1.(非日常は踏みつけてくる)
20XX年
通行人が行き交う街の中。
日本人なら珍しくない黒髮に平均的な身長、アイロンを適当にかけたであろうスーツに安物ネクタイの極々普通の会社員。
そんな俺から漏れた言葉。
「部長のパワハラえぐすぎいい」
今日も会社でお仕事を受け、1時間以上残業をこなし帰路につく。
「俺の人生ぱっとしねーな」
どうしようもないくらい平々凡々な人生を歩んでる自分への情けない声。
通り過ぎる人達は自分のクソでか溜息に目も暮れずすれ違っていく。
「小学生からやり直してぇー」
幼少の頃の全能感を思い出す。
あの頃は俺はなんでも出来ると挑戦し楽しんでいた。
考えや行動が毎日違って、毎日違う感情でキラキラしてて。
―――自問自答。
満27歳を向かえた俺はどうだろうか。
「んーない、キラキラがない、なんにもないぞ?」
新鮮さや、新しい感情なんて最近無い事に気づく。
毎日毎日同じことの繰り返しで家から仕事の往復がルーティンなんて始末。
会社に行けば、上司と営業先に媚び媚びで愛想をふんだんに詰め込んだごますりと笑顔を振りまいて……
これが今の自分なんだと確信しながら冷たい空に向かってボヤく。
「オワタァ」
変わり映えのしない日々を送り、心にため込んだ鬱憤には鍵をかけ、当たり障りのない言葉で会話をし、彼女もおらず作れずできず、人様に自慢できるような才能もなくだらだらと。
「あれ?俺、平凡以下じゃねぇか」
平凡以下会社員の俺、山田つよしの脳内に自責が反響する。
最近はいつもこんな事ばかり考えてしまう。
そんなネガティブな事をいくら考えても俺の人生はここからも変わらないのに。
「あーさみぃさみぃ、凍っちまうわ」
季節は冬、震える寒い帰り道にそんな馬鹿げた自問自答も無駄だと悟った。
「スーパーでも寄って鍋でもすっかな」
晩酌の肴に涎を垂らし足を早めた時だった──
それは突然やってきた。
『ブゥゥゥゥウウウ!!! 』
突然、吠えたような声が俺の鼓膜を震わした。
すぐに周りを見渡し俺はキョロ充まっしぐらに首を振り回す。
同じスーツ姿の会社員に綺麗なおばさま、通行人の誰もが俺と同じように振り返っていた。
『ゥ"ぅぅううう!』
この世で聞く事のないであろう歪音。
耳の奥まで鋭く突き刺さり、頭が割れそうになる。
「マジで痛い、なんだよこれ」
俺は必死に耳を両手で塞ぎながら、黒板を削るような不協和音の元へと目を向けた。
「……う………嘘だろ? 」
音の先には映画の中でしか見た事のない豚のような怪物がうめきをあげ暴れていた。
怪物が通行人を次々と薙ぎ倒すように襲い狂っている。突然現れた通り魔も真っ青な正真正銘の怪物。
「いやいやいや!おかしいでしょ!?なんだよあの怪物。さっきまでそこにいなかっただろ!」
目の前の光景に俺は大声でツッコミをいれていた。恐怖で喉が乾いていく。
その化け物は路駐されている車を軽々と蹴飛ばし吹き飛ばし暴れている。吹き飛ばされた車は逃げ惑う人を踏み潰す。
「やべえだろ……」
映画の撮影なんて情報はない。むしろあれが映画の撮影ならあまりにも凄惨なリアル。
人が踏み潰され、蹴り殺され、投げ殺され……
「あ、喰われた」
「きゃぁぁぁぁぁぁああ」
「あ………あっぁ」
「なんだこ、こいつ!」
「やべえって逃げろ………っ!」
目に写るのはまさに地獄。
麩菓子を折るように車を曲げ、蹴り飛ばし歩き回る。
怪物の登場に通行人は通行人で押し合い、豚の怪物から離れようと逃げ惑い阿鼻叫喚な絵が生まれている。
クリスマスが近いからって彩られた電飾が光景から異常に浮いていた。
「やばいぞ?なんだよあの豚……ここ日本だぞ!?」
足が産まれたての子鹿のように震える俺は頭が真っ白になる。
治安良しの日本。
そんな中でゲームのような怪物が暴れて、暴れて、暴れ散らかす。
目の前の光景には俺は異国………いや、異世界に来たような錯覚に陥った。
破壊と惨殺を尽くす豚の怪物は涎をたらし、のそのそと二足歩行で歩く。一歩一歩がとてつもなく大きく、地面を抉りとっている。
「脚力どうなってんだよ、俺も逃げないと」
目の前の光景に脳の処理が追いつかない。
分析とも取れる意味のわからない感情に変な笑みすらこぼれた。
『ブウゥゥゥゥゥゥオオ"!』
闊歩するバケモノの少し前で腰を抜かして立てなくなっている男性が俺の目に写る。
服装的に会社帰りのサラリーマンだろう。
スーツ姿に泣きながら震えている。完全に腰が抜けてしまっている。
サラリーマンは呼吸すらまともにできなさそうな顔でバタバタと足をもがき怪物から離れようと這いずっている。た。
「無理だ……助けれねえよ」
間違いなく犠牲になる。しかも恐怖で頭がいっぱいだ。
助けに行ったって麩菓子のように折られるだけだろうし、板チョコを砕くように踏まれるかもしれない。飲むように食べられるかもしれない。
サラリーマンの身に降りかかるであろう凄惨なパターン……それを勝手にいくつも想像し吐き気を催した。
「助けるか? ………いやいや、無理だ無理無理!」
俺には助けれない、動機がない。逃げる選択?
あれは人じゃない。 怪物?化け物?
じゃぁなんだあれは、思考がグルグルと回る。
「──ッ! 見たことねぇバケモンだぞ………い、意味不明だろ!やめろやめろ、変な気を起こすな、俺」
声を大にして自分を止める。
至る所であがる悲鳴にその声はかき消されるが俺自身にはしっかりと響く。
逃げる、とりあえず逃げる。
今身体が求めているのはその行動。
こんな所で勇気を振り絞る必要はない。
そう、ないんだ。 いつも通り、いままで通り、俺はいつだって嫌な事からは逃げてきただろう。
「くそぅ....…..くそくそくそ」
俺の身体と脳が違う答えを導こうとする。いやこれは脳じゃない、心だ。
助けて、逃げりゃいいだけ、それだけだろと言い聞かせる。
助けて逃げる、心が意味不明な結論をだす。
葛藤とかじゃない、意味不明な非日常に心が追いついていない。
冷静になりたいが、頭はパンパンだ。
「バケモンはなんかの生物兵器、いやいや違う。なんだ?……なんなんだ?いやいや、考えても仕方ないだろ? 明日には日常!明日からは元通り!あの人だけ背負って逃げよう!」
パニックは心を、頭を馬鹿にした。
冷静さなんてもんは、その前では埃を吹くよりも容易く消し飛び、 心が恐怖で悲鳴を上げている。
だが俺の足もサラリーマンに向かっていく。
俺にはなんにもない、だからこそこんなタイミングで子供の頃に挑んだあらゆるものへの可能性と勇気を思い出しはき違えた。
この状況でこの選択、それはパニックの延長線だった。
「チッ、 クソ、くそっ...…」
今にも腰の抜けたサラリーマンに辿り着きそうな怪物。俺はやけくそに持っている鞄をバケモノに投げつけた。
鞄が乱雑な縦回転して化け物の背中に当たりボトリと地面に落ちた。
『ブウエェ?』
サラリーマンに向けていた顔が俺へと振り向く。
顔についた二つの目玉はギョロギョロと視点を動かし、探し、気づく。
バケモノの体は半歩遅れるように顔の向きと合わさった。
「で、 でけぇ!」
近づけば分かる体のでかさ、恐怖が加速していく。
「こっこえぇぇぇぇ!」
大丈夫、大丈夫と心に言い聞かせる。
あのサラリーマンを逃がせば、軍とか警察やらが処理してくれるだろう。
バケモノがなんなのかさえわからないが、明日には日常に戻る。映画でよく見たワンシーンにすぎないはず。
俺は助けたお礼を言われ、表彰され、テレビなんかにもでて、ちょっとしたスーパースターになれるはず。
子供の時描いてたヒーロー図が頭を駆け巡っていく。
「お、お前の相手は俺だ! おれ! こっちにきやがれっ!」
敗因?慢心?パニック?ヒーロー?
そんなものなかった。そんなものではなかったのだ。
怪物がなにかわからなかった、心が恐怖いっぱいで思考が止まっていた。
意味のない正義と勇気と自信過剰さが哀れだった。
テレビ番組のドッキリなんかじゃないの? なんて事も思ってた。
あまつさえ、自分がヒーローになれるんじゃないかなんて……
──刹那
距離の開いていた化け物が目の前にいた。
「──ぁあッ!!」
豚のバケモノは"ニチャァ"と笑い、俺を踏み潰した。