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12話 姉と弟①

 これは一体いつの記憶だろう。友貴がまだ元気な時なので、5年ほど前の記憶だろうか。

 私は机に向かって問題集を開いている。内容は数学ではなく算数だから私がまだ小学生のころだ。問題集には分数のかけ算・わり算の問題が2段に分かれて載っている。私は指を動かす。問題を解いていくこと自体に、何の抵抗もなかった。スラスラと、まるで答えが隣に置いてあって、それを書き写しているかのように筆が進んでいく。


「姉ちゃん、ここの問題教えて~」


 その優しい声色が、ゆっくりと鼓膜を揺らす。私は視線を前へとむけた。

 そこには青色の半袖シャツを着て、まるで鉛筆のほうが大きく見えてしまうほど小さな顔をした男の子、私の弟、友貴がいた。友貴もまた、夏休みの宿題をしていた。

 扇風機の羽が回る音がうるさく聞こえる。窓の外からは大きな緑で溢れている木が一本、見えている。外では蝉時雨が聞こえ、嫌でも夏の暑さを肌身に感じさせる。


「何の問題?」


 私は現実世界に引きも出されたかのような感覚になり、どっと肩におもりがのしかかったような感覚に陥る。軽く首を回し、グッと天まで届くように伸びをした。


「時計の問題何だけど、何か今までのやつと違う」


 それだけ言って友貴は持っていた問題集をさかさまにして、こちらに渡してきた。


「時計の問題って得意じゃなかったっけ?」


 友貴の成績はそこそこ。本当に平均的というべきか、特に良いわけでもなく、悪いわけでもない。だから、時計の問題は簡単に解けると思っていたのだが、そんなに難しいのだろうか。


「ここのやつ」


 右下にある時計のイラストが2つ描かれた問題を指さす。私は視線を動かしてみると、そこには「チャレンジもんだい」と書かれていた

 問題の内容は2つの時計の時間のちがいは何時間何分でしょうか、といったものだった。


「あ~、普通に時間を答えたりするだけじゃないんだね」


 いくら応用問題とはいえ、小6の私にとっては造作ない問題であった。


「たぶん2つ一気に出てきたから混乱しちゃったんだと思うけど、取り敢えず一つずつ時間を見てみようか。左の時計は何時何分?」


 そう言って私は見やすいように友貴に問題集を返す。それを受け取った友貴は、じっと問題を見つめて答えた。


「4時20分」

「うん、正解。それじゃあ、右の時計は?」


 再び沈黙が訪れる。だが、その沈黙は決して長くはなかった。


「8時10分」


 友貴は問題の横に鉛筆で時間を書きながらそう言った。


「正解。じゃあ、この二つの時間の違いを求めてみようか」

「そっか、一つずつ考えていけばいいんだ!」


 まるで自分で閃いたかのように、夢中になって鉛筆を動かす。その光景を見ているとなんだか嬉しくなってきた。私は自分の問題集の手を止め、友貴が解き終わるまでじっと見守っていた。


「3時間50分!」


 勢いよく顔を上げて答えを言う。


「うん、正解」

「よっしゃ! 今日の分の算数終わり!」


 立ち上がった友貴は大きく伸びをする。だがそこで何かに気付いてはっとした表情をした。


「そうだ、明日の登校日までに1枚やっとかないといけないプリントがあったんだ!」


 一目散に机の隣に掛けてあるランドセルの中を漁る。中からは丸まってぐちゃぐちゃになったプリントや、教科書がたくさん出てきた。その中から1枚引っ張り出してきて、再びこちらに戻ってくる。


「うわぁ~めんどくさ」


 プリントに視線を向けて開口一番そう言った。


「何の宿題?」


 私は少し休憩しようと思い、問題集を閉じる。流石に日も昇って暑くなってきたので、エアコンを入れようと、窓を閉めた。机の上に置いてあったリモコンを握り、運転開始ボタンを押すと、室外機がうなり始めた。


「なんか、将来の夢について書かないといけないみたい」


 プリントをつかんで私のほうに向かって見せてきた。そこには「しょうらいのゆめ」と大きく書かれており、質問が3つ並んでいた。

 私はゆっくりと地面に腰を下ろし、そのプリントの内容を読み込む。

 まず1つ目があなたの将来の夢について自由に書きましょう、というものであった。2つ目がそれを選んだ理由、3つ目がその夢をかなえるためにはどんな努力をすればいいかというものであった。


「私もこんなの書いたな~。友貴は将来の夢、何か決まってるの?」


 私の時は確かケーキ屋さんって書いたんだっけ。なんでそんな無謀な夢を書いてしまったのだろう。今考えても、謎だらけだ。


「夢……そんな先のことなんて考えたことない」


 きっぱりと答えた。


「ん~、何かないの? こう、ケーキ屋さんとかさ、野球選手とか。クラスじゃそういうのが多いんじゃない?」

「ケーキ屋も野球選手も興味ない」


 またもきっぱりと。どうすればよいかと思い、まずは身近なことから考えてもらうことにした。


「私が友貴の願いを何でも叶えてあげますって言ったら、なんてお願いする?」

「お願い……」


 眉間にしわを寄せて真剣に考え始める。そんなに悩むほどのことなのだろうか。私は恐らく、理由を覚えていないということはもの凄く適当に考え着いたことを書いたのだと思う。


「そうだ、お願いあった!」

「お! なになに?」

「夏休みがずっと続きますように、ってお願いする!」

「あはは……」


 私は乾いた笑いしか出てこなかった。それもそうか、小学2年生に将来について考えろなんて無茶な話だ。そもそも将来がいつのことなのか、今は目の前のことで一杯のはずだ。


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