24 見えるからこそ避けたいこの先の道
迷宮の不思議なところである。
その階層にいる者は、別の階層に向かうことはない。
例外はあるが、基本的にはそうなっている。
なので、1階の怪物が地上や2階に向かう事は無い。
2階の怪物が1階や3階に向かう事は無い。
だからこそ、3階の蚊が2階に漏れることはなかった。
4階に飛び込んでいく事もない。
その逆も当然ある。
今、探索者達はそれを目の当たりにしていた。
3階の蚊と、4階のゴキブリ。
それらは接点である階層の境界を超えようとはしない。
だから境目でその区切りがはっきりと分かった。
その目で探索者はしっかりと見ていた。
しっかりと見えるから踏み込む事を躊躇った。
迷宮の怪物と違い、探索者達は階層の境目を乗りこえる事が出来る。
道を見つける事が出来れば、踏み越えていく事が出来る。
だが、その道をどうしても歩んでいく気になれなかった。
「なあ、これ」
「分かってる」
「どう見ても、あれだな」
「ゴキブリだよな」
下に続く階段を埋め尽くす黒い虫。
台所でよく見る虫、ゴキブリ。
それが隙間無く埋まってる階段。
どうしてもそこに入り込む気にはなれなかった。
それは、なまじよく見えるからこその躊躇だった。
何も見えなければ、知らずに踏み込んでいっただろう。
しかし、今はそうではない。
暗闇の中でも、先が見えないわけでもない。
はっきり見える。
だから余計におぞましさをおぼえていった。
「本当によく出来た迷宮だ」
呆れと感心がこもった声を誰かがあげた。
これが、何も見えない暗黒地帯だったら、何も知らないで通り抜ける事も出来ただろう。
それはそれで嫌なものだが、何も見えない、知ることもないというのは時に幸せな事もある。
だが、今は違う。
はっきりと見える。
見えるから踏み込むことを躊躇う。
念のために、手にしている殺虫剤をふきかけていく。
これは階層の境目を難なく突破する。
それを吹きかけられた生活害虫は、瞬く間にひっくり返っていく。
苦しそうに足を動かしていく。
吹きかけたものは皆同じように苦しんでいく。
そして、死んでいく。
3階の蚊がそうであるように、4階のゴキブリも普通のもののようだった。
普通に殺虫剤で殺す事が出来る。
怪物の一種ではない。
それはありがたいのだが、だからといって楽が出来るわけではない。
天井から壁・床におよぶあらゆる面に張り付いている。
しかも、宙を飛ぶものもいる。
数え切れないほど大量にいる。
これらを処分するのはかなり難しそうだった。
「とりあえず帰ろうか」
時間も時間なので、一旦帰る事をリーダーは提案する。
「対策も必要だし」
「そうだな」
「おう」
「帰ろう」
拒否する者はいない。
満場一致で帰還が決まった。
そうして帰ったあと、今後どうするかで紛糾した。
準備をととのえて挑戦するべきだという者と。
もういい、依頼を断ろうという者で分かれた。
「あんな所に行きたくねえ!」という正論を吐く者。
「だけど、金が手に入らねえ!」という現実を見る者。
この二つに分かれていく。
行きたくないという者達の意見はもっともだ。
もう金の問題じゃない。
いっそここで依頼を放棄して無報酬になってもいい。
それでも、あの大量の虫の中に突入したくない。
そんな思いでいるのだ。
だが、現実を考えればそうもいかない。
普通に怪物退治をするより実入りは少ない。
それでも、仕事をこなせば金になる。
その金を捨ててしまったら、これまでかけた時間が無駄になる。
わずかでも報酬が入れば、費やした労力を多少は回収出来る。
しかも、引き受けてからもう10日は経ってる。
ここまで時間を費やして、報酬は手に入りませんでしたとしたくはない。
あと5日働けば200万円が手に入るのだ。
そこまではなんとしても頑張りたい。
そう思うのも人情だ。
だとしても、あの大量の生活害虫の中に飛び込むのか。
いっそ、ここまで費やした時間と労力を切り捨ててでも、この仕事を捨てるべきではないのか。
あと5日というが、その5日で他の迷宮で稼げば、少しは元もとれる。
失った損を取り戻す事は出来なくても、幾らかは補う事が出来る。
そうした方が建設的ではないのか?
そう考えるのもまた人情だ。
損切り出来るかどうかだ。
これ以上続ければ損をする。
ならば、ここで損害を出してるものを切り捨てる。
切り捨てて、他のもっとめぼしいものに向かっていく。
いつまでも損害を出し続けるものに関わってるよりは良い。
そういう考え方が出来るかどうかになってきている。
行くか、行かないか。
それが損なのか得なのか。
そうのどちらなのかで探索者達はもめていた。
そんな二つに割れる仲間を見て、リーダーは決断を下した。
「辞めよう」
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