18話 姉と弟⑦
今日は友貴の退院の日だ。午前中には退院できるらしく、お母さんが迎えに行ってそのまま家に帰る。学校には来週から行くそうだ。
帰ったら友貴が家にいるのがうれしい。世間的に見れば少しの間だったが、私にとっては息が詰まるような長い長い時間であった。
部活もあれ以来特に問題は起こっていない。中野さんと小玉さんはあの後二人で話してお互いに謝ったそうだ。もう目の前まで県大会も近づいてきている。今が一番気を引き締めないといけない時期でもあるのだ。
その日も7時に部活が終わり、帰路につく。私はいつもよりも早歩きで家へと向かう。普段は片付けをしないといけないのだが、ユメが代わりに引き受けてくれた。また明日、改めてお礼を言わなければならない。
家の前までやってきた。リビングの光がカーテンの隙間から溢れ出てきている。勢いよく、玄関の取っ手を引き、扉を開ける。
「ただいま!」
私は靴を脱ぎ、綺麗にそろえる。この時間さえ惜しかった。そしてリビングに入ると、椅子に座った友貴がいた。
「あ、姉ちゃん。おかえり!」
その笑顔を見ただけで私は救われたような気分になった。良かった。本当に無事でよかった。そう噛みしめるように感じた。
「それ逆じゃない? 友貴が久々にこの家に帰ってきたんだから」
「あ、確かに」
そう言って少し笑みをこぼす。
「友貴、おかえり」
「姉ちゃん、ただいま!」
お母さんとお父さんも隣のソファでこちらを見守っている。私はなんて恵まれた家族に出会えたのだろうか。その日ほど、そう感じたことはなかった。
それから時間は流れていき、私は中学を卒業した。部活は県大会の2回戦で惜しくも敗退。その後は2年生が中心となり秋の大会に向けてチーム一丸となって練習に励んでいくはずだ。キャプテン決めは多数決投票で行われた。1人ずつに紙が渡されて、そこに推薦する人の名前を書いていく。最多の10票で選ばれたのは中野さんだった。その票数が彼女の人柄を表しているということなのだろう。これには私も、他の3年も口をはさむ者はいなかった。
高校に入学すると、勉強はますます難しくなりついていくだけでも精一杯になった。授業のスピードは速く、予習をしていることが前提のように授業が進められていく。
部活はもちろんバスケ部に入部した。こちらも中学のころとは比べられないほど練習メニューはキツく、本格的だった。17時前まで授業を受け、それから20時まで部活をする。そして家に帰って宿題をする。これが一日のルーティンだった。
このころにはすっかりイラストの練習をしなくなっていた。興味がなくなったからとかではなく、物理的に時間が足りていなかった。新しい環境に慣れるのにも時間を要したし、日々の宿題に追われ、イラストのことを考える暇さえなかったのだ。
友貴も中学に入って、サッカー部に入部したため忙しない日々が続いている。そのため、小説を書いている姿は見たことがなかった。
そして1年生も終わりに近づいてきた2月初め、私の人生を揺るがす大きな出来事が再び起こった。
この日は時期的には珍しく、雨が降り続いていた。朝の登校から降っていたため濡れた服の一部が冷たかった。教室の空気はどんよりとしている。
1時間目、数学
2時間目、英語
3時間目、国語
4時間目、化学
5時間目、世界史
世界史の授業まで終わった。委員長による授業終了のあいさつが終わり、席に着く。何気なく、ふと空を見ると今朝よりも雲の層がより厚くなって黒みを帯びていた。
これは帰る時も濡れるのを覚悟したほうがいいのだろうか、そんなことを考えながら次の時間の英語の教科書を取り出そうとカバンに手をかけたとき、担任の先生が扉を開けて教室に入ってきた。
先ほどまで会話で賑やかだった教室が一変して静まり返る。何事かと思ったが、先生の視線が私のほうを向いていることに気付いた。
「石田、ちょっと職員室に来てくれ! 帰る準備をしてから」
それだけ告げるとくるりと向き直って、行ってしまった。私は何だろう、と一瞬考えるが、次の瞬間心臓が跳ね上がった。この体験は前にも一度あったからだ。
教科書を持つ手が震える。気分が悪い。吐きそうだ。私は先生に言われた通り、帰る準備をして教室を後にした。廊下は他のクラスの生徒で溢れかえっており、その中でカバンを抱えた私は奇異の目を向けられていた。
雨の音がうるさい。ノイズのように耳の中で反響している。「ふうっ」と深呼吸をして、冷静になろうとするが、ノイズだけがどうしても離れていかなかった。
職員室の扉の前にやってきた。そこで足が止まる。後はノックをするだけなのだが、その一歩が踏み出せなかった。
まだ何もあの時と同じと決まったわけではない。そう自分に言い聞かせて、奮い立たせるようにしてノックを3回し、扉を開ける。
「1年5組の石田です。水浦先生に用があって来ました。入ってもよろしいでしょうか」
声が震えていた。普段こんなに緊張することはない。どちらかといえば肝は座っているほうだ。だが、この時はそんな日頃の私の姿を打ち砕くかのような重圧と緊張がのしかかっていた。
「石田! こっち」
奥で先生が手招きをする。私は「失礼します」と一言、小さい声で言って職員室の中へと入っていった。




