7 ― 4
「白昼堂々、拉致られたんだって? ちびらなかったか? ぶひゃひゃひゃっ!」
昼休みの屋上。ビーチチェア。月島は爆笑しつつ、和風おろしハンバーグを口から吹いた。きたねえなおい。
「・・・てめえ・・・何で俺を推薦とか・・・」
「わりいわりい。山本くん、最近なんか落ち込んでたからさあ。元気づけてあげたくって」
「嘘つけこの野郎」
「ぶひゃひゃひゃ。・・・それにさあ、万一、敵に見つかったとき、僕が逃げる間、囮になってくれるやつが必要じゃん? そう思った瞬間、君の笑顔が心に浮かんだってわけ。親友だし」
「そんなこったろうと思った。で、お前が〈ミレーマ〉に入ったのも、今回のミッションに志願したのも、どうせ何か魂胆があるんだろうな。吐け」
「おお。さすが親友。分かってくれてるね~。〈ミレーマ〉は静香ちゃんのリクルートなんだ。面白そうだったし、僕の崇高な理想にもぴったし合致するし。それに今回のイベントは、もう最高! 南の文化祭って言えば、平日でしかも保護者限定だから、普通僕ら、絶対行けないじゃん? 三年にいっぺんしかないし。こんなチャンスもう二度とないよね。さすがの僕も、南の子全員知ってるわけじゃないから、かわいい子総ざらえのチャンスはぜひとも生かさなきゃ」
「遊びに行くわけじゃないぞ! 敵の極秘データは――」
「あ。それ、君に任せた」
「をいっ!」
*
ケータイが鳴ってる。〈ミレーマ〉。普通に取りたくない。
「山本くんかね? 今から指示するアプリをダウンロードしてくれ。通話を暗号化する。公開鍵はこれ。リベスト・シャミア・エーデルマン楕円関数方式だ。45秒後に再度コールする」
「はあ・・・」
「山本くんかね? どお? 暗号化されてる?」
「・・・たぶん・・・」
「よろしい。早速本題に入ろう。北高の方は手配済みだ。当日、君と兵士は生徒会の仕事で終日欠席。怪しまれることはない」
「なるほど」
「添付したpdfは南高校舎の構造設計図だ。想定した侵入経路は緑、脱出経路は赤で示してある。黄色が目的地だ。表向きは生徒会準備室だが、実態は〈PIA〉本部資料室なのだ。問題のデータはそこにあるはずだ」
「了解です。ところでちょっと実行クルーのことでご相談が。適性という点で問題ありかと――」
「図にも書いたが、当日は正面からは入れない。許可証が要る。保護者かどうかのチェックも入る。だから裏手の雨どいを登って屋上に侵入しろ。そこから屋根裏に入れる。後は、天井裏づたいに進めばいい。だが、ただ一か所、問題がある。そこだけは、どうしても廊下を通らねばならない。見とがめられたら終わりだ」
「なるほど。ですが月島・・・兵士のことで、ご相談が――」
「そこで衣装を用意した」
「・・・は?」
「文化祭の出し物をカムフラージュに利用するんだ。演劇部が『尼僧物語』を演る。君たちも、尼僧の扮装で廊下を行けば怪しまれない」
「・・・はい?」
俺はその光景を想像して絶句した。
「で? 相談とは何だ?」
「あ。あのですね。兵士ですけれども。どうも、任務に対する情熱と献身度が足りてない気がするんですね。ちょっと誰かと代わってほしいな、とか思いまして」
「いや彼は優秀だぞ。仕立て屋の折り紙付きだ。〈P〉の敵という点でも、君ほどじゃあないが、ちゃんと、レベル1に指定されている」
俺は耳を疑った。
「え!? まじで? 俺がレベル3なのにやつはレベル1? そんなバカな。それ変! その評価システム絶対おかしいっ。断固抗議するっ」
「電話口で怒鳴るな。文句があるならここに電話してみろ。〈PIA〉被疑者様ご相談センター。平日10:00から16:55まで受付。土日祝休み。まあいつでも話し中だがな」
なんだよ! 〈P〉め! 月島だけ甘々とかっ。えこひいきしやがって! 不公平だ。もう付き合いきれんっ。俺は切れた。
「あのっ。とにかくですね。直前で申し訳ないってばないんですが、やっぱ俺、このミッション辞退させてもらっていいですか? こういうアクション系のキャラじゃないんで。〈ミレーマ〉の人間じゃないし。万一捕まったらヤバいし。公務員枠とか吹っ飛んじゃうし。俺、自分で言うのも何ですけど、将来有望な若者なんで。将来棒に振りたくないんでっ」
「う~ん。今さらかね?」
「兵士がそんな優秀だったら、例えば仕立て屋と組んで、二人で行けばいいじゃないですか? 仲良しだし。逢魔先輩、逃げ足速いしっ」
「・・・そうか。そこまで言うんなら、脅迫してまでやらせるつもりはないがね。我々の理念に賛同して、喜んで参加してくれるものと期待していたんだが。残念だ」
会長の声が硬くなった。
「だがね山本くん。それで、本当に君はいいのか? 満足なのか? ポニテ禁止。アシメ禁止。〈P〉のやつらが大手を振って、理不尽に、南高の女子の心を虐げている。それを指をくわえて眺めていて、君はそれで平気なのか?」
なに言ってんだ。冗談じゃない。カルト野郎が。常識で考えろよ。不法侵入だろ。もぐらだか極秘データだか知らんが、まともな人間なら一笑に付すとこだ。俺は法律を遵守する模範生徒だからな。
だが、――そのとき不意に俺の脳裏に浮かんだのは、花染さんが言っていたミカの姿だった。転入してきたばかりのミカが、一生懸命に愛想笑いを浮かべている。はい。分かりました。そして窓の外を見る。――ガラスに映った泣きそうな顔。
俺ってほんとバカだね。実際に見たわけでもないのに。・・・だけど許せない。ミカを泣かせるやつは誰だろうと許さない。それが俺自身でも。理屈じゃ説明できない類の憤怒が、どこか奥底から抑えようもなく込み上げてきて、喉から飛び出しそうだった。・・・俺は言った。
「訓練は何時からですか?」
*
南高校舎の設計図とやらを眺めてみる。そうとう年季が入った代物で、紙の変色と破れが、まるで海賊の財宝地図みたいだった。よく手に入りましたね。そう言えばあそこの校舎自体、外から見てもかなりぼろい。天井裏とか大丈夫なんでしょうか。不安が募る。まあだけど、何ページもある図面は非常に詳しくて、一度も足を踏み入れたことのない建物でも、手に取るように中の構造が分かった。螺旋階段がすごいね。あとは、図面じゃ分からない細かな点を、二つ三つ確かめれば・・・。
「花染さん。どうもです。よく分かりました」
「いいけど別に。だけど山本くん。そんなこと聞いてどうすんの? なに企んでるんだよ?」
「え? いやっ。べべべ別に何もっ。ちょっとした好奇心でっ。それより、今度の文化祭、楽しみですねっ」
「そうかなあ。正直期待してないけど。他校生禁止だし。模擬店あるけど三年だけだし。・・・アニメみたいにはいかないよね。北高はどう? 十月だっけ?」
「うちも似たようなもんですよ。外の人入れないから。結局、単なる研究発表会ですね。じゃまた」
「ちょっと! 『月島くんとはその後どお?』とか聞かないの?」
「聞かないです」
「聞けよ」
「いえ・・・あキャッチ入ったかも」
「嘘つけ。ミカに捨てられてんだから、キャッチとか入るわけないだろっ」
「切りますね」
*
車は、市電の通る大通りを横切って交差点を直進すると、南高の横の狭い道に入っていった。並木の間に、南の細長い校舎が見え隠れする。奥の四階建ての建物が、目的の本館だな。だが車はそこを通り過ぎて、その先に隣接する中学校のグラウンドも横目に見ながら、さらに進んだ。体育の授業中らしく、にぎやかな声が響く。
グラウンドの背後には、ぴったりくっついて普通の民家が立ち並んでいる。路地に入って、ゆっくりと一回りすると、今度は南高のグラウンドが見えてきた。テニスコートを囲むフェンスの手前は、戸建て用の更地になっている。車は、不動産屋の看板の隣にさり気なく駐車した。
「車はここで待つ。脱出したら中学の敷地を抜けてくれば速い。待っている間に、万一駐車が見とがめられた場合には、車は、そこのパン屋の左を入った所に移動している――プランBだ。もしここまでたどり着けない場合は、プランC。市電で逃げろ。直近ではなく隣の停留所まで、走って行け」
「了解です」
「じゃ、兵士は周囲を一回りして様子を確認してくれ。仮に〈P〉が張り込んでいても、3名以内なら決行する」
「了解」
月島はいつになく緊張した面持ちで、車を降りて走り去った。
「山本くん。これを渡しておこう」
ウサギはポケットから名刺のようなものを取り出した。
「・・・これは?」
「〈脅しのライセンス〉だ。万一捕まったらこれを見せて、自分は〈P〉のクラス2エージェントだと言い張れ。本部に照会している間、時間が稼げる。隙を見て逃げろ」
「ふぁぃぃぃ。・・・でもこれ、なんか前に、似たようなやつ見た記憶が」
「うむ。それはたぶん〈癒しのライセンス〉だな。クラス1。〈P〉の末端エージェントだ。クラス3のやつは見てないはずだからな。もし見てたら、君はもうここにはいない」
「ひいいいいっ」
ってことは、・・・逢魔先輩がもぐらなのは、ほぼ確定じゃないですか? ほんとに今日、大丈夫なんでしょうか? まあ、たとえ新しい写真集が欲しくても、先輩が月島を売ることはないと信じたい。愛の力は偉大だ。ですよね?
「それから、これは要るかね? 〈スパイダーマン用手袋&地下足袋セット〉。カメレオンの皮膚からヒントを得てNASAが開発したナノテクノロジーだ。『雨どい登りも楽々』って書いてあるぞ。マーケットプレイスでゲットした」
「そんな便利なもんがあるんなら、どうして訓練の前にもらえなかったので? きつくて死にそうだったんですけど」
「この性能を過信したせいで二人骨折したからな」
「・・・要らないですね。充分訓練したので」
「これはどうだ? 〈ボスが来たボタン〉だ。送料無料にするためついでに買った。絶体絶命のとき、ケータイだと時間がかかり過ぎるだろ? これなら一発。SOSを受信したら直ちに私が救助に行く。・・・まあどっちみち、今回は、君たちの後に私も続くつもりではあるがね。君らだけを危険にさらすわけにはいかない」
なあんだ。会長も来るのか。だったら俺たち呼ばずに、自分一人で行ってほしかったですね。
「あの。一つ質問があるんですが」
「何だ?」
「あの本館の雨どいをよじ登るんですよね? 今? この真っ昼間に?」
「そうだ。うまい具合に、木の陰でちょうど死角になっている」
「でも角度によっては、外から丸見えって気がっ」
「大丈夫だ。文化祭のアトラクションだと思ってくれる。気づかれたら爽やかに手を振ればいい」
「・・・でも、今思いついたんですけど、どうせそうやって屋上から忍び込むんなら、なにも文化祭に合わせなくってもいいんじゃないですか? 普通の日に、真夜中とかに決行する方が、見つからないのでは?」
会長は、天を仰いでかっかっと笑った。
「かっかっ。山本くん。やはり素人だな。・・・君の考え方は、一見もっともらしいが実はそうではない。夜中に侵入してみたまえ。まず警報システムがある。警備員もいる。警戒厳重だ。見つかったらまず逃げられない。白昼堂々というのが、大胆なようでいて実は最適解なのだ。親や家族のギャラリーで混雑しているから、人混みに紛れて逃げるのは容易なのだよっ」
「・・・なるほど。そう言われると確かにそうかもですが。でも、今、なんか焦ってませんでした? 気のせいですかね? なんか慌てて理屈考えてたような。・・・まさか会長。結局、ただ理由つけて、南の文化祭、見に来たかっただけなんじゃ?」
「お。月島くんが帰って来たぞ。月島くん。どうかね様子は?」
ウサギが俺を完全無視してパワーウィンドウを下ろすと、月島は屈みこんで、辺りを気にしながら、いつになく真剣な面持ちでささやいた。
「かわいい子5名のライン、ゲットしましたっ」
「をいいっ!」




