペットボトルを俺に差し出す。


「いや、でも……それは流石に……」


 流石に何だったのだろうか。石田さんは別に気にしていないようだし、何の問題があるのだろうか。以前の俺なら少しためらったのちに、受け入れていただろう。

 だが、今は違った。心のどこかで遠慮している部分がある。


「ホントに大丈夫だよ? バスケの試合の時とか回し飲み普通にしてたから」

「それは……女子だけじゃなくて?」

「……まぁ、女子だけだけど」


 そこで二人の空気が固まった。俺のせいだ。石田さんは何も気にせず渡そうとしていたのに。申し訳なくなってきた。


「分かった。じゃあ、遠慮なくもらってもいいかな」


 いつまでもうじうじしていてはめんどくさいと思い、腹をくくった俺は一応もう一度許可を得る。



「うん。どうぞ」

 石田さんは表情こそ変わらなかったものの、ペットボトルを渡す腕が少しゆっくりだった気がした。


 その後も列は少しずつ少しずつまるで例えるならアリの速度のようにゆっくりと進んでいった。ようやく、パンダ展示場と思しき建物が見えてきたので、あと30分もすれば待ちに待った面会ができるだろう。

 ふと、隣の石田さんに視線を向けるとスマホに視線を移していた。しまった。スマホをするということは、それだけこの時間が退屈ということなのだろう。誘ってもらった俺が、どうにかして話題を切り出さなければいけない。


「そうだ、石田さん。京平ってバスケやってるときはどんな感じ?」

「藤田君? そうだねぇ……なんか練習終わったら女バスの1年生がみんな集まってる」


 冗談っぽく笑いをこぼしながら言った。


「あいつ、昔からモテるからな~。悔しい」


 石田さんの言葉がはっきりと脳内で映像として変換できるくらい、想像に易かった。


「三代君はその……彼女とかはいたりするの?」

「えっ⁉ 俺?」


 あまりにも唐突すぎて笑いが出てしまった。なぜ急に俺のことになったのだろうか。


「いや、流石にこんな物好きな女子っていないよ……」


 自分のことを卑下するように、まるで否定するかのように言い聞かせる。


「……」


 その言葉に対して石田さんからの返事は何もなかった。自分でも自分のことはわかっているつもりだ。言われなくても変わり者だとクラス中で思われているだろうし、できれば関わりたくないと思っているだろう。そもそも今まで彼女が欲しいなんて考えたこと一度もなかった。だが、京平の話しを聞いてふつふつと胸の奥に熱いものが立ち込める感じがした。今まで感じたことのない何かを。まぁ、そんな日もあるのだろう。


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