2話 10年後
同姓同名の人物かもしれない。
なんて淡い幻想は最初から持ち合わせていなかった。ここは今から10年後の世界、つまり俺の年齢は16歳+10歳で26歳なのだ。そして何よりも決定的な事実として、俺の顔写真がニュースに公開されているのだ。今よりも頬の丸みがなくなりシャープになった顎のラインこそ異なるが、その面影は確かに潜んでいた。
「何なんだここは!」
俺はその場に居続けるのが怖くなった。掃き出し窓は鍵がかかっておらず開けっ放しだったので、そこから庭に出る。まるで真夏のような太陽の光が、俺を焦がすかのように照り付けてきた。
手で庇を作る。隙間から漏れ出た光が、刃物のような鋭利でじりじりと身を焦がす。今朝はこんなに暑くなかった。やはり、ここは本来の世界とは別と考えるのが適切だろう。
そのまま門を潜り抜け、道路に出る。車の通りは少なく、まるでこの世界に俺一人しかいないような錯覚に陥ってしまう。
向かう場所は一か所しかなかった。俺の一番身近な場所、そう自宅だ。だが、現在の場所がどこなのか全く見当もつかない。彷徨うようにして歩いていると、もう一つの身近な場所が見えてきた。
学校だ。
先ほどの民家から3分ほど歩いた場所に学校があった。いつも俺が通っているものとなんの遜色もなかった。
ここからなら自宅までの道のりは分かる。少し地形が変化していてもそこまで問題ではないだろう。俺はゆっくりと、地面を踏みしめるかのように一歩ずつ、歩みを進めていった。
「いや、それはちょっと……。はい」
やつれた声が聞こえてきた。俺はこの声を何度も何度も聞いたことがある。口調は違えど、生まれてきてから嫌というほど耳にした声だ。自宅の近くまで来た俺は、ある異変に気づいて近くの物陰に身を潜めている。
そう、俺の家の周りにはマスコミを含め、パトカーやドローンなどが飛び交い、もはや非日常の光景となっていた。
そのマスコミの中心にいる人物にマイクが何本も向けられている。
親父だ。
遠くからでははっきりとその表情までは読み取ることはできないものの、声にいつもの覇気はなく、肩を落としているのが見て取れた。こんな親父を見たのはあの時以来かもしれない。
そのまま、俺はじっとその場から動かずにその光景を見つめていた。それで何かが変わるわけでもない、ただ、そうでもしていないと俺が俺でなくなってしまいそうなのだ。
10年後の俺は殺人という罪を犯した。それは変わらない事実だ。10年後の俺は一体何をしていたのだろうか。恐らくは就職しているはずだ。会社で何か嫌なことでもあったのだろうか。だが、それくらいのことで俺が犯罪に手を染めるなどないはずだ。何があってもそんなことはない、そう信じていた。だあ、現実は違う。そのジレンマが俺の心を黒く、黒く塗りつぶしてしまいそうだ。
昔読んだ本で、「未来は絶対に変えることができない」という言葉があった。その言葉が真実であるならば、俺は今から10年後どんなことが起ころうとも殺人を犯してしまう。それは変えられない未来なのだ。
ただ、それはあくまで未来の時間軸に干渉するすべがない場合の話だ。現に俺はこうして未来に存在することができている。この世界において”三代勇也”なる人物は2人いるわけだ。そこでこの過去から来た俺が、未来の俺に接触することができれば何か変わるのではないだろうか。
だが、事件はすでに起きてしまっている。阻止するためには事件が起きる前に行動しなければならない。
そんなことを考えている中で、俺は大事なことに気付いた。10年後の未来に来たはいいものの、俺は元の世界に帰ることはできるのだろうか。
瞬間、背筋が凍るようなゾッとした感覚が稲妻のように走る。最初の民家にも扉らしきモノは一切なかった。ではどうやって帰ればよいのか。
思考を巡らせていくうちに、俺はこのまま帰れないのではないだろうかと考えるようになってきた。
帰るためのトリガーがどこにもない。俺はこのまま一生10年後の世界で過ごさなければいけないのだろうか。そんな恐怖に支配されそうになり、俺はその場から立ち去っていった。
俺が知っている場所。残るはあと1つのみだ。そう、友達の京平の家だ。ここからだと徒歩で30分ほど歩かなければいけないが、今はそんな弱音を吐いている場合ではない。できることはやる、そうしなければ戻ることができないからだ。
日差しは先ほどよりか少しだけ和らいできた。だが、背中には太陽の暑さだけではない汗がしとしとと滝のように流れ落ちていた。それでも俺は歩き続けた。
永遠に歩いている気がした。頭はぼうっとしており、もはや正常に物事を判断できる自信はない。一歩、一歩が鉛のように重たい。生憎、京平の家までの道はほとんど変わっておらず、難なくたどり着くことができそうだ。目の前に見えているT字路を左に行けば、右手に2階建ての1軒屋が見えてくるはずだ。この世界にきて一体どれだけの時間がたったのだろうか。体感ではあるが既に1時間近く経過している気もする。日も陰ってきて薄暮の時間となってきた。俺は曲がり角を抜けた先、右手の建物を見上げるようにして見つめた。
そこにしっかりと見たことのある配色の家はあった。俺は足早に、助けを求めるかのようにして玄関の隣にあるチャイムを押した。
”ピンポーン”
その音がまるで体育館の中心にいるかのように、波紋のように広がっていった。ほどなくしてその音は環境音で消されていくことになる。ドドドドドっと、階段を駆け降りる音が聞こえてきた。そして扉の向こうに人影が映る。その背丈は俺よりもかなり大きく、京平のお父さんだと思った。
ガチャ
扉が開いた。そこにいたのは、俺がよく知っている京平……ではなく、どことなく京平の面影を残した人物であった。恐らく10年後の京平だろう。
「お前……!」
京平は獣のような眼光を俺に向けた。その瞳は黒よりもさらに濃い黒。漆黒のような鋭さを持っており、見た瞬間に眼をそむけたくなるほどの眩しさだった。
「京平! 良かった……! 俺のこと、分かるよな⁉」
京平にここまで鼻息荒く迫ったことは今まで一度もない。それほど俺の心は孤独を感じ、空白が生まれていたのだ。
「ふざけるな‼」
その声は、俺の鼓膜を大きく揺さぶった。辺りの木々が揺れ動くほど、魂の叫びは辺り一帯に木霊した。
京平は一歩、こちらに歩み寄ってきた。そして勢いよく、俺の制服の胸ぐらをつかんだ。
「お前は、そんなことする奴だとは思っていなかった……。どうしちまったんだよ、勇也!」
そう言い放つと、制服をつかんでいたこぶしを胸にたたきつけるかのようにして放した。俺は勢いあまって、後方に倒れこんでしまう。
いつもと違う、京平の態度に俺は戦慄した。そう、俺は今犯罪者になっているのだ。それも人殺しの犯罪者。自分の友達がこんな状況になったのならば、怒りもこみあげてくるだろう。
「待ってくれ、京平。俺は違うんだ……」
だが、犯罪を犯したのは10年後の”俺”であってここにいる”俺”ではない。それを京平にわかってもらおうと必死に釈明しようとするが、うまく言葉が出てこない。
「まだ……言い訳するのか!」
先ほどよりも鋭い声色で、京平は尻もちをついている俺の制服をつかんできた。そして後ろには震えるようにして作った、こぶしが握りしめられていた。
「話を……」
あまりの恐怖に、それ以上言葉が繋がらなかった。こぶしが飛んでくる。俺はそう思い、ぎゅっと目をつむった。
”痛い”
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俺は恐る恐る目を開く。飛び込んできた光景は、先ほどまでいた京平の玄関ではなかった。扉は扉でも、こちらの扉は真っ黒であった。きらりと光沢を見せるインテグラル錠のドアノブ。窓から吹き込んでくる風が異様に心地よい。
そう、教室に戻って来たのであった。