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32話【厭世を咀嚼】



 ノエルは耳を疑う。メアリーの、ボロボロの体を庇うようにスレインとの間に入った。


「何を言うんですか!?彼女はまだ生きてますッ!絶対に助けるんですよ!」


『るせーよ。この女はもう死んだも同然だ。絶対に殺す』


 2人して立ち上がり、睨み合って激しく口論する。

 クルルはその間、周囲の木箱に食べ物が入っていないか漁っていた。


「直ぐに街に戻りましょう!神殿で事情を話せば治療してくれますッ!」


『そうする理由がねぇ』


 微弱に呼吸する、虚な少女を顎でしゃくる。辛うじて人の原型を留めているだけで、メアリーだった面影はない。

 ヘンリーが見せた写真の中で微笑む彼女とは似ても似つかない。それ程に悲惨な状態だった。


「…っ、スレインさん、お屋敷で思いましたが貴族の方が嫌いなんでしょう?」


『確かに貴族はクソが付くほど嫌いだ』


 ヘンリーの屋敷でも神経質そうに顔を顰めていた。


 貴族同士の作法の一つ、目上の者から出された茶は飲み干すという礼儀も完全に無視し、出された菓子と茶に一切手を付けなかった。

 作法を知らない冒険者はよく居るとヘンリーたちは気にしなかったが、スレインは知っていて敢えてこれを無視した。


 今の言葉でノエルはそう確信した。


 彼は貴族のマナーを知った上で、彼らに”気に入らない“と自己表現をしたのだ。

 

「だからって、クエストに私情は持ち込むべきじゃありません!」


『…、私情じゃねーダロ。現にコイツは死にたがってる』


「本当に死にたいって思う人なんて居ませんよ!きっと、ちょっと混乱して…」


『――本当に死にてー奴なんて居ない…?』


 スレインの目が鋭くなる。


『本気で言ってんのか?』


「本気です!例え何もかもが嫌になって人生に絶望したとしても、全部乗り越えられます!彼女もいつかきっと、生きてて良かったって笑える日が来ますッ!」


『そんなん、絶望じゃねぇ。お前は本当の絶望を知らねー』


 瘡蓋のようにこびり付いた情景が、青年の脳裏を駆ける。

 スレインの醸し出す空気と語気に気圧されたノエルが息を飲む。


『絶望ってのは簡単に這い上がれる程、なまっちょろくねぇ。最悪の最悪には底ってもんがねぇーからな』


 その言葉は重く、深淵から覗かれているような尾を引く不気味さがあった。


『希望を持つのは勝手だが、それを押し付けるな。かもしれねーって不確かなエゴで、死ぬ人間を気紛れに助けるな』


「気紛れって…!」


 思いやりの無い厳しい物言いにノエルは眉根を歪める。

 拳を震わせる彼女は銀髪を振り乱した。


「ス、スレインさんは、メアリーさんの…彼女の何を知ってるって言うんですか!?」


 言い切ってハッとする。それはノエルにも言える事だった。

 彼女はメアリーの何も知らない。何も知らないから想像するしかない。

 

 彼女の精神が瞬く間に回復して、笑っている未来を願うしか出来ない。


『――ソイツの目…』


 ポツリと、青年が零す。


『昔の俺と同じ目だ。こうなったら、例え治癒魔法で傷が癒えても壊れた精神までは治せねー』


 岩壁に体重を預ける貴族令嬢を見遣る。

 掛けたローブがズレても、一切の反応を示さない。空虚な瞳は遠くを見詰めているが何も視ていなかった。

 赤子のように口元から唾液が漏れ、微笑んでいるとさえ錯覚する。


 弱気になって、堪えて、生唾を飲む。


「それでも…助けるべきです…。きっと彼女のお父さん…ヘンリーさんだって、」


『あの親父の頭にあるのは娘を嫁がせて伯爵家の温情を得るっつークソ甘えた私欲だ』


 ノエルの願望を打ち砕くように、スレインが言葉を被せた。

 

 彼にはウィリアムズ家の財政面は緊迫しているように感じた。

 それは屋敷にあった数々の調度品が傷んで放置されていた事や、メアリーが流行りのドレスを着用していない事、屋敷の広さに対して使用人が少なかった事などが起因している。


 思わぬ青年の発言に狼狽えて「そんな…事…」と言い淀んだ。


『ねぇと言い切れるのか?娘の無事より伯爵家との婚約の心配をしてやがったあのジジィを信じれるってか?』


「か、考え過ぎです!」


『コイツは子爵家のお嬢サマなんだよ』


「…?どういう…、…」


 意味を掴み損ねたノエルは怪訝そうに首を傾げる。


『あの時はお前の言う事を聞いてやったが、今回は譲らねぇ。この女は此処で殺す』


 向き直ったスレインには確かな殺意を感じた。


 【ドラゴンの尾】は見逃したが、メアリーは殺すと頑なに宣言する。一体何が彼をそうさせるのか分からない。


「スレインさんの分からずやッ!どうしてそんな残酷な事言うんですか!」


『残酷なのはお前だろ』


「え…?」


 泰然と答えられ、呆然とした。

 メアリーを助けるノエルが残酷だと青年は言っている。


 すると、スレインは後方の木箱に上半身を突っ込んでいた少女の名前を呼んだ。

 縹色の双眸を瞬かせて「何?」と両足をついたクルルは青年に歩み寄る。


『このうるっせー女連れて、巣穴を出ろ』


「分かった」


 二つ返事で了承したクルルは浮き上がり、ノエルの服を引っ掴む。

 首の後ろを掴まれた少女は喚いた。


「ちょ、待って…!クルルさんっ」


 メアリーの体が、スレインの背中で見えなくなる。有無言わさずクルルに引き摺られ、通路に連れ出されそうになったところを岩にしがみ付いて耐えた。


「スレインさん!何をするんですかッ!?」


 青年がメアリーの前で屈むのが見える。


「ダメ…、ダメですッ!」


 首を振って制止を促すが聞いてくれもしない。まさか本当に、何の罪もない少女を殺害してしまうのか。


 スレインが『…ブライアー』と呟くのが聞こえた。


「ダメーーーーーーーーッ!!」


 ノエルの裂けるような絶叫が洞窟に響く。

 禍々しい闇の焔がメアリーを襲うのを目撃した。彼女はその光景を最後に、クルルに引き摺り出されてしまう。

 

 少女たちは通路の暗がりに消えた。


 1人残ったスレインは壁に寄り掛かった体勢の彼女を地に寝かせる。黒炎を巧みに操りメアリーの体を包み込む。


 彼女の右手が固く握られている。興味をそそられ中を確認した後、スレインは何も言わずメアリーの両手を彼女の胸の位置に置いた。

 

 メアリーの瞳に涙が滲んでは蒸発する。苦しませる間もなく一気に火力を上げ、彼女の命の灯火を闇で飲み込み掻き消す。

 

「… …、… が と……」


 確かに聞こえた言葉に目を見開き、唇で弧を描いた。


『ばぁーか。自分が殺される時に、んな事言う奴いねーよ』


 言葉とは裏腹にその声は穏和で寂寥に満ちている。

 少女の身体は炎上し、勢いは増すばかりで木箱にも燃え移った。散らばる衣類や革、侍女、護衛、御者まで縫うように飲み込んでいく。


 青年を中心にとぐろを巻く黒炎は高温の熱で辺りを包んだ。業火の中でスレインは妖しく笑う。

 

『…ハァア~…久々に血が見てぇ気分…』


◆◇◆◇◆◇


 洞窟の入り組んだ道をクルルは飛行して、子猫のように掴み上げたノエルを運ぶ。


 その間も少女は何度も同じ事を喚いていた。


「クルルさん、戻って下さいッ!メアリーさんを助けなきゃ…」


 じたばたともがくが手も足も出ないとはこの事だ。クルルはノエルの抵抗に虫を払う程度の手間しかかけていなかった。


「戻らない。スレインが行けって言った」


 にべも無く断る彼女に「クルルさんの、そのスレインさんに対する全面的な信頼ってどこから来るものなんですか!?」と、前々から気になっていた心内を吐き出す。


「どこ…?……、?」


 難しく考えたクルルは場所を探そうとした。


「えっと…なんでそんなに、スレインさんを信じられるんですか!?」


 意味が正しく伝わってないと察したノエルは、出来るだけ分かり易く説明する。


「スレインだから」


「…、」


「スレインだから信じられる」


 迷いのない彼女の言葉。彼を全面的に信頼しているクルルは見方によっては盲信的だとも取れる。

 その根本にあるのは深甚なる恩愛、溺愛、純愛――。


「スレインは優し過ぎるところ、ある」


「や、優し過ぎるぅ…?」


 白髪の少女の発言を、疑いをもって聞き返した。

 近日の非道な扱いを思い出すと涙が出る。一体何処に優しさがあったのかと皆目見当がつかない。

 慈悲の欠片も無い彼に、何度地面に額を擦り付けた事か。


「ん。凄く優しい」


 頬を赤くして惚ける彼女に「何処がですか!?」と正直な反応を示す。


「スレインさんは…メアリーさんを殺そうとして…っ」


 まだ息のある少女を殺害しようとしていた。彼が纏う闇の焔を思い出す。

 こうしている間もメアリーが危険だ。助けに行かなくては。


「きっと、ちゃんと理由がある」


 クルルはそう信じている様子だった。

 彼女にとって何が正しくて何が間違っているかなどに興味はない。

 人間の女の命もどうだって良い。認識に正義も悪も無い。


 スレインこそが彼女の総てだ。そして、それは逆も然り。


「ノエルもいつか分かる」


 深く、揺るがない信頼関係が少しだけ羨ましい。

 頭上のクルルを盗み見て、そんな事を思ってしまった。


 視線を前方に戻すと、横並びに整列する小鬼が見える。


「ま、前にゴブリンが…!」


 身の丈は120cm程度。魔物の革や毛皮を衣類として身に付け、甲虫種の硬い殻を鎧として仕立てている。

 手に握る武器は棍棒や鈍器だ。奥には弓矢を持っている個体もいる。


「リッカ」


 クルルの魔術により前方のゴブリンが一瞬にして氷漬けにされた。


「氷の魔術!?クルルさん、貴女…、」


「何?」


 ノエルはクルルの魔法を目にするのは初めてだった。

 水属性、最高峰の高みを目撃して鳥肌が立つ。通路に満ちた冷気が、その光景が夢ではないと教えてくれる。


 凍結したゴブリンたちの上を飛び越え、止まる事なく飛行し続けた。


 入り口に近付くにつれてゴブリンが多く姿を見せる。ノエルが両太腿のハンドガンを取り「ッ、ウェルナー…!」と魔力を込めた。

 

 棍棒を振り上げて向かってくるゴブリン目掛けて射撃する。発砲音と共に、小鬼の眉間に穴が空いた。


「何?今の…」


 鼓膜を震わせた轟音に、クルルは眉を寄せる。


「古代魔道具のハンドガンと呼ばれる武器です!」


 ピンときていない少女は、ノエルが握る変わった形状の武器を見た。

 

 黒い銃槍とグリップに、銀の装飾が施されている。


「私、魔術が苦手で…でも物に魔力を込めるのは得意なんです!」


 会話をしながら、また寸分違わず眉間に弾丸を撃ち込む。


 ノエルの持つ2丁のハンドガンは古代魔道具の一種だ。失われた過去の遺物であり、帝国でも珍しい武器。弾丸はノエル手製の鉛を煮詰めて作成した鉛弾。


 魔力を込めて威力や速さを調整する事が出来る。


 ノエル・フランチェスタは魔術が得意ではないが、緻密な魔力操作の才に恵まれた。物質に魔力を送る、魔力で包むなどの高等技術に長けている。

 彼女の魔力系統は風属性であり、ハンドガンとの相性も良かった。


 天井付近の突起に潜伏していたゴブリンを絶命させ「此処…ただのゴブリンの巣じゃないです!」とクルルに訴える。


 ゴブリンは単純な造りの洞穴や、遺棄された炭鉱に住み着く。知能が低いが故に拡張などの考えには至らず、手狭になると群れを分断する。

 だが、この洞窟には明らかな拡張の跡、道具を使って掘っていた形跡があった。


 適当に大きくしている訳ではない。明確な意思を持って、穴を掘っている。通路が入り組んで方向感覚を見失いやすく作られているのも、侵入者を惑わす為だ。


 通路は行き道よりも分かれ道が多く感じる。侵入者の進行方向とは逆に折れ曲がった穴を結合させる事で、挟み討ちや奇襲がしやすい造りをしている。


 入り口の小さな足跡もくっきりと残されていた。まるで、小さなゴブリンしかおらず、非力で少数の群れであるかのような演出。


 襲った人間の荷物や馬車を人目に触れないように掩蔽(えんぺい)する抜け目のない姑息な智恵。

 

 狡猾な罠を張るゴブリンなど聞いた事がない。

 

「どうしましょう!?メアリーさんだけじゃなく、スレインさんも危険かもしれませんっ!」


 此処には得体の知れない何かが潜んでいる。ゴブリンに知恵を授け統率する者が、確かに居る。


 駆け巡る不安を吐き出して、読み誤った自らを悔いた。


「……スレインは、きっと大丈夫」


 クルルの囁くような、赤子をあやすような声。凛乎(りんこ)の響きは、焦燥したノエルの心にいつまでも残っていた。



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