90 正義よりも重要な力
トモヒロの行った粛正。
出来るだけ静かに、人目に付かずに行うのが理想だろう。
だが、さすがに規模が大きすぎてそうもいかない。
なので、ある程度は周りに見られる事も覚悟して行った。
むしろ、見られる事を前提に行動した。
大勢の人間を連行する、処分するために適当な理由をでっち上げていった。
「娯楽殲滅派だ、あいつらは」
ここ最近では評判をめっきり落とした連中。
そいつらの仲間だと言っておけば、周りの者達も何も言わない。
たとえそれが事実で無くてもだ。
実際に娯楽殲滅派である必要は無い。
そう言えば誰もが黙る。
何も言い返せなくなる。
それで良いのだ。
嘘であっても、そう言えばそれで何も言い返せなくなる。
漫画やアニメを蔑んでいた事と同じだ。
それだけで罵りとなっていた頃があった。
その対象が、娯楽殲滅派に変わっただけである。
立場や攻守逆転といったところか。
もちろん、捕まえてる場所だけで誤魔化しても意味がない。
警察などが動き出したら面倒な事になる。
殲滅する事は出来るが、そういった手間をかける労力がもったいない。
なので、政府にもしっかりと圧力と脅しをかけていく。
「手を出したら核ミサイルを撃ち込む」と。
実際にやられた政府は引き下がるしかない。
力がある者の言い分がとおる。
これが人間社会の基本だ。
力が正義とはさすがにいわないが。
だが、正義とは力がなければ何の意味もない。
どれほど素晴らしい物事であっても、踏みにじられたらそこまでだ。
お題目や理想なぞ、実行して実現する力があってはじめて意味がある。
それのない連中は、どれほど清く正しかろうと木っ端微塵に粉砕されるだけだ。
かつて親や学校、探索者として活動してきた中で学んだことだ。
何をしてもそいつらが咎められる事はなかった。
トモヒロが何を言っても誰も耳を傾けなかった。
つまらない同情や哀れみをよせられる事はあっても、実際に虐待が止まる事はなかった。
止めるよう働きかける事もなかった。
理由は簡単だ。
トモヒロに反撃する力がなかったからでしかない。
今、核ミサイルをはじめとして、様々な反撃手段がある。
殲滅する力を持っている。
そんなトモヒロに逆らう者はいない。
政府といえどもだ。
力があれば何をしてもよい。
これが実証された。
力のあるトモヒロに誰も逆らえない。
やってる事を黙って見てるしかない。
どれほど悪さをしていても、力があれば押し通す事が出来る。
力が無ければ、どれほど良いことをしようとも何も出来ない。
今のトモヒロは違う。
力がある。
悪辣な連中を処分していける。
誰も出来なかった善行をなしている。
悪行を働いていた連中を処分してるのだ。
誰にも文句を言われる理由は無い。
今はマトモに生きてるとしてもだ。
更生や反省なんて意味の無い事など考慮しない。
やったのは事実で、被害者もいる。
それなのに、のうのうと生きることなど許されるものではない。
縁のある連中も同じだ。
子供は悪行の成果の上で生きている。
周りにいた者は、悪事を放置して悪さを止めなかった。
そんな連中が生きていて良いわけがない。
そんな連中は必ずどこかで問題を起こしている。
実際、トモヒロが処分した連中がやらかしていた事もある。
調べていくうちに明らかになった。
それらを公表する事で、トモヒロらへの反発を潰していった。
一番大きいのは結果だ。
こういった連中を処分したあと、その場は平穏を手に入れることとなった。
無駄な騒動が起こらず穏やかに生きていける。
生活する上で、何かを気にする必要がない。
面倒に巻き込まれる事を警戒しなくて良い。
問題を起こす人間が消えたのだから当然だ。
誰かに恨まれる理由は無い。
文句を言う奴等は、とっくに死んで霊魂ごと消滅しているのだし。
残った者達が不平を言うこともない。
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