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16話【退廃の味】



 レインは頭を振る。とうとう目までイカれたか。大昔の出来事を思い出すどころか、幻視している。恰も目の前で繰り広げられてるかの如く、当時を目撃した。

 湿地の粘ついた湿気や、水飛沫まで確かに感じたのだ。


 これが極度のストレス、又は睡眠不足による幻覚だとしてもタチが悪い。


 今度は右側に少年が蹲っていた。先程より少し成長している。場面は移り変わり、そこはスペトラード伯爵家の庭だった。真新しい調度品が目に付く。


 ダリアの花が咲き誇る花壇の脇に、召使の少年はしゃがみ此方に背を向けている。


 レインは奴隷商に売られ、帝国に流れた。


 人間の子供は比較的売れやすい。直ぐに買い手が現れ、商談は円滑に進んだ。

 帝国の子爵貴族に売られたレインは、まず礼儀作法を叩き込まれた。

 言葉を間違えると手鞭で叩かれ、失敗すると杖で脛を小突かれる。度を超えた熱心な教育により、完璧な礼儀作法(マナー)を覚えるのに時間は掛からなかった。


 そして転機が訪れる。


 当時仕えていた子爵家が、伯爵夫人の懐妊祝いに献上品としてレインを差し出したのだ。

 奴隷として使い潰しにされると身を縮めたが、マルグリットはその様な事はしなかった。


「レイン」


 優しい声が響く。燃えるような赤毛の、髪の長いドレス姿の女性が歩いて来た。


「何をしているのです?」


 凛とした淑女は屈み込む少年に尋ねる。彼は「小鳥が…」と困った顔をした。

 見れば1羽の鳥がレインの掌でもがいている。


『申し訳ありません、マルグリット様…。飛べるようになるまで、面倒を見ても宜しいでしょうか』


 窺いを立てる少年に、伯爵夫人は「レインは優しい子ですね」と目を細めた。


 “優しい子”。


 両親がそう願い、名付けた本源。

 慈雨のように優しくあれ。いつしかそれはレインを縛る呪いになった。


 優しく在らねばならない。


 身を挺して庇い、生かしてくれた両親の為にも。

 2人が願った通りに、2人のようにいつでも謹厚に、懇切に、柔和に。


 レインは目立ちたがり屋で恐れ知らず、活発な性格から、穏やかでひたすら優しい青年に成長した。


 朝日に溶けてしまう程に存在が希薄。それは奴隷の彼が身を守る為、無意識に気配を殺していたからに他ならない。


 レインは自我を晒さないし、話さない。属性を隠すがあまり秘密主義が身に付いた。

 悟られぬよう常に気を張っている。しかしそれを微塵も、態度に出したりしない。

 どんな時も笑って愛想を忘れず、一歩引いて見ていた。それは謹厚に似た、ただの自己防衛だった。


 世界が音を立てて砕ける。


 足元が崩落し、暗闇の中に落ちた。砕けた世界の破片と共に下へ下へと堕ちていく。



 フと気付けば、また悪辣な貯蔵庫へ戻っていた。


 いつの間にか眠って、夢でも見ていたのかと思い返す。満開に咲くダリアの香りが、まだ残っている気がした。


 今度は、レインが座っている左側で物音がした。顔を向ければあの少年が、また花壇の脇で座り込んでいる。

 小さな背中が頻繁に動いて、懸命に何かをしていた。


 暫く考え、レインは立ち上がった。少年の横に並び、彼の手元に視線を落とす。レインには少年が何をしているのか、見る前に既に分かっていた。


 小箱に花が敷き詰められ、その中に小鳥が入っていた。献身的な看護も虚しく、小鳥は命を落としたのだ。


 少年は鳥の為に墓を作っていた。

 

『優しくして何か得られたか?』


 レインが少年に向けた言葉は、自分でも驚く程に冷めていて鋭利だった。


「何かを得たくてしてるんじゃないんだ。これは、…2人が望んだ事だから」


 穴を掘る手は止めず、少年は小さく笑う。


『馬鹿か?それを口癖にしていた2人の最期を見た筈だ。尽くしていた村に密告された。奴らに殺されたようなもんだ』


「見返りを求めてるんじゃないよ。これは、僕の自己満足さ」


 哀愁満ちた様子で箱を撫でて、少年は掘った穴に小箱を入れた。

 土を被せている小さな身体を、多少の苛立ちを覚えて見ていると、世界が闇に飲まれる。


 蟲の形をした大量の闇がそこらじゅうを伝う、非現実的な光景。見ている全てに蟲が張り付き、少年は勿論、鳥の死骸や囲む花々、噴水など順番に埋もれていった。

 地面を覆った蟲がレインの足元から体へ這い上がってくる。眉根を歪めて嫌悪感を露わにした。



 気がつくと、そこは屋敷の廊下だった。その通路を今までに何度も往復した記憶が蘇る。

 近くで諍いの声が聞こえたので、足は自然にそちらを向いた。物置の中から激しい物音がする。


「奴隷が!貴様など生きてる事が国の汚点だ!」


 同世代の使用人に囲まれた少年が、尻餅を突き頬を抑えていた。殴られたようだ。

 少年は「申し訳ありません…」と力無く謝る。


「奴隷の癖にマルグリット様の召使だと?俺達を差し置いて…ふざけるな!」


「申し訳ありません…」


 がなり立てる召使たちに対し、額を地面に付けて頭を垂れた。その顔に唾を吐き掛けられる。


「思いあがるなよ愚民が…貴様はその顔で床を掃除しているのがお似合いだ」


 上等な革靴で頭を踏まれる。その様はあの日――団長に食い下がった日を彷彿とさせた。


「縮こまって生きていけ!」

「奴隷は奴隷らしく肥溜めでも攫ってろ」

「魔法の1つも使えねー癖に!」


 少年が袋叩きにされている様子をすぐ近くに座り、頬杖を突いて静観する。

 誰もレインに気付かない。当たり前だった。あの時、他には誰も居なかったのだから。


 殴られ、蹴られる度に押し殺したような声が漏れた。


 疲れた使用人達が散った後、虫の息の少年に声を掛ける。


『ホラ、弱ければ淘汰されるだけだ』


 搾取されている今の自分のように。


「…、でも……きっと」


 少年の口が小さく動いた。

 彼の考えている事が手に取るように分かる。いつか分かり合えると、まだ希望を持っている少年の思考に嫌気がさした。

 無性に苛立って目の下が痙攣する。


『お前に正しい解をくれてやる。全ての答えは今の俺だ』


 小さな少年は腫れ上がった顔でレインを見上げた。


『無様に這いつくばって目の奥の俺を見ろ』


 青年は、倒れる少年の目を無理矢理こじ開けて、双眸を覗き込む。

 ガラス玉のような琥珀に、血塗れで椅子に座る白髪の男が映り込んだ。


『この世は弱肉強食だ。弱ければ死ぬか、尊厳を踏み躙られる。慈悲を期待しても無駄だ。救いは無い。優しさなんて、何の意味も無い』


 身をもって体現していた。少年の腫れた目から一筋涙が零れる。


 世界が歪んだ。


 辺りが闇に飲まれ寸分の光も届かない。空気の中を揺蕩うような感覚。闇に包まれているのか、それとも自分自身が闇なのか境界が分からなくなる。上も下も左右もない。あるのは広がる漆黒だけだ。



 急に、存在を引っ張られる。無かった身体が形成され、気付けば自室に立っていた。


 屋敷の中に与えられた居場所。元々物置きだった部屋を改築して作られた、彼の心の安らぎ。

 自室を与えられた。まるでそれは此処に居ても良いと、必要なのだと言われているようで…。


「げほ、げほ」


 ベッドに横たわる青年は苦しそうにしている。肌は汗ばみ、顔が赤い。サイドテーブルに乗った洗面器には吐血の跡が窺える。

 主人の毒味で死に掛けている青年を一瞥したレインが、無遠慮にベッドに腰掛ける。使い古された薄くて固いマットレスは重さも吸収しない。


『気が済んだか?周りにどれだけ優しくしても、お前が死に掛けてる時には誰も優しくしてくれない』


「はぁ、…はぁ…。良いんだ。僕がしたいだけなんだから」


 薄弱の笑みを浮かべる。それを聞いたレインは舌打ちをした。


『お前は偽善の塊だ。虫唾が走る』


「…」


 避諱感に眉を寄せ、立ち上がる。

 その途端、瞬き程の刹那の間に再び場所が変わった。



 扉が並ぶ客人用のトイレ。小窓の近くにバケツと箒が置かれている。

 目前に、掃除に精を出す青年の後ろ姿があった。

 

「頑張っていればきっと」


『無駄だ』


「いつか」


『お前が何をしても』


「生きてる意味が見つかる」


『報われない』


 吐き捨てると、青年がゆっくりと立ち上がり此方を振り返る。レインを真っ直ぐに見詰め、微笑みを浮かべていた。


「奴隷でも幸せになれる」


 あの時、母が泣きながら紡いだ言葉を鮮やかに思い出す。


 いつか幸福に満たされたいと願う、忌々しい考えに吐き気を催す。レインは髪を揺らし、直ぐに『黙れ』と言い捨てた。


「居場所があるだけで充分だ」


『そんな物はない。ただのまやかしだ』


 知っていた。自室を与えられたのは体裁を整える為だと。

 毒素を取り込んだ際、他者に感染らぬようにとられた措置なのだと。…知っていたのだ。


『言っただろう?お前には何の価値もない』


「…」


 初めて、青年が悲しげな表情をする。


『散々奪われて嘲られて、終いには蝿と蛆に塗れて死んでいくのさ』


「…」


『お前は全てを受け入れて大人しくくたばるのか?』


 世界がバキバキと音を立てて罅割れた。


 崩れたそこから現れたのは、蠅と蛆、ゴキブリが蔓延るあの地獄。

 襲い来る腐臭と死臭に頭が冴え渡る。


「君は強欲で醜悪で、本当に僕にそっくりだね」


 小さな少年が目の前に居た。今までの柔和な笑みではなく、嗤笑が張り付いている。


『当たり前だ』


()は君で、」


()はお前だ』


 レインの首に手を回した少年の体温を確かに感じた。抱き付いて来た少年の背を撫でる。


『後は全部俺が引き受けてやる』


「君は優しいね。…でも忘れたの?僕は君だ」


『…』


「全てを壊して踏み越えて、その先に何があるの?」


 少年は問い掛けた。


『…自由だ』


 レインの答えに瞠目する。そして静かに笑って、吐息した。


「…嗚呼、そうだね。それこそ僕達が求めていたモノだ」


 遠い昔に失ったモノ。諦めていたモノ。


『俺は、俺を支配しようとする奴らには容赦はしない。邪魔する奴らは皆殺しにして喰らい尽くしてやる』


 自由に焦がれていた彼が出した解。


『だから、もうお前は休め』


 最後に少年に目を向ける。背を撫でていた手が頭へ移動し、髪を引き掴む。

 レインは少年のか細い首に噛み付き、その肉を貪った。生温かい血液が迸り、顔を汚す。咀嚼される少年はいつまでも微笑みを携えていた。



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