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19話 姉と弟⑧

 先生の机の目の前まで歩いていった私は、不安な表情のまま、先生が話し始めるのを待った。


「さっきご家庭から電話があったんだけど、どうやら友貴君が倒れたらしいんだ。お母さんが今こちらに向かっているから靴を履き替えて校門で待っていて」


 その言葉を聞いた瞬間、鈍器で頭を殴られたような感覚に陥る。ある程度覚悟はしていたのだが、その数十倍上を行く衝撃だった。私はどうにも耐えられそうになくなり、すぐさまその場から走り去る。


「おい! 石田! 大丈夫か!」


 先生が後ろで心配する声が聞こえるが、なりふり構わず職員室を抜け、そのまま階段を下りる。昇降口に向かい、スリッパからローファーに履き替える。ローファーで走り出したらそのままこけてしまいそうになった。壁に手をつき、校門まで急いで歩いていく。土砂降りの雨がまるで私を拒絶するかのように降り注いでいた。

 ちょうど、お母さんが乗った車がやってきたところだった。お母さんは窓を開けて、「となり!」とだけ言うとそのまま窓を閉めた。私は問答無用で助手席に乗る。


「お母さん! 友貴が倒れたって……!」


 私はシートベルトを締めながら、まるで訴えかけるようにしてそう言った。


「そうなのよ。去年と同じで学校で倒れたみたいで。救急車で運ばれたみたい」


 お母さんはカバンの中から私にハンドタオルを差し出す。それを受け取った私は雑に髪を拭き上げた。


「状態は、どうなの⁉」

「それがね、意識が……ないみたいで……」


 それまで冷静だったお母さんだったが、声が上ずった。私まで涙があふれてきた。身体中が恐怖で支配されるような感覚。怖かった。


「友貴……大丈夫だよね?」


 それは質問ではなく、同意を求めていた。「うん」と言ってほしかった。ただ、「大丈夫だよ」と言ってほしかった。それだけだった。

 だけどお母さんは何も答えなかった。じっと前を見つめ、頬を伝う涙がポロリと零れ落ちていった。


 車で30分ほど走ると病院についた。去年入院した病院と同じ病院だ。駐車場から病院までは屋根がなく、私とお母さんは走って院内まで向かった。

 院内に入ると、ノイズは消え去った。だけど、まだ耳の奥で残響している。

 私は以前と同じく、お母さんが受付を済ませるまで椅子に座って天井を眺める。

 天井には大きな鳥の彫刻のようなものが糸でつり下がっていた。この前まではあんなものあっただろうか。真っ白な鳥は、今にでも羽ばたきそうな躍動感を持っていた。

 私は濡れた自分の髪をぎゅっと握る。何かに触れておかないと、何かがなくなってしまいそうで怖かった。


「友貴、今ICUにいるんだって。行こう」


 お母さんがいつの間にか近くまで来ていた。私は連れられるようにして病院のビニールの床タイルを歩く。奥へ奥へと歩いていった。

 かなり奥深くまでやってきた。そこには大きな自動ドアのようなものがあった。だが近づいても開かない。お母さんはドアの隣に設置されている電話の受話器を取る。


「すみません、石田友貴の母親です」


 その電話は恐らく、この中に繋がっているのだろう。ICUということもあって、軽率に入ることができないからこうして電話での会話になってしまうのだろう。


「はい。私と娘の2人ですね。はい。分かりました」


 受話器をゆっくりと置く。お母さんは「ふうっ」と小さなため息をついた。私でさえもこんなに心配しているのだから、お母さんの気疲れは計り知れないものだろう。


「準備ができたら中に呼ぶから、しばらくそこの椅子で待っててだって。座ろっか」


 指さした先には自動販売機と病院のいたるところに置かれている、クッション性の低い椅子がコの字型に並んでいた。


「うん」


 ゆっくりと歩いていき、腰を下ろす。

 先ほどまで気づいていなかったが、右足がじんじんと痛みを帯びている。それもそうだ、今日は走ったり歩いたりで身体も悲鳴を上げているのだ。


「ねぇ、お母さん」


 私は沈黙を破るかのようにお母さんに話しかけた。


「ん、どうしたの?」


 お母さんはスマホを見ていた視線を私に向ける。きっとお父さんに連絡していたのだろう。


「友貴、元気になって帰ってくるよね」

「……」


 自分でも何でそんなことを聞いたのかわからなかった。さっきも車の中で同じような質問をしてお母さんは無言だった。


「うん、きっと大丈夫。この前だって元気になって戻ってきたじゃない」

「そう、だよね……」


 その言葉を最後に私は俯いたままじっとしていた。


 どのくらいの時間待ち続けたのだろうか。長い、長いトンネルを歩いているかのような感覚に襲われていた。だが、自動ドアが開き、中から女性のスタッフが出てきた。


「石田友貴さんのご家族の方でしょうか?」


 帽子にマスク、首から下は防護服を着た女性が、ゆったりとした口調で話しかける。


「はい、そうです」


 お母さんはいつもより高い声色で返事をした。


「準備ができましたのでこちらへどうぞ」


 私たちは自動ドアの中へと入っていった。

 そこは薄暗く、光が一切差し込んでこなかった。さらにその奥には扉があった。鉄の扉だ。きっとこの先に、友貴が待っている。


「この先になります」


 女性スタッフが扉を開ける。まず初めに定周期で鳴り響く機械音が聞こえてくる。


 ピッ ピッ ピッ


 と、まるで心臓の鼓動のように一定のリズムで鳴り響いている。

 そこはベッドがカーテンで仕切られていくつも置かれていた。ベッドの周りにはこの前の病室で見た機械と比べ物にならない数が置かれており、一層禍々しさが増していた。


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