#2 掃溜の街①
-1-
「……」
「……」
「どうしたの?紅茶、飲まない?あ、コーヒー派だったかな?」
「あ……いえっ……いただきます……」
「心配しなくても、毒とかなんて入ってないよ?文月じゃあるまいし」
「は?」
「おお、こわいこわい」
……味は……まあ、うん、ちょっとアレだけど、暖かい紅茶だ……久しぶりに飲み物を口にした気がするなぁ……うん、ほっとする……未だ銃口を向けられ続けてることに目を瞑れば……ね……
イギリスに降り立ってから早1週間強、ロンドンを出て4日、僕は今、イギリスの田舎町でも、雪深い森の中でもなく、謎の世界に迷い込んでいた……
あの後、なんだかんだスーさん…もとい、スペアミントさんに助けられた後、僕はスペアミントさんに応接室らしき部屋に通された、他の3人も一緒にだけど……
「あ……アケビちゃんアケビちゃん……?あの人……アケビちゃんがつれてきたのぉ……?どうしてぇ……??」
今、部屋の隅でコソコソ話してる白髪ロングの小さな女の子が……えっと……シオンちゃん……だったかな?歳は見たところ13、4歳といった所かな……
「どうして?……なんとなく……困ってそう……だったから……」
そうしてシオンちゃんの質問に受け答えしている金髪ショートヘアの子が……アケビさん……あのゴミ山で僕を助けてくれた人だ、見た感じだいたい15、6歳……いや……体つき的にもっと上なのか……?
「さて、まず何から話したものかねぇ……」
そして、僕の正面に座って思慮を巡らせているこの物腰柔らかそうな金髪の男性が、スペアミントさん。他の人達からスーさんと呼ばれ慕われているらしい。この人は……どうだろう……見た目20代後半くらいに見えるけど、やたらと大人の余裕を醸し出しているから、もう少し上な気もするなぁ……
「……」
……それと……先程からスペアミントさんの後ろで眉ひとつ動かさず僕の眉間を拳銃でロックオンし続けているの青い短髪の男性が……文月さん……か……歳は見たところ僕と同じ16歳くらいか?体格では僕の方が勝ってる感じだけど……なんというか……絶対に勝てなさそうな強烈な圧を感じる……ここまで眉間に皺を寄せられる人間初めて見たなぁ……
「それじゃあ……如月くん?君はどこから来たのかな?」
スペアミントさんが優しい口調で尋ねてくる、このたった一言だけで、何となくスペアミントさんがみんなに慕われている理由が理解出来る気がする。聞いていて落ち着くような、包容力のある父親のような声……そのおかげか僕も幾分か落ち着いて、そうして話始める事が出来た……
「えっと……うーん……あの……出身は日本なんですけど……」
「……日本?」
「ニホン……どこだそこは?聞いたことも無い」
「あ……あれ?日本……知らない?」
「知らん、適当な事を言っているなら殺す」
「まあまあ文月、とにかく最後まで聞こうじゃないか。それで?如月くん、君はそこからどうやってここに?」
「どうやって……えっと……ちょ……ちょっと待って下さいね?」
……それから僕はここに至るまでの軌跡を、順を追って説明した。日本からはるばるイギリスまでやってきた事、イギリスの森の中で巨大なドームを発見した事、その中にあった穴に落ちて、気づいたらあのゴミの山にいた事……うん、話せば話すほど向かい合った文月さんが怪訝な表情になっていくのがわかる。いや、無理もないな!自分で言ってて意味わかんないもん!
「……それで……その……アケビさんに助けられて……」
「……」
カチャッ
「ひっ!!?」
「文月」
「…スペアミント、もういいだろ?いつまでこんなくだらない妄想に付き合わされないといけないんだ?」
「あー…いやっ…僕もほんと訳分からないんだけど…」
「……だいたい、最初から分からない、ニホン…?だの、イギリス…?だの…なんの事だかさっぱり分からんな」
「…………………?イギリス…イングランド?も…分からない…?」
「イングランド…?わけの分からない言葉を増やすな」
…???…おかしいな?てっきりここは…イギリスのどこかかと思った…んだけど…どうなってるんだ…?
「じゃ…じゃあ…ここは…どこの国?フランス…?イタリア?スペイン?……さすがにヨーロッパ…だよね?いや…でも」
バンッ…!!
「…………………………」
「…黙れ」
「………はい…」
…こめかみを掠める1発の銃弾によって…僕は正気を取り戻した…いや、普通は取り乱すべきなのではないかと思うんだけれど…嫌な慣れ方したなあ…と…
「スペアミント、こいつ…薬でもやってるんじゃないのか?さっきから訳が分からないが?」
「うーん?そうとは思えないなぁ?一応話の筋はしっかり通ってるしね?」
「あ…えと…その…」
「ああ、大丈夫落ち着いて?疑ってる訳じゃないんだよ?」
「は…はいっ…」
「………ただ…やっぱり不可解な点は多い、文月の言う通り、僕らは君が言う「ニホン」とか「イギリス」とかいう場所を知らないんだ、それは分かってくれるね?」
「はい…でも、じゃあ、ここは一体どこなんですか?」
「…この街の名は、ロスト。なんてことない普通の街だ」
「ロスト…………」
聞いたこと…無いな…いや、そこまで地理には詳しくないけど…
「…じゃあ、国としては…えっと…どこの国…なんですか?ここは?」
「…………………………………」
「………………………………………?」
「…………そうだなぁ…なんと言うべきか…ううん…………」
「………?」
…そ…そんなに言い淀むこと…なのか?国…うん…国だよ?
「…………………如月くん」
「はい?」
「………クニ…って…なんだい?」
-2-
「……………ふぅ…………」
部屋の隅…無造作に置かれたベッドに腰掛けて…僕は一息をつく…眠気はないが…疲労感と空腹感が取れない…丸一日ぐらいなにも口にしていないから当然か…
「………………………」
「………あのー…アケビさんも…座ったら?立ちっぱなしじゃきついでしょ?」
「…そう?じゃあ座る」
そういうと、僕と一緒にこの部屋へ入ってきたアケビさんも僕の隣にちょこんと腰を掛ける…姿勢がいいな…しっかり胸を張って背筋を伸ばして…
「…………………」
「…………やっぱり…アケビさんも知らない?国…日本とか…アメリカとか…」
「…知らない」
「そっか…うーん…」
……あの問答の後、何度か射殺されそうになった問答の後…大きくお腹を鳴らした僕を見かねたスペアミントさんが食事を用意してくれる事になった。こんな状況で腹の虫がなっちゃうとは、僕の身体は存外呑気物らしいな…
『空き部屋が一つあるから、まあゆっくりと休んでおいで?考えが纏まったらまた話そうか』
『おい、まだこいつをここに置いとくのか?』
『心配性だなぁ文月は?じゃあアケビに見張らせておくよ?頼めるかいアケビ?』
『うん、分かった』
『それと、シオンは食事の準備、お願いできるかな?』
『う…うんっ!』
ぼんやりと、ここの人達の事を思い返す…みんな普通の…まあ…普通の人だ。見た感じ僕となんにも変わらない…話は通じるし…コミュニケーションに特段不安な要素もない…
「…ねえアケビさん?」
「なに?…えっと……」
「あ、如月、如月だよ」
「如月…なに?」
「…なんかこう…気になる事とかない?僕と喋ってて…変だな…とかいうこととか…」
「………………?」
「…………あー、いやっ、無いなら無いでいいんだけども…」
「…………あ、ある」
アケビさんはまっすぐに僕を見つめて話し始める…うーん…やっぱり控えめに言っても端正な顔立ちだなぁ…表情とは裏腹にあどけなさを感じる大きな瞳といい、白くて柔らかそうな輪郭と言い……というか近いな顔が…こう…こういう時に自分の女性耐性の無さを痛感するんだよなあ……今更ながらなんか緊張してきたぞ…
「なんでアケビさん…って呼ぶの?」
「え?」
「…………そこが…不思議だな…って…」
「ふ…不思議かなぁ…?ううん…」
「アケビ、でいいよ?」
「ええと…初対面だし…ほら…」
「…?一回…一緒に寝た…よね?」
「うーん、言い方」
……そうだなあ…他意はないんだろうな…多分これは、みんなに呼び捨てにされてるから…さん付けは気持ち悪いとか…そういうことなんだろうなぁ…まあ残念ながら会ったばかりの女の子を簡単に呼び捨てに出来るほどのメンタル僕にはないんだけど!というか女の子を呼び捨てで呼ぶ経験なんて妹ぐらいしかなかったんだけどね???
「……………えーーーと…」
「……………?」
「………あ…けぶっ…」
「……あけぶ?」
「じゃ…なくって……あ…アケビっ…」
「何?如月?」
「…………アケビ?」
「如月」
うっわ、恥ずかし…思ったより恥ずかしいなぁ…もう…
「如月?」
「あ、ごめんっ…い…いや…ちょっと言いづらくてね…色々…」
「……言いづらい…?アケビ…あ、け、び……そんなことないけど」
「いや…滑舌の話じゃなくって…」
「…練習する?」
「…練習?」
ガチャッ…
「ご…ごはん持ってきたよー?き…如月…さん?」
「…アケビっ…!」
「如月」
「…アケビ…」
「如月」
「………アケビ……」
「きさ…あ、シオン」
「アケビ……えっ?」
「あっ…!!あ……!いやっ!ご…ごめんなさいっ!!ご…ごゆっくりっ!?どうぞっ!?」
バタンッ!!!
「……ごゆっくり…?」
「………あっ…!!いやっ!ち…違っ…!誤解!!!」
-3-
なんとかシオンさんの誤解を解いた僕ではあるが…いまだ警戒されていることは手に取るようにわかる…
「ど…どうぞ!ご…ご飯です!」
「ど…どうも…」
おっかなびっくり差し出されたトレイを受け取って、ベッド脇のサイドテーブルに置く…こんなに目を合わせて貰えないのは…いくら初対面といえど傷つくなぁ…
「……………えと…シオンさん…だっけ?」
「は…はいっ!なんでしょうかっ!?」
「…………………あ…えーと…」
何となく沈黙も嫌だったので話しかけたけど…なんだろ…何話せばいいんだろう…?ここ1年程まともに人と話して来なかったツケが回ってきてるなぁ…うーん困った…
「あ…ありがとうね?ご飯…その、お腹ペコペコだったんだ!」
「……………あ!そ…そうだったんだ…で…ですね?」
「そ…そうそう!おいしそうだなぁ…!特にこのお肉とか………………?」
「……………どうしたの…されました…か?」
「………これ…君が作ったの?」
「はいっ?は…はい…」
「そっか……………ううん…」
…僕の目の前に鎮座するのは…ステーキ?…いや…なんというか…焼肉…と言うより「焼けた肉」というのが正しいか…微妙に黒ずんでいて何肉なのかも定かでないが…それと豪快に置かれた大きな縦長のフランスパン?…パンか…お肉とパンだけかぁ…こう…見ているだけで胸焼けがしそうなコンビだなあ…
「……………………」
「……………あ!あ…その…い…いただきますっ…!」
「へ…?いだだき…?」
「んぐ…んぐっ…ん………………」
空腹は最大の調味料、とはよく言ったもので、まあ、それなり…?にはありつけはする…するが……………
「ぶふぉっ…!」
「ひっ…!?」
「…………ご…ごめん…飲み物とか…ある?口が…乾いて…」
「あ…!は…はいっ!」
…………硬い…全体的に…肉に火を通し過ぎて消しゴムみたいな食感になってるし…パンは…なんだ…釘を打てそうな硬さだ…口の水分が全て持っていかれて飲み込めない…そしてこれ…よく見たら味付けなどされていない超ワイルド仕様である…原始人が食べてたマンモスってこんな感じだったのかな…
「美味しい?」
「んぐっ!?」
「あーあー!だめだよぉアケビちゃん!それはお客様のご飯なんだから!」
「……わかってる……」
「ん……んぐ……」
「……シオンは……うちで一番料理上手だから……どう?」
「んぐ………と……とってもおいしいよ……?」
「わ……!もう全部食べてる…!そんなにお腹すいてたんだぁ……」
「あ……あはは……」
何とか水で流し込んだけど……後味がその……最悪ではある……せっかくご飯を出して貰っておいて申し訳はないのだけれど……これだったら……
「……ねえシオン?」
「はーい、アケビちゃんの分も今用意するからねー?」
「………ちょっと待って?くれる?」
「え?如月……さん?」
「その…さ?ほ…ほら?タダでご飯頂くのは申し訳ないからさ?僅かばかりお礼出来たらなー……なんて……」
「お礼?」
-4-
火は……随分年季が入ったコンロだけど、うん、火力は充分かな。調理器具はやたらと揃ってるな、全く使われた形跡がないけど……食材はそれなり……肉類が多く揃っているのは地域柄だろうか、さて……
「何が出来る……肉……牛肉で……じゃがいも……牛乳とかあるかな……野菜……小麦粉……薄力粉がいいんだけど……しょうがないか……」
「……ねえっ……アケビちゃん……ほんとに大丈夫なのっ……?お部屋から出しちゃって……」
「……うーん、わかんない」
「ええー……」
「でも、お腹空いてたから、ちょうどいいかなぁって思って……」
「また文月くん怒っちゃうよぉ……」
「大丈夫、私が何とかする」
「ほんとぉ……?」
上手くいって良かった……というか、まあ、黙ってはいられなかったというのはあるけど……何やらヒソヒソ話しているアケビとシオンさんを後目に、僕は手に取った肉を細かく切り分けていく。
「……」
「……」
不可思議な目を向けられてるな……こちらから目線を送らなくてもわかる……それはそうだ、急に食事を作らせて欲しいなんて言い出すとは、2人にしてみれば想像もしていなかっただろうな……だけど……だけど……さすがにあの食事は……なあ……
「……よし」
具材を切り終えて、早速僕は鍋に火をかけた。中火に熱した鍋にバターを溶かして、玉ねぎを入れて炒める。甘く香ばしい香り……こんな異常な環境でも、妙に落ち着くなあ……
「……」
肉を入れて、更に炒める。そういえば、他人に料理を作ってあげるなんていつぶりだろう。今日はとにかく、久しぶりが多い。
「……いいにおい」
「……そうだねアケビちゃん…なんだろ……この匂い……」
牛乳と……チーズもあるな……うん……久しぶりにしてはいい感じだ……ルーティンと言うのか、慣れた事をやっていると不思議と心が落ち着いてくる。うん、生きてるんだな、僕。死にそうな事があんなに沢山あったのに、今はこうやっていつも通り料理してる。
食べ物って、不思議だな。ただ見てるだけで生きる力が湧いてくる。誰かの手作りなら、尚更だ。そう言えばここ最近ろくなもの食べてなかったからな。今までに比べたらあのマンモス肉の方が遥かに温かさを感じる。シオンさんには後で謝っておこう。
「……」
「……」
「……えっ?」
少し目を逸らすと、さっきまで部屋の隅に陣取っていたアケビとシオンさんが、興味深々にグツグツと音を立てる鍋の中身を覗き込んでいる。お腹を空かせた子供たちみたいで少し微笑ましい。
「……おいしそう」
「如月さんっ!これ……なあに?なんていうお料理なの?」
「あ……ああ……これは……」
おたまですくい上げて皿に盛り付ければ、香ばしいクリームの香りが部屋中に広がっていく。ありあわせにしてはよく出来た方だろう。
「クリームシチュー、だよ。どうかな?」
「クリーム……」
「シチュー……!」
「さ、座って座って?みんなで食べよっか?」
キッチンの後ろの大きな机に、行儀良く並んで着席する二人。興味津々に僕を見守る二人の前に、出来立てのシチュー、それと薄くスライスしたパンを並べる。
「ほおお……」
「食べていいの?もう食べていいの?」
「熱いから気をつけてね?ん……いただきます」
「……ねえねえ如月さん?さっきも気になったけど……その……いただき……ってなあに?」
「ん?いただきます……のこと?」
不意のシオンさんの質問に、しばし考えを巡らす。そっか、日本じゃないんだよな。文化の違い……僕が当たり前だと思ってることも二人にとって未知のことだったりするのか……だったら今みたいに同じ食卓を囲むことだって立派な異文化交流だったりするのかな?なんかこそばゆい気分だ。
「これは……そうだなぁ……僕の故郷の、食事の前の挨拶……かな?」
「食べる前に……挨拶するの?誰に?」
「誰に……うーん……難しいなあ……作ってくれた人……かな?」
「作ってくれた人?如月さんのこと?」
「あー……いや、なんか違うな……」
「ねえ?食べていいの?」
「もー?ちょっとまってー?アケビちゃんー?」
難しい……難しいなぁ……いただきます……別に料理人に言ってるって訳でもないし……
「……強いて言うなら……みんなかな?」
「みんな?」
「うん、例えばこのシチュー、料理したのは僕だけど……このお肉を用意するために牛を育てた人がいる。じゃがいもや人参を育てた人がいるし、もっと言えばそのお肉や野菜をここまで運んできた人もいる。お店で売ってくれた人もいる。そういう人たちみんなのおかげで今、僕がシチューを食べられている。だから、そういう人たちに感謝しなきゃいけない、いただきますっていうのは……まあ……そういう感謝の言葉……かな?」
「……」
「……」
「……あ……な……なんてね?僕だっていつもいつもそんなに考えてる訳じゃないけどさ?」
「……如月さん……すごい……」
「え?」
「私……そんなこと考えたこと無かった……そうだよね……スーさんが全部用意してるわけじゃないんだもんね……」
「ねえ、食べてもいいの?」
まっすぐ、曇りのない目で僕を見つめてくるシオンさん……僕なんかの言葉でそこまで感銘を受けられるのも少し申し訳ない気もするけど、それでも悪い気分ではない……かな?
「……いただき……ます?」
「あ!アケビちゃん早いよー!私が先に言おうと思ったのに!」
「……これを言ったら、食べていいんじゃないの?」
「そういう事じゃなくてー!」
「……ふふふっ……まあまあ、冷めちゃうから早く食べよっか?」
「うん!いただきますっ!」
「いただきます?」
「いただき、ます」
3人一緒に手を合わせて、目の前の皿にスプーンをかける……うん、なかなか上々。少しとろみが足りない感じはするけど、有り合わせなら充分かな……
「………!?」
「………!!」
「ん……どうかな?」
「…………………………おいしい……」
「…………美味しい……!なにこれっ……!すっごく美味しい……!!」
「ほ……ほんと?よかった……」
実を言うと……さすがに海外の人に料理を作ったことはなかったから、少し不安だったけど……よかった、なかなかいい感じだ……!
「んん……!なんだろ……!なんだろこれ……!口の中でトロトロ溶けて……しょっぱくて……でも甘くて……お肉も柔らかくって……お芋も……どうやったのこれっ……?」
「え……へへ……それほどでも……」
「んぐ……ほいひぃ……ほいひ……」
「た……食べてからでいいよ?ゆっくりね?」
「……あ!これ……パンって……」
「ん?ああ、そうそう、ちょっとパンが固くなってたから……こう……行儀的にどうかと思うけど……」
「こう……つけて食べると……んんー!美味しいー!!柔らかくて……いっぱいしみ込んで……えへへ……えへ……」
「ん…んぐ………んぐ………」
「あ…アケビは落ち着いて?ゆっくり噛んで食べてね?」
「えへへ……如月さんって凄いんだね……」
「え?いや……それほどでも……」
……さ……さすがに持ち上げ過ぎかと思うけども……あんまり褒められ慣れてない人間だから逆に困るというか……
「そんなことないよ!ね?アケビちゃん?って!もう食べたの!?」
「え、うん、美味しかったから……」
「……足りないならまだあるよ?おかわり、食べる?」
「ん!!食べる……!」
「あー私も!えへへ!ありがとう如月さん!ほら!アケビちゃんも!」
「ん……ありがとう、如月……」
「えへへ……どういたし……」
『ありがとう!にいに!』
「………………………」
「……如月?」
「………ああ…!ああ……おかわりだね?ま……待ってて?」
「………?」
……ほんと、良くないな、こういうの……
……気を取り直してアケビのシチューをよそいに席を立つと、なぜかアケビも着いてきた……ゆっくりしてていいのに……
「ん……これぐらいかな?アケビ?」
「…………」
「……もっと?じゃあ……これぐらい?」
「………………」
「もっと???し…シオンさんの分も残しとかないと……」
「そうだよアケビ、僕の分も残しておいて欲しいなあ?」
「あ、スーさん」
「わ!スーさんだ!いい匂いに釣られちゃった?」
「そういうことだよ、随分と楽しそうにやってるねえ?僕も混ぜて欲しいなあ?」
「あ……すいません……使わせて貰ってます……」
「いやいやー、好きに使って貰って構わないよー?それよりも……それ、僕にも一杯……いいかな?」
-5-
「料理人だ」
「はい?」
「料理人だよ!如月くん!君を料理人として雇わせてくれ!!もちろん衣食住全て提供しよう!行くあてがないと言っていただろう?それならここに住み込みで働けばいい!もちろん相応の給料も出すよ!それから…」
「ちょ……一回落ち着いて……」
「スーさんまたやってる…」
「えへへ……ごめんね如月さん……スーさんそうなると止まらないから……」
スペアミントさんは僕が手渡したシチューを目にも止まらぬスピードでかき込むと、突然僕に詰め寄って捲し立てるように話し始めた。その間わずか30秒……何が何だか分からず僕は呆然と立ち尽くしていた……
「いやーーー!僕は君のような人を待っていたんだ!こう見えて僕、結構グルメなんだが肝心の料理の腕はからっきしでねえ!一念発起してこれだけ道具を揃えたもののもうさっぱりさ!」
「は…はあ……」
「君の料理にすっかり惚れ込んでしまったよ!是非ともここでその腕を奮ってくれ!なに、ずっととは言わないさ!ここでゆっくり考えて、故郷に帰る方法を探せばいい!な?いいだろう?」
「え…えと……そんな急には……」
「……でもでも、私もスーさんに賛成だなあ!如月さんのお料理美味しいし!毎日食べたいな!ね!アケビちゃんもそう思うでしょ?」
「……おかわり」
「って、もう食べたの!?アケビちゃん話聞いてた!?」
「……私は、スーさんとシオンに任せる」
「もー……アケビちゃんはまた……」
「だけど」
「?」
「……如月はいい人だから、大丈夫、だと……思う」
「……はわ……珍しいね?アケビちゃんがそこまで言うなんて……」
「……1度一緒に寝たから、わかる」
「え?」
アケビの発言に一瞬場が凍りかけたが……それでもスペアミントさんとシオンさんは僕に熱い視線を送ってくる。そこまで期待されるようなものじゃないけれど……でも、まあ、唯一の取り柄である料理を褒められるのは悪い気分では無い。確かに行くあてもないしなぁ…………あ…………
「……その……それはいいんですけど……その……僕がいて大丈夫なんですか?」
「……ああ、文月なら心配いらないよ?僕から話付けておくから!そもそもしょっちゅうふらふらどこかに行く子だからね?案外ここにいるのは珍しいんだ、彼も」
「そ……そうなんですか?」
「……逆に言うと最悪のタイミングで来ちゃったねえ君は、不幸体質だったりする?」
「あ…あはは……」
そんなことは……嫌という程知っている……
「ま、とにかくだ、君も晴れて部外者じゃなくなる訳だし、文月に襲われる言われも無くなるってことだよ、多分!恐らく!可能性としては!」
「妙に不安気な言い回ししますね……」
「はっはっは、なあに、僕を信じて?これでも隠し事は得意だから!」
「ちゃんと話付けるつもりあります?」
……とはいえ、まあ……本当に行くあてもないし……それに……うん、アケビにシオンさん……スペアミントさん……人を見る目に自身はないけども、何となく、いい人たちだ……って、久しぶりに思えたから……
「……まあ……そうですね……その……帰る方法が見つかるまでなら……」
「……決まりだね?それじゃあ改めて、スペアミント、この事務所の所長を務めてるよ、これからよろしくね?如月くん?」
差し伸べられた手を、恐る恐る掴む。華奢そうな見た目とは裏腹に、ゴツゴツとした、硬い大人の手だ。
「わーい!やったー!じゃあ私も!シオンだよ!よろしくねっ!如月くんっ!」
「く…くんっ…?」
「えへへ!だってこれから家族でしょっ!如月くんももっと気軽に呼んでいいよっ!」
「え……えと……じゃあ、シオン……ちゃん?」
「うんっ!よろしくねっ!」
元気よく振り回されている手を取る……打って変わって小さくて柔らかい、きめ細かい瑞々しい手だ。
「ほらほら!アケビちゃんも!」
「え?知ってる、でしょ?」
「こういうのは大事なの!いいから!」
鍋の中身を凝視していたアケビが、僕の目の前に連れられてくる……やっぱり、思った以上に華奢で、可憐な見た目をしている。吸い込まれるような美しい瞳……僕は思わず目を逸らしてしまうのであった。
「……アケビ……です?…………よろしく………?」
「よ……よろしくね?」
ギュッ……
「い"っ"」
「あ……あれ?ごめん……」
「ひえっ…!何やってるのー!?大丈夫ー!?如月くん!?」
「っ……!あ……う……うんっ……だいじょぶだいじょぶ……」
……やたらと力が篭った握手に……思わずカエルがひしゃげたような声が出てしまう僕……て……手が……もげそうだったぞ……今……
「もー、何やってるのアケビちゃんー?」
「……なんでだろ、緊張……?」
「えー?なんで?」
「……へえー……そっかそっか?」
「スーさん?」
「……んんっ!あー、それじゃあ早速、如月くんに任務を言い渡そう!」
「は、はいっ!?」
……微妙にイタズラっぽい笑顔の後、スペアミントさんはやたらと仰々しく言い放つ……なるほどこういうノリの人なのか……なんか……分かる気がする……
「今日の夕飯、全員分の食事を頼んだよ!僕の大好物のトマトを使ってね!」
「えっ?あ、はい……あ、トマトですか?」
「トマト、ダメかな?」
「いや、いいんですけど、さっき見た限り食料庫になくって……」
「あちゃー!僕としたことがトマトを切らしてしまうなんて!」
「スーさんってトマト好きだったの?初めて聞いたよー?」
「と、言うわけで、如月くん?買ってきてくれるかな?そこも仕事の一環ってことで!」
「ええ……いいですけど……でも僕、ここの街初めてなんですけど……」
……そういえば、まだ僕はこの建物から1歩も出て無いんだった。ロスト……って言ったっけ?苦労するんだよな……初めての土地の買い物って……
「ん!それなら……アケビを連れて言ったらいい!」
「……………あ、私?」
不意に話をふられて困惑するアケビ……まだ鍋の中身見てたんだ……湧いてくる訳じゃないんだよ……シチューは……
「シオンの方がいいんじゃない?」
「君が拾ってきたんだろう?ちゃんと面倒みなさい?」
「……わかった、如月、行こう」
「えっ?今すぐ?」
さり気に捨て犬みたいな扱いされた気はするが……僕は慌ててアケビを追いかける。
「寄り道してもいいから、まっすぐ帰るんだよー?」
「どっちですか…?」
「ん、如月、こっち」
とりあえずアケビについて行く僕……薄暗い廊下に出て…薄暗い通路に出て……意外と広いなこの家……家?
「……ところでさ、ここって……何するところなの?」
「何?なに………」
「……アケビと、シオンちゃんと、スペアミントさん、あと文月さん、君らって……なんの集まりなの?」
「ああ、レジスタンス」
「れ………………レジ?」
……なんか……あんまり詳しくないけど……それってちょっと……物騒な意味じゃなかったっけ?確か……抵抗運動……とか?
「ね……ねえ?レジスタンスって……具体的に何を……」
「ここ」
「……え?」
辿り着いたのは……小さな階段……そっか、地下室だったのか、道理で窓とか無いわけだ
「……なんか狭いねここ……」
「そう……?ん……よいしょ……」
ガチャリと戸が空いて……外に出る……この部屋は……少し古びた洋館の一室みたいな……本が山のように詰まっている書斎のような場所に出たな……って……あれ?
「アケビさん?今僕ら……タンスの中から出て来なかった?」
「ああ、見つかっちゃいけないから」
「え?それってどういう……」
「ここから外だから、少し気をつけて」
「え?気をつけ……って?」
今ひとつ状況を飲み込めないままスタスタと早足で歩くアケビさんに着いていく僕……そうして、扉から1歩外に飛び出した……
僕の身体に、冷たい風邪が通り抜ける。
巨大なドーム、巨大な穴、巨大なゴミ山、信じられないものは今までで山ほど見てきたが、それとは別の、生理的な恐怖心を感じた。今までとは違う、『等身大』の恐怖……
「……ねえ、アケビ、今って……夜の8時ぐらいだっけ?」
「え?ううん、今は……昼の2時」
「……」
「如月?」
掃き溜めの街、ロスト
僕はまだ、この世界のことを何にも分かっていなかった。