第3話 大樹の国、ルルードゥナ②
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「……そろそろ中に戻るぞ」
周囲の人々も大きく歓声を上げ、各々入国の準備に取り掛かり始めた。呆然としていた私もマゼルの呼び掛けで中に顔を引っ込めた。
そして少し経った後、外から御者の声が掛かった。
「……お前ら、ちゃんといるな」
御者は私たちの返事を聞くと、直ぐに荷車はゆっくりと動き出した。
荷車を覆う布の向こうから頻りに人々の賑わう声が聞こえてる。それに比べて私たちのいるこの小さな空間は静寂に包まれている。たった布一枚で区切られているだけなのに、まるで別世界みたいだ。
私たちを乗せた荷車は偶に少し停止をしながらも、中々止まる気配を感じさせない。
そう言えば、いつもはうるさいくらいにはしゃぐコールがやけに静かだ。そのことが気掛かりでコールの様子を窺った。
コールは膝を立てた両脚に上体を寄せていて、表情からは少し不安のような色が見えた。マゼルも気になるようで、眉根を寄せてコールに視線を向けている。
「……なぁ、今度こそ大丈夫だよな」
コールらしくないか細い声に、私とマゼルは目を合わせる。
「らしくないな。どうした?」
そんなコールにマゼルは気遣うように優しく声を掛けた。
「俺、夢なんだよ。頑張れば、誰かが俺たちのことを見つけてくれる。まともな、人間としての生活が出来るって」
そう言ってコールは自分の肩を抱きしめるようにぎゅっと掴んだ。その腕には所々痣が見え隠れして、私は目を逸らすように視線を下ろしてしまう。
その言葉はコールが今までずっと言ってきたことだった。知識を身に付けて自分たちが代えの利かない存在になれば、人間としての生活が手に入るはずだと。
だから私たちは仕事の合間に捨てられた本などで勉強を続けた。そして偶然見つけた薬草の調合がこの国の大商人の目に止まった。私たちはその人に買われることになって、今ここにいる。
「俺たちに大金が払われた。だから、……きっと、これからなんだ」
まるで自分に言い聞かせているみたいなコールの声は、不安からなのか少し震えていた。
私もこの先の未来がほんの少しでも明るければと思う。けど、私たちが物として売り買いされている時点で、まだ私たちは奴隷のまま。きっとこの先も変わらない。
私はそんな言葉をぐっと自分の中へ飲み込んで、口を強く結んだ。
「俺たちはどうしたって奴隷なんだ。そんな夢を見たって無駄だ。そんなもの、余計に傷付くだけだろ」
マゼルはコールを真っ直ぐに見つめてそう言った。それはマゼルなりの優しさだ。私もマゼルの言葉に小さく頷いた。マゼルは続けて言う。
「大丈夫だ。何かがあったって、俺たちは奴隷なんだ。これ以上、何も変わることなんてない」
「……うん、そうだよ。私たちはいつも通り、何も変わらないから」
私もそう言って慰めになっているか分からない言葉をコールに掛けた。正直、この言葉はただの諦めの言葉だ。何もかも諦めてしまっている私たちには、こんな気休めの言葉しか出てこない。
「なんだよ、それ」
それでもコールはそんな私たちに小さく笑みを返してくれる。光っている訳ないのに、眩しいと感じるいつものその明るい笑顔を。
「お前ら、着いたぞ。出てこい!」
外から聞こえる荒々しい御者の呼び声に、私たちは顔を合わせて頷きあう。
「よし! 行くぞ。マゼル、ルル」
「あぁ。また、直ぐに噛み付くなよ」
「うん。本当に程々にしてよ」
私たちがそうコールに返すと、うるせー、と言う言葉と共に無邪気な笑みが返ってきた。
荷車から降りると目の前にはどこまでも青い景色が広がっていた。それは澄み渡る青空でもあり、澄み切った海原でもあった。
地面から遥か上空、枝の上とは思えないしっかりとした木の地表を踏み締めて、私たちの小さな身体はまるで空に浮いているみたいだった。
「これ……、全部が一つのおっきな樹なんだよな。信じらんねーよ」
大きく目を見開いて、隣に立つコールは感嘆の声を上げた。
「うん。途方もないずっと昔から、ここにいたのかな」
上も下も縦に広がるこの国を、見上げたり見下ろしたりしていると、マゼルも私たちの隣に並んで口を開いた。
「だからって、ここまで大きくなるものか?」
あり得ないだろ、と右からマゼルの小言が聞こえると、左からコールが顔を突き出してきた。
「おい、ルル。またマゼルが夢にもないこと言ってんぞ」
「……私は、こっち側だけど?」
そう言いながら一歩マゼルの方に寄ると、なんだよ、と不服そうにコールが顔を顰めた。
そんなやり取りも束の間、後ろから御者の大きな声が私たちに届く。
「おい! そこで何してんだ。早くこっちに来い!」
私たちは慌てて走って向かう。直ぐに大きな庭と屋敷が見えて、その門前にふくよかな男性が立っていた。
その男性は見るからに質の良さが分かる生地の服を煌びやかな刺繍でさらに飾り付けていた。きっとこの人が私たちを買った大商人なのだろう。御者と何やら話していた男性はにこやかに見送り、私たちの前に向き直る。
全体的に丸みを帯びた男性はその体型から緩慢に感じ、厳格さというものを見受けられないとそう一瞬思いかけたが、それは直ぐに間違いだと気付かされる。
男性の目や顔付きに表れる鋭さや勇ましさは、ふっくらとした顔に不釣り合いな精悍さをより一層際立たせていた。それはこの男性がこの国に於いて地位のある立場にあるということを、着飾る豪奢な服ではなく男性自身がそう顕示していたのだった。
「コール、マゼル、ルル。長旅ご苦労だったね。疲れただろう」
男性は私たち一人一人に顔を向け、ゆったりとした口調でそう告げた。その声色からは心からの労わりの意しか感じなくて、私は少し戸惑ってしまう。
そして次にこの男性が起こした行動に、私たちは愕然としてお互いに目を見合わせることになる。
「私はアナセン・タンドレス。君たちを心の底から歓迎するよ」
そう言ってアナセン様は、両手を胸の前で組み頭を下げたのだった。
私たちは想像も出来ない事態に唖然として、ただ何も言葉も返せずに立ち尽くすしか出来なかった。
そんな私たちに頭を上げたアナセン様は、まるでいたずらに成功した子供みたいな無邪気な笑みを見せるのだった。
「ようこそ、今日からここが君たちの居場所だ」
 




