第六章:少女たちの休日/04
「さて、次はどこに行こうか」
「もうフィーネの好きにしてくれ……」
「では次は――……む?」
そんな昼食の後、水族館のある港湾部からまたモノレールに乗って繁華街に戻ってきた二人が、次はどこに行こうかと話しながら歩いていた矢先のことだった。すぐ脇にある通りから、何やら物騒な騒ぎ声が微かに聞こえてきたのは。
聞きつけたフィーネがきょとんとして立ち止まると、どうやらウェインも聞こえていたらしく「んあ?」と同じように脇道の方に目を向ける。
二人とも聞こえたのなら、どうやら空耳ではなさそうだ。
「フィーネ、気になるなら行ってみるか?」
「うむ」
二人で頷き合いながら、騒ぎ声の聞こえた方に足を向けてみる。
すると一歩近づくごとに、聞こえてくる騒ぎ声は明瞭になっていって。そうして入っていった横丁……大通りから少し入ったそこには、意外にも見知った顔があった。
「おい、野郎は……」
「これは……どういう状況だ?」
そこに居たのは――――あの雪城風牙だったのだ。
人通りの少ない、薄暗い横町で風牙は何故か複数人に取り囲まれている。見るからにガラの悪い感じの、いかにもといった感じのチンピラ風の連中だ。
これだけでも不思議な状況なのだが、しかし奇妙なのはそれだけじゃない。どういうわけか風牙は誰かを庇っているようなのだ。
風牙はその背中に小柄な少年を……見たところ中学生ぐらいの少年を庇うように立ち、周りを囲むチンピラ風の連中を睨み付けている。少年はどこか怯えた様子で、そんな風牙の背中にギュッとしがみついている。
この状況を見る限り、どうやら風牙が絡まれたというよりは――――絡まれていた少年を見かねて間に割って入った、という感じだろう。
「退きなよ兄ちゃん、俺たちゃそっちの小僧に用があんだよ。怪我したくなかったら大人しく引っ込んでな」
「うるせえんだよ三下が! 寄ってたかって何が楽しいってんだよ、この野郎!」
「……もういいわ、面倒くせえしコイツも一緒に畳んじまうか」
「上等だこの野郎! 纏めて掛かって来やがれってんだ!」
「――――望み通りにしてやらァァァッ!」
凄まれても一歩も退かず、逆に風牙は吠え返して。そうすれば当然、始まるのは喧嘩だ。
一斉に殴り掛かってくるチンピラ連中を相手に、風牙はたった一人で果敢に立ち向かっていく。
「危ねえから下がってろよな!」
「は、はいっ……!」
少年を突き飛ばして逃がしながら、風牙は迫り来る拳をひらりと回避。すぐさま反撃のアッパーカットを鋭く叩きつけ、また避けては回し蹴り。受けては返し、受けては返しと……複数人を相手に大立ち回りをしてみせる。
「おいおい……見かけによらず無茶するねえ、アイツ」
ウェインはそんな彼の喧嘩を――壁際にもたれ掛かりながら、呆れ顔で遠巻きに眺めていて。しかしそんな彼にフィーネは「何をしている、行くぞ」と言う。
どうやらフィーネ、風牙を助けに入るつもりらしい。
「うえっ、マジかよ?」
そんな彼女に驚いた顔で言うウェインに「当たり前だ」とフィーネは即答し。
「奴は確かにいけ好かない男かも知れん。しかし今、正義は間違いなくあの男にある。ならば助太刀するのが道理というものだろう。違うかウェイン?」
続けてそう、至極真っ当なことを口にする。
すると、それを受けたウェインも「……ま、そりゃそうだな」と頭をボリボリ掻きながらゆっくりと壁から背を離して。
「しゃーねえな……ああ、お前の言う通りだよフィーネ。ここで見過ごしちゃならねえ。それに……野郎のこと、フレイアからも頼まれてるしな」
と言って、パキポキと拳を鳴らしながら……闘争心剥き出しの、狼にも似た獰猛な笑みを浮かべてみせる。
――――なんてことを話している間にも、風牙はどんどん劣勢に追い込まれていた。
あの見かけによらず腕っぷしは良いようで、複数人を相手にかなり善戦しているようだったが……しかし数の不利を覆せるほどではないらしく、風牙は徐々にだが追い込まれている。このまま放っておけば、彼が負けるのは目に見えていた。
「ならば善は急げだ、グズグズするな……行くぞ!」
「――――おうよ!」
だからフィーネとウェインは頷き合い、ダッと走り出せば一気に飛び掛かっていく。
「ふっ……!」
「どりゃああああっ!!」
タンっと地を蹴ったフィーネは鋭い飛び蹴りを仕掛け、弾丸のような勢いで飛び込んだウェインは強烈な左ストレートを繰り出し、今まさに風牙に襲い掛かろうとしていた数人を全員纏めて吹っ飛ばしてしまう。
そうして飛び込んだ二人の勢いはまだ止まらず、着地したフィーネは更にバッと振り上げた左脚で回し蹴りを放って三人を纏めて一蹴。ウェインは首を刈り取るような鋭い手刀でシュッと更に一人を昏倒させる。
「ちょっ……お前ら!?」
突然、何の前触れもなく現れたウェインたち。
そんな二人を目の当たりにした風牙が目を丸くして驚く中、ウェインは「通りすがりって奴だ!」と背中越しに吠えて。フィーネも振り向きながら「中々の男気だ、見直したぞ?」と彼に小さく笑いかける。
「数的不利でよく健闘したものだ。……後は私たちに任せるがいい、お前はその子を守ってやれ!」
「さあて、久々に暴れっとすっか。俺が突っ込む、遅れんなよフィーネ」
「お前の好きにすればいい、フォローは私の役目だからな」
「へッ、そうだったな。――――しゃあ、いくぜぇぇぇっ!!」
ニヤリと笑いながら二人で頷き合えば、先に飛び込んだウェインを先頭に……残るチンピラたちの群れに二人で飛び込んでいく。
一番槍で斬り込んだウェインがブン殴り、キツい肘打ちを喰らわせて、強烈なアッパーカットで天高く吹っ飛ばす。
そんな勢い任せのウェインの隙をフォローする形で、フィーネも長い脚を振り上げてハイキックを繰り出し、時にビルの壁を三角飛びの要領で駆け上がりながら……上空からのかかと落としで次から次へと叩き伏せる。
「な、なんだよコイツら……」
「化け物だ……化け物が出やがった……」
――――路地裏を舞台に大暴れする二人の勢いは、まさに暴風が如し。
そんな恐ろしい勢いで次から次へと、バッタバッタと薙ぎ払っていくウェインとフィーネを見て、残るチンピラたちの大半はただ戸惑い、戦慄することしか出来ない。
「畜生、舐めやがって……!」
「怪我だけじゃあ済まさねえっ! 後悔させてやる……!!」
だが全員が恐れ慄いているわけでもなく、完全に頭に血がのぼったらしい数人は懐から何かを取り出し、バチンとそれを手元で開く。
折り畳みナイフだ。ヒンジの部分が妙にガタついた感じの、明らかに質の悪い安物だが……しかし腐っても刃物、殺傷力は十分すぎるぐらいにある。
「おらぁぁぁぁぁっ!!」
そんな折り畳みナイフのブレードをバチンと起こせば、数人のチンピラが怒り心頭の形相でウェインに背後から斬り掛かるのだが……。
「安直すぎる考えだな。――――フェザーショット、味わうがいい!」
しかし目にも留まらぬ超高速でフィーネは間に割って入っていけば、パチンと指を弾いて攻撃魔術を発動。風の弾丸『フェザーショット』を撃ち放ち、チンピラ共の手からナイフを弾き飛ばしてみせる。
バシンと見えない弾丸に弾かれたナイフが、くるくると回りながらアスファルトの地面に落ちる。
弾かれたチンピラたちは、一瞬何が起こったか分からない様子だったが……しかしハッと我に返った瞬間、その顔は海よりも青くさあっと青ざめる。
「おい……お前ら魔導士かよぉっ!?」
「ふ、ふざけんな! 魔導士になんざ勝てるわきゃねえだろうが……っ!?」
――――相手は普通の人間じゃない、魔術の使い手……魔導士だった。
魔導士という存在は、ハッキリ言って普通の人間じゃあどう足掻いても太刀打ちできない。世界の常識に等しいその事実、幾ら路地裏にたむろするチンピラ共といえど知らぬはずも無く。だからこそ連中はフィーネが魔術を使ったと気付くや否や、こんな風に顔を青ざめさせていたのだ。
そんな顔面蒼白な彼らを前に、フィーネはどこか楽しげに微笑を浮かべて。
「どうした、その程度か? どうやらこの男には常人相手に魔術を使わないだけの理性と優しさがあったようだが……私はそうじゃない。お前らみたいな有象無象に慈悲なぞ掛けてやる気は欠片も無いんだ。今のは警告と取るがいい。次は――――生命が無いと思うんだな」
と、恐怖する連中を前にそう凄んでみせた後で……何かに気付いたフィーネは溜息交じりにはぁ、と小さく肩を竦めると。
「いや――――それ以前の話だな。私がどうこうするまでもないようだ」
恐怖するチンピラたちのすぐ後ろに視線を向けながら、やれやれと呆れっぽく呟いた。
そんな彼女の一言に「えっ?」とチンピラ共がきょとんとする中――――その背後には、いつの間にやらウェインが忍び寄っていて。ウェインはニヤァッと、なんともまあ物凄く悪い笑顔を浮かべながら……ガシッとチンピラ二人の頭を両手で鷲掴みにすれば。
「チョイとおイタが過ぎたようだぜ……お仕置きの覚悟は出来てんだろうなァッ!?」
物凄い笑顔のままで吠えれば、そのままガンっとチンピラ二人の顔面同士を力任せに叩きつけて昏倒させてしまう。
…………そんな、とっても痛そうな一撃を皮切りに始まるのは、お仕置きというには少し度が過ぎているほどの大暴れだった。
「オラァッ!」
ストレート、フック、アッパーカットにみぞおちへ深く食い込む掌底。蹴りで吹っ飛ばし、足払いでバシンと地面に張り倒し、背負い投げでビル壁に思いっきり叩きつけて。極めつけにチョイと火属性の魔術を発動し、ほんのちょっと焦がして脅してやる。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?」
「何だコイツ、何だコイツぅぅぅっ!?」
「関わっちゃなんねえ、関わったら生命がねえっ!!」
そんなウェインの凶暴極まる大暴れでコテンパンに叩きのめされて、それはそれは楽しそうなウェインの超絶悪そうな笑顔に思いっきり恐怖して……そうすればボコボコに叩きのめされたチンピラたちは、傷だらけの格好で脱兎のような勢いで逃げ出していく。
だが、そんな逃げる連中にトドメの一発。
「おおっと、忘れモンだぜ!」
ウェインはさっきフィーネが弾き飛ばした折り畳みナイフを拾い上げると、左手を振りかぶって……まあすんごい悪い笑顔でフルスイング。全力疾走で逃げていくチンピラたちに向かってブン投げる。
ひゅんっ、どころかぶわあっと強い風切り音が響くぐらいの勢いで飛んでいったナイフは、そのまま走るチンピラたちのすぐ目の前の地面に突き刺されば、ドスンという轟音を響かせて……地面に小さなクレーターを穿つ。
……そう、クレーターだ。
まるで小さな隕石が落ちた跡みたいに、アスファルトが僅かに丸く凹んでいる。どれだけの勢いで叩きつけられたのか……突き刺さったナイフのブレードはもうボロボロで、とても使い物になりそうにない。
そんな意味不明な光景を目の当たりにすれば、もう戦意喪失しても仕方ない話で。
「ヒィィィィッ!?」
チンピラたちは涙目になりながら、まるで怪獣に出くわしたみたいな勢いで逃げ出していったのだった。
「ったく、もう終わりかよ? 歯ごたえのねえ奴らだな……」
「まあそう言うな、相手は所詮ただの素人だ」
そんな風に全力疾走で逃げていく連中の背中を眺めながら、ウェインは不満そうに肩を鳴らしていて。そんな彼の肩を叩きながらフィーネは言いつつ……後ろにくるりと振り返ると。
「で、お前たちは大丈夫なのか?」
と、呆然とする風牙と少年に声を掛けた。
するとハッと我に返った風牙は「あ、ああ……」と戸惑いながらコクコクと頷きつつ。
「お前ら、こりゃ幾らなんでもやり過ぎじゃねえか……?」
なんて風に、至極真っ当なことを二人に言う。
「おいおい、お前助けてやったのにそりゃあねえだろ?」
「いや、そりゃあそうだけどよ……加減しろよ流石に……」
肩を揺らして言葉を返すウェインに、風牙はやっぱりどこか引き気味……というか完全にドン引きしている。
まあ、その反応もさもありなん。風牙はまだドン引きで済んでいるだけマシな方で、彼の背中に隠れた少年なんかはもう半泣きだ。多感な時期の彼に、これはちょっと刺激が強すぎたかもしれない。
そう思いつつ、フィーネはコホンと咳払いをして。
「――――で、一体全体どうしてこんなことになったんだ?」
と、風牙に事情の説明を求めた。
風牙はそれに「お、おう。実はな……」と頷きつつ、あの連中と喧嘩することになった原因を、二人に簡潔に説明してくれた。
――――簡単に言うと、どうやら少年はカツアゲに遭っていたらしい。
その現場にたまたま出くわしたのが風牙で、どうしても見過ごせずに……絡まれていた少年を見かねて助けに入った結果が、この騒ぎということのようだ。
「なんつーか……ベタにも程があんだろ」
そんな一連の説明を聞き終えたウェインが率直な感想を言うと、風牙は「うるせー! ベタで悪かったな!!」といつもの調子で言い返す。
「ま……どこにでも居るもんだな、ああいう手合いってのは。まさか学園都市にまで居るとは思わなかったけどよ」
「そうだな、私も正直驚いている」
「ケッ、二人とも余計なコトしやがって。あんな連中、俺一人でもどうにかなったぜ」
呟くウェインとうむうむと頷くフィーネに、風牙はまたベタな感じに強がってみせる。
「ま、そうだろうよ」
が、意外にもウェインはそんな彼の強がりを肯定する。
「俺たちも暴れ足りなかったんだ、折角の楽しい喧嘩、邪魔して悪かったな」
小さく笑いながら続けてそう言えば、その横でフィーネはふっ……と微かに笑みを浮かべていた。まるで素直じゃない奴め、と言いたげな様子だ。
そんな彼女に敢えて反応しないまま、ウェインは更に続けて風牙に言う。
「ま……少しは見直したぜ、てめえのこと。悪いヤツを見逃せずに助けに入るなんざ、意外にガッツあるじゃねえか。中々出来ることじゃねえぜ、こういうのは」
「おうおう、もっと見直せ見直せ。俺をもっと崇め奉るんだよ」
ウェインの率直な言葉に、風牙はいつもの調子で言い返して。その後で……少しだけ表情を緩めると、こうも続けた。
「……見直したのは、俺だって同じさ。意外とイイ奴なんだな、お前って」
「よせやい、褒めたってなんにも出ねえよ」
「で・も! それはそれ、これはこれだ! 今日のことは感謝するがよ、決闘に関しちゃ話は別だ! 俺は必ずお前に勝ってフィーネちゃんをモノにする……分かってんだろうな!?」
「ハッ! 良いぜ気に入った! 掛かって来いよ、全力で相手になってやる!」
「今日の件で改めてフィーネちゃんに惚れ直したんだ、絶対にモノにしてやる……待っててくれフィーネちゃん、俺はどうやったってコイツに勝つ!」
「ふむ、まあ惚れるのは勝手だから別に構わんが……お前が勝つとは一ミリも思っていないし、勝って欲しいとも思わん」
「うーん意外と辛辣ねフィーネちゃんって!?」
「当然だ、私はウェインの剣であり盾なのだからな。他に靡くつもりは毛頭ない」
なんて風に、言い合いながらも会話はどこか和やかな雰囲気で。ウェインとフィーネは風牙のことを、風牙はウェインのことを少しだけ見直しつつ……路地裏で起こった奇妙な騒ぎは、こうして収まったのだった。




