第一章:少女の抱く想いと、月夜に祈る願いと/05
そんな風に、特に何事もなく平穏無事に一日は過ぎていって。
「――――私からは以上だ、今日も平和な一日だった」
『おう、ご苦労だったな二人とも』
「例によって怪しい素振りの奴は見当たらなかったぜ、おっさん。調査は続行するけどよ……ホントに意味あんのかよ、これ?」
国立エーリス魔術学院の学生寮は203号室。二人の生活空間たるそこで、ウェインとフィーネは大きな通信機越しにニールと――特務諜報部隊スレイプニールの局長、ニール・ビショップと顔を合わせていた。
いつもの定時連絡だ。ここでの生活と毎日の定時連絡にも慣れてきたのか、二人の顔と口調はどこか緩んでいる様子。それは通信機のモニタに映るニールも似たようなもので、気怠そうに不精ひげを触りながら……ぼさぼさ頭の赤い髪をボリボリと掻きつつ二人の話を聞いていた。
『そう言うなってウェイン、焦らず待つのが諜報活動の基本だって教えたろ?』
「んだけどよ……ま、気は抜かねえよ。あくまでも任務だからな、俺もフィーネもその辺はよく心得てるつもりだ」
「うむ、今後も任務は続行する。何か別件で用があれば連絡してくれればいい。ニールの命令なら、私もウェインも喜んで引き受ける」
『そうならないことを祈りたいけどな。――よし、定時連絡はこれでおしまい。もう夜も遅いんだ、二人とも早く寝るんだぞ?』
「おっさん……子供じゃねえんだからよ……」
『俺からしてみりゃ、お前もフィーネもまだまだ子供みたいなもんだっての。眠れる内にたっぷり寝ておけよ、いいな?』
「わーってるって。んじゃ接続切るぞ、おっさん」
ニヤニヤと笑うニールに肩を揺らしながら、ウェインは用の済んだ通信機をパタンと閉じる。
実際もういい時間だ。眠たくなってきた頃合いだし、言われずともそろそろ横になるつもりだった。夕食はいつものように学食でとっくに済ませているし、定時連絡の前に入浴も済ませている。二人とも、後は寝るだけだ。
「ふわぁぁぁ……」
そんな良い頃合いだからか、通信機を閉じたウェインの口からは自然とあくびが漏れてしまう。
「眠たいか? ならそろそろ眠るとしよう」
フィーネに言われて、ウェインも「んだな」と気の抜けた声で頷くと、部屋の灯かりを消してベッドに横になる。
と、ウェインがよっこいしょと眠たい身体を横たえると。
「ん……」
ごく自然な動きで、フィーネが――――すぐ隣に潜り込んできた。
被った掛け布団の下でもぞもぞと動いた後、ひょこっと顔を出すフィーネ。もう少しあっちに行け、とウェインを押し退けて位置を微調整すると、そのまま両手でぎゅっと抱き寄せる。
「またかよ……」
「お前が居ないと眠れないんだ、毎日のことなんだから諦めろ」
「へいへい……仰せのままに」
フィーネがベッドに潜り込んできて、そのまま抱き締められてしまう。
普通に考えてとんでもないことなのだが、しかし抱かれた側のウェインは特に驚く様子もなく、仕方ないなといった風な反応を見せるだけ。もう毎日の習慣というか、完全に慣れ切ってしまっているような感じだ。
――――というのも、フィーネがこうして隣に潜り込んでくるのは、何も今に始まったことじゃないのだ。
昔から……それこそ子供の頃、フィーネと出会った時からずっと、彼女はこうして夜寝るときはウェインの傍にこだわっている。それこそ一日の例外もなく、ずっとここがフィーネの定位置だった。
それは学生寮に来てからも変わらなくて、一応フィーネ用のベッドもすぐ隣にあるのだが……そっちは物が散乱し放題で、半ば物置と化してしまっている。ハナから使うつもりがなかったようで、実は転入初日からこの有様なのだ。
「うん、やっぱりお前が居ると落ち着くな……♪」
「今日もちゃんと寝れそうか?」
「こうしていれば、な。しかし不思議だな……ロクに眠れない私でも、お前の傍でだけはよく眠れるんだ……」
「……なら、良いけどよ」
ご機嫌そうなフィーネにされるがまま胸に抱かれて、ほぼ抱き枕代わりにされながら……ウェインは小さく息をつく。
――――フィーネが毎晩、こうしてウェインを抱き締めて寝るのにはちゃんとした理由がある。
というのも……こういう風になった原因は、彼女の過去にあるのだ。
幼い頃、次元災害に遭ったフィーネは目の前で家族を……ゲイザーに、奪われている。
ほんの小さな村を襲った悲劇、その唯一の生き残りだったフィーネが目撃した凄惨な光景は……幼かった彼女の心に深い傷をつけて。その時の体験が原因となって、実を言うとフィーネはまともに眠ることが出来ないのだ。
だが……不思議なことに、ウェインが傍に居るときだけはよく眠れるらしい。
冗談みたいな話だが、でも事実としてぐっすり快眠できるそうだ。一応は潜入任務中の今でも同室で暮らしているのは、任務上の都合がいいというのも勿論だが……実はこれが一番の理由だった。
そういう事情もあって、フィーネは毎晩のようにウェインを抱き枕代わりにして寝ている。
だから抱き締められる側のウェインも驚いたり戸惑ったりすることなく、ただされるがままになっているのだった。
「……なあ、ウェイン?」
そんな風に彼を胸に抱きながら、フィーネがそっと声を掛けてくる。
ウェインが「んだよ」といつも通りのぶっきらぼうな調子で返せば、フィーネはそっと一言。
「毎日、お前は楽しいか?」
と、何気なく訊いてみる。
それにウェインは少しだけ間を置いた後「……まあな」と頷き。
「不思議なもんだよ、毎日同じことの繰り返しなのに……変わらない毎日ってのは、こんなに楽しいもんなんだなって」
「そうだな、私もそう思うよ。本当はこれが普通なんだ、でも私やお前には……そんな普通の毎日が、愛おしくて仕方なく思えてしまう。それが良いことなのか悪いことなのかはともかく、私たちがこの普通の繰り返しを……守らなくちゃならないんだ」
「風牙やフレイアが知ったら、きっと驚くだろうな」
「びっくりするに決まっている、風牙なんて椅子から転げ落ちるんじゃないか?」
「言えてらあ、アイツの間抜け面が目に浮かぶようだぜ」
灯かりを落とした部屋の中、くっくっと笑うウェインと一緒にフィーネも楽しそうに笑う。
眠る前のこのひとときが、もしかしたら一日で一番楽しみで……一番楽しい時間かもしれない。ウェインはどうか知らないが、少なくともフィーネはそう思っていた。
いつまでも、夜が明けるまでだって話していたい。
そうは思っていても、でも一秒ごとに増していく眠気には抗えずに。二人の取り留めのない会話は、やがて少しずつ数が減っていって。気が付かない内にフィーネの瞼は自然と落ちてしまい……いつしか、小さな寝息を立て始めていた。
そんな彼女の穏やかな寝息を感じながら、抱き締められた胸からとくん、とくんと伝わる彼女の鼓動を聴きながら。まだ意識を保っていたウェインはフィーネの寝顔を見上げて。
「……おやすみ、今日もゆっくり眠れよ」
最後にそっと彼女の前髪を掻き上げて、フィーネの頬に触れると……自分も瞼を閉じて、眠りに落ちていった。




