39話【不吉を呼ぶ烏】
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魔物とも遭遇せず、いつしかフィン大平原の観光と化していたスレイン一行はその日の調査を終え、シモンの待つ休憩施設へ戻って来た。
「この周囲の担当で本当良かったですね!休憩所も使えるんですから」
『あの胡散臭くていけ好かない冒険者も、案外気の利く奴かもしれねーな』
「それってまさかゼンさんの事ですか?もう…人の善意くらい素直に受け取って下さいよぉ」
店の裏手に厩があり、並んでいる馬をシモンが世話をしていた。
休憩所の中央には照明と暖房を兼ねた魔道具がある。
体を拭いて雨に濡れて下がった体温を温めた。
クルルの髪をタオルで拭いてやる。その間少女は大人しく本を読みながら足を揺らしていた。
『お前も体拭いとけ』
タオルを投げて寄越されたノエルは「へ?うわ、あー!おっとっと…」と危なっかしく受け取った。
「スレインさんがお持ちの“キャリー”は容量大きいですよね」
貸してもらったタオルで髪を挟んで水分を拭き取る。
キャリーとはスレインが持っているような指輪を指す。
俗に言うアイテムボックスの機能がある魔道具だ。
スレインの所有する指輪の中にはガンマ、日用品に加えクルルが仕留めた獲物が入っている。
一般的にキャリーに収納されている物質の時間は停止し、生物であっても鮮度が守られる。ただし、生きている物は入れる事が出来ない。液体は容器に入れてから収納する必要があるなど、その他様々な条件があるが、キャリーの存在は人々の生活を豊かにするのは間違いない。
冒険者や商人にも愛用者は沢山居る。身に付けるデザインや内容量によって価格が上下する魔道具だ。
中でも彼のキャリーの容量は大きい。それこそ、ダイヤ級が1ヶ月に稼ぐくらいの価格で取り引きされる代物である。
「どうやって手に入れたんですか?」
『へぇ、キャリーね…』
「エドに貰った」
「貰ったぁ!?」
手袋の上からキャリーを嵌めた指に目をやるスレインに代わって、クルルが答えた。
譲り受けたと話す少女は日記を懐かしむ。
「ノエル、」
「何ですか?クルルさん」
ノエルの方を向いた白髪の少女は、タオルを掴んだ。
「クルルが拭きたい」
スレインがしてくれるように、未だ濡れているノエルの髪を拭きたいと申し出た。
その純粋で大きな双眸に見詰められると拒否など出来ない。言葉に詰まったノエルは頬を染めて唇を尖らせ「クルルさんって人タラシです…」ともごもご言った。
銀髪の少女を椅子に座らせ、自らはいそいそと背後に回りタオルを頭に被せる。
「コレ邪魔…」
「え!?あ!コレはこのままで…お気に入りで外したくないんですっ」
「ふーん…」
ノエルがしているヘアバンドが邪魔だとクルルが指摘した。お気に入りと言って外そうとしないノエルに、少女は怪訝な顔をする。
時折クルルはスレインの真似をして、料理や掃除に挑戦する事があった。ノエルの髪を拭きたがったのもその延長だろうと、青年は自身の体を拭きながら吐息する。
すると、近くに居た御者たちが騒ぐ声が聞こえた。
『何?どしたん』
「あ…冒険者様…」
休憩所の一角に烏が止まっていた。羽根を休める為に立ち寄ったと思われる。
嘴の先から尾羽までの全長は50cm。ワタリカラスは1つの場所に留まらない特性を持つ。
更にもう1つ、烏は魔女の使い魔だった歴史がある。
「不吉な…。早く追い払わないと…!」
「旦那!箒を貸してくれ!」
「ホラ、これを使いな!」
御者の1人が恐る恐る近付き、箒を振るった。飛び立つかと思われた烏は羽根を大きく広げ威嚇する。
「なんだ!?コイツ…」
『オイオイ…ただの烏だろ?』
追い払う事もないと言うスレインに、御者はめくじらを立てた。
「災厄の魔女の使い魔だぞ!?」
「不吉の象徴だ…」
彼らの根本にあるのは恐れだ。青い顔でガタガタと震え、囲む足取りも覚束ない。
『はぁーー…分かった。追い払ってやるよ』
大の大人が情け無い、と肩を上下させたスレインは鳥に近付く。
『…』
烏が一際大きな声で鳴いた。濁音混じりのその声に、警告の意を感じる。爪が食い込んだ木製のテーブルが、ギシリと嫌な音を立てた。
観察していたスレインが僅かに反応を示す。
雨に濡れて分かりにくいが、烏の身体に羽がほつれたような箇所があった。綿羽に乱れがあり、裂傷が覗いている。
『クルル!』
少女の名を呼ぶと、気付いたクルルが整列したテーブルを飛び越えて浮遊して来た。
「なに?」
『治癒魔法が使えたよな?あれってこっからでも使える?』
「……ムリ。触らないとできない」
クルルの頭に手を置いて『オーケー』と呟く。
羽生を逆立てる烏に近付く青年。明らかな敵対意志を示す動物に接近するにはあまりに無防備だった。
緩慢なスレインの動きが急に俊敏になる。烏の嘴を纏めて握り込み、鋭い爪を伴った脚を押さえた。
「よ、よし!よくやった小僧!」
「流石です、冒険者様!」
日用品を売る店主と御者たちは歓声を上げる。
「仲間を呼ばれないうちに殺してしまった方が…」
「傷があるな…。放っておいても死ぬんじゃないか?」
青年の腕の中でもがく烏を倦厭の眼差しで見下ろす。
渦中のスレインはクルルを呼び『頼む』と一言告げた。
「な、何をするんだ…?」
「まさか…」
少女が小さな体に触れて、漏れ出す癒しの魔力に人々は慄いた。
「止めるんだッ!」
「魔女の眷属を治療するなんて…」
若い御者たちは血相変えて止めに入る。クルルの華奢な肩に手を置いて、引き離そうとした御者の1人をスレインが睨んで威圧した。
『クルルに触んな』
どんな理由があろうと、少女を手荒く扱う者は許さない。
怖気付いた御者は「ひ…」と短く悲鳴を上げ手を離した。
しかし、この世の常識として烏を避諱する理由も分からなくはない。青年の怒気は直ぐに形を潜め軽快に笑って見せた。少なくとも本人にとっては軽快に、愛想の良くニッコリと。
その笑顔は脅しともとれる邪悪さに塗れており、御者は震え上がった。
『アンタらには迷惑は掛けねーよ。少し休ませたらさっさと放すつもりだ』
「…、…」
御者たちは誰一人言葉を発せず、顔を見合わせる。重い沈黙の中「こう言ってる事だし良いじゃないか」と声が掛かった。
「シモンさん…」「シモン爺…」
バケツを持って歩いてきた古株の老人に、御者は道を開ける。
「お前さんたちに面倒は掛けん」
釈然としない彼らを安心させるように、シモンは笑い掛けた。
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休憩所から離れた馬用の宿舎の一角で、渡り烏の治癒が行われる。スレインに押さえ込まれた烏は疲労のせいか、それとも観念したのか抵抗する力が弱くなっていた。
ノエルが不安そうに覗き込む。スレインが烏を持って来た時は酷く驚いた様子で、「その子どうするんですか!?」と頻りに聞いて来た。
クルルの手元が青く輝き、細かな光が川のように漂う。
「終わった」
『お、早いな』
「此処は水のマナが濃いからでしょう」
環境によって大気中に漂う属性マナの量は異なる。大自然には土のマナが、灼熱地帯には火のマナ、というように自然の中に満ちるマナの量には偏りがある。
魔術を使用する際、術者に呼応するマナは個人の属性のマナだ。
よって、水属性のクルルにとって、終始雨が降っているフィン大平原は水のマナに満ち溢れており魔術が強化される。
反対に火属性の者の魔術の威力は落ちてしまう。環境に左右されない魔力量を身に付けていれば威力が落ちる事はないが、戦いにくいのは変わらない事実だ。
「良かったです…」
傷が治った件か、それともスレインが魔女の使い魔と名高い烏を排除しようとしなかった件か、安堵したノエルは胸を撫で下ろした。
『お前は、烏は不吉だとかぬかさないんだな』
「……確かに魔女は恐ろしいですが、800年前の人の使い魔が未だ生きているとは思えません。人々が魔女を忌み嫌うのは分かりますが…彼女に関する全てを世の中から排除しようとするのは間違ってると思います」
魔女に対する心内を吐露したノエルは難しい顔をする。
闇属性に対しても珍しく偏見のない少女の考えの根底を垣間見た気がした。
クルルは傷の塞がった烏を腕に抱えて小さな頭を指で擽る。
「この烏も…もしかしたら人間に傷付けられたのかもしれませんね」
烏は〈アノーラ〉で人々から疎まれる存在だ。街中で見掛ければ、子供でさえも投石や棒切れで追い払おうとする。
魔女が使い魔の瞳を通して世を静観している、4回鳴き声を聞くと不吉、など真偽のほどが定かではない言い伝えもある。
「私は時々…人間が本気で怖いと思う時があります」
力無く視線を落としたノエルは、身震いして自らの腕を摩った。
闇のオドを受け継いだスレインは、彼女の気持ちが痛い程理解出来る。
闇属性の人間は生まれながらにして魔女の眷属だと見做されている。実際にはただの一般人であり、邪悪でもなければ魔女との繋がりもない。
ただし、その事実を知るのは闇属性の者たちだ。世間は聞く耳を持たず虐殺を繰り返している。
大昔、魔女の使い魔に烏が居ただけで、現在全ての烏が差別の対象になっていた。
『つくづく、クソッタレな世の中だな』
ノエルと同じく俯いたスレインは忌々しそうに吐き捨てた。