第12話 虚意(こい)に堕ちる②
女王様はとても眩しい方だと思う。それこそ、コールやマゼル、この国に住む人たちみたいに。私なんかがこんな希望に溢れた手を取れるなんて思えない。
「……誘って頂いて畏れ多いのですが、私は遠慮します」
「大丈夫だよ? ルルのことを縛り付ける悪いやつは、わたしがやっつけるから!」
「……違います。悪い人なんかではありません」
アナセン様は、優しくて温かみのある方だった。今までの人たちとは違う。
「じゃあ、ルルはどうしてそんなに辛そうにしてるの?」
今まで言葉でも言外にでも、散々聞かれたことをまた突き付けられる。理由はずっとあった。今の環境が劣悪だからとか、今の主様から酷い扱いを受けているからとか。
でも、今の私は。
「……分かりません。私自身でも、よく分からないんです」
「……ルル」
女王様はそんな私の頭をそっと撫でてくれた。なんで奴隷の私が女王様に頭を撫でてもらっているのだろう。何も状況が分からない。何も。
「……誰? フー爺?」
突然、女王様は声を上げた。私ではなく、私の後方に向けて。
「どうか、しましたか……?」
怪訝そうに私の後方に注目する女王様に、私も後ろを振り向く。
開けた扉の先、薄暗闇の廊下の先に何かがいる。背の低い場所に二つの光点。いや、二つどころかいくつも増えた。
「木のワンちゃんだ!」
後ろで女王様がよく分からないことを言うのが聞こえた。
暗闇から現れたのは、木の身体をした四足歩行の動物たち。尻尾のような鋭い木の枝の先端を私たちに向けて唸り声を上げている。
「何で……、どうして魔物がここに?」
魔物たちはじりじりと少しずつ、私たちの方へ歩み寄ってくる。だが、一定の距離を置くと立ち止まり、ただ私たちに唸り声を浴びせ続ける。
「案外良い子なのかもよ」
女王様はなぜそう思ったのか、そんな突拍子もないことを発する。私は近づこうとする女王様の手を引っ張り、私の後ろに下げさせた。
「駄目です、女王様。魔物が直ぐに襲ってこないのは、私が魔物除けの香りをつけているからです。ですが、必ず襲ってこないという保証はありません」
「この匂いそうなんだ。わたし、すごい好きだよ」
場違いなことを話す女王様に構う心の余裕は今の私にはない。
この部屋の入り口は一つだけ。そこには木の魔物たちが立ち塞がっている。数は六匹。
(私は最悪どうでもいい。けど、女王様に怪我をさせる訳には……)
立ちあぐねる私は突然の浮遊感に襲われる。それは、女王様が後ろから私を抱き抱えることからだった。
「女王様!?」
不意に近づいた女王様の顔に向けて私が驚嘆の声を上げると、女王様は自信に満ちた顔つきを私に向ける。
「任せて! わたしはまだ、最強だから」
そして一直線に、私を抱えた女王様は魔物たちの群れに突っ込んでいく。
私の視界は巡るめく変わっていく。強風が身体を強く打ち付ける。視界の端を宙に舞う魔物の姿がちらっと見えた。とても、人間が走るそれではなかった。
「逃げるよ、ルル」
一瞬で私たちは扉の先の廊下にいて、後ろで木の魔物たちが起き上がるのが見える。
女王様は依然に私を抱き抱えたまま廊下を駆ける。後ろからは魔物たちが追い掛けてきているのが確認できた。
「女王様、城の兵士の方に助けを……。女王様?」
走る女王様には私の声が届かなかったのか、私の進言は虚空に消えてしまう。
そして走る先に白い甲冑の兵士の姿が見えて。
「女王様! あの方に助けを」
その時、突然女王様は踵を返した。なぜか後ろから迫る魔物たちへと向かっていく。女王様には今の兵士が見えていなかったのだろうか。でもそれにしては不可解な行動に、私は女王様にその真意を尋ねようとした時だった。
「いたぞ! あいつが女王様を誘拐した奴隷の女だ!」
後ろから、そんな声が私の耳に届いた。一瞬、意味が分からなかった。何かの聞き間違いかと。でも、確かに聞こえた。
(誘拐……? 私が? 何で……)
私の動揺などはお構いなしに、もう目前にまで魔物たちが迫っていて。
「襲ってくるなら……、もうちょっと怖い顔をしてよ……ねっ!!」
臆する様子もなく、女王様は近くの廊下の壁を蹴る。すると何か爆ぜる音と共に、廊下に大きな穴が開いて、私たちの身体は遥か上空へと投げ出されてしまう。
ここは空まで届くような大樹の一番上の枝に立つ城の中。すぐそこに地上などあるはずもなくて。
「ーーーーっ!!」
抱き抱えられた時とは段違いな浮遊感。大きな重力を身体全体に感じて、一気に血の気が引く。今、頭の中にあるのは恐怖だけ。
何もかもが小さく見える景色に吸い込まれてしまいそうで、思わず目を瞑る。両手に感じる存在に、縋るように抱きついてしまう。
「———大丈夫! 今のわたしは、何でも出来るって言ったでしょ!」
その聞こえてきた綺麗な声に、私の意識が持っていかれる。開けた目の中に、人懐っこい笑顔をした女の子がいる。一瞬、今のこの状況なんて忘れたみたいに、本当に綺麗な顔をしているななんて、まるで見惚れてしまったように。
「よし、こうしよう!」
何かいいことを思いついたみたいに表情を輝かせて、女王様は左手を上げた。するとその左手に向かってどこかから蔦が巻き付いてくる。そして宙に吊るされて浮かぶ私たちの前に、段差上に足場が作られる。それは大樹に纏わりつく蔦が意志を持ったように動き出し、整然と列をなした宙に浮かぶ階段。
女王様は両手で私を担ぎ直すと、その蔦の階段を軽い調子で踏み降りていく。
「どうぞ、お姫様!」
そう冗談めいて言いながら、女王様は私を降り立ったどこかの建物の屋上に降ろしてくれた。でも今の私にはそんな女王様にお付き合いをする余裕はなくて、私は胸に手を当てて息を整える。手足は恐怖でなのか震えが中々に止まらない。
「ごめんね、怖かったよね」
女王様は私の手をそっと掴んで包み込む。少しの間、畏れ多くも女王様のご厚意に甘えて……というよりも拒む力も入らなくて、私は受け入れるしかなかった。
「落ち着いた?」
「……すみません」
「大丈夫。気にしないでいいよ」
取り敢えず落ち着けた私は周りを見渡す。私が働くアナセン邸はまだ下に見えていて、先ほどまでいた城も見えることから、私たちは少し下に落ちただけなようだ。
私はさっき城の兵士に言われた言葉が心のしこりのように残り続けていて、一抹の不安を覚えている。
「……女王様、先ほど城の兵士の方が、私を女王様を誘拐した女だと……」
「んー、わたしも何でそうなってるのか分からないけど、多分誰かの誤解だよ。フー爺もいるから、きっと大丈夫!」
そうあっけらかんに告げる女王様だけど、私はどうもそんな楽観的になれそうにない。そもそも、私はフー爺と呼ぶ方をよく知らない。
「ですが、女王様。城の中での魔物といい、何かおかしいですよ」
そう言って女王様に向けた視線の向こう。なぜか私の目がある一点を注視してしまう。それは遠くで手を拘束されて、どこか兵士に連れて行かれているアナセン様のように見えて。
「……アナセン様?」




