エピローグ:貴方が、傍に居てくれるなら……
エピローグ:貴方が、傍に居てくれるなら……
戦い終わった後、夕方――――呼び出されていた風牙は、学生寮の屋上に続く扉をゆっくりと開ける。
キィッと軋む扉を開けば、その向こうに広がるのは茜色の夕焼け空。一日の終わりを告げる、夕陽の色に染まった空の広がる景色。
そんな、昼と夜の境界線を曖昧にした夕焼け空の下――――屋上で、彼女が待っていた。
手すりにそっと手を添えながら、こちらに背を向けている長身の少女。キラキラと夕陽を反射する金色の髪は、まるで金糸のように透き通っていて……思わず息を呑むほどに、美しく輝いていた。
そんな後ろ姿に目を奪われていると、扉が開いた気配に気付いた彼女が……フレイアが、くるっと振り返って彼を出迎える。
「ふふっ、ちゃんと約束通りに来てくださいましたね」
金髪を揺らしながら、振り向いて微笑んだフレイア。
夕陽を背にして彼女が浮かべる笑顔が、あまりにも綺麗で……何か返事をしようとした風牙だったが、また息を呑んで言葉を失ってしまう。
それほどまでにフレイアが美しく見えるのは、きっと夕焼け空のせいだけじゃないだろう。
昨日までは、普通に接していられたはずの彼女のことが……フレイアのことがこうも輝いて見えてしまうのは、きっと……風牙も意識してしまっているから。戦いの最中、彼女に真っ直ぐすぎる言葉で告白されたせいだ、きっとこんなに心揺さぶられてしまうのは。
「お、おう……約束したからな」
ドギマギしながらも、ようやく風牙は言葉を紡ぎ出す。しどろもどろになりながらも、どうにか平静を装ってみせる。
……が、真っ赤になった顔は隠せていない。
そんな風牙のらしくない様子に、フレイアはふふっと楽しそうに微笑んだ。
――――フレイアが、彼をここに呼び出した理由。
それは言うまでもなく、彼の気持ちを確かめるためだ。あのタッグマッチが終わった後、この時間にここに来てくださいと彼女は風牙を呼び出していたのだ。
無論、タッグマッチが終わってからこの時まで……全校生徒の前であんな大告白をされた風牙が、お預けを喰らってモヤモヤしていたのは言うまでもない。
「…………えっと、な」
待ってくれていた、彼女。
そんなフレイアの前に立って、向かい合いながら……沈黙すること少し。
意を決して口を開いた風牙は、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。目の前の彼女に向かって、いつも通りの優しい微笑みを浮かべながら……じっと見下ろしてくる彼女に、フレイアに向かって。
「正直、俺っちどうしたらいいか分かんねえんだ」
顔を真っ赤に染めながら、小っ恥ずかしそうに目を逸らして。時折言葉を詰まらせながら、風牙はフレイアの気持ちへの答えを出す。嘘偽りのない、ありのままの気持ちで。
「フレイアも知ってると思うけど、俺っちの方から女の子にあれこれアタックすんのはいつものことじゃん? でもさ、女の子の方から……あ、あんな風に告白されるのなんざ、初めてだったからよ。その……どうしていいか分かんねえんだ」
恥ずかしそうに、まるで初恋の相手を前にした時のような、あまりに初心な風牙の態度。
それを目の当たりにしたフレイアは、思わずふふっとおかしそうに笑いながら。
「風牙でも、そんな態度になることがあるんですね。少し……意外でした」
と、微笑みながら彼に言う。
すると風牙が「わ、悪りいかよっ!?」と真っ赤な顔で返すから、フレイアはいいえ、と静かに首を横に振って。
「そういう貴方だから、私は好きになったんですよ?」
今度は真っ直ぐに彼の目を見つめながら、フレイアは言う。ひとつひとつ、大切に言葉を紡ぎながら。
「思えば……子供の頃から、ずっとそうでした。自分でも気が付かない内に、私は……風牙のことばかり目で追っていた。貴方の話すことが、貴方のする仕草が。その全てが愛おしくてたまりませんでした。風牙の惚れっぽいところも、すぐ調子に乗ってしまうところも、でも意外と繊細で傷付きやすいところも……私は、そんな風牙の全部が好きです。心の底から愛しています。いつの間にか……考えてしまうのは、貴方のことばかりでした」
言葉の形に紡ぎ出すのは、ありのままの気持ち。十数年間も抱き続けてきた、自分でも気付かなかった……雪城風牙に向けた、フレイア・エル・シュヴァリエの本当の想い。
ひとつ気持ちを言葉にするたびに、胸がきゅんっと甘く締め付けられるのが分かる。
でも、この感覚も愛おしくて……言葉を形にしていくほどに、風牙への気持ちも強まっていく気すらしてしまう。胸の奥が、心の全てが、彼のことだけで埋め尽くされていくように。甘くて心地いい、ふわふわとした感覚が……フレイアの全身を、包み込んでいく。
「…………本当に、俺なんかでいいのかよ?」
だから、どこか遠慮がちな言葉を返されても。浮かぶ表情は微笑みで、返す言葉はハッキリとした気持ちで。
「風牙じゃないと、駄目なんです」
彼の、そして自分自身の逃げ道すら塞いでしまうように。ちょっとズルいかな……? なんて思いつつ、でも真っ直ぐに彼に伝えてみる。
「意地っ張りで負けず嫌いで、でも根は優しくて、意外と恥ずかしがり屋さんな……私は、そんな雪城風牙がいいんです」
「でもよ、俺もお前も……お互いに、家柄ってのがあるだろ? 俺はよくったって……フレイアはさ」
やっぱり、貴方ならそう言うと思っていた。優しい貴方らしい、私のことを思っての言葉。
ならば私がハッキリ返すべき言葉は、ただひとつ。
「――――そんなことは関係ありません」
貴方の心を縛るしがらみを、雪城風牙にあと一歩を思いとどまらせている鎖を……私の言葉で、引き千切れるのなら。
「私は、貴方を愛しています。この想いを貫くためなら、邪魔なもの全てを壊す覚悟が……あります、私には」
「で、でもよ……」
「それに雪城コンツェルンの次期当主なら、お父様やお母様もきっと納得してくださるはず。風牙のご両親だって分かってくれるはずです」
「……認めて、貰えなかったら?」
「もしも認めて頂けなかったら……そうですね、その時は駆け落ちでもしましょうか?」
くすっと笑いながら、とんでもないことをサラッと口にしたフレイア。
そんな彼女の前で「お、おい……冗談キツいぜ」と尚もしどろもどろになる風牙だったが。
「――――うだうだ御託並べんのも、その辺にしとけよ」
「うむ、ウェインの言う通りだ」
そんな彼の肩を、ウェインとフィーネがポンっと後ろから叩く。
どうやら二人とも、心配だったのか隠れて様子を見ていたらしい。
でも風牙は当然そのことに気が付いていなかったようで、驚いた顔で二人の方に振り返ると。
「な……っ!? おおおお前らいつから見てやがった!?」
さっきまでのしおらしい態度から一変して、いつもの間抜け面でオーバーなリアクションをする。
「割と最初の方からだ」
「細けえこたあいいから、肝心のてめえの気持ちはどうなんだよ?」
腕組みをするフィーネと、風牙の肩に肘を掛けるウェインに言われて、風牙は「うぐ……」と口ごもる。
そんな、なんとも煮え切らない態度がどうにもじれったくて。
「女にここまで言わせたんだ、素直に受け入れればいい」
フィーネはそう言うと、ドンっと風牙の背中を強く押してやった。
そうして彼女に背中を押されて、風牙はおっとっとと転びかけつつ……フレイアのすぐ目の前、至近距離に立って彼女の顔を見上げる。
思えば、結構な身長差だ。
風牙が163センチなのに対して、フレイアは178センチの高身長。およそ15センチ差だ。
それだけの身長差なら、目線なんて当然合うはずもなく。風牙が大体フレイアの胸元ぐらいから彼女の顔を見上げるような感じだ。
(……そういや、昔はフレイアのが小さかったんだよな)
彼女の顔を見上げていれば、ふと思い出すのは子供の頃のこと。
幼い頃は、まだフレイアの方が小さかったような覚えがある。子供の頃にフレイアを連れ出して遊びに行った先で、よく兄妹に間違われたものだ。
でも、それがいつの間にやらフレイアに追い越されて……今では風牙の方が見上げる立場だ。
…………変わらない、とばかり思っていた。
互いの背丈も、仲のいい幼馴染という関係性も。この先ずっと変わらないままだと、そう思っていた。
でも……フレイアはその関係性を変えようとしてくれている。勇気を振り絞って、覚悟を決めて。
それを思えば、風牙は少しだけ瞼を閉じた後……もう一度目を開くと、フレイアの顔をまた下から見上げてみる。今度は目を逸らさず、真っ直ぐに彼女の瞳と……エメラルドグリーンの瞳と向き合って。
「その……正直に言って、突然すぎてまだ混乱してる。俺自身の気持ちがどうなのか、俺にもよく分かんねえってのが本音だ」
――――――だけど。
「だけど……多分、俺もフレイアのこと、ずっと気になってた……んだと、思う。きっと……ずっと、昔から」
確実にこう、とはまだ言い切れない。だってつい数時間前に告白されたばかりで、まだ自分の中での区切りも……自分の気持ちとじっくり向き合うことも、出来ていないのだから。
かといって、嫌かというとそれは違う。突然あんな大告白をされて、驚いたは驚いたけれど……でも嬉しかった自分は、確実に風牙の中に居るのだ。
故に風牙は、少しだけぼかした表現をしつつも、そう言って彼女に応えていた。
「では、風牙……私とお付き合い、して頂けるんですね?」
確認するように呟いたフレイアの声は、震えている。エメラルドグリーンの瞳も潤んでいて、今にも綺麗な涙粒が零れ落ちそう。
だから風牙は、指先でフレイアの潤んだ左目を……チャーミングな泣きぼくろのある左目尻を、そっと指で拭ってやって。
「俺で良いんなら……こんな俺で良いんなら、とりあえず友達以上、恋人未満ってところから」
と、今出せる精いっぱいの答えを彼女に返した。
「構いません……今は、それで」
そんな彼の答えに、遂にフレイアは感極まって……涙が零れ落ちるのも気にしないまま、両腕でぎゅっと彼を強く抱き寄せた。
強く、強く、もう二度と離さないと伝えるように。大きな身体で、彼の少し小さな身体をぎゅっと力いっぱい抱き締める。
「うえっ、ちょっ強すぎ……苦しいって、苦しいって!」
あんまり強い力で抱き締められたからか、風牙はもがき苦しんでいるが……しかしフレイアは、決して彼を離そうとはしなかった。
「今は、それでいいんです。貴方が、傍に居てくれるなら……」
瞳に小さな涙を浮かべながら、彼を強く抱き締めるフレイア。
「……そろそろ、邪魔者は退散するとしよう」
そんな二人を見届けた後、フィーネはそっと隣のウェインに囁くと、彼を連れて静かに屋上から立ち去っていく。
開けっ放しの扉を潜って、内階段を降りていく二人。
「これで、良かったのかねえ」
階段を降りながらボソリと言ったウェインに、フィーネは「良いに決まってるだろう」と言って。
「二人とも、やっと自分の気持ちに正直になれたんだ。これ以上良いことなんてあるものか」
隣を歩くウェインの肩をポンっと叩きながら、どこか安堵したような声で続けて呟く。
「それに……前にフレイアが言っていただろう? 女は……好きな男の隣に居るときが、一番輝くものだと……な」
そう言うと、フィーネはウェインと一緒に立ち止まって……一度だけ、後ろを振り返ってみる。
「見てみろ、今のフレイア……最高に輝いているじゃないか」
「…………ま、そうだな」
遠くを見つめるフィーネと、それにフッと笑って頷き返すウェイン。
そんな二人の視線の先、夕陽を背にしながら……風牙を包み込むようにぎゅっと、強く強く抱き締めるフレイアを見つめながら。ウェインとフィーネは、そっと静かに……遠くから、二人に祝福を贈っていた。
(Chapter-02『金色の姫騎士』完)




