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18話【漸増の黒・吸血鬼】



『ミッド・ブライアー』


「…!!」


 2人の狭間に黒炎が燃え上がる。

 ジャミルが咄嗟に腕で受け止めようとしたが焼け爛れた。とても受けていられない。

 皮膚が剥がれ肉が焦げる。闇に包まれているのか、光を浴びているのか分からなくなった。


 殺った――。青年の顔に邪悪な笑みが刻まれる。


 彼が今扱える最大火力の魔術だ。黒い焔を操れるのはこの〈アノーラ〉の地で深紅瞳黒炎帝龍レッドアイズ・ダークネス・ドラゴン以外に居ない。彼らの象徴とも言える暗黒の炎は、その強大な威力に誰もが恐怖する。

 魔力の消費が激しいが、身を削らねば吸血鬼には勝てない。


 ジャミルの姿が炎に掻き消え勝利を確信したその時、明後日の方向から声を掛けられた。


「楽しいかね?」


『あ゛?』


 濁音混じりに顔を向けると、背後に声の主、ジャミルが寄り添っている。視界の端にサーベルの輝きを捉えたレインは瞬時に飛び退いた。

 跳躍の最中、体に自由が戻ったのを自覚する。


 それよりも何故、奴が背後に居たのか。何が起こったのか慎重に見定める。


『…、…テメー、ゴキブリかよぉ~』


 ジャミルの生命力は異常に思えた。確かに黒炎を真面に受けた。その影が炎の中で崩れ落ちるのも目視した。

 焔に飲まれた影が彼のマントだと気付くのに時間は掛からなかった。


 全身重度の火傷を瞬く間に治癒し、何事も無かったように涼しげに笑う。


「青年の悪足掻きもなかなか楽しかった。だがそろそろジッとしてもらおうか」


『ハハハ、ガキの頃ジッとしとけって母親によく言われたっけなぁ…』


 目を細める青年は遥か遠くを見詰める。


『ハハ…あん時は…あー…。…テメーがこんな所へ…こんな糞溜めに閉じ込めやがったせいで余計な事ばかり思い出す』

 

 譫言を呟き足元に視線を落とした。前髪の隙間から覗く琥珀に宿る憎悪が濃くなる。


 一歩前に踏み出すと足元に鮮血が落ちた。出所を辿る。背後からジャミルに接近された時、刺突に襲われた。

 左肩に空いた風穴から多量の出血をしている。


『ふん』


 手に黒炎を灯して肩に押し付ける。肉の焼ける匂いとともに血が止まった。火傷により固められた傷は目も当てられないが、青年は平然と歩き始める。


「子供らしくない…」


『子供ぉ?オイテメー、俺を幾つだと思ってんだ?』


 問い掛けに対し、ジャミルは一考に耽り「精々17~20程度であろう?血がそれくらいの味だ」と答えた。


『人間は17歳で成人なんよ。んで、俺は18…いや、待て…此処に来て少なくとも20日は経ってるな?』


「正確に言えば25日だ」


『じゃぁ19だ。水潤月の10の日は俺の誕生日だったからな』


「人間の寿命は短いもの。我輩にとっては皆等しく赤子のようなものだ」


 吸血鬼に年齢を説くのも馬鹿馬鹿しくなり、レインは溜め息を吐く。


『テメーは生きすぎなんよ。そろそろ御陀仏したらどうだ?』


「不死身なのだから仕方ないであろう?」


 吸血鬼は例え致命傷を受けようが生命活動を続け、傷は直様回復する。胸に杭を打っても、首を刎ねても死なない。


『はは、不死身だぁ~?本当に不死身だってんなら世の中は今頃吸血鬼が蛆虫みてぇに蔓延ってる筈だろ?』


 最高種族を蛆虫呼ばわりされ、ジャミルは険しい表情になった。初めて見せた忿懣にレインは気を良くする。


『とんだデマが流れたもんだぜ。お前以外の蛆虫はみぃんな、剣聖の家系に根絶やしにされてんのにな』


「…剣聖か」


 魔女が滅された後、吸血鬼は度重なる戦いの果てに同様の家系に駆逐されていった。彼にとっては同胞を数え切れないほど殺された憎き血族だ。


『ハハ…!知ってんだ?知ってて何もしてねぇって事はソイツが怖くてこのクソボロい屋敷で震えてやがったな?あは アはハ!』


「勘違いするな。我輩は長い間眠りに就いていただけ。強者というのは人並外れた力を持つ為の代償があるのだ。魔女との契約とはそういうもの…」


『へぇ?まぁ、んなのどうでも良いサ。それより、一族が滅ぼされちまったんだ。魔女(ママ)に泣き付いたらどうだ?』


 魔女、と言葉が出た途端コバルトグリーンの瞳が鋭くなる。暫く睨み合った末、ジャミルが視線を切り息を吐いた。


「安い挑発には乗らんさ」


 青年は軽く肩を竦めて見せる。


『つまんね。突っ込んで来やがったらミンチに出来たってのに。…っと、イビル・ブライアー!』


 青年が右手を掲げると、ジャミルの周囲に大量の黒い投擲槍の形状をした光が配置される。

 等間隔で旋回していたソレは上下に増殖し、中心に居るジャミル目掛けて一斉に解き放たれた。


 建物全体を震わす爆音が轟く。爆風が辺りを揺らし近くにあった鎧を薙ぎ倒した。北側の塔は半壊し、洞窟の壁面が露出する。

 床に刺さった投擲槍は焔になって消え去った。


 立ち込めた煙が晴れる間際、場違いな拍手が響く。


「やるではないか青年よ」


 笑みを湛えたジャミルが手を打ち鳴らしていた。黒槍による裂傷、胸を貫いた空洞、肩の深く抉れた傷口もみるみるうちに癒えて完治する。


「今度は我輩の番か?」


『無理すんなよ800年歳の耄碌(もうろく)ジジイが!』


「イ・レミオ」


 ジャミルの後方にいつの間にかあった赤い球体。

 巨大な球は血液のように波打っていた。


 見定めていた最中、球体は形状を変え、まるで雲丹のように自由に針を伸ばしレインを襲う。

 不規則な動きの針が血を吸おうと猛威を振るう。


 先迄居た場所が強靭な針によって毀損されていく。次々に追い掛けて蹂躙せんとする赤い先鋭がバク転する青年の頬を裂いた。


『…っ』


「おやおや…、人間の体は脆弱だ」


『そーっかもしんねぇ、…なぁッ!』


 竜人のように強固な鱗で覆われていたなら弾いていたし、獣人のように剛健であったなら防いでいたかもしれない。

 〈アノーラ〉には様々な種族が混在しているが、一部の特別な者を除いて人間が弱種なのは知られている。


 絶え間なく強襲を受けるレインは、紙一重で致命傷を避けつつ言葉を紡いだ。


「吸血鬼になれば、永遠の命と強靭な身体が手に入るぞ」


『ぁあ?興味ねぇ、よ!今1番興味あんのは、テメーをどうやって殺してやろうかっ…て、事!くらいだなぁ』


 アクロバティックな動きで針を潜り抜けてジャミルへ接近する。


 超人的な動きで刺突を掻い潜る青年に、操る針を集結させた。

 加速した針がレインの腹部に刺さる。


『ぐ…ッ』


 奥歯を噛んだ彼は舌打ちをして、吹き飛ばされる間際にジャミルの腹を蹴飛ばした。


 双方が正反対に飛ばされ木片が舞う。


 壁に埋まったジャミルが埃を払い、レインが吹き飛んだ方向へ爪先を向ける。折れた肋骨をひと撫でして修復し、床に散ってる血液に目をやる。


 これ以上彼の血を無駄にするなど、美食家として許されない。早く同胞にしなくては、虚弱な人間は死んでしまう。


 ジャミルの焦燥を他所に青年は忽然と姿を消していた。


◆◇◆◇◆◇


 屋敷の西塔の書斎で壁に背を預け、荒い呼吸を整えていた。腹部に2つ風穴が空き流血している。此処を嗅ぎ付けられるのも時間の問題か。


 多量の血が滲む傷を押さえる。苦しげな息が書斎に篭る。

 此処は他の部屋と違い僅かに清掃の跡があった。


『…あの野郎、何度も回復しやがってチクショー』


 天井の隅で身を寄せる蝙蝠が数匹、我関せずと顔を洗う。


『クッソいてぇ…』


 部が悪いのは明らかだ。吸血鬼の不死身の真相を突き止めねば勝利はない。剣聖の家系は何らかの方法で奴らを滅している。

 疲労の溜まる頭で思考を巡らせた。


 悪鬼の退治法として語られるのは太陽の光、銀の武器、心臓へ杭を穿つ、神聖魔法、ニンニク、神殿ケルト十字のシンボル。


 此処は太陽の光など差さない洞窟の中だ。闇属性の彼に光属性の神聖魔法を試す方法など無いし、銀の武器を屋敷に置いているとは考えにくい。

 心臓へ杭を打てば死滅するとの事で黒炎の投擲槍を突き刺してみたがピンピンしていた。

 ニンニクは初めて出会った時食卓に芳ばしい香りが立ち込めていたので、デマと考えるのが正しい。


 そこまで思案した後、僅かな違和感に眉を寄せる。今まで見てきた光景の中に矛盾がなかっただろうか。いつだったかこの屋敷で微かな幸運を目にしたような…。


 いくら考えても思い出せない。追蹤に靄が掛かったような不快感に嫌気が差し、書斎を物色し始める。


 ジャミルを殺す、何かヒントがあれば…。


 館には至る所に様々な武器が飾られていた。嘗て攻め込んできたヴァンパイアハンターの所持していた武器で、ジャミルの趣味により戦利品として屋敷に置かれている。

 片手剣、小楯、片手斧、両手槌…多種多様の品があるが、銀製のモノは一つとして無い。

 命取りになる純銀の武器など安易に飾る筈も無い。


 机に散らばる書類を手に取る。埃を被り古臭い羊皮紙は保存状態が悪くホロホロと崩れた。

 やはりマリアーナとジュリエーナに清掃の才能は無いと元従者(ヴァレット)は呆れる。


 散見するのは魔女について書かれた文献だ。積年の埃を指で拭い黙読する。歴史が記されているのみで、大した事は書かれていない。


『なんだぁ?結局マザコンってか?』


 周囲には【原初の黒:エルヴィラ】について書かれた書物が積み上げられている。


『エルヴィラ…ね。言ってみるとただの名前だな』


 あれ程恐ろしく思えていた名も、呼んでみればただの音だ。昔の自分は一体何を恐怖していたのだろう。

 名を呼んだ、書いただけで禍が降り掛かるなど今思えば馬鹿馬鹿しい。


 それより人間の方がよっぽど――。


 レインの頭中に今まで出会ってきた人物の姿が流れていく。


 気付けば眉間に皺が寄っていた。胸糞が悪い。胸の痞えが煩わしく、小さく息を吐き視線を切る。


 すると本棚が並ぶ壁の向こうから異様な気配を感じた。


◆◇◆◇◆◇


 青年の血の匂いを辿る過程で横切った、荒れた正面玄関。馨しい香りは厨房へ続いている。


「しかし…どういう原理だ?」


 漆黒の炎を扱える人間の存在など、今まで生きてきて耳にした事も無い。

 死の境地に追い込まれた人間は精神が肉体を凌駕して驚くべき底力を発揮する事がある。これは人間の危機察知能力のリミッターを取り払った状態だと認識していた。


 青年はこれに該当しない。元々人間の中でも脆弱な部類だった。その彼が吸血鬼と対等に闘える筈が無い。


 魔女に創られた中でも四大巨悪と呼ばれた一つ、【漸増(ぜんぞう)の黒・吸血鬼】。


 800年前、魔女エルヴィラは世界を滅ぼす為に様々な生物を生み出した。その中でも世界に災害規模の被害を与えた魔物を四大巨悪と呼ぶ。


 その一つ柱の吸血鬼は他の種族を同族に変化させ増やす事に特化している。


 剣聖の家系に滅ぼされたと書物には記録されているが初めの1人、ジャミルは生きていた。

 彼は純血主義で同胞を増やす事に執着していない。純潔の者以外は家畜同然であり、皆頭を垂れて然るべきだ。


 その彼が初めて、心から同族にしたいと思える人間に出逢えた。


 あの青年は特別だ。血の味が甘美なだけではない。今の彼の度胸、戦闘力、魔力、どれを取っても逸材だ。


 彼を思うと一層喉が渇く。ジャミルの喉が動いた。


 あの生意気な世間知らずの青年に教え込まなければ。今後主人に歯向かうなどと馬鹿な考えが浮かばぬように。

 その後で啜る血の味は格別に違いない。今日はまだ血を口にしていない。一体どんな味になっているだろうか?


 ジャミルは湧き上がる衝動を抑えるように喉を掻き毟った後、髪を撫で付け整えた。


 嘗ての栄光と富貴が寂寞に沈む広間。階段を降りた所でジャミルは足を止める。反対側の廊下の暗がりから何者かが歩いて来たのが分かったからだ。


 厨房がある向こう側から風体を現す。


「鬼ごっこは終わりかね?無駄だと諦めて観念したか」


『嗚呼…、終わりだ』


 2人の距離は縮まらない。対角線上に居て、腹の探り合いと視線での牽制が続く。


 レインの腕には小さな宝石箱が抱えられていた。その箱を見た途端ジャミルの目の色が変わる。


『お、気付いたな?書斎で見つけたんだ。本棚の裏の隠し部屋にあったんだが…蜘蛛の巣やら埃やら気色悪ぃのなんのって』


 肩を払い埃を落とす青年。宝石箱を入手した場所は余程埃っぽかったようだ。

 細かい細工が美しい、血のようなルビーを埋め込んだ漆色の小箱。


「返したまえ。それは人間が持って良いモノではない」


『あっれぇ~?コレそんなに大事なん?』


 口が左右に裂けた美しくも悪魔のような微笑みを浮かべた。

 青年は箱の中身を既に承知で知らぬ存ぜぬを貫き、反応を楽しんでいる。


 ジャミルのこめかみに青筋が立つ。


『ホント悪趣味だよなぁ~』


 宝石箱の錆びた留め具を壊し、中の物を取り出す。嬌笑する青年の手には心臓が握られていた。

 ソレはまるで生きているかのように小刻みに跳ねている。


『自分の心臓を抉り出すなんて引くわ』


「人間には理解出来まい」


 上位の吸血鬼は不死身の身体を手に入れる為に己の心臓を取り出す。

 結果、武器で胸を射抜かれようと、斬首されようと悶死せぬ不死の身体を手に入れる。

 魂を分けるこの儀式で陽の光こそ克服出来なかったものの、もはやそれ以外に彼に弱点は無い。

 

『おえ~ビクビクしてんの気っ色悪ぃ…』


 ひとりでに鼓動する奇妙な現象に、レインは顔を歪めた。


「此方に渡したまえ」


 淡々と言って手を差し伸べてジャミルが促す。


 青年は彼を一瞥すると子供のようにニンマリと笑った。手元の心臓を爪を立てて握ぎり締めてやる。

 苦悶の表情を期待していたレインは、ジャミルの顔色を確認して拍子抜けした。


『チッ…つまんね』


「無駄だ青年よ。君では我輩の心臓に傷一つ付けられんだろう」


『どうかな――』


 口角を持ち上げていたジャミルの胸に、突然痛みが走った。

 驚愕の面持ちで胸を押さえ、レインに注目する。久しく感じていなかった激痛に、脂汗が滲み出た。


「どういう事だ…っどうやって…」


 冷徹な嘲笑を浮かべる青年の手中の臓器にフォークが深く突き立てられていた。

 まさか食器を使用するなど思いも寄らなかったと同時に、食器如きで痛みを患った羞恥。そして直ぐに思い至る。


「そのシルバーは…」


『嗚呼、お察しの通り純銀製だ。あんたが高慢な貴族で助かったぜ。昔から見栄っ張りな金持ちは銀のシルバーを揃えずにはいられない』


 昔から富裕層の者、支配階級、上流階級の貴族は好んで銀製の食器を好んで使っていた。手入れが大変な銀製の食器を使う事で使用人を雇える経済力を示したのである。

 子供の頃から散々見てきた。散々磨かされ、終わらなければ飯すら与えられなかった。


『ダメだぜ?自分の弱点を屋敷に置いとくなんてサァ』


 本来、純銀であっても食器などでジャミルを傷付けるのは困難だ。


 キッチンから拝借した散財の証のシルバーは手入れが行き届いておらず変色していた。

 物は試しと青年は己の魔力でナイフを包んだ。それにより食器の形で剣のような切れ味を再現する事が出来た。


 憎き相手の苦艱が滲む面を目の当たりにし、青年は高揚した。


『ははハ は…っ』


 清々しい。ジャミルの悲痛な表情が極上の歓喜に変わる。

 レインはフォークを心臓から引き抜き先端を舐った。



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