第一章:プラーナの風が吹く/06
――――その日の夜、学生寮の203号室。
「ウェイン、もう少しそっちに寄れ。でないと私が入れん」
「またかよ……」
「お前の傍じゃないと上手く眠れないんだ、いい加減に慣れろ」
「へいへい、仰せのままに……」
眠気を覚えたウェインがベッドに寝転がるや否や、その隣にフィーネがいつものように、当然のような顔で潜り込んできていた。
理由はひとつ、彼が隣に居ないと眠れないから。
分かってはいることだし、もうずっと繰り返してきたことだから驚きはしない。だが……こんな風に呆れるのもまたいつもの反応だ。
フィーネはそんな呆れるウェインに有無を言わさずに、寝ころぶ彼を軽く押し退けながら隣に潜り込む。
ベッドに入ると、そのまま手を回し、彼の頭をぎゅっと自分の胸に抱き締める。
これもいつものことだ。だからウェインは大して驚くこともなく、小さく息をつきながら……特に抵抗もせずに、リモコンを使って電灯を消す。
フッと灯かりが落ちて、部屋は真っ暗な夜闇に。
後はそのまま「おやすみ」と声を掛けて、二人で眠りに就くのだが……しかし今日は少しだけ違っていた。
「……そういや、今日はどうしたんだ?」
「ん?」
「昼間のことだよ、朝のホームルームの時から……お前、ちょくちょく様子がおかしかったぜ?」
――――今日はなんだか、フィーネの様子が少しだけ変だった。
朝のホームルーム前の時もそうだが、それ以外にも何度か……学院に居る間、フィーネの様子が少しおかしかったのをふと思い出して、ウェインは問うてみたのだ。そういえば、後で話すと言われたっきり聞いていなかったから。
「……ああ、そのことか」
そんな問いにフィーネは、彼を自分の胸に抱いたまま……少しだけシリアスな声音で答え始める。
「お前には話していなかったが、この学院に来たときから……たまに妙な風を感じることがあるんだ」
「風……っていうと、フィーネが見えるっていうプラーナの流れのことか?」
確認めいたウェインの言葉にうむ、と頷くフィーネ。
「なんというか、どうにも薄気味悪い……とても邪悪な色の風を感じることがある。それもごく一瞬だ、恐らく普段は上手く隠しているのだろうが……滲み出てくるというか、ふとした拍子に漏れ出てきたようなものを……時折、感じることがあるんだ」
「つまり、今日お前の様子が何度かおかしかったのは」
「朝のホームルームと午前の授業中、そして午後に何度か……今日は普段よりも多く感じ取れた。その風の正体は……恐らく、私たちが探し求めているターゲットに違いない」
ターゲット、即ちこの学園都市のどこかに居るというゲイザーの内通者だ。
――――確実に、内通者は存在している。
こうして平穏な日常を送っているとついつい忘れがちだが、学園都市エーリスのどこかには必ず居るのだ。それを探し出すことこそスレイプニールのエージェントたる二人の本分であって、学生生活を満喫するのはあくまで副産物でしかない。
分かっていることだし、普段から心がけているつもりだ。でも……彼女に改めてそう言われると、聞いていたウェインもそれを強く意識してしまう。
そして、今の話から分かることがもうひとつ。
「ってことは、学院エリアのどっかに居るってことなのか……?」
――――内通者は恐らく、この学院エリアに隠れている。
日中にフィーネが感じ取ったということは、つまりそういうことだろう。いくら彼女の感覚が人並外れて鋭いといっても、まさか遠く離れた市街エリアのプラーナまでは察知できまい。
ということはつまり、学院エリアのどこかに潜んでいることになる。
「待てウェイン、そうとも限らん。ターゲットとは全く別件の、シンプルに性根の腐った奴のプラーナという可能性だってある」
フィーネも口ではそう言ってみせるが、しかし目は違う。彼女のルビーのような赤い瞳は、ウェインと同じ確信を得ていることを暗に物語っていた。
「とにかく、気を抜いてはいけないな……あの風の色は、間違いなく邪悪な色だった」
少し顔を上げたウェインがそんな彼女の瞳をじっと間近に見つめる中、フィーネも彼と視線を交わしながら神妙な声でそう呟く。
瞳を見つめるウェインと、そんな彼にじっと視線を返すフィーネ。
「お前がそう言うなら間違いないんだろうよ、もっと自信持てって……ふわーあ」
ウェインは彼女に言いながら、眠気のあまり思わず大きなあくびをしてしまう。
そんな彼を見て「すまんな、話を引っ張りすぎた」とフィーネが詫びれば、ウェインは眠たげな顔で小さく笑うと一言。
「俺から振った話だろ?」
と言って、また大きなあくびをする。
もう眠気マックスで限界ギリギリ、そんな様子のウェインにふふっとフィーネは小さく笑いかけて。
「……さあ、こっちに来い」
と、彼を包む腕にもう少しだけ力を入れて、より近くにぎゅっと抱き寄せる。
抱き寄せて、でもウェインの視線は自分に向けさせたまま。片手で頭を撫でてやりながら、もう片方の手でそっと頬に触れる。
「ウェイン、私を見ろ」
片方の手で彼の髪を、もう片方の手で彼の頬をそっと撫でながらフィーネが囁きかける。真っ直ぐにウェインの瞳を見つめながら、まるで幼子を諭すかのように穏やかな声で。
「面倒な話はこれでおしまいだ、また何かあればちゃんとお前にも話す」
「あいよ……」
「もう限界だろう? ちゃんと私が傍に居てやるから、ゆっくり眠るといい」
「そりゃあ、こっちの台詞だっつーの……ふわーあ」
「ふふっ、それもそうだな」
眠そうにまた何度目かというあくびをしたウェインにそっと微笑みかけた後。フィーネは頬に触れていた手を離し……そのまま、彼の瞼に手を置いて。
「じゃあ、話はこれでおしまいだ。ゆっくり……眠るといい」
言いながら、そっと彼の瞼を閉じてやった。
すると――よっぽど眠気が限界だったのか、ウェインはそのまま寝息を立て始める。
まるで電池が切れたように、穏やかな寝息を立てて眠るウェイン。
そんな彼を胸に抱きながら、頭を撫でてやりながら……フィーネは一言。
「……おやすみ、ウェイン」
と、今にも消え入りそうなほど細い声で囁きかけた。
…………眠る彼にそう囁きながら、フィーネが同時に胸の内で改めて思うことは。
(しかし、あれほど薄気味悪く、邪悪な風……一体どこの誰が、あんな風を…………?)
幾度となく感じ取ったあの気味の悪い風、学院エリアのどこかに吹く邪悪なプラーナの風……その正体についての疑念だった。
(第一章『プラーナの風が吹く』了)




