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ツーボンド  作者: 夕目 ぐれ
1章 奴隷の少女と大樹の王女
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第7話 諭芽(ゆめ)①

〜*〜*〜*〜*〜*


「アナセン邸のルル殿、ですね。こちらへ、ご案内致します」


 今日は大樹の国ルルードゥナの祭事、タヴァリャーシャの当日。

 私は大樹の最上部、一枝区(しく)に建つ城内の中へと、兵士の方の案内を受けて入って行く。


「こちらでお待ちください」


 そして通された部屋の中は、ここが王族の方が住まれている城の中とは思えないほど質素なものだった。部屋の一部の壁一面が鏡になっている以外は、どこにでもありそうな部屋だ。椅子も机も庶民が使うような木製の家具だし。奴隷用といえばおあつらえ向きかもしれない。


 背後から兵士の方の失礼します、という声が掛かって、この部屋に一人取り残される。私は取り敢えず、椅子に腰を下ろす。


「……酷い顔」


 鏡越しに見える自分の顔に、私は思わず声が出てしまった。


 灰色の髪は毛先にいくほど濃くなって肩まで無造作に伸び切っている。毛先もそれぞれあさっての方向に散っていてぼさぼさだ。左頬に残る火傷(あと)に目の下の深く青暗い陰は寝不足の証。もう馴染なじみのある私の顔だけど、以前よりも酷くなっている気がする。


(……こんな顔の人がいたら、そりゃみんな心配するよ)


 そんな他人事みたいな感想が、鏡に映った自分を見て浮かび上がってくる。

 するとこんこん、と部屋の扉が叩かれる音と共に誰かが中に入ってきた。


「アナセン様」


「失礼するよ。これから女王様に謁見えっけんするからね、身なりは整えないと」


 アナセン様はいつもの和やかな笑みで、私の元まで歩み寄る。手には大きな麻袋を持っていて、不思議な匂いが部屋に充満している。それは強い香りではあるけれど、鼻腔びくうを強く刺激するほどではなく、優しく身体を包み込むような香りに感じる。


「……今からですか?」


「本当は城の者がする手筈てはずだったが、私が無理を言って変わってもらったんだよ」


「そうですか。……あの、この匂いは……」


「これはね、ジーランディア全域で見られるツユクサとマンヨウの実の調合品だよ。もちろん、私の屋敷で働く君にはその効用は分かるだろうね?」


 アナセン様が言ったその二つの調合で出来るものは、“魔嫌香まけんか”という魔物が嫌う匂いを出すものだ。どちらもそこら辺で手に入れられるものだが、その調合は難しくて作る人によって大きく効き目が変わってしまう。良質なものを作れる人はそれだけで生活には困らないほどの富を得れる。

 魔嫌香は一般常識だ。でも、私はこの匂いは知らない。


「魔嫌香ですか? でもこの香りは知りません」


 なので私の返答も少し頼りないものになってしまった。


「そうだね、当然さ。これには私なりの改良がしてある。普通のものよりも良い香りだろう? 魔物除けの効用も他には負けない。なにせ、私が作ったものだしね」


 そうはにかみながらアナセン様は麻袋から小さな木箱を取り出した。中にはドロっとした液体が入っていて、それを指ですくい取ると私の火傷痕が目立つ腕に優しく塗り込んでいく。そのヒヤリとする冷たい感覚に、少し身体をよじらせる。

 私はその様子をぼんやりと眺める。私の腕をすべるアナセン様の大きな手からは、悪意のようなそういったものを感じない。言うならば、親が子に触れる時のようないつくしむ感じ。そう感じてしまうのはきっと、この少し甘いような不思議な香りのせいだ。


「この香りは、金木犀きんもくせいという花を再現してみせたものだよ」


「……きんもくせい、ですか?」


 初めて聞いた単語に、私は目をぱちくりとしばたかせる。この世の全ての草花を把握している訳ではないけど、こういった時は少し悔しいと感じる。


「ルル、君は“失われた遺産”という存在を知っているかな?」


 私が小首を傾げると、アナセン様は楽しそうに、声色は語尾を跳ねるように言葉を続ける。


「この世界には、不自然に失われたものが数多あまたに存在しているんだ。これは、私が昔に世界を旅した時に感じたことなんだよ」


 そう小さな子供みたいな無邪気な笑みを覗かせて語るアナセン様は、でもどこかその表情は少し寂しそうだと私は感じた。

 そう言えば、アナセン様は世界中を旅していたと、屋敷の子から聞いた。だから、こんなにも世界中の草花についての知識があるのだと。


「次は髪を整えよう」


 座る私の後ろに周ったアナセン様は、私の髪をすくい上げて液体を吹きかける。さっきと似た優しい香りが私の鼻腔に広がる。私の無造作に跳ねた髪が少しずつ綺麗に整えられていく。その流れるような慣れた手付きに、鏡越しに目がきつけられる。


「……私、この香り好きです」


 私の髪がき上げられて、ぱらりと肩に落ちていく。静寂の中優しい香りに包まれたこの空間に、私はなぜかコールとマゼルの三人で過ごした日々を思い出す。


 アナセン様はその滑らかに動かす手は止めず、ありがとう、と微笑みと共に言葉を返す。


「ルル、君たちの知識はとても豊富だけど、変にかたよりも感じられた。誰かに教わった訳でも、学び舎に通っていた訳でもないのだろう?」


「……はい。私たちは色々な場所を転々とした……と言うか、そうせざるを得ないことがほとんどで……」


 主にコールがよく主様あるじさまと揉め事を起こしてしまって、三人で逃げるように街や国を走り回った日々を思い返して思わず苦笑が溢れる。この香りは、なぜかそんな懐かしい気分にひたらせる。私は自然と口が動く。


「生きていくために自然と野草の知識は身に付きました。よく野宿もしましたし。コールの夢……、のこともあって、拾った本で文字や植物の勉強もしてきました」


 三人で野宿をしながら魔物におびえた日。苦い野草を口にして、珍しく顔を歪ませたマゼル。毒のある野草を持って来てマゼルに怒られるコール。拾ってきた本を三人で顔を見合わせて、あれだこれだと言い合った日々。どれもおかしくて騒がしい、私の大切な思い出。


 鏡越しに目が合ったアナセン様の表情は、穏やかに私に向けて投げ掛けられていた。


「すみません、私……」


「何も謝ることはないよ。ただ君にとって、コールとマゼルはとても大切な存在なのだろう。それこそ、家族のように」


「……家族」


 そう聞いて、脳がぎしりと悲鳴を上げるみたいに痛みを発した。二人の顔が脳裏に浮かんで見えたけど、あの日の夕陽が沈んで消えていったみたいに、二人の表情が見えなかった。

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