24話 心を許す
風呂から上がり、階段を上って先ほどの部屋まで戻る。やはり他人の家は慣れないものだ。床や天井、壁紙まで目に映るものすべてが異質に感じてしまう。
今になってこの状況はマズイんじゃないか、なんて思うようになってきた。石田さんのお父さんが帰ってきたらどう思うだろうか。もの凄い怖い人じゃないだろうかなど、様々な憶測が渦巻いていた。
だが、お風呂まで入ってしまった以上もう後に引くことはできない。俺は俺で、何で最初から断らなかったのだろうと思うが。
部屋に戻るとそこは先ほどまであった段ボールなどがあらかた片付けられており、布団が床に敷かれていた。
「わざわざここまでしてくれてありがとうな。石田さん」
「うんうん。元はといえば私があんな長話しをしたからだもんね。そうだ、まだ晩御飯食べてないよね?」
「そう、だな。あ、でもそこまで気を使ってくれなくても大丈夫だよ。雨やんだら近くのコンビニい買いに行くから」
そう言って窓のほうを見た瞬間、眩い閃光が目に入る。その数秒後、鼓膜を劈くような雷鳴が辺りに木霊した。
「雨止みそうにないね。簡単にだけど料理作ってくるから、くつろいで待ってて」
颯爽と部屋から出ていこうとする石田さん。だが、俺の一声が石田さんを止める。
「なぁ、何で石田さんは出会って間もない俺にここまでしてくれるんだ?」
今までふんわりと弛緩していた空間が、急に張り詰めたような空気になった。
「さっき話に付き合ってくれたこと、そして私が三代君をだましてたこと。この二つのお詫びかな」
扉の前で天井を見上げながら。
「そう……か」
どうにも腑に落ちなかった。正直その二つは俺にとって大したことではない。にもかかわらず、家に泊めて料理まで御馳走してくれるというのは、少々奮発しすぎなのではないだろうか。
「じゃあ、作ってくるから」
こちらにヒラリと手を振ってそのまま出ていった。確かに石田さんの素振りからは何か怪しいところなどはあまり感じない。だとしたら、俺の感覚のほうが間違っていて、これくらいは普通、ということなのだろうか。
考えても埒が明かないと思い、俺はカバンの中からスマホを取り出した。何やら通知がたくさん来ている。クラスのグループチャットの通知だ。タップして内容を見てみる。
“明日の数学の宿題、終わった人いたら貼ってくれると嬉しい”
“ほい 合ってるかは分からんけど”
“マジ神 サンキュー!”
すごい、こんな使い方もできるのか。と、俺は半ば感心しながらそのメッセージを見ていた。宿題を見せてもらうといえば、登校してから直接対面で見るというのが一般的だと思っていたのだが、今の時代、技術の進歩でこんなことに活用できるんだな、と謎の感心をしていた。
そうだ、そういう俺も宿題をしなければいけない。石田さんが戻ってくるまでの間に、少しは進められるだろう。そして少しでも宿題で分からないところがあれば教えるなどして、恩返しができれば、とそこまで考えて気づいた。たぶん、石田さん俺よりも頭いいよな……?
実際にテストの点数を見たことはないが、委員長をしたり美大を受けるという目標をすでに掲げているような人物が学業を疎かにしているとは思えない。
そんなことを思いながら数学のプリントをクリアファイルから取り出し、教科書を下に引いてシャーペンのキャップを1回押して、芯を出す。まずはクラスと出席番号、名前を記入していく。1問目は展開の問題だ。3乗の展開の公式って、どんなのだっけ。そう思いながら数学の教科書を引きずり出し、ページをぺらぺらとめくる。
「これか」
3乗の展開公式が載っているページを見つけ、それに数字を当てはめるようにして解いていく。展開して、同類項同士を計算して恐らく答えが出た。
このような感じで今日の数学の宿題は展開の問題が中心だった。この程度の公式を利用すれば解ける問題であれば難なく解ける。ただ、応用問題になるとてんでダメで、答えを見ても全く理解できない。
何問か問題を解いているうちに、階段を上る足音が聞こえてきた。
「お待たせ。って宿題やってた?」
石田さんはお盆を抱えており、その上には何やら香ばしいにおいの食事が載っている。
「うん、数学の宿題。なんかクラスのグループチャットでは答えが流出しているみたいだけど」
「そうなんだ。まぁ、めんどくさいなって思う時もたまにあるからね」
ゆっくりとこちらに向かって歩いてきて、お盆を床に置いた。その上には赤いケチャップが印象的なオムライスとじゃがいもを煮たもの、キュウリやトマトなど色とりどりの野菜がトッピングされたサラダがあった。
「あっ、テーブルないと食べにくいよね。ちょっと待ってて」
トコトコと歩いて部屋を出ていくと、すぐに戻ってきた。手には小さな折り畳みテーブルを抱えて。
「これ、石田さんが作ったの?」
「うん。時間なかったからササっと作れるものだけだけどね。もし足りなかったら言ってね」
折り畳みのテーブルを立ち上げ、その上にお盆を置く。
「いやいや十分だよ。普段も料理とかしたりするの?」
「う~ん、たまーにかな。部活とかで忙しいから時間もないしね」
「それもそっか」
部活をしていない俺でさえ簡単に済ませられるインスタント食品がメインなのに、エネルギーを使った部活の後から料理をするのは大変だろう。
「それじゃあ、いただきます」
「うん、どうぞ」
スプーンを握り、オムライスの卵を崩していく。中のご飯と一緒にスプーンですくいあげ、口の中に運ぶ。
「うん、おいしい!」
「ほんと? うれしいな」
石田さんは優しく微笑む。ゆっくりとスカートを抑えながら座り、俺の隣に位置をとる。雨でぬれた髪が固まって揺れる。
「そうだ、石田さんも早くお風呂入らないと。風邪引いちゃう」
女の子は特に髪の量が多いから、冷えたらあっという間に風邪をひいてしまいそうだ。
「そうだね。食べ終わったらそのまま置いといて大丈夫だから。あ、今日の数学の宿題どんな感じだった? ムズイ?」
「いや、特に難しいのは今のところないかな。公式に当てはめれば解けるのがほとんどだし。計算ミスさえしなければ」
「そうなんだ。私もお風呂から上がったら宿題するから、解き終わったら合ってるか確認しあおうよ」
視線が合う。俺は本当にこのまま心を許してしまっていいのだろうか。自分にそう問いかける。なんでこんなに俺みたいな人間に献身的に振る舞ってくれるのだろうか。
正直怖かった。
俺は裏切られた時の絶望を何度も、何度も経験している。
”きっと今回は大丈夫”
そんな慢心で、他人に押しつけがましい態度をとっておきながら裏切られると怖い。わがままなのは自分でも痛いほどわかっている。
でも、少しでももっと世界がやさしく、人に優しいものになれば、そんな大それたことを考えていた。




