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★★★
「もっとはっきりト!素早く足を動かしテ!」
リンリンが檄を飛ばす声と、手拍子。
それに合わせるように、いくつもの足音が重なって、預科及のスタジオに響いていた。
黒いレオタードに、ピンクのタイツを履いた少女たちが、床を踏み鳴らすように、キビキビと行進していた。
黒いレオタードに浮かび上がった乳房をグンと張り、タイツに包まれたスラリ長い脚をピッタリと揃え、両腕もピンと伸ばしたまま体の横に付け、顔は全員、見事に斜め45度上を見つめたまま、関節を一切曲げず、器用に脚だけを動かして行進していた。
少女たちは皆、口をキリッと真一文字に結んだ無表情だったが、それに反してそれぞれの目はどんよりと曇っており、まるで生気が感じられない。
まっすぐ進むときは、進行方向に顔を向け、列を揃えたまま方向転換するときは、基準となる者の方へと顔を向ける。
「ワッ!ツッ!スリッ!フォッ!」
リンリンの手拍子とカウントに合わせ、生徒たちは器用に足並みを揃えて歩く。
膝を全く曲げずに脚を動かすため、体が左右に揺れ、まるでゼンマイ仕掛けのオモチャの人形が、列になって歩いているようだった。
そして、そのイメージは、決して間違ってはいない。
これは、「オモチャの兵隊のマーチ」という演目の振り付けだ。
ドイツのレオン・イェッセルという作曲家の、(某3分料理番組でお馴染みの)誰もが聞いたことのある、同名の音楽に合わせ、タイトル通りオモチャの兵隊に扮したダンサーたちが、見事な行進を見せる、ユメノザカの若手團員たちによる定番のナンバーだ。
とはいえ、個性も意思も様々な数十人が、ピッタリと揃った動きを見せることは、相当に難しい。
しかし、頭に着けられたヘッドバンドによって意思を消され、動きを支配された彼女たちならば、数ミリ単位の誤差もなく、一糸乱れる動きを見せられるようになる。
・・・のは、まだ先のこと。
「ストップ!」
リンリンがカウントを止めると、生徒たちも行進の途中でピタリと停止する。
「アンタは前に出すギ。アンタはもっと進んデ!」
リンリンが、停止した生徒たちの列を修正していく。
生徒たちは注意された通りに列を直し、動きを改善していく。
しかしそれは、彼女ら自身の“学び“としてではなく、頭に着けたヘッドバンドに、“学習“としてインプットされていくものだ。
彼女たちは、その“学習“の内容に沿って動かされる、文字通りの“傀儡“に過ぎない。
「次!“敬礼の場面“、いくヨ!」
「ハイッ☆リンリンセンセッ☆」
リンリンの指示に、予科及の生徒たちは即座に独特なイントネーションと、甲高い声で返事をする。
「ハイッ!リンリンセンセッ!」
それに対して、理奈たち“体験入学“のメンバーは、返事のテンポも遅く、イントネーションもどこかマチマチだ。
どちらかと言えば、彼女たちの方が普通で、正規の生徒の方が異常な振る舞いなのだが、それが“通例“とされている環境にあっては、彼女たちの返事や行動が“未熟“ということになるのだろう。
とはいえ、生徒達が、今度は横の数列に並ぶと、リンリンがまた手拍子と掛け声を出した。
今度は、一定のリズムではなく、
パァン!
「敬礼!」
一度の大きな拍手と、リンリンの大きな声に合わせるように、生徒達は上半身を90度に曲げ、顔は正面に向けたまま、右手を額に当て、紛れもなく兵隊の“敬礼“のポーズで停止した。
パァン!
「気をつケ!」
次のリンリンの号令で、生徒達はまた、背筋をピンと張り、乳房を張った直立姿勢に戻った。
パァン!
「ターン!」
次の号令で、生徒達は“気をつけ“の姿勢のまま、器用にクルリと一回転した。
慣れている(学習が深い)生徒は、ターンのあとピタリと、また“気をつけ“の姿勢で停止するが、特に“体験入学“のメンバーは、やはり回転を止めきれずにヨロけてしまう。
「ダメ!体験メンバー、やり直し!」
リンリンはやはりそれを見逃さず、体験メンバーに号令を出す。
パァン!
「敬礼!」
リンリンの再びの号令に合わせ、“体験入学“メンバーだけが、上半身を90度に曲げて敬礼する。
パァン!
「気をつケ!」
“体験入学“メンバーだけが、直立姿勢に戻る。
パァン!
「ターン!」
“体験入学“メンバーだけが、“気をつけ“の姿勢のまま一回転する。
その間、正規生徒たちは、直立姿勢のまま、虚ろな目で斜め上を見つめたまま、微動だにしない。
「まだ、ダメ。全然止まれてなイ」
リンリンが厳しく言うと、ある生徒を指差した。
「アナタが一番できていル。前に出なさイ」
リンリンが命令したのは、真琴だった。
「ハイッ!リンリンセンセッ!」
真琴は甲高い声で返事をすると、列の前に出た。
「それかラ、アナタが一番出来ていなイ。前に出なさイ」
リンリンはもう一人、理奈を指差した。
「ハイッ!リンリンセンセッ!」
理奈も、真琴の隣に立った。
「二人だけデ、やってみなさイ」
「ハイッ!リンリンセンセッ!」
リンリンの指示に、理奈と真琴は、甲高い声を揃えて返事をした。
パァン!
「敬礼!」
パァン!
「気をつケ!」
パァン!
「ターン!」
一連の動きを、列の前で二人だけで行う。
真琴は、比較的キビキビと動くことが出来るが、理奈はやはり、ターンのあと、ピタリと止まることが出来ない。
それどころか、“敬礼“の、上半身の角度も、真琴や正規生徒に比べて甘いことは、一目瞭然だった。
真琴は、バレーボールで鍛えた体幹のため、このような動きを簡単にこなすことが出来るが、幼い頃からバレエしかやってきていない理奈には、踊りの動き以外には対応が難しいのだ。
「ちがウ。“敬礼“は、上半身を直角まで倒ス。ピッタリ止まル。人間にはムリ。オモチャの動キ」
リンリンに、上半身をグイッと倒され、理奈のハイレグレオタードには、尻の形がクッキリと表れる。
「そウ。レオタードにお尻が見えるくらイ、体を倒すノ。そのまま停止!」
パァン!
リンリンが手を叩くと、理奈は“敬礼“のポーズのままフリーズするが、上半身を直角に曲げ、お尻を突き出した体勢は、かなり無理がある姿勢のため、数秒で理奈の体はプルプルと震えだした。
リンリンは苦笑し、ため息をついた。
「弱者也〜(貧弱ねぇ〜)」
ガラーン、ゴローン
学院全体に響き渡るほどの、鐘の音が鳴り響く。
それを聞いた途端、生徒たちは、授業の最初のように、綺麗に並び直した。
夢埜坂哥劇團の本棟の屋上にある、名物の“大鐘楼“は、近隣にも聞こえるほどの音色を奏でる。
しかし、その正体は、團員や学院の生徒たちを、一度に支配する“マザーシステム“だ。
どのような状況下にあっても、一度“傀儡“にされた者たちは、この音色を聞いた途端に“学習“通りに操作されるのだ。
「リガトウゴザイマシタッ☆リンリンセンセッ☆」
正規生徒たちが、甲高い声と独特なイントネーションで挨拶すると、“体験入学“メンバーも、それに続く。
「リガトウゴザイマシタッ!リンリンセンセッ!」
「休み時間の間、課題を練習しておくようニ」
リンリンはそう指示すると、教室から出て行った。
★★★
敬礼!
気をつけ!
ターン!
気をつけ!
理奈は、休み時間に入ったあと、延々と、リンリンに指摘された振り付けを繰り返していた。
お尻を突き出して!上半身は直角!
敬礼!
気をつけ!
ターン!
気をつけ!
「ねぇ」
誰かが、理奈に声をかけてきた。
いや、気のせいだ。と、理奈はすぐに思い直した。
先生方の誰かが話しかけて下されば、ヘッドバンドに操作され、体が勝手に“話しを聞く姿勢“になるからだ。
理奈は構わず、練習を続けた。
この振り付けを、早くマスターしなければならない。
なぜ?
先生方が、そう仰るからだ。
敬礼!
気をつけ!
ターン!
気をつけ!
「ねぇ、ってば」
やはり、誰かがしきりに、自分に話しかけている気がする。
いや、“気がする“とか、“感じる“などは、自分には必要のないものだ。と理奈は考えを改める。
例え、誰かが話しかけていたとしても、操作が無い限り、自分はそれに反応する必要もない。
今の理奈、いや、“2118“が、やるべきことはただひとつ。
敬礼!
気をつけ!
ターン!
気をつけ!
「ねぇ!聞こえてるんでしょ?それとも、もう“人形“になっちゃった?」
声の主が語気を強めるのを感じた。
しかし、“2118“には、それに反応する必要がなかったり
なぜなら、“傀儡“である自分は、ヘッドバンドの操作が、
ヘッドバンドが・・・
「あ、あれ・・・?」
理奈は、我に返った。
理奈は、鏡に向かって、直角に体を倒し、敬礼したまま停止していた。
「わ、わたし・・・」
理奈は現状を理解し、すぐに“敬礼“のポーズをやめた。
それでも、大きな鏡に写る、高校生の自分には恥ずかしすぎる、ハイレグレオタード一枚だけの姿に、隠れたくなる。
しかし、理奈は鏡の中の自分に、ある変化を感じた。
ヘッドバンドが無い。
ズーシェンとチェンとの面会以降、どうしても外すことが出来なかった、銀色のヘッドバンドが、外されているのだ。
「良かった。まだ普通だった」
少女の声が聞こえ、理奈は振り返った。
そこには、紫、半袖、ハイレグという、理奈は絶対に着たくないデザインのレオタードに、不自然なほどピンクが濃いを着た、一人の少女が立っていた。
これは、預科及の正規生徒の制服だった。
丁度、乳房の膨らみのところに、それを強調するように“夢埜坂哥劇学院“と書かれ、ピクトグラムという、非常口のマークのように、丸や線で人間を表したようなロゴがプリントされていた。
しかし、そのロゴマークは、手足を広げて雄大に踊る少女のようにも見えるが、ユメノザカの内情を知る理奈には、無造作に糸に吊るされている操り人形にしか見えなかった。
預科及生の少女の右手には、銀色のヘッドバンドが握られている。
少女自身はそれを着けているため、そのヘッドバンドは、理奈のものだとわかった。
「あ、あなた、一体・・・」
理奈は警戒しながらも聞いた。
すると少女はにっこり笑った。
「完全に自由になるなんて、久しぶりでしょ?驚くのも無理ないよね。でも、安心して。アタシは“あっち側“じゃないから」
「“あっち側“?」
理奈が怪訝な顔をすると、少女は周りを見渡した。
預科及生と、“体験入学“のメンバーたちが、“オモチャの兵隊“の振り付けを、休むことなく練習していた。
彼女たちが、“あっち側“ということらしい。
「つまり、味方ってことかな、“まだ“。ね」
少女の含みを持たせた言い方に、理奈は不安を覚えた。
“まだ“。ということは、いずれは味方ではなくなるということだ。
理奈の考えを察して、少女は頷き、また周りの少女達を見渡した。
「みんな、コレのせいで、少しずつ“人形“にされちゃうの」
少女が、手に持っているヘッドバンドを指して言った。
少女の言っている意味が、理奈にはよくわかった。そして、すぐに恐ろしくなった。
先程までの、自分の思考。
自分を完全に“傀儡“だと思い込み、自分の意思よりも、ヘッドバンドによって操作されることを優先していた。
「でもね、コレの効果にも、個人差があるの。薬みたいなもので」
少女が言って、また周りを見渡した。
「すぐにアイツらの“傀儡“になっちゃう子もいれば、しばらく意識を保てる子もいる。アタシたちは、そういう子たちを出来るだけ多く見つけるようにしてるんだ」
少女に従って、理奈も周りを見渡すと、よく見れば、遠巻きに、不安げな顔で二人のやり取りを見ている少女たちが数人いた。
何人かは、目の前の少女と同じように、紫に学院のロゴが入った、制服のレオタードを着ていたが、理奈と同じように、黒のレオタードに手書きの数字の、“体験入学“のメンバーもいた。
「この子たちは、アイツらからすると“劣等生“。でも、アタシたちにとっては“仲間“」
「仲間・・・」
「人数は、多ければ多いほどいいからね」
少女の言葉を理解し、理奈はハッとした。
この少女は、まだ完全に“傀儡“になっていない少女を集め、ユメノザカの支配から脱出しようとしているのだ。
そして、同時に理奈は、あることに気付いた。
「真琴っ!」
理奈はスタジオの中を見渡し、真琴の姿を探した。
そして、スタジオの端で、ギクシャクと歩く練習をする真琴を見つけると、すぐに駆け寄った。
「真琴っ!」
理奈は、真琴の肩をつかみ、揺さぶった。
「真琴っ!お願い、目を覚まして!元に戻って!」
「ダメッ!」
少女がすぐさま、理奈を止めようと駆け寄る。
真琴は、理奈の方へクルリと向き直ると、虚ろな目で理奈を見つめた。
「真琴、聞こえる?わたし達、ここから出られるよ!」
理奈は、真琴の頭に着いているヘッドバンドに手をかけ、外そうと引っ張る。
しかし、なぜかヘッドバンドは、真琴の頭からびくともしない。
ガシッ!
真琴が、理奈の手を掴んだ。
「イジョーコードー、セイト、ハッケッ!」
真琴は、甲高い声で言った。
「ニセン、ヒャク、ジューハチバン、コントロールバンド、ミチャクヨウッ!」
「キンキュー、ソチヲッ、ハジメマッ!」
真琴は、自分のヘッドバンドに手をやり、何か操作をした。
真琴のヘッドバンドの、頂点の部分が、ボンヤリと、赤やら青やら、様々に変化する光を帯びる。
理奈は、すぐにその光から目が離せなくなる。
「ま、真琴・・・おねが・・・」
必死に真琴に訴えかけるのもつかの間、真琴の虚ろな目と、ヘッドバンドの光が、理奈の意思を奪っていく。
(私は傀儡、私は傀儡、私は傀儡)
理奈の頭の中に、理奈の声で、言葉が溢れてくる。
(わたしはくぐつ、わたしはくぐつ、わたしくぐつ)
もはや、理奈のボンヤリした思考は、その言葉の意味すら理解出来ないが、ただひたすらに頭の中でそれが繰り返されるのを受け入れるしかなかった。
(ワタシワクグツ、ワタシワクグツ、ワタシワクグツ)
そして、ついに、理奈はその言葉を実際に口に出す。
「ワ、ワタシワ」
「ニセン、ヒャク、ジューキューバン☆リンリンセンセノッ☆メーレードオリニッ☆レンシューヲッ☆ツヅケナサッ☆」
少女が、独特のイントネーションと甲高い声で命令すると、真琴は理奈の手を放し、直立姿勢に戻った。
ヘッドバンドの光も消え、理奈はまた自我を取り戻した。
「ハイッ!センパッ!」
真琴は甲高い声で返事をすると、また何事もなかったかのように、踊りの練習を始めた。
少女は、預科及生としての振る舞いをやめ、また普通の少女として理奈に向き直った。
「アタシが命令出来るのは、アタシより後輩だけ。“同級生“の他の子たちが同じ事をしてたら、助けられなかったよ」
「あ、ありがとう」
理奈が言うと、少女は悲しげな顔で首を振った。
「真琴は、残念だけど、もう助けられない」
少女の言葉に、理奈は衝撃を隠せない。
「そんな!?私は元に戻ったのに?」
理奈の返答に、少女は暗い顔で俯く。
「何度も試してみた。でも支配された意識は戻らなかったし、この“コントロールバンド“も外れなかった」
「そんな・・・」
落胆しながら、理奈はズーシェんとチェンの会話を思い出していた。
真琴は、部活動などでの経験から、規律の中で支配されることに慣れてしまっているのだ。
だから、理奈よりも早く、深く支配されたのだろうか。
少女はさらに続ける。
「授業が終わって、“ヤツら“がアナタたちを解放すれば、意識は戻る。でも、もうじき、“体験入学期間“は終わってしまう」
少女の言っている意味が、理奈にはすぐに理解できた。
「“体験入学期間“が終われば、私達は、本格的に夢埜坂に入学させられる・・・」
理奈が言うと、少女は黙って頷いた。
夢埜坂哥劇学院は全寮制だ。
つまり、入学した生徒たちはずっと、学院内で過ごすことになる。
それは、“ヤツら“に常に支配され、操られることを意味する。
永遠に、意思のない“傀儡“として・・・
理奈は寒気を覚え、“傀儡“と化し、ひたすらに踊りの練習を繰り返す正規生たちを見た。
(そうなったら、私も、彼女たちのように・・・)
そこで、理奈はハッとした。
この少女も正規生だ。
「あの、アナタは、どうして意思を取り戻せたの?」
理奈が質問するが、少女は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、答えてあげたいんだけど・・・」
少女はそう言うと、持っていた“コントロールバンド“を理奈の頭に装着した。
「あっ」
理奈は小さく声を漏らし、たちまち、意識が奪われていく。
「本当にごめん。もうすぐ次の授業が始まる。まだ、バレるわけにはいかないの」
少女がそう言う前で、理奈は完全に目から光が失われ、サッと直立姿勢になった。
理奈は、両腕をピタリと体の横に付けたまま、関節を曲げずにギクシャクと歩き、鏡に向き合った。
そして、また先ほどの命令通り、敬礼の練習を始めた。
敬礼!気を付け!ターン!気を付け!