3章秘話 貴方が望む世界に私はいなくても
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子供の頃の遊びといったら、木の棒での叩き合いだった。そういうのが苦手な私にとって、ただ痛い思いをするだけな遊びでしかなかった。
でも、それが私の日常でそういう世界に私は生まれたのだった。
だから当然にこの世界に私の居場所なんてなくって、私はいつも一人だった。毎日森を彷徨い歩いてどこかに辿り着けることを望んでいたと思う。
「……誰?」
そんな私が見付けたのは私とは根本から違う生き物だった。
体毛もなくて体も小さく、そこらの魔物よりも弱そうな存在。でも彼らが着飾る衣服は華やかで興味がそそられた。
その日から始まった私の人間観察は、私に違う世界を見せてくれた。私たちとは違い一人一人がか弱い人間たちは協力し合い生きていて、それが私には羨ましく思えた気がする。
* * *
そうして人間を観察する日々は日課となって、私の日常にあった嫌な遊びも段々と訓練じみたものとなっていった。
「……ねぇ、名前は?」
ある日、私は一人の女の子に声を掛けた。理由なんて考えても出てこなくて、自然と言ってしまった。
今思えば、私と同じような気がして。もう既に大人顔負けの実力を持つのに真面目に訓練をするその姿が、どこか息苦しそうに見えたから。全然楽しそうじゃなかったから。
私はカグに教えた。こことは違う世界があることを。
「センサ、人間という種族は美しいな」
そう呟いた彼女の目は輝いていた。いつもどこか苦しそうで大人びた様子のカグらしくない姿に、私は驚いた。
これが彼女の着飾らない姿だと思うとなんだか嬉しいような、でもどこかもやもやとした気持ちもあって。
「……うん、そうだね。羨ましい」
不意に出た自分の言葉がやけに頭に残る。人間をどこか羨ましく思ったあの時の気持ちは、果たして今と同じだったのだろうか。
「羨ましい……か。そうだな、……そうだ。私は、人間になりたかったかもしれない」
私の言葉に同意するように、カグはそんな言葉を残した。その時の彼女の表情があまりにも眩しく希望に溢れて見えて、私は違うと思った。
きっと……、いや。カグは、私とは違うんだと悟った。
だって、私は人間になんてなりたいとは思わないから。
……じゃあ、この羨ましいという気持ちはなに?
* * *
あの日から、カグは変わった。カグは私の日課となった人間観察によく付き合うようになった。日々の訓練も元々真面目にこなしていたけど、やる気に溢れて見えた。カグは見るからに生き生きとして、私はその姿を眺めて……。
元々大人顔負けの実力を持った彼女だ。もう彼女が次の族長になることを疑うものも異を唱えるものもいない。
でも、カグは族長なんかになりたいと思うはずがない。だって彼女は人間になりたいと言ったんだから。人間を羨ましいと呟いたカグの表情がずっと頭の中で残っている。
やっぱり真面目に自分の責務をこなそうとする彼女に私は異を唱える。
「センサは人間が羨ましいんだろ? どういうとこをそう思うんだ?」
話を逸らすようにカグは私にそう尋ねた。その問い掛けはずっと私の中にあって、答えなんて見つけられていなくて。
ただ初めて人間を見た時と今の|羨ましい《・・・・》という気持ちは同じではないのは分かる。
私は間を埋めるように空虚な言葉を連ねる。でも、その言葉に思わぬ返答があって戸惑う。
人間が着ている服が私に似合いそうだとか、変なことを言う。だけど、カグが楽しそうに笑うから別に良いと思う。でもまた、カグは変なことを言い出す。
「お前のそういう私たちにない視点が必要だ。私にも、私たち部族にも。だから、族長になる私の側にお前が居てくれないと困るんだ」
カグが思ってもないことを言う。族長になんて、
「……なりたくないくせに」
「私たちが変えればいい。そうしたら、私の夢も叶う」
「……夢?」
「人間のように、私たちも着飾ろう。私はその為に族長になるよ」
本当に、カグはおかしなことを言う。そんな思ってもないことを。あの服を着たからって人間になんてなれるはずもないのに。
なんで、そんなことを言うの?
私はカグの真っ直ぐな表情を見る。その希望に満ちた目に誰かが映って、不意にあぁと思った。
「……ふふ。なにそれ?」
カグの夢には私がいる。そのことに気づいて、私はただ笑うしかなかった。
カグは私に不恰好な装飾品を渡して言う。
「センサ。この装飾品に誓い合わないか? お互いの夢を一緒にしてその目的の為に邁進すると」
その言葉と手元の装飾品を心から嬉しいと思う。胸がその気持ちに耐えられないように軋む。軋む音が身体中を蝕むように侵食していく。
ねぇ、私はカグとは違うんだよ?
私は人間が羨ましい。弱くても許される彼等をそう思う。彼女に憧れ、そのままで共にいられる彼等を……私は……。
「センサの夢はなんだ?」
「私は……、今以上のことは望んでないかな」
私は、人間のような弱さを嫌う。弱い私はここに彼女を縛り付けてしまうから。だから私が居る限り、きっと彼女は……。
「ん? どういうことだ?」
「カグが居てくれたら良いってこと」
カグの夢に私は不要だ。でも、もう少しだけ側にいることを許して欲しい。
* * *
私の為すべきことは分かった。まだ具体的にどうするかは決まっていないけど。
ただ私は何か彼女に残したいと思った。これは完全に私の我儘だけど、せめてそれくらいは……と。
私はカグにもらった装飾品を握り締めて人間の村まで近づいた。カグが欲しがったものを渡せたらと思って。
「……誰?」
小さな人間の子供が草陰に隠れていた私を見付けてしまい、その子が抱える畳まれた衣服に目がいく。
「……それ、貰えたりしないかな?」
「……え? これ? これはお母さんのだから……」
ふとその子が私の手にあるカグから貰った歪な装飾品を見つめる。
「これ、気になる?」
「……うん」
「……これと交換、とかどう?」
抵抗はあったけど、迷いはしなかった。私の大事なものがカグに返すだけだと思ったら。
「……内緒だよ?」
「……うん。ありが──」
「魔物だ! みんな、魔物がいるぞ!」
もう少しの所で他の村人たちのそう言う声が響いた。直ぐに包囲されて、私は抵抗せずに捕らわれた。
私の終わりが彼女が愛したものだとすればすんなりと納得ができた。これでもう、カグの夢を邪魔するものはいない。そう思っていたのに。
赤い景色が目に入る。まるで幻のように赤色の景色が揺らぐ。
私はどこで間違ったのだろう。
最初はただ純粋に彼等を憧れた。でも、カグに出会いその強さに憧れという感情から始まって、彼女が何より大事になって。
私は彼女を不自由にする自分の弱さを嫌うようになって、私は気付く。
あぁ、やっぱり私という存在は、どこまでもカグを不自由にしてしまうと。
彼女は赤く汚れた手を私に差し出す。複雑そうに顔を歪めながら、ゆっくりと口を開いた。
「……まだ、人間は好きか?」
それがどこか祈りのように思えて、私は嘘を吐く。
私は人間というよりも、"弱さ"が嫌いだ。
私が弱いからカグは族長になる。私が弱いからカグは大事なものを傷付けてしまった。私が弱いから、カグの夢は遠ざかる一方だ。
ごめんなさい。私が私で。
* * *
薄れゆく意識の中、声が聞こえる。私の大事な人の悲しそうな声が聞こえる。必死に、私のことを呼んでいる。
でも、それには応じられない。
私は余りにも多くの過ちを積み重ねてしまったから。
(駄目だなぁ)
言いたいことがどんどんと出てくる。全部伝えたいけど、もう声も出ない。だから、最期の力を振り絞ってある物を取り出す。
ついさっき、カグと一緒に水に流されて行く村人を助けた時に見つけた歪な装飾品。あの日、カグと誓い合った約束の物。それを、カグに返す。
その一瞬のように思える時間で、今までの思い出が頭に過る。たくさんのごめんなさいを積み重ねて、最後にありがとうを添える。
こんな私を大事にしてくれて、ありがとう。
カグはきっと、こんな私のことをいつまでも引き摺りそうだから、これを見つけれて良かった。
ごめんね、作って貰ったのに渡そうとしちゃって。ありがとう、嬉しかった。
貴方はきっと大丈夫。もう、どこまでも進んでいけるから。
貴方が望む世界に私はいなくても。




