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42話【刹那の閃光と、邂逅】


 不意に聞こえた男の声に、モーデカイは目を見開いた。

 

「――は?」


 視界いっぱいに広がったオドントティラヌスの口。鋭い牙の先端から糸を引いた唾液と酷い口臭に顔が歪む。幻聴が聞こえるまでに動揺しているのだろうか。


 牙の隙間に青色の鱗が挟まっている。魚か鱗を持つ魔物を捕食したばかりなのだろう。モーデカイは何か食べたなら、それで満足しやがれと頭の端で恨み言を考えた。


 すると大口を開けた怪物の頭上から突如人影が降ってきた。歯車のように二回転して、伸ばした脚で強烈な踵落としを決める。

 踵が脳天にめり込んだ途端、骨を砕く音が辺りに響いた。頭蓋を押し潰し地面に叩きつける。地に亀裂が走り、窪みに伏せたオドントティラヌスはそれっきり動かなかった。


 現れた白髪の男は残る2匹に囲まれながらも、魔物の潰れた頭の上で口の端を持ち上げる。唇の隙間から白い歯と赤い舌が覗く。

 腰のホルスターから黒い刀身のククリナイフをゆっくりと引き抜く。二双の刃を逆手に持った青年は、魔物の強烈な体当たりを身軽に回避した。


 跳躍した先に居た1匹の首をついでにと言わんばかりに切り落とし、次に向かってきた巨体の顎へナイフを突き刺す。鮮血を浴びた彼はニヤリと口元を歪ませ、そのまま重心を移動させて下顎を切り裂いた。


 2つの巨体が揺れ、ズシンと地を震わせて同時に倒れる。【光の弓矢】の面々は目を擦った。


「す、すげぇ…!一撃で…」

「嘘だろ…!?」


 突如上空から白髪の青年が現れ、瞬く間に魔物を一掃した。この目で見ても信じられなかった。


「何者だよ…」

「ただのF級じゃねぇのか?」


 騒めく一同の後方から少女が2人出て来る。クルルは飛んで一目散にスレインに抱き付いた。

 その後ろから息を切らしたノエルが走って来る。


「スレインさーん!もう、1人で突っ走らないで下さいよ」


 スレインは黒刀を振って付着した血を払い、慣れた様子でくるりと回し鞘に戻した。


「え、これ…!オドントティラヌスですか…!?」


『オドント…?まぁ良いわ。ノエル、このデケー蜥蜴は高く売れるのか?』


「素材として滅多に出回らない魔物なのでなんとも…。でもこれだけの大きさなので魔石もあるかもしれません。持ち帰っても損はないと思います」


 それを聞いた青年は上機嫌でせっせとキャリーにしまった。魔物を殺して金が手に入るなら願ったり叶ったりだ。

 呆気にとられている【光の弓矢】の面々を一瞥する。


『1匹は置いて行くから好きにしろ。これで獲物の横取りとか言いっこなしだかんな』


 後々文句を言われぬよう、しっかりと釘を刺しておく。

 一方【光の弓矢】はそれどころではなかった。ヨロヨロと歩み寄ってきたモーデカイは目を剥いて「おいおい…スレイン、お前…滅茶苦茶強ぇじゃねーかよ!?」と驚いていた。


「何で兄ちゃんみたいな奴がF級なんかに居るんだ?」

「E級のクエストを失敗したってのはデマかよ!?」


 九死に一生を得た男たちは命の恩人に詰め寄る。


 その時、遠く離れた大平原の奥地から煙弾が上がった。


『何だ?ありゃ…』


 空を仰ぎ見たスレインは赤色の煙を視線で辿る。


「緊急事態を表す煙弾です!共同クエストの時に冒険者が持ち合うアイテムですよ」


 信煙弾で互いの位置や情報を知らせる。赤色が緊急事態、緑色が移動、青色が集合、黄色が了解など、色や方向で交信し合う。

 

 ノエルは空へ向けて黄色の煙弾を放った。


「行きましょう!きっとゼンさんたちに何かあったんです!」


「おいおい待て待て!奥地に行くのか!?」


 モーデカイは危険だと食い下がる。片目を瞑ったスレインは『あー?お前らはさっさと休憩所に戻りやがれ』と手で払った。


 見たところ1人重傷者が居る。モーデカイも傷を負っているし、探索の続行は困難だ。


『最近、運動不足だったからな。退屈凌ぎにちょうど良い』


 サングラス越しでも分かる自信に満ちた表情に、モーデカイは笑う他なかった。乾いた声で「運動…ってな…はは、」と笑いを零し、彼らには要らぬ心配だと思い直す。


「街へ戻ったら礼させてくれ。……気をつけてな」


『お前らも戻る途中でくたばるなよ』


「余計なお世話だバカ」


 軽口を言い合って、モーデカイが言い終わらぬうちにスレインは身を翻していた。


『クルル、ちゃんと掴まってろよ』


「ん」


 スレインの後ろから首に回した腕に力を込める。重力に反しているクルルの体は綿毛のように軽い。


 その瞬間、スレインが忽然と姿を消した。


「ふぁ!?」

「消えた!?」


「あぁッ!?また私を置いて…!」


 憤慨したノエルは駆け出す。


「だ、大丈夫か嬢ちゃん!?」


「大丈夫ですッ!スレインさんは強いですし、きっとゼンさんたちと一緒に戻ります!」


 肩越しに笑った彼女はマングローブの間をすり抜ける。身軽に木の枝に飛び乗って反動を利用してスピードを上げた。


「すげぇ…」

「だな」


 呆気にとられる【光の弓矢】を残し、スレイン一行はフィン大平原の奥地へ向かった。


◆◇◆◇◆◇


 降り頻る雨に構うことなく疾走する。マングローブの森を抜けて岩から岩へ跳躍し奥地を目指す。


 大地を引き裂く爪痕を飛び越え、そこで足を止めたスレインに、やっとノエルが追い付いた。


「はぁ、はぁ…。やっと追いつきました」


『煙が上がった地点はもうすぐだぞ』


 少女が息を整える間もなく青年は先に進む。激しい雷鳴にクルルは身を固くした。


『大丈夫だクルル。この辺には落ちてこねーさ』


「…、」


 少女は小さく頷くのが精一杯だった。


『…』


 スレインはクルルの様子を訝る。彼女は昔から雷が苦手だが、何故そうなったのか分からない。

 彼が世話役を務めた頃には、雷雨の日は既に牢屋の隅で怯えていたように思う。


『――クル』


「2人とも待って下さいよぉッ!走りっぱなしで疲れちゃいました…」


 岩の上でノエルがへたり込んだ。


『休むなんて一言も言ってねーぞ。さっさと終わらせてクルルを雷から遠ざけてやらねーとな』


「うぐ…どこまでもクルルさん贔屓です…」


 知ってましたけど、と小言を零して立ち上がる。

 実のところ彼女と逸れても置いて行く気満々だったが、ノエルはスレインを見失わずにしっかりとついて来ていた。


『…腐ってもA級だな』


「何か言いましたか?」


『いんや』


 ボソリと漏れた本音に、ノエルが目を光らせる。湿った視線をスルーした青年はクルルのフードを深く被せてやった。


「ゴルイニチの爪痕があったって事は、ここから完全に奥地ですね」


『ゴルイニチの爪痕?』


「さっき飛び越えた谷ですよ!」


『あー、冒険者もそんな事言ってやがったな』


 フィン大平原に走る3本の爪痕。その大きさと深さは類を見ない規模であり、谷と見紛うほどである。

 爪痕の底は見えず深淵が続き、雨水はどこまでも落ちていく。


「噂通り凄く深いですね。私も実際に見るのは初めてです」


「変なの…」


 後ろの谷を一瞥したクルルは率直な感想を溢した。


 800年経ってもくっきりと大地に残る爪痕は当時の戦闘の凄まじさを物語っている。


「ゴルイニチ種はドラゴン系の最強種族です。きっと魔女とは激しい攻防になったのでしょう」


『実際、エルヴィラってそんなに強かったのか?』


「……ッ!!」


 血の気が引いたノエルは言葉を失う。この〈アノーラ〉の地で魔女の名前を呼ぶのは愚者か勇者だ。

 周囲に目を走らせたノエルは、明らかに警戒している。暫くすると強張った体の力を抜いた。

 

「うぁあ、もおぉ…吃驚させないで下さい」


 ノエルの反応は一般的なものだ。この間までスレインも魔女の名を呼ぶことは恐ろしい行為だと信じて疑わなかった。だが本当の地獄を経験した今は。


『大袈裟だな』


「大袈裟だなんて!名前を呼んだ冒険者が次のクエストで命を落としたり、口を滑らした貴族が不可解な死を遂げたりと怖い噂がたくさんあるんですからね!」


『……じゃぁ、俺が証明してやる』


「え?」


『名前を呼んだだけで災いが降り掛かるなんて単なる迷信だってな』


 現にスレインは魔女の名前を何度か呼んでいるが、禍が降り掛かった記憶がない。

 今や魔女の名前に特別な力があるとは思えず、人々が身に起こった不幸を魔女のせいにしているとしか考えられなかった。



 ――すると、彼らの目前に茂っていた森が騒めく。木の陰の1つがモゾモゾと動き膨張する。ヌッと地面から湧き出したように隠れていたのは黒尽くめの人物だった。

 全身を布が覆っており、肌の露出が一切ない。顔部分には丸い面が張り付き、目の部分だけ丸く繰り抜かれている。種族も性別も判断しがたい人物が十数人立っていた。


『何だコイツら…』


「…、この人たち…魔女教徒ですッ!」


 険しい顔付きでノエルは太腿のハンドガンを抜く。


 亡霊のように現れた彼らの胸でネックレスが揺れている。それこそ魔女を信仰する者の証だった。


『そんな奴らが俺たちに何の用だ?』


「…… …」


 音もなく動き出した魔女教徒は、暗がりから滑り出てくる。黒い服に個性が完全に隠され、ユラリと動くその影は極めて異質で不気味さを醸し出していた。


 前触れなく彼らの周囲に魔力が満ちる。紛れもなく闇のマナで、スレインは自分以外に初めて見る闇の魔力に瞠目した。

 術者が腕を振ると、立ち昇る漆黒の光が発射され一行に襲い掛かってくる。


「リッカ」


 青年の背中に張り付いている少女が手を翳して、目前に氷の障壁を築いた。

 瞬時に形成された壁は頑丈でビクともしない。発射された全弾を防ぎクルルの力が圧勝する。


 霧散した障壁の中にスレインの姿はなく、ハンドガンを構えるノエルと長い白髪を揺らすクルルだけだった。


 黒尽くめの人物たちは辺りを見回すが、何もかも遅過ぎた。首を捻った拍子に、血飛沫を上げて首が飛ぶ。双剣が振るわれる度に命が刈り取られていく。

 

 1人が魔力を練り、黒い靄でスレインを捕らえようとした。しかし狙いが定まらず魔女教の仲間に魔術を行使してしまう。

 白髪の青年はそれを鼻で笑った後、荒々しく彼らを薙ぎ倒した。


 魔女教徒は感情が欠落しているのか、恐れといった感情は読み取れない。ただ状況を見て、スレインを殺す目的の為に効率良く動いている印象を受けた。声を一切発さず、逃げず、その機械的な動きは生命を持っているのかさえ疑われる。


 十数人相手に善戦するスレインの人間離れした動きにノエルは「す、凄い…」と空いた口が塞がらない。

 視界の右で戦っていたかと思うと突如消えてしまい、反対側から斬撃の音がする。顔を向ける間もなく上空に気配が移動して、気付けば魔女教徒が倒れている状況だ。


 スレインは最後の1人に背後から首元へ黒刀を当てがう。

 凶器を突き付ける彼が『死ぬ覚悟は出来てるよな?』と不敵に笑った。


「……」


『遺言はないらしい。――あばよ』


「ちょ、ちょーーっと待ったあぁああッ!」


 首を落とす寸前にノエルの待ったが掛かる。


「此処に居る理由を聞き出してからにしましょう。彼らが意味もなくフィン大平原を訪れる筈がありません!」


『はぁ?俺には関係ねーんだが』


「まったくもう…私が聞いてみますよ」


 やれやれ、と呆れ顔で少女が前に出た。ジッとしていた魔女教徒は2人が入れ替わる隙を突いて逃亡する。


「あ…ッ!ま、待って下さい!」


 制止も虚しくローブを翻し木陰の沼へ溶けて、瞬く間に姿を消した。


『あーぁ』


「ちょ、他人事みたいに言わないで下さいよッ!」


 後を追いかけたノエルが木陰に入るが、何の変哲もないただの陰。クルルが確かめるように地面の上で飛び跳ねて小首を傾げる。


『で、どうする?追うか…?』


「……ゼンさんたちの捜索を優先させましょう。もしかしたらさっきの煙弾は魔女教徒に奇襲されてピンチに陥ったからかもしれません」


『…』


 静か過ぎる森が口を開いている。不気味な雨の音だけが鼓膜を揺らしていた。


◆◇◆◇◆◇


 森の中を暫く歩いていると、前方に意外な人物をみつけた。ノエルはすぐさま駆け寄り、声を張り上げる。


「グランベルドさん!?一体どうしたんですか!?」


 木に背中を預け座り込むグランベルドが、苦悶の表情を浮かべていた。その周囲には彼の仲間も倒れている。


「うぅ…。…煙弾を確認して来たら、魔女教に奇襲を受けました…」


「私たちもさっき襲われました…!」


「そう、ですか…。彼らに遅れをとったなど不覚です…」


 グランベルドの身体には魔術により受けた傷があった。強い衝撃を受けたのか鎧が凹み、手甲が外れている。


『クルル、コイツら治してやれるか?』


「ん」


 スレインの頼みなら、と白髪の少女は微笑んだ。負傷者一人一人に触れて魔力を込めると青色の光が辺りを包み、【鋼の剣】のメンバーの傷が癒える。悲痛な表情だった彼らは穏やかな顔で深い呼吸を始めた。


 意識があったグランベルドは自身を蝕んでいた痛みが瞬時に消えて、信じられない思いで両手に目をやっていた。


『流石クルルだな』


「フフン」


 青年の賞賛に、クルルは胸を張る。頭に乗せられた大きな掌に目を細めた。

 

 スレインはグランベルドの前に立つ。


『【三本の杖】のやつらは?』


「消息不明です。…もう、手遅れかもしれません…」


「そんな…」


 唇を震わせたノエルは眉根を寄せた。煙弾が発射されて半刻が経過している。彼がそう思うのも無理はない。


「一度休憩所に戻って作戦を練るべきです。魔女教相手では部が悪い。国に報告すれば、聖騎士を主隊とした大規模な討伐団を結成して下さるでしょう」


 気を失っている仲間を介抱しながら、グランベルドは冷静な判断を下す。


「それじゃ…!もしゼンさんたちが今も生きているとしたら手遅れになっちゃいますッ!」


「…それは…、致し方ありません…」


 眉間に皺を刻んで目を瞑る【鋼の剣】リーダーは、拳を握り込んでいた。

 

「我々を誘き出す為に魔女教が信煙弾を撃ったとも考えられます」


「…でも……」

 

『――勝手に奥地に入った冒険者はどうでも良いが…』


 ノエルとグランベルドの押し問答に割って入ったのはスレインだった。


『魔女教は俺たちに喧嘩を売りやがった。一方的に奇襲仕掛けて来たって事はそういう事だろ?』


 濡れた前髪を掻き上げた青年は不敵に笑う。


『誰かのせいで逃した奴も一匹居るし――』


「う…っ」

 

『俺たちに手を出した事…骨の髄まで後悔させてやるさ』


 グランベルドの背中に悪寒が駆ける。魔女教相手に何を考えているのかと説得するべきだと頭では理解していても、行動に移せない。嘘のように声が出なかった。

 まるで飢えた魔獣の目前に居るような心地で、白髪の青年を盗み見る。


 禍々しく滾る殺意に、グランベルドは身震いをした。



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