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日歴121年 運命か偶然か

 静かな足音が響き、壁に寄りかかって座っていたツァイリーは顔をあげた。十分な食事を与えられず痩せ細ったツァイリーの顔は、どこか薄汚く、その瞳だけがかろうじて生の力強さを映していた。


 顔を上げたツァイリーは、艶やかな黒髪に目を奪われた。


 持ち主が動くたびに揺れるその美しい絹糸のようなそれは、自分が持つ色と同じでありながら、全くの別物だった。


 牢の前で立ち止まった黒髪の男はじっとりとツァイリーを観察し、鷹揚に口を開いた。


「あまりに醜く、貧相だ」


 いつもおちゃらけた見張り番がひゅっと息を呑んだ。


 男はその言葉を淡々と紡いだだけで、そこに苛立ちの色は見えない。ただ、それでも、何か一言、余計なことを口にすれば自分の首が飛ぶかもしれないと恐怖してしまうのだ。


 ツァイリーはすぐに理解した。


 服装、立姿、芯の通った声。この人物が、自分をここに閉じ込めたのだ。ずっと殺してやりたいと思っていた、皮肉なことにその憎しみが生きる糧となった。


 鎖に繋がれ、1年にも及ぶ投獄生活で痩せ細り、薄汚いぺらぺらの服を身に纏っただけの自分が、牢を隔てた憎き相手に届けられるものなど、この声しかないことも、ツァイリーは冷静に受け止めていた。


「…お前、俺の兄貴なんだって?」


 はっきりと、そう言った。


 見張り番は震え上がった。

 仮にも王城付きの見張り番である自分さえ、王に何か口を聞くことを躊躇うのに、牢に繋がれた男がやすやすと王を「お前」と呼び、不躾に質問している。

 主に、王が怒って、それが自分に飛び火しないか、それを危惧していた。


 しかし、その懸念とは裏腹に、王は怒りをあらわさなかった。というより、まるで何も聞こえなかったかのように黙って、牢の中の男をじっと見ている。その様子は睨んでいるとも表現できるし、観察しているとみることもできた。


「貴様の選択肢は2つだ。私の犬になるか、処刑されるか。選べ」

「……」


 ツァイリーはゆっくりと、その言葉の意味を咀嚼した。


 初めて会った半分血のつながっているという兄に突きつけられた2択。


 全く平和に暮らしていたツァイリーを連れ去り、監禁したことはあまりに理不尽で許し難いが、この状況下で処刑以外の選択肢が差し出されることが意外だった。


しかし………。


「くっ、あははっ!」


 ツァイリーは吹き出した。


 見張り番は思った。

 こいつ、ずっとこんな狭い檻に入れられていたせいで頭がおかしくなったのではないか、死ぬぞと。


「犬? 処刑? そんなのお前の好きにすればいいだろ? なぜ聞くんだ」


 王はわずかに不愉快げに目を細めた。その仕草さえもツァイリーは面白がる。


「随分と可愛い兄貴だ。それじゃあ、犬になってってお願いしてるのと同じじゃないか。わざわざ伺いを立てるなんてな。ふっははっ……ああ、悪い悪い」


 ツァイリーは娯楽が一切ないこの場所で、久々に見張り番以外の人間と話した。


 見張り番から聞いた王像は、冷酷で無慈悲で気まぐれに人を殺すような恐ろしい男だった。容姿について聞いたことはなかったが、その話から想像していたのは、巨大な体躯とえらのはった厳つい顔つきだ。


 しかし、実際の王はそんなではなかった。

 身長も自分とそう変わらないくらいだろうし、顔は厳ついという言葉は全く似合わず、清潔ですらりと整った綺麗なものだった。


 さらに口から出てきた言葉が、「犬になるか、処刑か」だという始末。


 ツァイリーの中では、「貴様、死ぬのは嫌だろう? 私の犬にしてやる」という言葉に変換されていた。

 外側も内側も全く思い描いていたものとは違った。それがツァイリーの笑いのツボにはまった。


「つまりな、好きにしろよ。どうせ死ぬまで飼殺しなら、なんでも一緒だ」


 飄々とした態度に思わず見張り番は声を上げた。


「おっ、おい不敬だぞ! 自分が何言ってるかわかって」

「黙れ」

「ヒッ、申し訳ありませんっ……!」


 他でもない王に制された見張り番は、声を震わせて謝罪する。


「開けろ」


「はっ、はい」


 静寂の中に、見張り番が慌てて鍵を開ける音が響く。


 ツァイリーは王の腰に下げられた剣を確認して、その切っ先が自分に向けられる可能性を考えた。


 しかし、どうしてか、全く不安にはならなかった。


 牢の扉が開き、王がツァイリーの元に近づく。ツァイリーは王の一挙一動を見逃さまいと、じっと王を見上げていた。


 王はツァイリーの前で立ち止まると、氷のように冷ややかに薄汚い囚人を見下ろした。


 2人の視線が交差し、心臓の音が聞こえるほどの静寂が、ほんのひとときか、あるいはずっと長く続いた。


 ツァイリーはそこに居心地の悪さは感じなかった。不思議なことに、時が経つにつれ心拍が次第にゆっくりになっていくのさえ感じた。


 王は突然ツァイリーの腹に自らの右足を押しやると、そのまま上半身を倒してツァイリーの顎を長い指で掴み、ぐいっと持ち上げた。


 腹を圧迫され、見上げさせられる格好となったツァイリーはたまらず浅く息を吐く。


「私を害する最初で最後の機会だ」


 ツァイリーの足は鎖でつながれていたが、両の手は自由だ。王の言う通り、命を奪うまでは難しくとも、自分を憂き目に合わせた男に復讐するには絶好のチャンスであった。


 ツァイリーはキッと王を睨みつけると、案外強く掴まれている口元を無理やり動かす。


「もし俺がお前の犬になるなら、今お前を害してなんの得がある?」


 王は無表情のままじっくりとツァイリーを観察すると、手を離し、足を退けた。


「……いいだろう。足の枷を外せ」


「はっ、はい!」


 情けなくも声が裏返った見張り番は、震える手でツァイリーの足枷を外す。


 ツァイリーは暫くぶりに自由になった足をまじまじと見て、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がった。


「ついてこい」


 そう言って身を翻した王は、一瞥もくれることなく歩みを進めた。


 ツァイリーは力の入りづらい両足を懸命に動かしながら、なんとか着いていく。


 この時、ツァイリーは367日ぶりに檻を出たのだった。



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