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Utopia February  作者: ゆずこ
Under The World
3/3

#3 掃溜の街②

-1-



いくつも気になる事はあったが、まず僕が初めに気になったのは、その『暗さ』だった。


「なにしてるの?」

「あ……ああ、いや、なんでもないよ?」

「そう、あんまり私から離れないでね?」

「う……うん……」


……先程アケビは、今は昼の2時だと言った。が、にわかには信じ難い事である。太陽も青空も僕の目には見えない。空に広がるのは、見たこともないようなどす黒い雲、それだけだ。


「………」

「……どうしたの?キョロキョロして?」

「あ……ああ……いや……初めて見るものばっかりで……ちょっとね……」

「……そう?本当に変な所から来たんだね」

「は……はは……」


そうだ……ここの人達はこれが普通なんだ……普通なんだな……辺りを見回すと、どことなくヨーロッパ風な街並みが広がっている、薄暗い上に霧も濃くてよく見えないが、何となく不気味な雰囲気だ……どの建物も煤や泥で黒く汚れて、それと、人影も全く見当たらない……まるでホラー映画にでも出てきそうな……


「……っ!?う……うわああっ!?」

「どうしたの?」

「……っ……!?あ……!?……い……犬っ!?」

「……ああ、犬、それがどうしたの?」

「い……いやっ……!どうしたって……」

「あんまり触らない方がいいよ、病気になるって、スーさんが言ってたから」

「…………え……」


黒い空、汚れた街並み。上京したての若者のように上の方ばかり見ていた僕は、足下の柔らかく、そして冷たい感覚に思わず身震いした……


犬の死骸だった。あまり思い出したくもないので詳しい状態は説明を省くが、死んでからかなりの間放置されているようだった。こんな道の真ん中に、である。


「…………」

「………はぁ……はぁ………」


動悸の止まらない僕をよそ目に、全くペースを乱さずに歩くアケビ。平気なのだろうか……特別動物好きという訳でもない僕でさえ、先程の光景が脳にこびりついて離れないのに……


「っ……うわっ……あっ……うっ……」

「……ちょっと歩くの速かった?」

「……う……うん……もう少しゆっくり歩こう?お話でもしながらさ?」

「わかった」


……いや、慣れるな……こんなもの嫌でも慣れるはずだ……先程から恐る恐る足元を見ては目を逸らしているのだが……うん……当たり前のようによく分からない、ハエのたかった生ものが転がっている……それだけじゃなく、鉄クズや木くず、妙な液体やら砕けたガラス……まるで何かに踏み潰されたかのようにバラバラになったゴミの山……無造作に道の脇に寄せられていたり、それすらもなく堂々と道のど真ん中に打ち捨てられていたり……少し見回すだけでも信じられないほど汚れている……社会の資料集やテレビのドキュメンタリーで見た覚えのある海外のスラム街……いや、それ以上のものが画面越しでなく、直接僕の目の前に広がっているのだ。


「……ここっ……て……人、住んでるの?さっきから僕ら以外見かけないけど……」

「住んでるよ?」

「そ……そうなんだ……その……なんでこの道に人がいないのかな?」

「この道は危ないから」

「危ない……!?」

「だからみんな大きな道は通らない、路地裏なら人はいるけど」

「だ……大丈夫なの?僕らは……」

「今の時間は大丈夫」

「そ……そうなんだ……」


僕の質問に淡々と答えるアケビ、本当に、彼女たちにとっては当たり前の景色、なんだろうな……この真っ黒な空も、ゴミだらけの街並みも、この油やガス臭い澱んだ空気も、犬や鳥の死骸も……そして


ドサッ


「……………え?」



人が、死ぬのも



-2-



先ほどの犬の亡骸は、かろうじて声を上げて驚くことが出来たが、今度はどうだ、僕は声すら出なかった。只々、全身から脂汗が吹き出し、呼吸は荒れ、視界まで霞んでいくばかり。


「下がってて」


アケビの、たった一言の指示さえ一瞬理解出来なくなるほど、僕の気は動転していた。


死体だ、人間の。それもただ死んでる訳でもない。頭が張り裂け、胴はズタズタに、人相の一つすら伺うことの出来ない見るも無惨で凄惨な死体が、僕らの目の前、手を伸ばせば届く程近くに転がりこんできた。


「っ……う……おえっ……っ……」

「……出来るだけ、離れないで」


強烈な目眩と吐き気に襲われ今にも倒れ込んでしまいそうな僕と、顔色ひとつ変えずに周囲を見回しているアケビ。あまりに判断能力に差がありすぎる……こんな事まで当たり前の範疇なのか?だとしたら……僕は……僕は……


「君たち?大通りなんて歩いてちゃぁ……危ないよぉ……?」


そんな僕の思考を遮るように耳に入ってきたのは、野太い男の声だった。


「…………」

「自殺でもするのかなぁ?それなら……金目の物、置いてからにしてくれよ?俺を助けると思ってさぁ?」

「っ………あ………あっ……」


……路地裏から現れたのは……ゆうに2mはある大柄の男……血の着いたナイフに返り血で染まった拳……まさか……まさ……か……


「ああ、それともおじさんに殺されたい?いいよぉ?なるだけ苦しまずに殺してやるよっ!!!」


会話もなしに……座りきった目で右手のナイフを振り下ろす男……やっぱり……さっきの人は……この男が……


「今夜はパーティーだぜぇっ!!」

「ふんっ……!」


ドムッ……


「っ……!!ぶぅっ………!!!」


「……………………ぁ…」

「……ああいうの、結構いるから、気をつけてね」

「……うん」


……なんて僕がうだうだ考えてる間に、アケビの鉄拳の一撃で、男は軽く10mぐらい吹っ飛んで行った……本当にその身体のどこからそんなパワーが……


「……さてと」

「……え……?ちょっと?アケビ?何するの?」


……唐突にナイフを取り出したアケビ……嫌な予感がした僕は咄嗟にその腕を掴む。


「何?殺すけど」

「ころっ………な……なんで……」

「……なんで?……因縁とか付けられたら、いけないから」

「っ……」


全身に鳥肌が立って、胸が、苦しみだした。なんなら今までで一番ショックかもしれない。僕はアケビの事を知っている。さっき出会ったばかりだけど、アケビは、少し不器用で、天然で、でも温かみがあって、少し食いしん坊で……そんなアケビも、そうだ、この街の人間なんだ、あの男と変わらないのか。視界が黒く染まっていく。僕は、僕は、





「ダメだよ」

「ダメ?」

「人を殺しちゃ、ダメだ」





何を考えてるんだ僕は、違う、違う。危なかった、立て続けにショックなことが起きすぎて、少しおかしくなっていたみたいだ。


「……わかった」

「うん、ほら、気絶してるみたいだから、今のうちに離れよう?」

「うん」


少し早足でその場を後にした僕達、うん、良かった、本当に、アケビは違う、ちゃんと分かってくれる。ちゃんと僕の話を聞いてくれる。出会った時からそうだ。本当に、ここに来て、初めて出会えたのがアケビで良かった。僕は足元の鉄クズを飛び越えて、アケビについて行く。


「……………………」

「……如月?」


……あの男は、どうなんだろう。

ああして、殴って、気絶させるしかなかったのだろうか。アケビみたいに、話をすることは出来なかったのだろうか。じゃあ、アケビとあの男の違いってなんだ?先程の凄惨な死体を思い出してしまって、思わず僕は立ち止まってしまう。


「如月?」

「……あっ…!あ……ご…ごめんね?」

「疲れてる?」

「ううん、全然大丈夫だよ?」

「そう?もう少しだから着いてきてね」

「う……うん……」


どこかから焼け焦げたような匂いがした気がする。人が死ぬっていうのは、本当に嫌なことだ。改めて、そう思う。



-3-



「ところで、僕達はどこへ向かってるの?」

「市場だよ」

「市場……」

「?」


先程の一件で、僕もだいぶ疑い深くなっていた。ここの住人がもし、先程の男のような人ばかりだったら……


「着いたよ」

「えっ?」

「この中、着いてきて」

「あっ……う……うん……」


アケビは突然、そこらの真っ暗な路地裏の中に入っていく。よく分かるなあ……さっきの路地と何が違うんだ……?


「……うん、今日は結構いる」

「……………………」

「ここが市場、食べ物は……あっちの方かな?」

「あ……う……うん……」


そこら中に張り巡らされたよくわからないケーブルを避けつつ、路地裏に入り込んでいく。先程の大通りよりもより一層薄暗く、何かしら灯りでも無ければ足元すら十分に見ることが出来ない程であった。


ドサッ


「っつ……………!!!」

「ん……うぅぅ………?」


だから、足元で寝転がっていた老人の存在にすら、足先がぶつかって初めて気付く。先程の一件がフラッシュバックしてしまって思わず口を塞いでしまうが……大丈夫……今度は生きた人間だ。強烈な酒の匂いはするけど……


「っ…!あ……」


そうして僕は、ようやく気づくのだった。


「人だ……」


「…………………」

「……………………」

「…………………………」

「………………………………」


人がギリギリすれ違える程の道幅の路地、その足元に、触れそうなほど近くに、人がいる、それもひとりやふたりでは無い。子供も大人も、男も女も、みな揃って座り込んでいたり、何かを道端に並べていたり。妙な空間で、心無しか皆、僕とアケビを恨めしそうに睨んでいるようにも見える……


「あ……アケビ?」

「何?」

「こ……ここって……何?あの人たちって……」

「ここは市場、だから人が集まってくる」

「そ……そう……なの……」


妙に淀んだ空気だ……どこか居心地が悪い……久しぶりにこんなに人を見たはずなのに……皆暗い顔で俯いていて……


「おにーさん?」

「うえっ……?」


突然僕の袖を掴んだのは……10…歳にも満たないような女の子……随分とこう……みすぼらしい出で立ちだ……髪も伸び放題……服も汚れた布1枚羽織っているような姿で……正直、痛々しい……


「ほら、ほら、葉っぱ、買ってかない?」

「は……葉っぱ?」


たどたどしく話す少女の足元を見ると……細かく破かれた植物の根……のようなものが並べられていた……


「1枚でいいよ、1枚」

「1枚って……」


「何やってやがるクソガキぃ!!」


「ひっ…!!」

「っ……!」

「人の商品で勝手に商売してんじゃねえ!このっ……!」

「っ……!あっ………!!」


ドサッ……と音を立て、先程の少女が壁にぶつかった。突然現れた髭面の男に片手で投げ飛ばされたのだ。そのまま少女はうずくまって動かなくなってしまった。


「さ、お客さん?今日はどういうのを……」

「っ……!」

「あっ!…ちっ…クソがよ……」


なんだかもう、もう、いたたまれなくなって、僕は黙ってその場から離れた。これもまた、当たり前。でも、そんなことってあるのか?頭で理解しても、心が追いつかない。よく見れば、先程の女の子と同じぐらいの子供の姿も、あちこちに見かける。本当に、辛いことばっかりだ、辛い、息苦しい。僕は本当になにも知らずに生きてきたんだと、事実を思いきり叩き込まれてるみたいだ。僕は、


ギュッ


「あ……」

「……はぐれちゃうよ、ちゃんと着いてきて」

「う…うん……」


あったかい、心からそう思った。他意はないのだろう、ただ、はぐれないようにと繋いだだけなのだろうけど、やっぱり安心するな……


「さっきみたいなの、あんまり相手にしちゃダメだよ」

「う……うん、ごめん……」

「こっち」


アケビに手を引かれて、路地裏をぐんぐん進んで行く。こんなに入り組んだ道を迷いなく進めるのは…さすがに現地人……ってところか……


「ごめん、迷った」

「あれ!?」


………気を取り直して、2人でゆっくり辺りを見回しながら歩く……何気に手は繋いだまま……ち……ちょっと……緊張するな……手汗とか大丈夫か僕……


「…………………」

「………………………」

「………今さっきみたいなの…さ」

「なに?」

「………よくあること、なの?」

「……うん、よくあるかな」

「……そうなんだ」

「……………でも」

「?」

「優しい人も、いるよ」

「…………そっか、うん、そうだよね」

「スーさんにシオンに、如月、うん、沢山いる」

「僕も?うーん……僕は別に……」

「それと、これから会う人も………あ」


唐突に足を止めたアケビにぶつかりそうになる僕。う、顔近い……心臓がキュンと跳ね上が……じゃなくて、先程よりも広めの路地に出たみたいだ、暗いとこでも少し目が慣れてきたな、辺りがよく見える。先程よりかなり沢山の人がいて……




「牛乳、もらえるかい?」

「あいよ、300ポンドね」


「おいオッサン!こんだけの肉で2000ポンドはねぇーだろ!!」

「うるせえ!文句言うなら帰れウスノロ!」


「聞いたかい?ここ最近ここいらに出るらしいよ?」

「親衛隊かい?やだねぇ、物騒だわ……」




「……………………」


街だ。

初めて、ここに来て、初めて実感が湧いた。10人、20人は集まっているだろうか。頑固そうなおじさんや、軽薄そうな青年、噂話に興じる女性達……建物と建物の隙間、ちょっとした空き地程度の狭い空間だけど、確かにそこに、『街』があった。店舗はなくても、店がある。屋根はなくても、家がある。人と人の繋がりがあって、形作られてる街が、ここにあった。ダメだ、なんか泣いてしまいそうだ。こぼれないように上を向いているとアケビに思い切り手を引かれてずっこけそうになる。


「あら、どなた?」

「ムギさん、やっと見つけた」

「ああ、アケビちゃんね?いつもありがとう」


そうして連れていかれたのは、とある露店の前。ずらり、とまでは行かないまでも、キャベツに人参…じゃがいも…様々な野菜が並べられている。


「今日はシオンちゃんも一緒なの?」

「ううん、今日はシオンはいないよ」


そしてその奥、壁に腰掛けて少し控えめに笑みを浮かべるのは、色あせた紺色の頭巾を被ったおばあさんだった。


「この人はムギさん、いつも町外れからここまで野菜を売りに来てるの」

「あら?アケビちゃん?その人は?」

「如月、だよ」

「あ……ど…どうもー……」

「あらあら?あなたもスーさんのところでお世話になってるの?」

「あ……はい……えと、如月……です……」

「うふふ、私はムギ。あなたと同じようによくスーさんにお世話になってるのよ?」

「そ……そうなんですか?」

「あの人しっかりしてそうで、時々妙ちくりんな事言い出すでしょう?大変ねえあなたも?」

「……ふふふっ……確かにそうですね?」


口元を抑えてにこやかに笑う顔を見て、僕もまた、自然と笑みが零れていた……温かい人……だ……話していてとても落ち着く……アケビの言う通り、ただ厳しいだけじゃなくて、優しい人だっている。ああ、よかった、本当に、さっきまでのわだかまりが少しだけ溶けていくみたいだ……まるで本当の……





『もう高校生だなんて……早いわねえ……』





「…………………っ」

「如月……?」


「さあさ、今日は何が欲しいの?」

「………あ、えと……」

「トマト、ある?」

「あー……ごめんねえ、今日は無いのよぉ……」

「そうなの?珍しいね」

「最近よく育たなくって……渋くってとても食べられたものじゃないのよ……早く良くなったらいいんだけど……」


少し申し訳なさげな素振りをみせるムギさん。一つ一つの仕草から、律儀で謙虚な人となりが見て取れる。


「……ちょっと見せて貰えますか?」

「え?ええ、どうぞ?」


並べられたキャベツを一つ、手に取ってじっくりと観察する、先程キッチンの食料庫を漁った時にも感じたが、この街で見る野菜は僕の知っているそれよりもだいぶ小ぶりだ。このキャベツなんかはおおよそふた周りくらい小さい。僕の手のひらに収まる程度のサイズだ。


「…………………」

「……何してるの?如月?」


キャベツをもう一つ手に取り、色々と確認してみる。まず、サイズが小さい理由は明白、あの厚く黒い雲だろう。あまり日差しを浴びずに育った植物は大抵満足に育ちはしないから。ただ……


「……ムギさん、いつもここまでどれくらいかけて来るんですか?」

「そうねえ……体調のいい時は歩いて2時間ぐらいで着くんだけど……」

「こんな大荷物で、2時間ですか……」

「ええ、ええ、でも大丈夫よ?こう見えて力持ちなの、私」


口元を抑えてくすくすと笑う、きっとムギさんの癖なのだろう。しかし、歩いて2時間……見たところもう70歳は超えているようなおばあさんが……暖かい気持ちと、いたたまれない気持ちに板挟みにされてしまう……それに……


「……失礼ですけど……その、ムギさん……」

「何かしら?」

「………僕のこと、いや、僕だけじゃない、きっと、色々……あんまり見えてません……よね?」

「……如月?」

「……うふふ、バレちゃったかしら……」

「いえ……僕も結構……勘……でしたけど……」


何となく、食料庫で見たものより小さい気がした。きっと採るのが少し早かったのだろう。多分、トマトも……食べられない程渋い……つまり成長しきっていないのならば、色を見れば分かるはずだ。だけどムギさんは味で判断して……


「あんまり……心配かけたくなかったんだけどねえ……」

「ムギさん、目が……」

「いいのよアケビちゃん、元々悪かったのが少し酷くなっただけ、だから」

「…………」


本当に……この世界はどれだけ残酷なのだろう……恐怖も、絶望も、ここに来てからたっぷり味わってきた僕だけど、切なさを覚えるのは、始めてだった。


「……でも、ええ、そうね……今日歩いてきて分かったけど……やっぱり、ダメみたいね……」

「だめ…?」

「近いうちに、ううん……もう今日が最後かもしれないわね……」

「……そっか……」

「もし良ければ、スーさんとシオンちゃんによろしく言っておいてね?お金がないのは大変だけど、ちゃんと元気でやっていくから……」

「……分かった」


こういう時、考えるより先に体が動くのは……悪い癖だと思ってたけど、今日ぐらいはいいだろう、きっと、多分


「……その、今日はこの野菜、全部僕らに売ってくれますか?」

「え?」

「その……僕が来た分、食料は今までより余分に必要だから……それに……」


せめて帰りぐらい……何にも背負わず手ぶらで帰れるように……


「いいかな?アケビ?」

「うん、ええと……全部でいくらかな?」

「……本当に……こんなに優しくしてくれて……スーさんも……シオンちゃんも……あなた達に出会えて良かったわ……ありがとう……ありがとう……」


ずっとニコニコ笑っていたムギさんの、初めて見せる涙……ああ、世の中にこんなに綺麗な涙があったなんて、17年も生きてきて、まだ、こんなにも胸がいっぱいになることがあったなんて、僕が、今まで生きてきた世界なんてどれ程ちっぽけだったのか思い知らされる。


「お代なんていいのよ……あなた達には沢山お世話になったから……」

「いやいや、払わせて下さい、お願いですから……ええと……」

「7…8…9………ごめん、私、沢山だとちょっと計算出来ないから、如月払ってくれる?これ、財布」

「あ、う、うん……ええと……これが……」









ズンッ………………………………………







ズンッ………………ズンッ………………………







ガシャンッ…………ガシャンッ……………………







背筋が、凍った。アケビから受け取った財布が、足元に転がっていく。これは、多分、生理的な嫌悪感。体から発される、危険信号。




ガシャンッ………………ガシャンッ………!!





ガシャンッ……!!ガシャンッ……!!



ガシャンッ…!!ガシャンッ!!



大きくなっていく、金属の擦れる音。廃棄ガスの、油臭い匂い。蘇る、あの、ゴミの山での、恐怖。




ガシャンッッ!!!!



恐る……恐る恐る……振り返って見上げてみる。さっきまで通っていた、あの大通りの方を。


プシュゥウウウ…………………


「あ」


目が合って、しまった。


巨大な、真っ赤な、一つ目だった。





-4-



「うわぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!あああああああああああああっ!!ああああっ!!!ああ……うあああああっ!!!!あああああああああああああああああああああ!!!!!あああああああああああああああああ!!!!!!!!」




叫んだ、叫んで、逃げようとして、足がもつれて、その場に倒れ込んだ。死にたくない、そう思った。そう思ってダンゴムシみたいに縮こまった。なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで



なんでこんな所に、あいつがいる?



そうだ、僕が見たのは他でもない、『あの』ロボットだ、初めてアケビと出会ったあの時に、僕の命をその巨大な砲身で奪い取ろうとした、あの恐ろしい鉄の人形である。そいつが、そいつが大通りからこちらを覗いていたのだ、重低音を響かせながら、ドロドロとした油を巻き散らかしながら、汚れた道を踏み馴らしながら、こちらを、僕を、覗き込んでいた。


「うわあああああぁああああああああっ!!!!!!うわあああああっ!!ああああっ!!!!!ああああああああああああ!!!!!!」


まて、まてよ、こんな所で縮こまってどうするつもりだ?逃げないと。ああ、足が動かない。怖がってるのか僕は?くそ、くそ、くそ………


「あああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!あああああああああああああああああああああああ」




「如月!」



「あ……あれ?」



ガシャンッ…!!ガシャンッ!!



ガシャンッ……!!ガシャンッ……!!





ガシャンッ…………!!ガシャンッ……………




重苦しい金属音が……遠ざかっていく……?

恐る恐る顔を上げて、周りを見回す僕。既にあのロボットの赤い一つ目はなく、代わりに見えたのは……僕へ向けられる周囲からの奇異的な目線だった……


「き……如月くん?大丈夫なの……?」

「…………ムギさん…?え……あ………」

「如月、大丈夫、大丈夫だよ」

「え……いや……だって……今っ……」

「あれは、違う。あれはただ見回りしてるだけ。何もしなければ襲ってこない」

「みま……見回り?」


何が何だか分からない。街の人々は僕が起き上がるや否や、何も見なかったかのように、営みを続けていく。見回り……?なんで?なんなんだ?本当にどうなってるんだこの街は?


「如月くん……?大丈夫……?具合でも悪いのかしら……?」

「……あ……あいやっ……大丈夫です…!大丈夫……ほんとに大丈夫なのでっ……!」


慌てて僕に駆け寄ろうとしたムギさんを何とか宥めて、僕はアケビに質問を投げかけた。


「どういうこと?見回りって……というかあれは一体何?なんでこんなに所にいるの?あのゴミの山にいたのと同じだよね?というかここって……」

「まって……如月……一気に言われると分からない………」

「あ……ご……ごめん……」

「……あれは、オートマトン」

「オート……マトン?」

「うん、エデンにいたのは防衛用だから、人を見つけたら襲ってくるの」

「え…エデン?えーと……それって、僕達が初めて会った……あそこ?」

「そう」

「……エデン…」


分からない……防衛用……?何かを守ってるのか……?あれ………?


「それとさっきのは見回用、ああやって大通りから私たちを監視してる」

「………あ、大通りが危ないって……そういうこと?」

「そう、でも通る時間は決まってるし、それに何もしなければ襲ってはこない」

「なにもしなければ……?」


ふと、先程の情景を思い返す。そうか、周りの人は僕を警戒してたんだな……その、何かをしでかすんじゃないかって……


「………その、じゃあ、どうやったら襲われるの?」

「うーん、例えば、オートマトンに攻撃したら絶対に襲ってくる、あ、それから攻撃しなくても……」

「しなくても?」

「あっ」

「な………なにっ?」

「如月、財布は?」

「財布?あれ……あれっ!?こ……この辺に落としたはずだぞ?無い?無い!?」


僕は落とした財布を探そうと、その場に座り込む、その時だった。


「っ………!!」





ダンッ………!!



カァンッ……………!!



「…………………?」



………何だか既視感がある音が響く、他でもない、アケビが銃弾をナイフで弾き飛ばす音……


「………ふうん?俺の弾を弾くとはなぁー?やっぱり生意気なガキだなぁー?」


「…………………あっ……!?」


僕に向けて銃弾を放ったのは、他でもない、先程僕らに襲いかかってきた、あの男だ。嘘だろ……?こんな人が多いところで……


「あぁ……ムカつく……ムカつくムカつくなぁ!?やっぱりお前らは殺さないと気が済まないなぁ!?」


ずいずいと、拳銃を向けながらこちらに近づいてくる男……くそ、さっきならまだしも……ここにはムギさんもいる、街の人もいる、そっちを狙われたらまずい……!!


「死ねよぉ!?」

「っ…!?」


ドカッ………


「………?」


……しかし、自体は僕の予想外の方向に転がっていく。


「っ……げほっ……!なにすんだっ!?お前から先に殺られたいの……」

「こっちのセリフだ!!!!ふざけんじゃねえ!!!オートマトンが通りかかったのを見てなかったのか!?」

「オート……マトン……?まさかっ!?」


響いたのは、銃声ではなく、打撃音だった。先程まで肉を売っていた初老の男が、拳銃を持った男に殴りかかったのだ。そして何故か、拳銃を持った男は反撃もせず狼狽えるばかり……なんだ……?なんだこの状況は……






ガシャンッ…………ガシャンッ……………………



ガシャンッ………!!


ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン

ガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャン





「逃げろ!!!!!!!!!!!」


「伏せて!!!!!!!!!!!」







ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ







壁が、地面が、野菜が、人間が、壊れていく。途方もない程の銃弾の雨あられを受けて。


どうなってる?どうなった?気絶と覚醒を100回程繰り返し、僕はその場で身震いをした。


瓦礫、瓦礫の山。先程まで路地裏だった場所が、いつの間にやら何も無い荒野である。


「………アケビ?」


「……………よかった、如月、生きてた……」


辺りを見回していると、唯一立っている人影……アケビだ、周りにロボット……オートマトン?の破片のようなものが飛び散っているが、アケビ自身は無傷……らしい


「………なにが、あったの?」

「………オートマトン、だよ」

「………どうして……いきなり?」

「…………銃」

「銃……?」

「オートマトンが襲ってくる条件、攻撃してなくても……周りで誰かが『銃』を使ったら、その近くをこうやって、建物ごと……」

「………………………」


周りを見渡す、見渡す、見渡す……何度見渡しても、瓦礫の山だ、それ以外無い。立っている人間は、僕と、アケビ、それだけだ。


「………………ムギ…さんは…?みんな…は………?」

「………ごめん、気づくのが遅かった」

「……………………………」


ふと足元を見ると、瓦礫の間に、鮮やかな赤色の頭巾が挟まっている。僕はその場に座り込んだ。




『人を殺しちゃ、ダメだ』



『人を殺しちゃ、ダメだ』



『人を殺しちゃ、ダメだ』



『人を殺しちゃ、ダメだ』『人を殺しちゃ、ダメだ』『人を殺しちゃ、ダメだ』『人を殺しちゃ、ダメだ』『人を殺しちゃ、ダメだ』




「何がだよ………何が、だよっ………」


泣くことしか、出来ない。やっぱり、まただ。僕はどうしようも無い人間だ。後先の事なんて考えられない。今、自分が傷つかなければ、それでいい。最低な人間だ。






『にいには……………』


『にいには……………死なないで…ね………』






「っ………………あ………………」



「如月くん、顔を、上げるんだ」



優しい、ただただ優しい声。


「……スーさん?なんでここに?」

「やあアケビ、初めてのおつかいが心配だったからね、こっそり着いてきちゃったんだそうしたら……まあ、それどころじゃ無くなっちゃったけどね………」

「……………スペアミント…さん…」


僕は瓦礫を蹴り飛ばして、スペアミントさんに詰め寄った、山ほど聞きたいことはある、あるけど……とにかく……今は……


「スペアミントさんっ……!なんなんですかっ……!なんなんですかっ……!オートマトンって……!!監視って……!!なんなんですかっ…………!!この………世界って……!!」



スペアミントさんの足元にしがみついて、泣きわめくように声を振り絞る僕。とは、対照的に、スペアミントさんは全く動じない、いつも通りの優しい声で、答える。


「知りたいかい?この世界のこと」

「っ…………っ……………………」

「………いいだろう……よく聞くんだ」


スペアミントさんは膝を付いて僕の目をじっくりと見つめた後、先程よりも低く、真剣な声色で語り始める。


「オートマトンとは、悪の王によって造られた……機械の兵士……」

「…………悪の………王………?」

「ああ、この世界に君臨する帝王にして…この世界が荒廃した、全ての元凶、それこそが…………………」





「悪の王、レギスタンだ」

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