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45話【鉄の処女】



 森の上を猛スピードで飛んでいたクルルは、流れる地上を見下ろす。木々の下に蠢めく影がある。


 シモンたちが居る休憩所にバルティアが差し向けた魔物の群れだった。有象無象の魔物たちが疾走し、拠点になった平原の入り口を目指している。


 草木を薙ぎ倒して進む魔物に種類の垣根は無く、その様はまさに異様。

 

「…」


 魔物たちを追い越し、グランベルドと分かれた辺りから速度を落として飛行する。人間の痕跡を辿りつつも、頭はスレインからのご褒美でいっぱいだった。


 始め彼女が期待したのは甘く淫靡なご褒美だが、この際どちらも貰っておくが良いだろう。

 8皿以上の手料理に、食後のご褒美…。クルルの口元から涎が垂れた。


 人間たちを守ればきっと褒めてくれる。あの大きな掌で、撫でて貰える。


 口角がニヤけるのを必死に耐えていたが、とうとうみっともなく緩んでしまった。


 鬱蒼と茂る緑の奥から人間の声が聞こえて、速度を上げた。



「地響きが…」


「森が騒いでる。一体何が起こってるんだ!?」


 【鋼の剣】はマングローブの森の近くに居た。エドガーとオルオは目覚めており、未だ眠るミナを抱えている。

 グランベルドは先を急ぎながら慎重に道を切り開いていた。


「オルオ!エドガー!前を進んで下さい!後ろに魔物が迫っていますッ!」


 彼の言う通り、後方から魔物の咆哮が聞こえる。地が震え、水溜りの淵から波紋が広がっては消えていた。


 オルオの後ろの茂みからグレイウルフが飛び出す。抱えるミナを庇った彼の背中に爪を立てた。


「オルオ!」


「…っだい、じょうぶだ!」


 剣を抜いたが振り切る力は残っていない。雨に濡れているのか流血により湿っているのか分からなくなる。


「魔物は私が引き受けます!ミナを連れて直ぐに逃げて下さい!」


「リーダー…!」


 唸るグレイウルフに立ちはだかったグランベルドは、自身が助かる確率を目算する。弾き出した数値のあまりの低さに笑いが漏れた。


「大丈夫、すぐに追い掛けます」


「しかし…っ」


 望み薄なのを察した2人は躊躇う。いくらグランベルドの剣術が優れていようとも、大群が相手では生存は厳しい。


 するとグレイウルフは耳を左右に伏せ、姿勢を低くした。木々の間から魔獣の唸り声がする。

 尾を返して逃亡しようとしたグレイウルフの胴目掛けて、巨大な腕が振り下ろされた。


「キャインッ!」


 甲高い悲鳴を上げて痙攣する。横から出てきたのは体長4mを超えるヒュージ・ベアだった。


 険しい顔のグランベルドは、あまりの大きさにたじろぐ。オルオとエドガーは青褪めたまま、その場で動けずにいた。


「昨日のケルピーといい、こんなのあんまりでしょう…!」


 思わず文句を吐き捨てる。迫る巨大な陰に剣先が震えた。


「リッカ」


 何の前触れもなく、後方から泰然とした声が聞こえた。同時にヒュージ・ベアが立つ場所へ向けて至大の氷塊が打ち下ろされた。


 ドカァアアアアッ!


 けたたましい音と地揺れ。舞い上がった雨飛沫に視界が覆われる。

 晴れた眼界に広がるのは、氷の彫像に押し潰された巨大熊の亡骸だった。


「クルルさん!?」


 少女を知覚したグランベルドが叫ぶ。


「スレインが助けろって言った」


「それは…、その…命拾いしました。有り難う御座います」


 【鋼の剣】のリーダーとして陳謝する。怪我を癒やしてもらったばかりか、危うく死ぬところを助けられた。


「この騒ぎは一体…」


「全部“まじょきょう”のせい。最初の場所にもどって」


 時は一刻を争う。こうしている間にも大量の魔物が押し寄せてくる。

 

 スレインは人間を指定しなかった。という事はクエストで一緒に来た全員を守ってほしいという事。

 各所に点在する人間を守るより一箇所に集約した方が守りやすい。


「時間はつくる」


 クルルが足で地面をタップした。分厚い氷の壁が瞬時に築かれる。壁は見渡す限り続いており、押し寄せる魔物を一時押し留めるには十分かと思われた。


 氷越しに少女が「行って」と促す。


 彼女の言う通りにするべきだと判断したグランベルドはオルオに肩を貸して「有り難う御座います!ご武運を!」と言い残し、休憩所を目指して走り出した。


 氷の障壁目掛けて数箇所で魔物が体当たりしたのが分かる。1回や2回で砕ける程脆くはないが、続けばいつかは破壊される。


「……」


 グランベルドたちの背中を肩越しに見送って視線を戻すと、魔物の群れが凶悪な眼光でクルルを睨み付けていた。


「グルルル…」


「ガウゥウ…!」


 大量の魔物に囲まれてもクルルは動じない。


「ルゥビア・リッカ」


 一斉にマングローブもろとも氷漬けにして動きを封じる。立ち込める冷気に河が凍り付いた。


 『流石俺のクルルだな』などと想像して頬を赤く染める。このまま魔物を足止めし続ければ、彼の寵愛は約束されたも同然だ。


 にへへ、と笑っていたクルルに初めて緊張が走った。後続で向かって来た魔物の1匹にいい知れない恐怖心を感じる。


 クルルの目前へ駆けてきたのは一頭の馬だった。稲妻型の角を持ち、黄金のリングで立髪を縛った上位魔物。蹄を鳴らして、彼女の前に静かに佇む。

 白い体は大きく、長い立髪は金色をしている。長い尾は風に靡き、神々しいとさえ感じる雰囲気を纏った不思議な魔獣だった。


 少女は初めて見る魔物を注意深く観察する。


 ケルピーなどとは比べ物にならない覇気。魔力量も彼女より上だと推察される。


「…関係ない」


 凶暴化して人間を殺そうと迫ってくる以上、クルルには戦う理由がある。

 

 少女が魔術を行使しようと口を開いたその瞬間、馬が大きく身体を反らせて嘶いた。

 蹄で地面を叩いた途端、周囲に広がる稲妻にクルルは目を見開く。


 雷光に包まれると、少女は体が硬直し足がすくんで動けなくなった。

 

「…っ…」


 馬の頭蓋から伸びた大きな角が彼女を襲う。咄嗟に腕でガードしながら地を転がった。

 稲妻型の角はクルルの外套を巻き込み、更に腕を切り裂く。


 ローブを失った少女の体に雨が降り注いだ。冷たい陰雨は体温を奪い去っていく。


「…、ラブィーネ・リッカ!」


 馬を捕らえようと氷が地を走る。迎え撃つように雄馬は佇んでおり、クルルの氷魔が足元を封じる直前に雷玉が弾けた。


 上空に雷雲が立ち込める。低く黒い空は馬の呼び掛けに応じるように稲妻が犇めいていた。


 ――じっとりとした汗が頬を伝う。雷玉はクルルの氷を跳ね除けて周囲に分散された。

 横にあったマングローブの木に命中し、馬を中心に木がメキメキと倒れる。木には雷が走った焦げ跡が焼き付いていた。


「はぁ…はぁ…!」


 心臓が強く存在を主張している。獣の本能が全力で逃げろと叫んでいた。

 だが今の彼女には引くという選択肢は無い。


 すると馬が高圧な稲妻を放った。少女の動きがぎこちなくなり、地面に飛び込み回避するので精一杯だ。


 敷いた氷の壁が遠くで破られたのが分かる。防波堤が決壊するの如く、そこから大量の魔物が流出した。


 クルルは唇を噛む。


 刹那、稲光が大平原を覆う。少女が居る場所目掛けて落雷が降ってきた。


「ッ――…!」


◆◇◆◇◆◇


 ゼンを下したノエルは、スレインとバルティアの戦いを傍で見守る。

 というのも白髪の青年に『絶対に手を出すな』と釘を刺されており傍観しか出来なかった。


「くふふ、なかなかやりますね」


『…お前、魔女教で8番目に強いんだよな?』


「勿論です」


 唇を舐めたスレインはククリナイフを器用に回す。


『……俺は地上に戻って来て、1度も本気を出した事がない』


「?」


 地上、という単語にノエルも反応する。


 彼は浮島から戻ってから1度として全力を出していない。特異な“生まれながらの異能(アビリティ)”によりスレインの身体は進化している。


 ジャミルとは死力を尽くして戦った。彼を倒して心臓を喰らい、吸血鬼のように暗闇も見通せるようになった。

 しかし、それだけではない。羊皮紙にインクが染み込むように、徐々に体に馴染んできた力がある。


 地上へ帰って来て、彼が全力で戦える相手に巡り合えず試す機会に恵まれなかった。

 それに引き換え魔女教の渾天黒地九皐こんてんこくちきゅうこうの存在は丁度良い。


 いつからか血肉が湧く戦いに身を投じたいと心から願っている。何故だか分からないが、生と死を身近に感じる極限の状態が堪らなく昂揚する。


『ノエル、今はお前しか見てないし良いよな?』


「え?」


 その瞬間、スレインの魔力が爆ぜた。


 吹き荒れた暴風に少女は目を瞑る。薄目を開けて青年の姿を捉えると、目を疑った。

 スレインの容姿が変わっている。まるで獣人のように黒光りする角と尻尾が生えている。


 だがそれは瞬きするほんの刹那で形を潜め、目を擦ったノエルは自身の幻覚だったのだと思い直した。


「まさか貴方も同属だったとは…」


 膨張する闇の魔力に対し、バルティアは息を呑んだ。


『魔女教なんかと一緒にすんなよ。俺は一般人なんだからな』


 心外だと言う青年は眉間に皺を刻む。


『元々居た所もそうだったが、マーレはそれ以上にクソッタレの掃き溜めだった。だが得た物も多い』


 自分の特異な体質に気付けたのも、ジャミルの屋敷で監禁されたからだ。だが同時に、心の何処かで心身共に怪物になっていくような恐怖心も抱いていた。

 その中で自分と同等、またはそれ以上の強者とあいまみえる事に僅かな安心感を覚える。


「マーレ…?」


 以前彼に大魔境の場所を地図で聞かれた事があった。スレインとクルルはマーレの大魔境唯一の生還者とでも言うのか…?


 すると一瞬世界が色を失った。続く雷鳴にスレインは明後日の方向を見遣る。


『クルル…』


 譫言のように少女の名前を呟いた。胸騒ぎがする。


『……ノエル、クルルを追い掛けてくれ』


「えぇ!?た、確かに…心配ですけど…!」


 クルルは雷に対して異常に怯えていた。


『俺も直ぐに行く』


「直ぐですって?そんなの僕が許す筈もないでしょう」


 バルティアの言葉には有り余る自信が滲み出ている。


 相手は渾天黒地九皐だ。謎が多い魔女教の中核を担う幹部である。それを1人で相手をするなど彼であっても無謀だ。

 ノエルはスレインの意志は汲み取りつつも、いざという時に助太刀できるよう控えていた。


「……、」 


 葛藤の末、ノエルはクルルを追い掛ける事を了承する。


「スレインさん!約束して下さいッ!必ず生きて帰ってくるって…」


『んな大袈裟な…』


「そしたらお2人の事、全部教えて下さいね!?」


『早く行けっつーの』


 彼らの素性や今までの経緯。もはや冒険者の間の暗黙の了解を破ってでも聞かねばならない気がした。

 

 背を向けて走り出したノエル目掛けてバルティアが「そうはさせません」と手を翳すと黒の車輪が襲う。


『ブライアー』


 荊棘が絡まり、回転する車輪の動きを止めた。幾重にも重なった、黒い荊棘が軋む。

 ノエルの姿が見えなくなると車輪を解放した。


「解りませんね。それだけの力があって、何故隠すのですか…?」


『そりゃ、アンタらに間違えられると面倒な事が幾つかあるからな。タグの剥奪も有り得るようだし、金を得る手段が無くなるのは現状望んでねーのよ』


「くはは!なるほど…」


 可笑しそうに笑ったバルティアの眼光が鋭くなる。


「では、我々の一員になりませんか?」


『は?』


 突拍子のない提案を受け、間の抜けた顔をした。


「時は満ちました。魔女教は今や聖騎士団に匹敵する…いえ、それ以上の力を蓄えています。そこに貴方のような人材が加われば、白神教すら根絶やしにできる」


『…』


 興味の唆られない話題だ。魔女教や聖騎士、ましてや神殿がどうなろうと知ったところではない。


「僕は純闇属性主義でしてね。八皐の構成員は全員闇属性なんですよ。皆には毎月安定した謝礼も支払っているので、冒険者など不安定な収入の仕事よりよっぽど楽に稼げます」


『…』


「辞めてしまいなさい。貴方ほどの実力があるなら、後々幹部に昇り詰めるのも可能でしょう。エルヴィラ様に気に入られれば、更なる高みを目指せますよ」


『まるで魔女が生きてるように話すよな?』


 石を魔女から授かっただの、彼女に気に入られるだの、御託を並べている。

 スレインの問い掛けにバルティアは笑みを濃くした。


「全ての理はエルヴィラ様のご意志が反映されているのです。今はまだ、お話こそ出来ませんが何れ……」


『はぁ、こんな事言っちゃなんだが、アンタ相当イカれてるな』


 魔女を神か何かと同列に考えているらしい。800年前に生きていた邪悪な存在に心酔する、その理由がスレインには分からなかった。


「信仰心は後からでも芽生えるものです。――どうです?我々の仲間になりませんか?」


『はは、聞かなくても分かるだろ?んな足枷ごめんだね』


 スレインは愛するクルルと共に自由に暮らす事を望んでいる。その生活に魔女教の存在は必要ない。


『そもそも、忘れてもらっちゃ困るのよ。アンタらの方が襲って来たから、俺が追い掛けて来たんだろーが』


 ククリナイフの峰で手を打って『目には目を、ってな』と凶悪に口角を持ち上げる。

 右腕に黒焔を纏わせバルティアに向けて発射した。


 魔女教幹部は炎を避けつつ「実害があったのは此方です。それに免じて、水に流してもらえると…嬉しいです、ねッ!」と反撃に出る。


『ばーか、こんな楽しいパーティー逃す筈がねーだろ?』


 切れ味の鋭い車輪を躱し、黒炎での焼却を試みた。しかし、バルティアの魔力は焼き切る事が出来ない。


 周囲の木々を塵にした青年は続け様に魔術を使用する。


『ミッド・ブライアー!』


 無数の槍の迎撃に、バルティアは身を守る為瞬時に車輪を集結させた。

 車輪に弾かれて何の手応えも得られない。4つの円形は彼の鎧であり剣だ。


『どれも決め手に欠けるな…』


 だからこそ、全力を出す良い機会になる。


 スレインの足元に黒の魔法陣が浮かび上がった。今度は何をするのかとバルティアは怪訝な顔をする。


「何をするつもりです?」


『…この力を使うのは、正直不服ではあるんだが』


 気が進まないと漏らすのは、ジャミルから得た能力だからだ。しかし、あれ程憎んだ相手の力の一部を意のままに操れるのは優越にも似た感情がある。


 彼の能力がスレインの魔力と交わり体現した力だ。


 スレインが手袋を脱ぎ、人差し指の皮膚を噛む。指から落ちた血液が魔法陣に触れると赤く輝いた。


『…ノチェン・ポラル・ブライアー』


 ――バルティアの視界が濃厚な暗闇に包まれる。スレインが立っていた場所に人影があった。


「…」


 警戒しつつ近付いた彼に、影が動く。それは人型の棺桶のような形をした置物だった。

 穏やかな女の表情が描かれ、装飾されている。


「一体…」


 此処は何処なのか。白髪の青年は何処に行ったのか。疑問が浮かんでも解決しない。手掛かりはこの置物以外他になかった。


 すると置物の中心から線が縦一直線に入る。そこから観音開きに開いた中を見たバルティアは鳥肌が立った。

 中は鋭い剣のような棘が張り巡らされている。人間が1人入る大きさの、棺のような置物の用途を理解した。


 身の毛もよだつ使い道。邪悪な魔術に恐怖する。


 引き攣った顔のバルティアに棺は近付いた。否、棺ではなくバルティアが問答無用で引き寄せられている。


「な、…ヒ…ッ…!クソ…!」


 何が起こっているのか分からないまま、バルティアは押し込められる。棘が体に刺さり痛くて堪らない。


 彼が今まで行ってきた悪行は数知れない。子供の心臓を抉り出して魔女に捧げる儀式を笑顔で執り行った事もある。

 そんな行為の末に科せられた罰なのかと目尻に涙を浮かべた。


「…エルヴィラ様ッ!エルヴィラさまぁああああッ!」


 扉が重い音を立てて閉まると、悲鳴さえ聞こえなくなった。置物の下の隙間から大量の血液が流れる。


 ――絶対不可避の牢獄(アイアン・メイデン)


 眩暈がしたスレインは顔を手で覆う。黒炎の効かなかった相手には有効だが使用する魔力量が多い。

 便利な力だが、時と場所、相手は選ばなければならない。

 

 無惨に打ち捨てられたバルティアの死体を見下ろした。無数の棘が深々と刺さった跡があり、その様は市民が目にすれば吐く程に惨たらしい。

 多量の血液が雨と混ざり地面に染み込んでいく。


『世の理だぁ?お前の言う魔女ってのは、アンタには全く興味ねーようだな』


 皮肉を言って手袋をしたスレインはクルルとノエルを追い掛けた。



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