第28話 消せない、赤の情景
* * *
私の視界に広がる赤い光景が揺れる。その向こうで見知ったはずの親友の聞きなれない叫び声が耳を通り脳の奥で反響する。
『……まだ、人間は好きか?』
いつだったかセンサに問い掛けた言葉を思い出す。あの時もこんな景色だった。燃え上がる人間の家屋に照らされたセンサの顔が鮮明に浮かぶ。
今になって思う。この言葉をなぜ私はセンサに投げ掛けたのか。あの日と同じように心が揺蕩う。
きっと、あの日の私は動揺し過ぎていた。景色も心も上手く視点が定まらなく、何もかもを見誤ったんだ。だから私は、センサをちゃんと見れていなかった。いや、もしかしたら私は最初からセンサのことを分かった気になっていただけだったかもしれない。
私は私の理想のセンサでしか彼女のことを見れていなかった。勝手に彼女はこうだと信じ込んで。
* * *
疑問なんて持つ訳なんてない。この村で生まれた時から強さこそが正義のようなもので、それ以外を私は知らなかった。
当たり前のように身体を鍛え、武を極めることで私は他の者から認められた。それを誇らしいとは思わなかった。そうすることが当たり前だったから、ただ現実を受け止めて。
「……人間っていいよね」
ある日、同い年の子がそんなことを呟いた。その子は武芸の才に恵まれず燻っていた子で、私はその子といることにどこか居心地の良さを感じていた。
「にんげん?」
「知らないの? 見に行く?」
そう言ってセンサに連れられて山を降りた日のことを今でも鮮明に思い出せる。華奢な身体だけど一人一人が個性を持っていて、魔物一体に協力し合いながら立ち向かう姿に目を惹かれた。
「センサ、人間という種族は美しいな」
「……うん、そうだね。羨ましい」
私の言葉にセンサは少し驚いたように目を開かせて呟いた。
「羨ましい……か。そうだな、……そうだ。私は、人間になりたかったかもしれない」
そして私たちは度々山を降りては人間たちを観察した。センサが楽しそうに人間のことを教えてくれた。そうした日々が続いて。
「次の族長は、きっとカグだね」
「……そうだな。私が族長になれば少しはお前への嫌がらせも減るだろう。もう少し辛抱してくれ」
私がそう安心させるように言うと決まってセンサはばつが悪そうな顔を浮かべる。きっとセンサは私にばかり負担をかけさせてると思っているのだろう。
「……センサ、気にするな。私はお前がいるから頑張れるんだ」
「……でも、人間になりたかったんでしょ? 本当は族長なんかになりたいって思ってないでしょ」
「それは……」
私は図星を突かれてつい口を噤んでしまう。一旦失ってしまった言葉はもうどこにも見当たらなくて、私はまるで逃げるように話題を変える。センサとは楽しい話をしていたいと思ったから。
「そう言えば、センサは人間が羨ましいんだろ? どういうとこをそう思うんだ?」
「それは……」
今度はセンサが困ったように口を閉じてしまった。私はそんな返答に迷うようなことを聞いたつもりはない。
「……人って、みんな個性的って言うか……ほら、私たちってみんな同じような顔して同じ格好でしょ?」
「確かにな……。それは盲点だった。あのひらひらした衣服はセンサに似合いそうだ」
「それはっ……!」
センサは照れるように顔を紅潮させて声を詰まらせてしまう。その姿に私は思わず声を上げて笑ってしまった。やっぱりセンサといるのは楽しい。だからセンサは私に気遣う必要はない。だって私はこんなにもお前の存在に救われているのだから。
「お前のそういう私たちにはない視点が必要だ。私にも、私たち部族にも。だから、族長になる私の側にお前が居てくれないと困るんだ」
「……なりたくないくせに」
「私たちが変えればいい。そうしたら、私の夢も叶う」
「……夢?」
「人間のように、私たちも着飾ろう。私はその為に族長になるよ」
「……ふふ。なにそれ?」
やっと見せてくれたセンサの笑顔に私も思わず笑みが溢れる。
「そうだ、センサ少し待っていろ」
私はセンサにそう告げて足元に視点を這わせる。丁度良い大きさで形の良い石を見つけたら持っていた槍の先端を強引に何度も打ち付けた。
「……カグ?」
背後から何をやっているのかと疑問の声が届くが手を動かし続ける。そうして不恰好で歪な穴が空いた石に近くの木の蔓を通すと完成だ。
「センサ。この装飾品に誓い合わないか? お互いの夢を一緒にしてその目的の為に邁進すると」
センサは私の言葉に目を丸くして少しだけ何かを堪えるように口を噛んでからはにかんだ。
「……うん、うんっ。分かった」
「私は、人間のようにお前と着飾ってどこかに行こうか」
「ふふ、どこかって……」
「……いいだろう。センサの夢はなんだ?」
「……うん。私は———」
あの日、私たちは即席で作った歪な装飾品に誓いを立てた。そして私は無事に族長なり、ここから始まるはずだった。
それは私が族長となって間もない頃に起きたことだった。
「カグ! センサの奴が人間に捕まった」
「は? どういうことだ!」
私は知らせを受けて疑心暗鬼で仲間たちと山の麓にある村へと向かった。そこは私とセンサがよく人間の観察をしていた見知った村だった。
「カグ!」
仲間達の急かす声が私の耳に届いている。私の目には人間達に囲まれて拘束されているセンサの姿が映っている。
「族長! どうするんだ」
分かっている、私のすべきことも。迷う必要なんて何もない。私はもう子供じゃない。私たちの見た目も人間達にどう思われているのかも知っている。この状況で話し合いなんて不可能だ。だから、私はセンサを助ける為に、私は
「…………センサ」
私たちには夢がある。誓い合った未来がある。でも、この一線を越えると私たちは……。
「……ッ! センサ!」
迷いを振り切るように私はセンサの元へ駆け出した。私の行動に応じるように仲間達も動く。人間達が私たちに向ける目から私は顔を背けて駆ける。聞こえてくる何かの痛ましい声を聞こえていない振りをしながら走る。
身体が上手く動かない。小さい頃から使い慣れたはずの槍が手に馴染まない。だから私はただ足だけを動かす。
「……センサ、大丈夫か?」
力無く倒れ込むセンサを抱えて声を掛ける。所々叩かれたような痣は見えるが目立った外傷はなくて安心する。
「…………ごめん」
小さくセンサの声が聞こえた。
「……大丈夫だ、お前が無事なら」
さっきまで聞こえていた声は鎮まり赤い光景が目に浮かぶ。それは家屋が焼かれ崩れ去る姿であり、人間達の何かが地面を染めた色だった。どこを見ても赤い色が目に付くから私はただセンサだけを見据える。
仲間達が歓喜の声を上げる。それが頭の中でやけに響く。
「……あぁ」
どこかで付いてしまったのか赤く汚れた自分の手が目に入り、思わず情けない声が漏れる。自分の中の何かが崩れ去っていく音が聞こえた気がして、私は抱える最後の希望に定まらない視線を合わせる。
聞きたい声が上手く出せない。喉の奥で何かが詰まっているようで、空虚な空気の塊しか表へ出ない。怖いと思う。もし、あのセンサまでいなくなっていたら私は……。
センサは私に光をくれた。強さ以外の尊いものを見せてくれた。センサは私に夢をくれた。それが私の生きる目的になったから。
私は心の中で願った。どうか、センサだけは私から奪わないでくれと。
「……まだ、人間は好きか?」
〜*〜*〜*〜*〜*
ただ必死に山を駆ける。燃え上がる森はどんどんと目に見えて広がっていき、もう目に見えてくるはずの村の姿すら窺えない。
白い煙の中、出来るだけ煙を吸い込まないように前に進む。身体中が痛みで声を上げているようで、呼吸も上手く出来なくなってくる。
朧げな視界は今がよく見る夢か現実かも漠然とさせる。だからつい足が止まりそうになる。目も耳も塞いでしゃがみそうになる身体が今動いてくれているのは、左腕の結びの微かな痛みがあるから。この痛みが今が夢じゃないと教えてくれている。赤い光景の向こうで聞こえてくる声が幻聴だって、足元で私に話し掛けてくる何かも幻覚だって。
なんでこんなに必死になっているのかなんて私も分からない。私を殺そうとしてきた人達を助けようとしている理由なんて何もない。ただ私はもう後悔したくない。あの時ああしていたらを繰り返してきた私はただもう後悔したくないという気持ちだけで駆け行く。
「———誰か、助けて……」
「……っ!」
微かに聞こえた声に向かう。煙の中を突っ切るとそこは私たちが滞在した部族の村だ。所々家も焼け崩れていて戸惑うように立ち尽くす村人の姿も見える。
「早く逃げて下さい! 風が真下に吹いてるから斜めに下りて!」
私は立ち尽くす村人達に大声で呼び掛ける。
「人間……、まだここに」
「今はそんなこと言って場合じゃないでしょ! 早く!」
こんな状況でも未だに私に敵対心を露わに示してくる人達に、私はそう叫ぶと決まりが悪そうに走って行く。私はその後ろ姿を見ながら聞こえたはずの声の出元を探す。もう大体の人は逃れたようだけど、まだ取り残された人がいるかもしれない。
「……助…………て」
「どこ! 大丈夫だよ、助けにきたから!」
私は安心させるように声を掛けながら微かな声を聞き逃さないように耳を澄ます。そして焼け崩れていた家屋の下にいる小さな子供を見つけて駆け付ける。
「大丈夫! 直ぐに助けるから」
私はその子に覆い被さる木の板を必死に持ち上げようと力を込めた。
「…………っ!」
でも幾重にも積み重なった木の板はぴくりとも動かなかった。それでも私は何度も挑戦し続ける。指の先が痛みで悲鳴を上げても構わない。何度も何度も。
「……お姉ちゃん、人間でしょ……。なんで……?」
「関係……ないっ! 魔物みたい……とかっ! 奴隷とかっ!」
「怖くないの……?」
「怖い……よっ! でも私は、もう後悔したくない!」
必死に何度も持ち上げようとしながら子供の問い掛けに答える。ほんの少しずつだけどずらせている気がする。でも、風が強いのもあってか火の回りも早い。このままじゃ、ここにも火が回ってくるし、もう逃げ場も無くなってきている。
「……もう大丈夫。ありがとう」
「何言ってるの! 私は絶対に諦めないから。もう二度と誰かを見捨てたりなんかしない」
不意にそんな声が聞こえて思わず大声を出してしまう。でも、子供は堪えるように目を滲ませて頷いた。
(……もし、私にあの人みたいな力があったらこんなの)
「……大丈夫! 絶対に大丈夫だから!」
この子を不安にさせないように必死に声を出しながら力を込める。でも現実は非情だ。私には魔法なんて力もないただのか弱い人間で、どれだけ必死になっても、どれだけ過去を猛省して変わろうとしても、結局は私は私のままでしかない。
「……はぁ、はぁ、はぁ。……大丈夫、大丈夫だから」
挫けそうな自分に言い聞かせるように呟く。
「……人間のお姉ちゃん、ありがとう。だからもう———」
その子が言った言葉を私の脳が拒絶する。もう分かっている。自分ではどうしようもないって。
(私じゃなくてあの人だったら……。そもそも、私があの人ともっと話し合えてたら、もしかしたら……)
頭の中でまた後悔がぐるぐると回る。もしああしてたらなんて考えても意味がないのに。もう私たちの周りは赤い光景に覆われてしまった。もう逃げ場なんてどこにもない。
「……ごめんね、わたしのせいで」
「だ…………」
この子に大丈夫だよ、という声すら上手く出せない。私は無力な人間だって知ってたのに、何で私はいつの間にか思い上がってしまったのだろう。小さな子供に気遣わせてしまって、気休めの言葉すら掛けてあげられない私は、本当に……。
「———大丈夫?」
不意に背後から聞こえてきた綺麗な声に私は大樹の国で上空に投げ出された時を思い出す。あの時、その声を聞いて心から安心した。
「……何をすればいい?」
その声に私は振り返らない。きっと今の私の顔をこの人に見せたくないから。
「この木の板を退けて」
「うん」
すると一瞬で目の前に積み上がった木の山は吹き飛んでいく。子供も何が起きたのか理解が及ばずに口を大きく開けて驚いている。
「……ありがと」
「……うん」
この人に顔も向けずに感謝の言葉を口にする。子供は少しこの人が怖いのか、私の元へと抱き着いてくる。その子の温もりを感じて、安心させるように頭を撫でる。
「この人は大丈夫だよ」
私はその子を安心させたくて小さく呟く。この人は悪い人じゃないって分かってる。
「ルル。わたしはバカだから、みんなの助け方は分からないの。……だから、何をすれば良いか、教えて」
この人は私がみんなを助けようとしている前提で勝手に話を進めてくる。この結びが私の気持ちを見透かして勝手に伝えているかもと思うと癪だけど、それぐらいなら良いと思う。
「……うん、みんなを助けるよ」
不思議だ。さっきまで私は無力で何にも出来ない人間だって打ちひしがれていたのに、今はそんなことはない。この人が居ればこんな状況でも何とかなるって、そう思える。




