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☆☆☆

クラシックバレエでは、“くるみ割り人形“が好きだ。


クリスマスパーティーという、楽しげな世界観から始まり、少女クララと、邪悪なネズミの王様との遭遇、クララのピンチに、颯爽(さっそう)と現れる、くるみ割り人形の王子。


彼は、魔法によって姿を変えられた、お菓子の国の王子様だった。


お菓子の国へと招待されたクララは、色々なお菓子の踊りを楽しみ、そして王子とのきらびやかな一時を過ごす。


しかし、ふと目覚めると、それは、クリスマスの夜に見た、素敵な夢だった。


そんな、幻想的な世界観が散りばめられた作品が、彼女は好きだった。


「いつか、一緒に踊ろうね」


そう言ってくれた言葉が、彼女は嬉しかった。


☆☆☆

「そっかぁ、あれから、菜緒(なお)とは連絡取れて無いんだ・・・」

高校からの帰り道、話を聞いて、大木(おおき) 真琴(まこと)は暗い顔をした。


うん。と、金城(きんじょう) 理奈(りな)は頷いた。

「仕方ないよね、“あの“夢埜坂謌劇學院(ゆめのざかかげきがくいん)だもん」

理奈が言うと、真琴は、ひょえ〜と独特な相槌を打った。

「SNSも、メールもLIME(ライム)も禁止なんだっけ?現代人にはキツイって〜」


真琴が言うと、理奈は無言で頷いた。

「でも、“憧れの舞台“だったらしいし、仕方ないよね」

理奈がそう言うと、ふと、理奈の顔を覗き込む真琴に気付き、理奈は驚いた。


「さっきから、“仕方ない“ばっかり。本当は理奈が一番納得してないんじゃない?」

真琴が、いつになく真剣な顔で言った。

「ど、どういうこと?」

理奈が聞くと、真琴は「だから」と、続けた。


「菜緒が夢埜坂(ゆめのざか)に入ったことよ」

真琴の言葉に、理奈は改めてハッとした。


もちろんそうだ。


菜緒が、夢埜坂に入ったことを、理奈は未だに納得できていなかった。


☆☆☆

理奈と、同級生の吉田(よしだ) 菜緒は、小さい頃から同じバレエ教室に通う親友だった。


バレエを始めたのもほぼ同時。初舞台も同じ日の同じ役。


それから、何度も、色んな舞台で同じ役を踊った。


成長し、互いに実力をつけるにつれて、いつも同じ役とはいかず、一つしかないソロの役を争ったりもしたけど、それでも一番近くでお互いの努力を見てきたライバルとして、親友として、理奈のバレエ人生にとって、菜緒は無くてはならない存在だった。


そのはずだったのに。


半年前、高校2年生の冬、菜緒は突然、何日もレッスンを無断で欠席した。


バレエを始めて、未だかつてこんなことはなかった。


人生で一番長くレッスンを休んだのは小6で、インフルエンザにかかった時だった。


菜緒は、毎日レッスンがしたくて泣いていたらしい。


そのあとは、テスト期間でも、受験前でも、絶対にレッスンを休むことなく、彼女はバレエと勉強を両立させてきた。


しかし、その時の無断欠席は、そんな期間も軽く越えるほど長期にわたり、先生達も、「何か事件に巻き込まれたのでは?」と心配するほどだった。


そんな折、突然、菜緒が教室に現れた。


菜緒はお母さんと、菓子折りを持って現れた。


その時の菜緒の表情を、理奈は忘れることが出来ない。


いつも元気で、ニコニコしていた菜緒の、その時の顔は、これまでの人生で一度も見たことがないくらい無表情で、まるで作り物のようだった。


久しぶりに会う理奈たちに一目もくれず、菜緒と母親は、先生と、教室の事務所でしばらく話し込んだあと、出てくると、また、理奈たちに一目もくれずに教室を出て行った。


「菜緒!」

引き止めようとする理奈を制したのは、長年彼女たちを指導してきた先生だった。

「先生・・・」


理奈に向かって、悲しげな顔を向けると、先生は他の生徒たちに向き直った。


「菜緒ちゃんは、年明けから“夢埜坂謌劇學院“への入学が決まりましたので、このスタジオを辞めることになりました」


先生の言葉に、スタジオは騒然となった。


「どういうことですか?」

先生に直接、言葉を発したのは、理奈だった。

「先生、ちゃんと説明してください!」

尊敬する先生に、そんなに強い言葉を発したのは、後にも先にもそれが初めてだった。


しかし先生は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるばかりだった。


「“小さい頃からの夢“らしいから、応援しましょう・・・!」

そう言う先生は、とても応援しようと言うような表情ではなかった。


当然だ。理奈は、壁にかかっている、一枚の紙に目をやった。


それは、先日発表された、今年の舞台の配役だった。


演目は“くるみ割り人形“。


主役である少女クララには、理奈。

そして、もう一人の主役である王子には、菜緒の名前があった。


---理奈は絶対クララが似合うから、じゃあ、アタシは王子に立候補しようかな!理奈の相手役なら、男の役だって全然OKよ!


そう言って笑う菜緒の顔を、理奈は今でもはっきりと覚えていた。


☆☆☆

夢埜坂謌劇團(ゆめのざかかげきだん)


都内に拠点を置く、国内でも最大級かつ、歴史のあるミュージカル劇団だ。


團員の数も国内最多。レパートリーである演目も、王道ものからオリジナルまで多岐にわたる。


そのファンは圧倒的に女性が多く、その理由は、この劇團の“最大の特徴“にあった。


それは、團員がすべて“女性“であること。


歌やセリフを扱うミュージカルにおいて、“男性“の役を女性が演じるというのは至難の技だ。

しかし、夢埜坂謌劇團では、男役、女役、主役から脇役まで、全ての男役を女性がこなし、その独特な世界観が人気を呼んでいる。


中には、夢埜坂の男役に憧れて、謌劇團に入りたいと望む女性も大勢いるが、夢埜坂謌劇團に入團出来るのは、付属の、“夢埜坂謌劇學院“に所属する者のみ。


そして、謌劇學院は入學希望者を募集しておらず、入學できるのは、學院側からのスカウトがあった者のみとなっている。


入學すれば、全寮制の學院でミュージカルを学び、やがて謌劇團の舞台に立つことが出来るが、その中身は謎に包まれており、どのようなレッスンや學生生活が行われているかは分からない。


つまり、菜緒にも、學院側からのスカウトがあったということだ。


(王子役がやりたいと言っていたのは、私の相手役をやるためじゃなくて、男役がやりたかったのかな・・・)

理奈はそんな風に考えた。


夢埜坂に入ることが、本当に菜緒の夢だったのなら、理奈はそれを止めるつもりはなかった。


だが、どうしても、理奈には菜緒が夢埜坂を目指していたとは考えられないのだ。


「あ・・・」

そんなことを考えながら、ふと見上げると、巨大な鉄の門が、理奈とまことの前に立っていた。


2mはある、観音開きの扉の先には、広い庭があり、その先に、まるで洋館のような大きな建物。


門には、“YUMENOZAKA“と書かれている。


そう、ここは、“夢埜坂謌劇團付属夢埜坂謌劇學院“。


まさにその場所だった。


実は、理奈や真琴、そして菜緒の通う高校からの通り道に、その場所はあったのだ。


「なんか、こんな話をしてる時に通りかかると、不気味に感じるね」

真琴が、夢埜坂哥劇學院の校舎を見上げ、染々と言った。


創設当時の“メイジ時代“に取り入れられた、モダンな雰囲気のある校舎は、100年を数える年季を感じるものの、どこかそれが、(おごそ)かな雰囲気を放っているようにも思えた。


「ひょっとして、菜緒に会えたりして〜?」

真琴が、門の間から、中を覗き込むようにして言った。


「ちょっと、真琴!」

理奈は、慌てて止めた。


バレーボール部で、背の高い真琴なら、本当に中の様子が見えてしまいそうだったからだ。


同時に、中を覗いていることが、内部の人間にバレたら、不審者と思われかねない。

「見つかったらヤバいよ、もう行こう」


理奈が真琴の体を引っ張って連れていこうとした時、

ガチャン!

と、向こうから誰かが門を叩いた。


二人は思わず、ひっ、と声を上げた。


言ってるそばから、関係者に見つかったと思ったからだ。


しかし、門を叩いたのは、一人の少女だった。


黒髪をキツいアップにし、後ろでお団子に結わえ、色白の小さな顔が完全に(あらわ)になっている。


少し異常なのは、少女がこの屋外で、ピンクのタイツと、黒い長袖のレオタードという出で立ちであることと、その少女の額、首、腕、手首、(もも)、足首に、輪のような、独特なアクセサリーが付けられていることだった。


その愛らしい顔とは裏腹に、少女は門の外に立っている二人を、必死な表情で見つめた。

「た、助けてっ!」


少女は、透き通るような声で、二人にそう言った。


「へっ?」

突然の展開に、二人はキョトンと返事をする。


「お願い、アタシをここから・・・」

少女がそう言ったとき、少女の体に付けられた、例の奇妙なアクセサリーについている赤いランプが、ピコンと光を放った。


「ウグゥ」

少女は(うめ)きとも(あえ)ぎともつかない声を出すと、ガックリと脱力し、項垂(うなだ)れた。


「あ、あの・・・」

明らかに異常な様子の少女に、真琴が心配そうに声をかける。

「大丈夫ですか・・・?」


すると少女は突然、上半身をブン、と振り上げるように起こすと、“気を付け“の姿勢になった。


その動きは、とても人間の筋肉の動きとは思えない、(いびつ)な動きだった。


直立する少女は、先ほどとは打って変わり、無表情で、感情のない表情になっていた。


「ア・・・オネガ、イ」

少女は、機械のような声で、パクパクと繰り返した。

「ケイ、サツ」

「えっ、なに?」


真琴が聞き返すが、少女は(きびす)を返すと歩き出した。


「ココワ、アタシタチ、ヲ、ニン・・・」

少女は、何かを呟きながら、校舎の方へと戻っていく。


手足が全くバラバラに動き、やはり正常な人間の動きだとは思えない。


まるで、四肢を糸かなにかで引っ張られているようだった。


「なにあれ・・・」

理奈は、先ほどの異様な光景に、呆然としている。

しかし、少女の言葉が、どうにも引っ掛かっていた。

「“警察“って言ってたよね?」


理奈が真琴に聞くが、真琴は何も言わずに、學院の門に手をかけた。


ギィ・・・


不気味な音を立てて、門は開いた。


「えっ、真琴、なにしてるの?」

理奈が慌てて言うと、真琴は真剣な顔で理奈を見つめた。

「あのコが本当に、アタシたちに警察を呼ぶように言ったのか、確かめよう」


真琴はそう言って、學院の門をくぐった。


「ちょ、ちょっと、見つかったらどうすんのよ、真琴!」

「理奈はここで待ってていいよ」

真琴はそう言って、ずんずん進んでいくが、真琴の言うとおりにするわけにもいかず、理奈も渋々真琴のあとを追った。


門をくぐると、庭園のように、木々の生い茂る、広々とした道が続いていた。


石畳の道が、校舎の方へと真っ直ぐに通っていたが、二人は茂みに身を隠しながら、少女の姿を探した。


やがて、校舎の玄関にたどり着くと、そこに少女はいた。


黒いレオタード姿の少女が、一人の女性の前で直立していた。


「訓練中に、勝手に抜け出す、どういうつもりカ?」

少女の前に立つ女性が言った。

切れ長の目に鼻の高い、パッと見はアジア系だが、喋り方などを見ても、日本人ではないようだ。


「ハイッ!モーシワケ、アリマセッ!ズーシェンセンセッ!」

少女は、先ほどと同一人物とは思えない、すっとんきょうな声で返事をすると、上半身を綺麗な90度に曲げて低頭した。


「オマエは、ワタシの傀儡(くぐつ)なノ。どこ行ってもムダ。そうでショ?」

「ハイッ!ワタクシワッ!クグツ、デッ!」

少女は即答で、自分が傀儡だと認めると、また上半身を90度に倒した。


「オマエ、ワタシの面目、潰しタ。ワタシの顔に、泥を塗るナッ!この、木偶の棒っ!」

女性の容赦ない罵声に、少女はいちいち90度上半身を倒す。

「ハイッ!モーシワケ、アリマセッ!ズーシェンセンセッ!ワタクシワッ、デクノボー、デッ!」


目の前で繰り広げられるやり取りを、理奈と真琴は唖然として見つめていた。


これはなんだ?


なぜあの女性は、少女のことを“傀儡“と呼ぶのか。


なぜあの少女は、言われるまま、自分を“傀儡“と宣言するのか。


(まさか、これが・・・)

理奈は、少女が「ケイサツ」と言った理由を、漠然と理解した気がした。


真琴の顔を見ると、彼女も恐らくそのようだった。


二人で顔を見合わせると、その場を去ろうとした、その時、


「そこに隠れてる二人は、オマエの友達カ?」

「!?」

気が付くと、女性は、茂みに隠れている二人に、ハッキリと視線を向けて、ほくそ笑んでいた。


「イイエッ!ズーシェンセンセッ!アレワッ、シンニューシャ、デッ!」

少女は二人の姿を確認もせず、女性の方を向いたまま答え、また90度上半身を倒した。


女性は、またニヤリとほくそ笑んだ。

「そうカ。侵入者カ。それならバ、オマエに、汚名返上のチャンスをやろウ。あの二人を、連れてこイッ!」

「ハイッ!ズーシェンセンセッ!」

女性の命令に甲高く返事をすると、少女は“気が付け“のまま、ザッと二人の方を振り向いた。


「マズイっ!理奈、逃げるよっ」

真琴に押され、理奈は反射的に門の方へ走り出した。


しかし、次の瞬間、黒のレオタード姿の少女が、二人の前に立ちはだかった。


どうやっても人間の能力では無理な動きで、少女は二人を追い抜いたのだ。


真琴が理奈を手でどけ、少女の前に立った。

少女は先ほどとは違い、完全に無表情な顔で、その目は焦点は合っておらず、到底正気とは思えなかった。


「アンタ、アタシ達に助けを求めておいて、今度は捕まえようって気?」

真琴が凄んだ。

体格ではかなり有利に見えた真琴だが、


シュバッ。


またしても、人間技とは思えない速さで少女の腕が動くと、


「あっ」


真琴のものとは思えない、(かす)みのような声が聞こえたあと、


ドサッ。


真琴はその場に崩れ落ちた。


一瞬にして完全に脱力し、倒れたため、制服のスカートがめくれ、ショーツが丸見えになっていても、真琴は横たわったまま微動だにしなくなった。


「真琴っ!?」

理奈が慌てて真琴に駆け寄ると、真琴は目を見開いたまま、その場に倒れていた。


その額には、少女が付けているのと同じ、銀色の輪がはめられていた。


真ん中にある赤いランプが、不気味な光を帯びている。


そして理奈は、思わず真琴に駆け寄ったあと、それを後悔した。


人形のように横たわる真琴から顔を上げると、目の前には、真琴と同じように無表情な、レオタード姿の少女の顔があった。


弾けるように立ち上がって、逃げようとした理奈だったが、既に遅かった。


シュバッ。


同じく一瞬にして、少女の腕が理奈の額につかみかかったかと思うと、次の瞬間には、理奈の額にも、例の輪がはめられていた。


「ああっ」

真琴と同じような声を上げたあと、理奈は不思議な感覚に陥った。


少女の顔を目前にした時に抱いた感情は、シンプルに恐怖。


だが、いま、地面に横たわる理奈の感情は、それとは全く異なるものだった。


冷静、ともまた違う。


今の理奈には、なんの感情もなかった。


この異常な状況に対する恐怖も、これから自分がどうなるかという不安も、皆無だった。


ただ、脳裏に、胸の中に、判然とした虚無が広がっているだけだ。


体を動かすことはおろか、目を閉じることも出来ず、まさに、糸の切れた傀儡のごとく、そこに横たわっている存在。


それが、今の理奈と真琴だった。


足音が近付いてきて、理奈と真琴のそばで止まった。


「オマエたちのことは、ずっとカメラで見ていタ。コイツと接触しこともナ」


それは、少女が“ズーシェンセンセッ“と呼んでいた女性だったが、それを認識しても、理奈にはなにも感じることは出来なかった。


無表情で横たわる二人を見て、ズーシェンはフフフと笑った。


「感情を無くした気分はどうダ?なかなか悪くないだろウ。そのうち、思考も、記憶も無くなり、オマエたちも完全な“傀儡“となれるサ」


ズーシェンの絶望的な告発にも、理奈の心は動くことはなく、ズーシェンが腕を動かして、なにかを操作すると、理奈の体は、何か見えない力に引っ張られるようにして、一人手(ひとりで)に立ち上がった。


視界の片隅で、真琴も同じように直立しているのが見えた。


「まずは、コイツの“脱走騒ぎ“でご機嫌ナナメの、お偉い方に、オマエたちをお披露目することにしよウ。せいぜい、彼らを喜ばせてくれヨ」


ズーシェンがそう言って踵をかえすと、レオタード姿の少女、そして理奈と真琴は、そのあとに従って、ギクシャクと歩き始めた。


そして全員が、夢埜坂哥劇學院の、建物へと消えていき、巨大な扉が固く閉ざされた。


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