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都会育ちの美少女が俺の郷土愛をズタボロに引き裂いてくれる日々  作者: 竜の心を宿すもの
第10話:虹蔵不見《にじかくれてみえず》
50/66

10 ― 4

 うえ~~~ん! もうどうしたらいいか分かんないよおっ。俺、どうしたらいいの?


 ・・・ミカさんが、最近冷たいんですっ。


     *


 そう。突然。・・・いや待て。突然でもないな。徐々に。いや徐々にでもない。やっぱ突然だと思う。


 もう寒いんで、ツアーを屋内に切り替えて、美術館とか案内してたんだよね。俺、教養を見せてあげようとして、徹夜でググって行った。もうやる気満々。ミカも、絵とか嫌いじゃないらしいし。


 だけど、ミカの様子がなんか違う。いや、普通っちゃ普通なんだけど。普通に会話して、普通に笑顔見せてくれるんだけど、どっか、ほんとには笑ってないっていうか。愛想笑いっていうか。ぎこちないっちゅうか。それに、ときどきぼんやりして上の空。みたいな。


 最初、どこか具合でも悪いのかと思ったんだ。無理して来てんのかなって。女子って、ええと、サイクルとかあるじゃん? そういうやつかと。でもやっぱり心配だから、聞いたんだけど。でも大丈夫だって。全然平気だって。でも言わないだけかもしれない。だったら早く切り上げよう。そう思った。


 ところが、次のときもおんなじなんだ。いやもっとかも。怒ってるのかな? 俺、またなんか言った? でもそんな感じでもないし。


 俺の話、やっぱつまんないのかな? もう飽きちゃった? そうかも。それとも? ・・・こういうときって、どんどん悪い方へ考えちゃうよね。(俺だけ?)


 ミカって、やっぱりお嬢さまだから飽きっぽい性格なのかな。一人の彼氏が長続きしないとか? そろそろ彼氏リニューアルの時期とか? はやっ。・・・それとも何か心配事でも? まさか東京のストーカーとか? 別のストーカーとか? なら、どうして俺に相談してくれないんだろ。俺、絶対守ってあげるのに。たぶん。向こうが最凶じゃない限りにおいて。


 それとも? 考えたくないけど考えちゃう。別の彼氏とか彼氏候補とか? 辻は幸い違ったけど、それに準じた何かの存在。もう同じ誤解と失敗は繰り返したくない。けど、やっぱどうしても考えちゃう。俺って、基本、男らしい男の中の男だけど、たまにちょっとだけうじうじすることもあるから。ごくたまにだけど。あと、俺は、もちろん、自分に絶対の自信あるけど。男として。でも広い世の中、この俺をも凌駕するような、もうちょっとだけかっこいい男が、絶対にいないとは言い切れないし。


 ・・・でもまあ、ここまではまだ、気のせいかもって思うことにして、何となく自分を納得させていた。だってまだ普通にデートしているわけだし。何も言われてないし。ミカだって、四六時中、天使なわけはないよね。気分が乗らないときくらいあるさっ。


 だけど――状況はさらに一段悪化した。ドタキャンです。しかも続けて(涙)。はあああ・・・。


     *


「あ。花染さん。ご無沙汰してます。今ちょっといいですか? 実はですね。ちょっとお聞き――」

「うんうん。分かってる。あたしと月島くんのことでしょ? 正体分かった? 例の。幻の女」

「は?」

「だから! 彼が想い続けてる女。あたしを差し置いて! 丸に絶対痕跡を残さない女。・・・誰なのあれ? 北高の誰か? 学校で会ってるんなら、そりゃ丸じゃ分かんないからな。でもあんたなら知ってるはず。親友だろ。隠すなっ。吐けよっ」

「いや。俺の知る限り、やつは花染さん一筋です。確信をもってそう言い切れます。で、話は変わりますが――」

「あっさり変えるな! 何だその確信って。どっから来た? 根拠は? それじゃ、あの女は誰だよ?」


 もうやだ。めんどくさい。どうしても説明しろと? しょうがないなあ。


「ええとですね。そこまで知りたいとおっしゃるのであれば、やむを得ませんですね。ちょっと説明しづらいんですが」

「いいから! もったいぶんな。とっととっ」

「・・・実はですね。他でもない花染さんが、そんなにもお悩みのところを、しかと拝見いたしましてですね。他でもない花染さんのたってのお願いとあっては、この不肖山本めも、これは見過ごすことができないと。これはやはり、月島本人を、とことん問い詰めねばならぬと。そう考えたわけでして。そこで、やつの胸ぐらを掴んで、厳しく小一時間、詰問いたしましたわけですよ。その結果――」

「その結果?」

「やつは遂に懺悔いたしました。真実の告白、とでも申しましょうか。その決定的瞬間に立ち会った不肖山本といたしましても、これこそ、真実の瞬間、モーメントオブトゥルースであると。そこには一片の嘘もないと。いかに信じがたい内容であろうとも、魂の真実のみが語られていたと、そのような確信に至ったわけでありますっ」

「ちょ! ちょっと待ってっ」


 電話口で、花染さんが息をのむ音が聞こえた。


「・・・今ちょっと。心の準備が。・・・よろしい。いいよ。覚悟はできました。言いなさい。その衝撃の真実とやらをっ」

「いや別に衝撃とは言っておりませんが・・・」

「早く言えっ」

「実はですね。月島曰く――」

「曰く?」

「曰く。・・・自分には、特殊な能力が備わっていると。そう申すのです。未来が見えると。あるいはですね。平行世界パラレルワールドが見えると」

「・・・は?・・・」


 俺はすかさず強引にたたみかけた。


「そしてですね。驚くべきことに、こう申すのです。いつも見えるわけではない。真実の愛に目覚めたとき。そのときにのみ、愛する女性の中に、そのイメージが浮かんで見えるのだそうです。未来の彼女の姿が。あるいは、別の世界の彼女の姿が。その意味が分かりますか?」

「と言いますと?」

「花染さん! やつがあなたの中に見ているのは、誰あろう! さらにより一層、美しく花開いた、あなた自身のお姿なのですっ」

「・・・」

「ちなみに、このことは極秘事項なのだと。どうしても隠し通す必要があるのだと。偏見に凝り固まった愚民どもによる、異能の徒への迫害を避けるためです。特に、最愛のあなたには、絶対に打ち明けられない。あなたも迫害されてしまうからだとっ」

「・・・」

「やつは泣いて懇願するのです。どうかこのことだけは、花染さんには言わないでほしいと。自分のせいで、彼女が迫害の危機に瀕するのは、とても耐えられないとっ」


 しばらく沈黙が続いた。花染さんが、怒ろうか笑おうか泣こうかと、その三択で迷っているのがよく分かった。やがて、


「う~ん」


 ちょっと涙声。お? 意外と真に受けてくれた? てか、我ながらめっちゃええ話やん。俺、自分でももらい泣きしちゃう。


「・・・ごめん。その話、さすがにちょっと信じらんない。だけどもし本当なら、・・・死ぬほど嬉しい。あたし、とりま態度保留」

「そ。それで結構です! あの。俺が言ったってことは、月島には絶対ご内聞にっ」

「それは了解。言わない。じゃ」

「ちょ! ちょ! まだ話終わってないから!」

「なんだよ? あたし、ちょっとこれから、今の話の余韻に浸りたいから」

「その前に! ミカさんのことでっ」


 花染さんはまた急にドライになって、


「えぇ? なにぃぃ。最近うまく行ってんだろ? それともまた捨てられた?」

「いやまだですっ」


 をいっ! 「まだ」とか自分で言うな俺っ。終末を先に認めちゃってどうするっ。


「――でも、最近ちょっと気になることが・・・。教室でミカさんどうですか? 元気? 何か変わったことは?」

「うーん。別に。ふだんと変わんないよ。あんた細かいこと気にしすぎなんだよ。なんかあったわけ?」

「ミカさん、最近ちょっと上の空っていうか。あとドタキャンが二回ほど」

「あ。それダメだわ。それ終わる。兆候見えてる。あんた捨てられるよ」

「そんなあっ。やだっ」

「だから無理だって。最初から言ってるだろ。付き合ってる方が異常事態」

「言ってませんっ」

「固執する子だなあ山本くんも。・・・いや、気持ちは分かるけどね。心配だよね。うんうん。気になるよね。うんうん。じゃあさ、こうしようよ。あれしよう?」

「は?」

「だからさ。位置アプリ。二人でなら、怖く――」

「すいません用事ありました切ります」


     *


 う~む。・・・ひょっとして、月島が、また薄汚い手でミカに迫ろうとしてるとか? まさかとは思うが、やつは一瞬たりとも信用できない。要チェック。


「おおお山本くん。今日は別に呼んでないけど?」


 屋上でコンビニおにぎりを手にした月島は、頬がこけていた。


「顔色が悪いぞ。まあ天罰だが」

「君ごときには、僕の高尚な悩みなど分かるまい。みどりステージ3への道のりが、暗礁に乗り上げているんだ」

「だから! 普通のらぶらぶで満足しろと、あれほど言っ――」

「3の魔力は、経験した者にしか分からない。ほとんど依存症なのだよっ」

「断て。病院行け」

「だが、僕は遂に、唯一の解決策を発見したのだよっ」

「言うな。聞かない」

「それはだ。みどりとのらぶらぶ関係を、いったん解消して白紙に戻す。仕切り直しだ。そして、みどりと別の男がステージ2になったのを見計らって、そのタイミングで寝取る」


 俺は唖然とした。


「この鬼畜がああああっ!」

「そのとおりだ」


 月島は珍しく素直にうなずいた。


「だが理論上は完璧なプランだ。にもかかわらず、なぜか踏み切れない。どうしても、みどりを失うリスクを考えてしまう。そのリスクと、ステージ3のリターンとを天秤に掛けて、悩み続ける毎日だ。苦悩の日々。前人未踏、孤独な闘いが続く。偉大なる愛と美の殉教者。僕の前に道はない。開拓者は辛いっ」

「・・・俺、やっぱ下でおにぎり食う」


 まあとにかく、月島がミカの件に関わってないことは確かだ。あれが演技なら、やつはアカデミー賞5個取ってる。


     *


 もうヤケです。


「あ。会長。お久しぶりです」

「おお山本くん。やっと〈ミレーマ〉に入会する気になったかね?」

「鋭意検討中です。・・・ところで、最近何か新情報はないですか? ミカさんがらみで」

「〈P〉か? いや。もぐらからは特に何も聞いてないが。ここんところ平穏そのものだ。バグの解消がやはり効いてるんだろうな。最近はやつらの暴走もない。・・・そう言えば君、またやつらにマークされてるぞ」

「は?」

「〈P〉のご相談センターにしつこく電話しただろ? 『レベル3違うはずだ』とか言って」

「だって違ってますもん。明らかにっ」

「電話録音されてクレーマー扱いされてるぞ。受付の人に怒鳴ったらダメだよ。気の毒じゃないか」

「ええっ? そんな! ひどい。正当な抗議なのにっ」

「大人社会はそんなもんだよ」

「それって子供社会と同じじゃないですかっ」

「もっとひどいぞ。慣れろ」


     *


 ヤケ電話続けますね。


「ああどうも白鳥先生! お忙しいところ恐縮です。あのっ」

「山本。ちょうどいい。電話するところだった。お前、報告書出してないだろ。催促来てるぞ」

「ああ・・・すみません。ちょっとドタキャンが連続で・・・」

「それとなあ。忘れてないだろうな? 『手引き』に書いてあるんだが。アンバサダー関係は、今月が締めなんだ。年末調整の関係でな。経費と購入物品のリストをエクセルで提出することになっている。今年一年分。ちゃんと締め切りに間に合わせろよ」

「えー。毎月出してるじゃないですか」

「あのな。覚えとけ。同じことを、違うエクセルで何度も書かせることこそが、役所の仕事なんだ。しかもコピペできないように、毎回違うセル書式でな。慣れろ」

「はああ。・・・あの。ところでミカさんのことなんですけど、何か〈組織〉から情報など――」

「別にないぞ。忙しいから切る」


     *


 結局何も分からない。ただ疲れただけ。八方ふさがり。はあああ。今日は土曜なのに。いつもなら、ミカとお出かけしてる時間なのに。


 次の候補地をネットで検索してみているけど、なんか虚しくなってきた。だってこのままキャンセルが続いたら無駄だし。


 そんな深刻なことじゃないのかな? たまたま偶然、ドタキャンが重なっただけ? 来週は普通に戻るの? ミカは理由を何も言わなかった。ただすまなそうに、何度も謝っていた。だけど、電話口の声も、どこか、辻のときとは違って聞こえた。


 勉強でもする? それとも、気分転換に、ちょっとどこかに出かける? 〈マモ~レ〉とか? 駅前とか? 最近の週末はいつもミカといっしょだったから、一人で出かけるのが異様に寂しく感じてしまう。前はそれが普通だったのに。


 まあコーヒーでも入れてと。高校生らしく課題やるか。やだなあ。・・・そのときピンポンが鳴った。インターホンに映ったのは――。


 ミカだった。


     *


 正直驚愕した。まったく予想外だった。ミカがうちに来るなんて。ヒルのとき以来だ。というか、あのとき一度きり。


 心臓が早鐘のように打った。今、家にいるのは俺だけ。そこへミカを入れちゃう。家の中へ。こ。これって、もしかして、すごいことでは? 定義上、エロシチュではないでしょうか? しかも俺が誘ったんじゃなく、ミカの方から積極的に。・・・お嬢さまっ。なんと大胆なっ。いいんですか俺なんかで? うおおおおおっ。


 でもこれ、まじでヤバいかも。〈P〉はどこ? スナイパーは? ミカが入るところ見られた? まさか俺んち、蜂の巣にされちゃう? 爆破とか? ・・・前回は無事だったけど、今回は状況かなり違います。何より、今って、いちおう彼氏アンド彼女だしっ。つまりです。彼女さんが、俺という彼氏さんの部屋にいるわけなのでっ。ふたりっきりでっ。


 あああしまったあ! もう慌てすぎていて、何が何だか分からんうちに、ミカを俺の部屋に入れてしまったあ。ダイニングかリビングに通すべきだったのにっ。でもミカは、何の心配顔も見せずに、ごくごく自然に、俺の部屋に入ってきた。警戒しまくっていた前回とは、えらい違いです。・・・でもね。ちょっと! いくら何でも、これは無防備すぎでしょ。嫁入り前の、うら若き娘さんなんですから。しかも普通のひとじゃなく、VIPでしょあなた? ミカパパが見たらどう思いますか? 俺、絶対殴られちゃう! ・・・


 俺の頭は、かくのごとく、しばらくの間沸騰していた。だけどそれがやや治まってくると、その場の雰囲気が、どうやらそんな甘ったるいものではないことが、ようやく感じ取れるようになった。少なくともエロシチュからは遠い。ミカの表情は真剣で、どこか緊張をはらんでいた。・・・ん? でもエロシチュでも女子って緊張するのかな? いかん! 無理にエロシチュに引っ張ろうとしてないか俺?


 ミカは妙に無口だった。何か迷っているように見えた。やがて口火を切った。


「ええと・・・。ごめんなさい。急に来たりして」

「全然いいよ。どうせ暇だし。来るの久しぶりだよね? うちの場所、覚えてたんだ」

「当然。忘れるわけないもの」

「今コーヒー持ってくるね。ちょうど入れたとこ」


 戻ってきた俺が、机の上からごたごたを急いでどけてコーヒーの場所を作ると、ミカは、ありがと、と言ってその前の椅子に座った。椅子をずらして、ベッドに腰掛けた俺の方へ向き直り、ちらと俺の顔を見たが、すぐまた目を逸らした。俺たちは黙ってコーヒーをすすった。・・・椅子からすらりと伸びたミカの脚を、思わず見てしまいます。(エロシチュじゃないと何べん言えば! 俺のバカ!)


 気まずい沈黙に、もう限界っす。俺は言った。


「あのさ。今日、用事があったんじゃ? もういいの?」

「え? ああ。うん。大丈夫。どうしようか、ちょっと迷ったんだけど。でも山本くんと先週も会わなかったし、ね? 私が悪いんだけど。でもちょっと顔見たくなって、何となく来ちゃった。ちょっと話もしたいなって。おうちにいないかもって思ったんだけど。でもいてくれたから。はは」

「そうなんだ。はは」


 また沈黙。


「散らかっててごめんね。恥ずかしいな。はは」

「全然大丈夫。勉強してたの? 邪魔しちゃったかな。ごめん」

「いや~どうせダラダラしてただけだから。はは」

「これ北高の課題? けっこう難しそう。さすが進学校」

「量多いだけ。めんどい。はは」


 沈黙。・・・聞くのが怖いことを、思わず聞いてしまう俺。


「あのさ。ミカさん、最近忙しいんだね。来週とかは大丈夫なの? 週末」


 ミカはびくっとした。また目を逸らして、


「ああ! うーん。そのことなんだけど。・・・やっぱりちょっと、しばらく様子見ようかなって思って。お互い、ちょっと忙しくなってくるじゃない? ね? 山本くんも。勉強とかで。年末だし。寒いし。雪降りそうだし。それに・・・」


 聞かなきゃよかった! やっぱ別れ話だ。もうかよ! 早すぎるよ! もうやだあっ。・・・ミカはためらいながら言葉を選ぶように、


「ちょっとね、いつもいっしょだと、目立っちゃうかな? って。噂になったりとか。山本くんにも迷惑かかると悪いし・・・ええと・・・」


 いつかのバスの会話を思い出した。やっぱりあちこちで見られたのか? 南高でいろいろ言われてるとか? まさかネットで? 花染さんは何も言ってくれなかったけど。


「友だちに何か言われたの? それとも・・・パパに何か言われた?」


 ミカは慌てて首を振った。


「いえ! 違うの。そうじゃなく。そうじゃなくて。ただ。ええと・・・」


 ミカが困っている。俺、責めるみたいな口調だった? そんなつもりはない。理由はどうあれ、遅かれ早かれこうなるのは目に見えていた。認めたくないけど、花染さんは正しい。客観的に。どう見てもミカは高嶺の花だし。・・・そのミカが困ってるじゃないか。困らせるな。何か言え。でも言葉が出てこない。


「うん。でも。でも、私ばっかりその気になってぐいぐい行って、ちょっと山本くんには迷惑かもって、最近思って。山本くん優しいから。私、ちょっと甘えちゃってるのかなって」

「いやっ。そんなことないですって。そんなことないから! 全然」

「そうかなあ。はは」

「そうですよ。ははっ」

「それにね。うん。あんまり深入りしすぎちゃうと、後で辛くなるかな、なんて」

「いやあ。そんなことないですよ。考えすぎ。はははっ」


 何をちゃらちゃら言ってんだよ俺は。優しいのはミカの方だ。何とか俺を傷つけずに話そうと、必死じゃないか。終末を素直に受け入れろよ俺。だけどびびりの俺は、無理やり話題を変えようとして、


「・・・そう言えばミカさん、写真部に入ったんだよね? 忙しいって、部活もあるから?」


 ミカは明らかにほっとした様子で、


「ああ! うん。そうなの。そう言えば忘れてた。山本くんにいろいろ聞こうと思ってたの。私、カメラのこととか全然分からなくて。・・・まだカメラも買ってないんだよ! 他の人のを、ちょっと触らせてもらっただけで。ね? おかしいでしょ。笑っちゃうよね」

「はは」

「設定ってあるじゃない? 絞りとかシャッタースピードとかイソ? 感度とか。あの三つの関係がいまいちよく分からなくて。あとレンズとか」

「はは。難しいよね。うん。はは。本とか見れば、いろいろ書いてあるけど」

「あ! そういう本持ってる? あと、どのカメラがいいのかとか。いろいろありすぎて迷っちゃう。そういう本ある? 雑誌とか?」


 ミカは本棚を指差して勢いよく立ち上がった。その風が、ふわりとシャンプーの香りを運んだ。机の上の紙切れが舞い上がった。


「あ。ごめんなさい」


 ミカは床に落ちた紙を拾い上げた。ああっ。太ももっ。すてきっ。(俺のバカっ!)


 ミカは手にした紙をしげしげと眺めると、


「課題じゃないんだ。・・・何これ? 『OA委託業務・事後報告書』?」


 しまった!


「あーそれっ。俺ちょっとバイトしててっ」

「へー。山本くん、アルバイトもしてるんだ。すごい。これって県庁に出すの? 役所のアルバイトって、こんなすごい報告書も書くんだ。さすが公務員志望。もう将来見据えちゃってる。すごい堅実。私なんかと全然違う」

「ははは。いやそれほどでも。はは」

「・・・え? でもこれって・・・この前、私と行った場所だよね? 日付も――」


 まずい。ミカの顔色が変わった。


「決定に至った経緯? オフィシャルアンバサダー?」

「いやそれはっ」

「このクライアント様って、・・・私のこと? 『私は、上記クライアント様と、個人的利害関係もしくは不適切な関係を有していません。』って」

「いや違いますっ。それはそういうことではなくてっ」


 ミカが激しく動揺しているのが分かった。顔がみるみる白くなった。机の上から紙の束を掴んだ。


「前の書類も・・・全部。全部、私たちが行った場所」

「いやっ。あのっ」

「そうだったんだ。すごいね。仕事だったんだ。全部。全部お仕事」

「いやっ。そうじゃなくっ。必ずしもそうとばかりも言い切れ――」

「誰に頼まれたの? パパじゃないよね? 県の偉い人?」

「いやっ。そういうことではなくっ」

「私がかわいそうだから? 友だちいなくて寂しそうにしてたから? それで引き受けたの?」


 ミカは片手で額を押さえ、ふらりと揺れて椅子にもたれかかった。でも倒れなかった。それから顔が怒りで燃え上がった。


「ありがと山本くん。親切なのよく分かる。お仕事も熱心。だけど悪いけど、そんなの、正直余計なお世話だから。同情してもらわなくていいから。私、頼んでないから。自分の面倒は自分で見られる人だから私。もういいからそんなの」


 目が潤んで赤い。椅子を掴んだ指の関節が白い。


「私バカみたい。彼氏とか彼女とか。ひとりでいい気になって。でもバカでも、うすうす気がついてた。だって、山本くん、地元の子の方が好きなんだよね。私みたいに浮いてる子じゃなく。無理して私に付き合ってくれてるの、何となく分かってたよ。山本くんって、優しいからさあ」


 言葉を詰まらせながら、


「でも良くないからそういうの。バカな子は誤解しちゃうから。ダメだよそういうの。良くない。やめた方がいいよ」

「いやっ。俺はっ。それ違っててっ」


 バカなのは俺だ。饒舌はどこへ行った? 頭が真っ白で何も言えない。全部洗いざらい話したいけど、できない。自分がずっと監視対象だったなんて、絶対にミカに知らせるわけにはいかない。この街を彼女のトラウマにすることだけは、断じて許されない。


「うん。・・・私、もう帰るね。怒鳴っちゃってごめんなさい。はは。もう大丈夫だから。心配しないで。じゃあね。さよなら」


     *


 俺は玄関で、茫然とミカの後ろ姿を見送った。ミカは振り返らなかった。俺はバカすぎて、衝撃が大きすぎて、後を追って行くことすら考えつかなかった。


 でも、追いかけて行ったら、何か変わっただろうか?


 ミカを怒らせてしまったのはこれが初めてじゃない。でも前のときは、俺にその勇気さえあれば、全部誤解なんだと言い切れる自信があった。今回は違う。オフィシャルアンバサダーは仕事だった。ミカとのツアーは仕事だった。俺は、公務員枠をぶら下げられて走る駄馬だった。それが事実なんだ。


 そして、その俺の、クソみたいな打算とゴミみたいな下心が、一番傷つけたくないひとを、これ以上ないくらい、深く傷つけてしまったんだ。


 これが事実だった。これが現実だった。これが、起こってしまったことだった。そして、俺は、それを前にして、ただ立ちすくんでいるのだった。




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