第二章:ムーンライト・デュエル/06
〈危ないところでしたね、どうにかなりましたが〉
「まさに間一髪、ってところだな」
どうにか母子をギリギリのところで救い出したウェインは、聞こえてくる落ち着いた男声と――ファルシオンと言葉を交わしながら、目の前で起き上がろうとするインヴィジリアをじっと睨み付けていた。
拳を軽く握り締めて、ファイティングポーズを取るファルシオン。
そんなファルシオンを足元の男の子は、瓦礫に埋もれた母親は……そして遠くでへたり込んだフィーネは、ただ呆然と見上げていたが。
「オイいつまでそうしてるつもりだっ! お前はさっさと二人を助けてやれ――フィーネ!」
ウェインが荒っぽい語気で叫んで発破をかければ、ハッとしたフィーネはやっとこさ我に返ったようで「わ、分かった……!」と頷いて、立ち上がるとすぐに母子の方に駆けていく。
「大丈夫か!? 今助けてやる……そこを動くなよ! ウィンドカッターッ!!」
するとフィーネはすぐさま無数の風刃で瓦礫を斬り刻み、埋もれていた母親を助け出す。
細かくした瓦礫の隙間から引きずり出して、フィーネが傷の具合を見てやると……どうやら致命傷は負っていないようだった。
それどころか、運の良いことに大した怪我は負っていない様子。破片に引っ掛けたか何かして、こめかみから出血こそしているが……頭の傷は派手に見えやすいだけで、大した傷じゃないみたいだ。
「よし、安全な場所まで私が連れて行く! 最初からこうしておけば良かったんだ……迂闊だった、すまない」
「い、いえ……そんなこと。それよりも、ありがとうございました……一度ならず、二度までも」
「お姉ちゃん、ありがと」
「良いんだ、そんなこと! 私が肩を貸すから掴まってくれ! 坊やは……ええい面倒だ、私が抱えていけばいい!!」
フィーネはホッと胸を撫で下ろすと、母親には肩を貸しながら男の子を片手でグッと担ぎ上げて、一緒に安全な場所まで退避していく。
とはいえ怪我人連れだけあって、その足は決して早くない。
だからウェインは、そんなフィーネたちを守るように……今まさに起き上がったインヴィジリアの前に立ちはだかるのだった。
「さてと相棒……こっからどうするよ?」
〈ひとまず、今はフィーネさんたちが逃げる時間を稼ぐことが先決でしょう。加えて相手は未知のDビースト……相手の手の内を知る必要がありますね〉
「んじゃあ、最初は小手調べってか」
〈フィーネさんたちが逃げるまで、やり過ぎないようにしないといけません。お三方の無事が確認できるまで、ブラスターの使用は控えるべきかと〉
「わーってるよ、お前に言われるまでもねえっての。それより……気合い入れていくぜ、相棒。これ以上フィーネを悲しませたかねえからな」
〈イエス・ユア・ハイネス、それは私も同感です。フィーネさんほどの美しい女性は、やはり笑顔の方が似合いますからね〉
「てめえも言うじゃねえか。――――俺も同意見だぜっ!」
小さく笑いながら言うファルシオンにニヤリと笑い返し、ウェインはダンッと踏み込んで突撃する。
立ち上がったインヴィジリアの首にぐっと片腕を回して掴み、そのままもう片方の拳でガンガンッと頭を殴打する。
だが……流石に立派な一本角が生えているだけあって、インヴィジリアの頭は存外硬かった。
殴ったところで大したダメージも与えられないまま、ウェインは暴れるインヴィジリアに突き飛ばされてしまう。
「うおっと!」
転びそうになりながら体勢を立て直し、構えを取り直すウェイン。
だが次の攻撃手段を考える間もなく、インヴィジリアは頭の一本角を突き立ててファルシオン目掛けて猛突進してきた。
まるでサイのように勢いよく突っ込んでくる奴の巨体を、最初こそウェインはひらりと避けようとしたが……しかし背後にまだフィーネたちが居ることを思い出し、踏みとどまる。
「ぐっ!?」
両足に力を入れ、両手を大の字に広げて、突っ込んでくる化け物を真っ向勝負で受け止める。
だが流石にかなりの勢いで突っ込んできただけあって、どうにか受け止めはしたものの……襲い掛かってくる物凄い衝撃に、ウェインは思わず顔をしかめてしまう。
しかし――――同時に、これは好機でもあった。
〈ウェイン!〉
「皆まで言うんじゃねえ! 蒸し焼きにしてやるぜ……ブレイジング・ノヴァァァァッ!!」
ウェインは受け止めた格好でインヴィジリアを掴んだまま、奴の周りに超高熱の火柱をぼうっと何本も発生させた。
そうすれば、下から突き上げるように現れた幾つもの火柱に腹や身体のあちこちを焼かれて、インヴィジリアは苦悶の叫び声を上げる。
――――『ブレイジング・ノヴァ』。
火属性の攻撃魔術で、効果は見ての通り。自分や相手の周囲に超高熱の火柱を発生させて焼き尽くす、強烈な術式だ。
もちろん、ナイトメイルと融合した今なら魔術の威力だって桁違い。さっきまでの生身での時と違い、火柱は確実に奴の体力を奪っているようだった。
「うおおおっ!?」
〈これは、なんてパワーを……!?〉
だが焼かれっ放しでいる奴でもなく、インヴィジリアは苦しみながら力任せにもがくとファルシオンの拘束を脱出。後ろに大きく後ずさって、ウェインから距離を取っていく。
「野郎、見かけによらずパワータイプってわけかい」
〈そのようですね〉
ファルシオンとインヴィジリア、互いに一定の間合いを保ったまま……紅蓮の炎に包まれた、壊滅した小さな村の中で睨み合う。
月明かりすら掻き消すほどの業火に照らされながら、揺れる陽炎の向こうにウェインはじっと奴の巨体を見る。
だが、そうして睨み合っていると……どういうことだろうか。奴の姿が、揺れる陽炎の中に次第に融けていって……瞬きをする間に、あの巨体が掻き消えてしまったではないか。
「消えた……!?」
〈これが、奴の透明化能力……!?〉
その信じがたい現象にウェインは一瞬目を疑ったが、しかしヘリ内でのブリーフィングを思い出せばすぐに納得する。
――――不可視超次元獣インヴィジリア。
奴にこのコードネームが与えられた最大の理由、それこそがこの透明化能力なのだ。
本当に透明になったのか、それとも瞬間移動なのかは分からないが……しかし現実として、インヴィジリアは跡形もなく消えてしまったのだ。間違いなく、ウェインとファルシオンの目の前で。
「どうなってやがんだ、コイツは……!?」
〈分かりません、ですが……気を付けてくださいウェイン、逃げたとは思えません!〉
「だろうな……!」
周囲に気を張り巡らせて、油断なく警戒する。
しかし姿が見えない相手では、一体どこから、どのタイミングで仕掛けてくるのかも分からない。そんな中でウェインの胸によぎるのは焦燥と戦慄、そして……僅かな恐怖感。
姿が見えない相手と戦うのが、これほどまでに恐ろしいとは思わなかった。
ブリーフィングでニールから話を聞いた段階では、どうにかなると思っていた。
だが……実際にこうして相手にしてみると分かる。見えない敵を相手にするのは、想像するよりも遙かに恐ろしく、どうしようもないほどに打つ手がない……!
「――――うおっ!?」
そうして嫌な沈黙が続いたのは数秒か数十秒か、それとも数分か。
しかしある時突然、ファルシオンの背中に強烈な衝撃が襲い掛かってきた。
あらぬ方向から、予期しないタイミングで襲ってきた衝撃に対応できるはずもなく、ファルシオンはなすすべもないままに膝を折る。
どうにか起き上がって振り返ると、一瞬だけインヴィジリアの姿が見えたが……しかしすぐに陽炎のように姿が消えてしまう。
「おい、どうなってんだこりゃあ……!」
〈全く気配を感じませんでした、これは一体――ぬぅっ!?〉
焦燥感に満ちた声で話している間にも、今度は全く別の方向から二撃目が襲い掛かってきた。
いつの間にか、ファルシオンの右腕に奴が噛み付いていたのだ。
白い鎧に深々と牙を突き刺したインヴィジリアをどうにかウェインは振り払うが、しかし奴はまた姿を消してしまう。
「奇襲攻撃にも程があるぜ……姿が見えねえんじゃ対処のしようがねえ!」
〈ウェイン、一度上空へ退避しましょう! 陸戦は不利ですが、奴には翼がありません! 空中戦でなら勝機はあります!!〉
「ま、そうなるわな! プラーナウィィングッ!!」
ファルシオンの意見に頷くと、ウェインは背中の四枚羽『プラーナウィング』をはためかせて、びゅんっと素早く飛び上がる。
彼の言う通りだ。インヴィジリアの透明化能力と奇襲攻撃は確かに厄介だが、しかし奴に翼はない。地面に這いつくばるしか出来ない奴が相手なら、ファルシオンの最も得意とする空中戦であれば十分に分がある。例え姿を消せるとしても、飛んでいる相手には関係ないのだ……!
〈……! ウェイン、下ですっ!〉
「チィッ! そう来るとは思ってたけどよ……!!」
だが、事はそう上手くは運ばなかった。
ファルシオンの警告を聞いて下を見ると、ウェインが目にしたのは……燃え盛る眼下の大地から撃ち上げられた、無数の青白いレーザービームの軌跡。
インヴィジリアが背中の攻撃器官から繰り出した対空砲火だ。
予想はしていたが、しかし肝心の奴の姿はどこにも見当たらない。厄介なことに、どうやら透明化したままでもレーザーは撃てるらしい……!
ウェインは舌打ちしながら翼をはためかせて回避機動を開始。螺旋を描くバレルロールや宙返り、急停止からの後ろ向きバック飛行と高速機動を繰り返し、乱数的な動きで迫り来る無数のレーザービームを避け続ける。
「ぬぅっ!?」
……が、幾らファルシオンといえども、予期せぬタイミングで放たれたレーザーを全て避け切ることは叶わずに。数発が胴体や背中の翼に命中すると、バランスを崩したウェインは苦悶の声を上げながら、そのまま力なく地面に墜落していく。
ドスン、と地響きを立てて墜落したファルシオン。恐らくは村の中央広場だったのだろう、噴水のある広場を踏み潰す形で落下したファルシオンがどうにか起き上がると、やはりインヴィジリアの姿はどこにもない。
――――完全に、翻弄されている。
消えるDビーストが相手では、いかに百戦錬磨のウェイン・スカイナイトとファルシオンであろうと……なすすべもなく、ただ一方的にやられ続けるのみ。何度も奇襲攻撃を喰らった白い鎧はボロボロで、傷付いたその身体は……彼らの明らかな劣勢を物語っていた。
「……冗談抜きでマズいかもな、こりゃあ」
〈幸い、フィーネさんたちは無事に逃げ切ったようです。上空から確認しました〉
「そうかい、だったらとりあえず一安心だが……さてと、こっからどうするか」
〈例え圧倒的に不利でも、やれるだけのことをやるしかありません。Dビーストと戦えるのは……我々だけなのですから〉
「…………そうだな」
見えない敵を相手に、どうしようもない状況の中。ボロボロに傷付きながら、ウェインはただ……フィーネとあの母子が無事に逃げ延びてくれていることを祈るだけだった。




