第四章:サーヴァント・ガール/01
第四章:サーヴァント・ガール
そして、次の日のこと。
「忘れ物はないな?」
「いったい何をどう忘れろってんだよ……」
「戸締りは?」
「今したところだろ?」
「うむ! では行くとしようか、ウェイン!」
「へいへい……」
昨日かなり強引に決まった通りに、この土曜日の朝……ウェインはフィーネに半ば引きずられるようにして、寮の部屋をたった今出たところだった。
今日は休みの日だけに、二人とも当然だが私服姿だ。
ウェインの方は言わずもがな、フィーネはこの前出掛けた時に買ったコーディネートだ。
朱色のキャミソールに黒のショートジャケット、デニム地のスカートに黒いニーハイを履いた格好。前に試着してそのまま着ていった時もそうだったが、フィーネには本当によく似合っている。
と、そんな風におめかしした彼女に引きずられる形で、ウェインはそのまま学生寮から連れ出されていく。
学園の最寄り駅に向かって、そこからモノレールに乗って行くのは例によって市街エリアだ。この学園都市エーリスで休日を楽しく過ごすには、やっぱりあそこが一番らしい。
「さて、どうしようか……ウェインはどこか行きたい場所、あるのか?」
そうしてモノレールに揺られている最中、横長のベンチシートに二人並んで座っていれば、フィーネがそんなことを訊いてきた。
「おいおい、決めてなかったのかよ……」
「急にふと思い立ってのデートだからな、無計画なのは許してくれ」
呆れるウェインに、ふっと微笑を浮かべて返すフィーネ。
でも、フィーネにしては珍しいことだ。
今まで何度かあったお出かけの時には、大抵がもう彼女の行きたい場所に引っ張り回されるといった感じだった。
でも、今日はどうも違うらしい。
それだけ突発的に決まったこと、といえばそうなのだが……でも、彼女が急に出掛けようと言い出すことなんて珍しくもない。なのに行き先ひとつ決めていないというのは……考えてみれば、珍しいことだった。
「とはいえ、実際どうしたものかな……」
呟きながら、フィーネは懐からスマートフォンを取り出す。
いつもの学園の携帯端末じゃない、自前のスマートフォンだ。それを使ってフィーネは少しの間、何かを調べていて……。
「ふむ……ウェイン、ここに行ってみないか?」
すると何かめぼしい場所を見つけたらしく、フィーネはそう言ってウェインに画面を見せてくる。
「……図書館?」
うむ、とフィーネは頷き返す。
「役所通りの近くにあるようだ。行こうと思えばこのモノレール一本で行ける。カフェも併設されているみたいだしな……どうだウェイン、興味ないか?」
「まあ、無いわけじゃねえがな……」
実際のところ、興味がなくはない。
ここ最近は色々と忙しくて、本を読む時間も取れなかったし、何より学園都市エーリスの市営図書館にはかなりの蔵書があると聞いている。それにフィーネの言う通り、どういうわけだか図書館内にカフェも併設されているから、ゆっくり過ごすには良い場所だ。
「っていうか、フィーネはいいのかよ? せっかく出掛けてきたってのに、行き先が図書館ってのは」
が、ウェインが引っ掛かるのはそこだ。
フィーネのことだから、てっきりまたいつものように繁華街にでも連れ出されると思っていただけに、図書館なんかで本当にいいのか……? と疑問に思う気持ちはある。
そう思いウェインが問うてみると、フィーネはふふっと微笑み。
「なに、たまにはこういう静かな場所で過ごすのも悪くないと思ったんだ」
と、横目に彼を見つめながら、そう答えた。
「それとも……お前は、嫌だったか?」
「別に、そうじゃねえよ。フィーネが行きたいってんなら、俺はどこだっていいんだ」
いつも通りの、ぶっきらぼうな態度での返事。
そんなウェインの反応を見て、フィーネはまたふふっ……と楽しそうな笑顔を浮かべる。
「そうだな。確かにどこでもいいな」
すると、彼女はそう言ってコクリと独り小さく頷くと。
「こういうデートは、どこへ行くかは問題じゃない。誰と行くか、誰と過ごすかが大事なんだ。そういう意味で言えば、私はお前と同じ時間を過ごせれば……どこでもいいんだ、行き先なんてものは」
あっけらかんとした態度で、フィーネはそう当然のように言ってのける。
そんな彼女に、ウェインは小さく肩を揺らして。
「だから、デートじゃねえってのに……」
と、彼女の楽しそうな横顔をチラリと見ながら……諦め半分に、そう呟くのだった。
役所通りというのは、その名が示すように役所関係が集まっている通りのことだ。
市役所を始めとした学園都市エーリスの公的機関は、ほぼその一帯に集中している。必ずしも通り沿いに面しているというわけではないが、とにかく役所通りというのはそういう場所だ。
いつも降りている繁華街のモノレール駅から更に何駅か先に、その役所通りの駅はある。
そこでモノレールを降りて、徒歩でおよそ十分ほど歩いた先に、件の図書館はあった。
学園都市エーリス・市街エリアの公営図書館。かなり規模が大きく、カフェも併設されているお洒落な図書館だ。
「へえ、思ったよりデカいんだな……」
「仮にも学園都市を名乗っているのだからな、これぐらい力を入れていて然るべきだろう」
図書館に入ってすぐ、その中を見渡して呟くウェインと、それに返すフィーネ。
実際、ウェインが想像していたよりもずっと大きな図書館だった。
二人の背丈より大きな本棚がズラリと並んでいて、恐らくこのフロアにある本だけでも数百冊はあるだろう。ここ全体の蔵書量なら、きっと数千冊……下手をすると一万冊ぐらいあるかもしれない。
やはり、学園都市を名乗る街の図書館というだけはあるようだ。かといってカビくさい感じじゃなく、内装も外観と同じぐらい洒落ているし、なんだか落ち着いていて居心地がいい。確かにゆっくり過ごすには丁度いい場所のようだ。
「とりあえず、奥に行ってみようぜ」
「うむ」
そんな図書館の奥に、ウェインたちは足を踏み入れていく。
立ち並ぶ本棚の間を歩きながら、あちこち見渡してみる二人。
これだけ大きな図書館だけあって、収蔵している本の種類も様々だ。小難しい学術書といったものは当然のこと、やたらと分厚い辞書や歴史書、今日の新聞に雑誌、他には漫画や小説、子供向けの絵本といったものまで多くが取り揃えられている。
これだけの量の中からお目当ての一冊を探すとなると難しそうだが、その辺りも抜かりない。フロアの隅の方にタッチパネルの端末が置かれていて、それを使えば目的の本のあるフロアと、棚ごとに振られた番号まで調べられるようになっているのだ。
とはいえ、今日のウェインたちは特に目的もなくフラッと来てみただけ。だから二人は特に端末を使って検索することもなく、適当に見て歩きながら目についた本を手に取ってみていた。
「ふむ、これは……」
「なんだよフィーネ、それ絵本じゃねえか」
「妙に見覚えがあるんだ。……ああ、やっぱりそうか。間違いない、昔ミアによく読んでやっていた絵本だ」
「ミア……っていうと、確かお前の妹……だったっけか」
「そうだ。ああ、そういえばこんな話だったな……」
手に取った絵本に懐かしそうな視線を向けながら、フィーネはそっと絵本を棚に戻す。
ミア――――ミア・エクスクルード。幼い頃に亡くなったフィーネの妹だ。
そんな妹のことを思い出していたからか、フィーネは薄い笑顔こそ浮かべていたが……その横顔は、どこか寂しそうでも、懐かしそうでもあった。
「……っと、こっちは何だろうな」
フィーネの気を紛らわせるように、ウェインはわざとらしいぐらいにそう言って、目に付いた適当な本を手に取った。
「む? これは……ノーティリアの建国神話か」
それが気になったのか、フィーネは横から顔を出してウェインの手にある本を覗き込む。
彼女の言う通り、たまたま彼が手にしたその本は――このノーティリア帝国の、建国にまつわる神話の本だった。
別名『邪竜戦役』、または『エルドラゴン伝説』とも呼ばれている話で、帝国の成り立ちにまつわる戦いを伝えたものだと言われている。
「これ、割と本格的な本みてえだな。俺が前に読んだのはもっと子供向けの奴だった気がするぜ。確か子供の頃に読んだよな、お前と一緒に?」
ウェインが訊くと、フィーネは「うむ」と頷く。
「そういえば、ウェインに読み聞かせてやったことがあったな」
「ありゃお前が無理矢理に……まあいいか。そういや真面目に読んだことって無かったな、エルドラゴン伝説に関しちゃ」
「神話の類はなんとなく知ってはいても、実際にちゃんと読む機会には案外巡り会わないものだからな。そういえば私もしっかり読んだ覚えはないな……」
パラパラとページを捲って、横から覗き込んでくるフィーネと一緒にウェインはその本を読んでみることにした。
――――ノーティリア建国神話、またの名を邪竜戦役。
それは今より数千年前の過去に起こったこと。その時代は、世界の裏側から現れた『邪竜』という存在が大いなる闇で世界を覆い尽くし、混乱の渦に呑み込んでいた動乱の時代だったという。
そんな闇に包まれた時代の中、当時のグレートアヴァロン島の傍にあった群島――つまり今この学園都市があるエーリス群島に『エーリス王国』という小国があった。
グレートアヴァロン島のほとんどが邪竜の率いる闇の軍勢に支配される中、遂にそのエーリス王国にも魔の手が迫らんとしていた時、まだ幼き王女だった少女騎士レティシア・エルドラゴンがごくわずかな軍勢とともに決起。迫りくる邪竜の軍勢に対し、果敢に立ち向かっていった。
そのレティシアはわずか十五歳にして『選定の剣』と呼ばれる神剣、勇気ある者にのみしか抜けないとされていた聖剣イクスブレイザーを石から引き抜いていた、選ばれし者だったそうだ。
そんな彼女は聖剣を手に、数は少ないがレティシアに忠誠を誓った騎士たちを引き連れて、自らもナイトメイルを駆り……邪竜との戦いに挑んでいく。
そんな戦いの中で、邪竜の軍勢に加わっていた者たちもレティシアの優しき心に触れ、彼女の説得に応じる形で次々と邪竜側から寝返り、レティシアの軍勢に加わっていった。
そうして軍を大きくしていきながら、グレートアヴァロン島を解放していくレティシア。彼女は信頼できる多くの騎士たちとともに闇を祓い、更には『異界の騎士たち』という不思議な軍勢も味方に引き入れて、遂に邪竜との直接対決に挑み――見事にそれを討ち滅ぼせば、世界に再び平和と安寧が戻ってきた。
そして、いつしかレティシアの子孫たちはノーティリアと一族の名を改め、それが現在のノーティリア帝国に繋がっている……というのが、このノーティリア建国神話のあらすじだ。
…………一応、これ自体は事実をベースにしていると言われている。
が、現在に伝わっているこの神話は、いかんせん数千年前の話だけにどうにも真偽が定かではない点が数多くあり、逸話の多くは後世になって脚色された創作の類だといわれている。
帝都エルドラゴンの名前こそ、世界を救った英雄であるレティシアにあやかって名付けられたもの、というのが定説だが……これに関しても、何とも言えない部分はある。
そもそもレティシア・エルドラゴンや聖剣イクスブレイザーが本当に存在していたのかもあやふやで、聖剣に関してはそれらしきものが現存していないこともあり、これは実在の剣じゃないというのが今の通説だ。
更にもっと言えば、話に出てくる『邪竜』や『大いなる闇』というのも、あくまで島の外からやって来た異民族による侵略を脚色したもの、というのが考古学者たちの間での通説だった。
そして、レティシアが仲間に引き入れたという『異界の騎士たち』に関しても、現存する証拠となる史料は一切無く、これも後世で脚色された、単なるフィクションであるという説が根強い。
……とはいえ、神話に語られている戦いに近いものが数千年前にあったことは確実で、だからかノーティリア帝国に於いてこのエルドラゴン伝説は未だに神聖視されている。
それだけじゃなく、単なる物語としても面白いためか国内外問わずにその人気は高いようで、映画やゲームといった娯楽の題材として引っ張りだこ。それこそウェインやフィーネのように、実際にちゃんと神話を読んでいなくても、その内容は知っているという者は多い。
ただし、あくまで話の多くは時代の流れの中で脚色され続けてきた、単なるおとぎ話に過ぎない。
故にこの伝承は、実際に起こった出来事とはかけ離れている。あくまでこれは、遙かなる過去の戦いに思いを馳せるための、ただのおとぎ話に過ぎないのだから……。
「……改めて読んでみると、結構面白いんだなこれ」
「あれだけ映画になっているぐらいだからな、面白さは保証されているようなものだ」
斜め読みのつもりが、いつの間にかしっかり読み込んでしまっていた。
読み始めたらあんまりにも面白くって、場所も本棚の前での立ち読みからテーブル前の椅子に移し、ウェインとフィーネは二人で一冊の本を……かれこれ二時間ぐらい、ずっと一緒に読み耽ってしまっていた。
パタン、と読み終わった本を閉じる。
中々に充実した読後感だ。フィーネが言ったように、流石はあれだけ多くの映画の題材になっただけのことはある。これでもまだ入門書的な感じの、割と簡単な一冊らしいから……本格的に読み始めたら、きっともう止まらないだろう。
読み終わった今、そう思わせるぐらいの不思議なパワーがこの物語にはあった。
「しかし……邪竜と闇の軍勢か。なんだか私たちが戦うゲイザーのような相手だな」
と、ウェインがそんな読後感を味わいつつ、うーんと伸びをしている横でフィーネがポツリと呟く。
それにウェインは「おいおい……」と苦笑い気味に返し、
「冗談が過ぎるってもんだぜ? こんな何千年も昔に……まさか、あり得ねえだろ」
「まあ、それはその通りだがな。私が言いたいのは、状況が私たちとよく似ている、ということだ」
「……あー、そりゃまあ確かに、言われてみりゃあな」
言われてみれば、フィーネの言うことも分かる。
世界の裏側から現れた邪竜と、その軍勢に立ち向かったレティシア・エルドラゴン。そして今、超次元帝国ゲイザーとDビーストという謎の相手と戦っているのが、ウェインとフィーネのようなスレイプニールのエージェントたちだ。
確かに、状況だけ見れば似ているような気がする。例えこの神話が脚色されまくったフィクションの塊だとしても……それでも、奇妙な親近感を覚えざるを得ない。
「俺たちにも、出来るんだろうか」
そう思えばこそ、ウェインはふと小さく呟いていた。
「なんだウェイン、急にどうした?」
「いや……この本に出てくるレティシア・エルドラゴンみたいに、俺たちもゲイザーの野郎どもを叩き出せるんだろうか、って。そう思ったらつい、な……悪いフィーネ、変なこと言っちまった。忘れてくれ」
本当に、自分は一体何を言っているのか。
なんだか急に我に返ったウェインは、首を横に振りながらそう言って話を打ち切ろうとする。
だがフィーネはふふっと微笑み、そんな彼の手の上にそっと自分の手を被せて一言。
「できるさ」
短く、でも力強い口調でそう、彼に言い聞かせるように言う。
きょとんと、驚いた顔を浮かべるウェイン。
そんな彼の顔を、じっとルビーの瞳で真っ直ぐ見つめながら、更にフィーネは続けてこう言った。
「私とお前なら、必ずやり遂げられる。忘れたか? 私とウェイン、二人で力を合わせて出来なかったことなんて何もない。子供の頃から……お前と出会った時から、ただの一度もな」
「……ま、そうだな。お前の言う通りだよ、フィーネ」
言われたウェインもくくっと小さく笑って返し、席を立ってうーんとまた大きく伸びをする。
「お前の言う通りだ。俺とフィーネとで組んで出来ないことなんざ、昔っから何もなかった。だったら……今度も、きっとそうだよな?」
「うむ。もしもお前が自分を信じられないというのなら、代わりにこの私を信じればいい。それならウェインも安心だろう?」
「……ああ、そりゃあ心強いね」
肩を揺らして言うウェインを見上げながら、フィーネは小さな笑みを浮かべる。
「さて、次はどこに行くとしようか」
とすれば、彼に問いかけるのはそんな一言。
するとウェインはそんな彼女を横目に見下ろして、
「行き先はフィーネに任せるぜ、いつもみたいにな」
と言うから、フィーネも「……うむ!」と頷き返し、そのまま席を立つ。
そうして立ち上がれば、フィーネは薄い笑顔を浮かべながらスッと片手を彼に差し出した。
どういうつもりだろうか、とウェインが首を傾げていると、彼女はふふっとまた彼に微笑んで。
「期待通りに、お前を私がエスコートしてやる。付いてくるか?」
そう言われてしまえば、ウェインもやれやれと小さく肩を竦めて返し。
「へいへい……分かったよ、仰せのままに」
大人しく、差し出された彼女の手をそっと握り返すのだった。




