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花染さんが泣いている。
もうデジャブ感全開っす。同じ〈クレープ田んぼ〉。同じ外のテーブル。同じ通行人の痛い目線。違うのは、食べているクレープの種類だけ。・・・てか今日は二人とも、とりまソフトクリームですね。暑いんで。九月なのにまだ35度とか、もうやってらんない。
俺は、焦がしキャラメルアーモンドを味わいつつ、例によって美少女と二人なのにデートじゃないっていう、ほろ苦いシチュも同時に噛みしめていた。
「花染さん。泣くんなら、なかで泣きましょうよ。ここ恥ずかしいし暑いし。泣きたいの俺の方だし」
花染さんはすすり泣きをいったんやめて、ラムレーズンショコラベリーをあむっと頬張ると、
「泣くの、あたしに優先権ある。前も言ったけど」
「ええ~」
「だってあたしの悩みは新鮮。いつだってフレッシュ。あんたなんて、捨てられたの七月でしょ? もう干からびてんじゃん。まっだ泣いてんの? ってレベル」
「いや。それがですね。いろいろと込み入った事情が――」
「事情だったら、あたしの方が全然込み入ってるから。月島くんとミカ。両方知ってる。両方大好き。もうどうしたらいいか分かんない。見なきゃよかった。花火なんて行かなきゃよかった。ほんと後悔してる」
「ですよね~。俺もほんと、あの晩は――」
「双眼鏡でミカ見たとき、もうショックで! でも今考えたら、あたし、ただ嫉妬してた。どす黒い嫉妬。山本くん、たぶん気づかなかったと思うけど。ミカのこと、思わずちょっと悪く言っちゃったりして」
「いやそれ、もろ分かりでしたから。花染さん、口汚く罵ってまし――」
「だけどそれはもういいの。一瞬だったから。その後すぐ、二人はお似合いだから祝福してあげなくちゃ、って思った」
いいなあ花染さん。花染さんのそういう性格。心の広さ。素晴らしいです。月島には猫に小判だけど。
「だけど問題はその後なの」
「は?」
「あたし、ミカを追っかけて探しに行ったじゃん? あのときさあ。もう自己嫌悪」
「はあ」
「月島くんに振られちゃってミカかわいそう、慰めてあげなくちゃって、そう思いながら、一方で、・・・内心ほっとしてた。喜んでる自分がいた。最低の自分」
「あああ~」
いいなあ花染さん。それで自分を責めてるのか。本当に良い子なんだなあ。
「だってさ。月島くん、たぶん言ったんだよね。『ちょっと出来心でミカに声かけてみたけど、やっぱり僕が心から愛してるのはみどりなんだ』って。『それがたった今、分かったんだ』って。それでミカ、ショック受けて帰っちゃったんだと思う」
「ごぼぼっ」
「アーモンドむせた?」
「ごぼっ。・・・いやっ! それ、なんか違う気がっ」
「だってそれしか考えらんないだろ? 普通」
「いやっ。それ俺の聞いた話とかなり違う気がっ」
「聞いたって、誰から?」
「ええとっ。・・・事情をよく知る消息通ですね。専門家っていうか。その筋からの情報によると・・・ええと・・・あまりにも違う話なので、どこから手を付けてよいのか・・・」
俺は途方に暮れた。
「早くしろよ。ソフト溶ける」
「もうほぼ食べちゃったじゃないですか。・・・あのですね。例えば、専門家の話ですと――俺が言うんじゃないですよ。専門家曰く。ミカさんは俺に惚れてる」
「ごぼぼえっげほっげほっ」
「ラムレーズン喉にくっついちゃいました?」
「げほっ。・・・あのな。山本くん。厳しい現実を直視したくない気持ちは分かるよ。分かるけど、妄想は良くない。妄想はやめなよ。もうふた月だろ? 心身に影響をきたすぞ。もうきたしてるかも」
「いや俺が言ったんじゃなくっ。専門家がっ」
「だからその専門家も妄想の一部なんだって。あるらしいよそういうの。ミジンコと話したりとか」
「いや俺ミジンコ嫌いだから」
「とにかく。ね? 辛いだろうけどさ。現実をしっかり見て、先に進もうよ」
「はあ。でも――」
花染さんは、毅然として事実を列挙し始めた。
「いい? まず。ミカはあんたをブロックしてた。まだしてる。これが現実」
「あ。でも専門家の意見だと、それ、屈折した愛情表現の可能性も――」
「はあ? なにそれ。あのね。女は現実的な生き物だっつってんだろ。ブロックしたってことは、ブロックしたいってこと。あんたと話したくないって意味。他意はない」
「・・・やっぱそうですかね・・・」
「次にだ。ミカと月島くんはデートしてた。これ現実」
「いやデートじゃない可能性も――」
「そして最後にこれ。・・・あ。ちょっと待ってて」
急に立ち上がって店内に消えた。クレープを手に、戻ってくると、
「ね? 比べてみて。こっちが月島くん。チョコとコロコロバナナのクリームブリュレ。で、こっちが山本くん。そのクレープの端っこのかけら」
「・・・わざわざその説明のためにクレープを・・・」
「よく分かるプレゼンだろ? で、ミカがどっちを取るか? 聞くまでもないよね」
「・・・クレープ、嫌いかも」
「もういいから山本くん。痛々しいから」
「でも花染さん。ミカと毎日顔合わしてるんですよね? 教室で。ミカどんな感じ? 元気なんですか? 俺、花火のときからちょっと心配してて」
「痛々しいなあ山本くん。でもちょっと感動。純真な恋心をあれだけ土足で踏みにじられても、まだ想ってるんだね」
「いや、踏みにじったのは俺の方だっていう意見も――」
「もう良いぞ。それ以上言うでない。苦しゅうない。・・・ミカねえ・・・。普通だよ。普通だけど・・・ちょっとぎくしゃくしてるかなやっぱり」
花染さんは真顔になった。考え込むように、
「あたしはさ。慰めたいけど、何て言っていいか分かんないし。向こうは向こうで、妙にふっと寂しげな顔するんだよね」
「えええー」
「やっぱり、月島くんがあたしのこと愛してるってのが、こたえてるのかなあ。急に『タピオカ美味しかった?』とか聞くんだよ。たぶんあの後、あたしと月島くんがあのタピオカ飲んだと思ってたみたい」
いや、ミカはたぶん、花染さんと俺が仲良く飲んだと誤解したのでは?
「あたしが『あれ、山本くんにあげちゃった』って言ったら、『あ、そうなの』って。また向こう向いて行っちゃった。そのときね――」
思い出したようにちょっと涙ぐんで、
「窓ガラスに映ったミカの顔見たらさ、・・・泣きそうなんだよ。ほんの一瞬だけど。それで思い出したんだ。あの顔、前にも見たことあるなって」
俺も泣きそう。てか泣いちゃってます。
「あのさ山本くん。あんた元カレだろ? いちおう。ミカのこと、どのくらい知ってんの?」
「ええと・・・」
「あんたさあ。まさか、お嬢さまだから、わがままとか思ってない? 高飛車とか高慢ちきとか威張ってるとか?」
「まあ・・・そんな一面も一概に否定しきれないかと――」
「じゃないかと思った。だけど南で毎日見てると、そんなこと全然ないんだよ。あの子はね、すごく我慢する子。いっつも周りのこと気にして、気配りしすぎるほど気配りして。よく疲れないなって思う。あたしには無理。たぶんしょっちゅう転校とかしてて、新しいとこに溶け込むのに苦労したんじゃない? だからああなったんだよ、きっと」
「ああ・・・そう言えば・・・」
俺はバスの中のミカの様子を思い出していた。あのときは二重人格とか思ったんだけど・・・。
「だからさ。ミカんちで、ミカとあんたが話してるの聞いたとき、正直ぶっ飛んだよ! あんなに思ったことずけずけ言うミカ、初めて見た。いつもと全然違う。たぶん相手があんただから、安心して本音出せたんだと思う。だからあんたに、大事にしろって言ったのに」
「・・・そうなのか・・・」
「さっきの話だけどさ。あたしが思い出したっていうのは、転入してきた初日の日ね。ミカ、まだうちの校則とかよく知らなくて、先生に言われたんだよ。うちアシメだめだって。もちろん先生も分かってたから、怒ったりじゃなくてやんわりだけど。・・・だけど、ミカのアシメ、すごく良く似合ってたの。誰が見てもすっごくかわいくて」
見たかったなあ。
「あたし思った。悔しいだろうなって。あたしなら怒り出すだろうなって。でもミカは全然そんなことなくて、『はい分かりました』って。すごく素直なんだよ。だけど、あたし見ちゃった。一瞬、泣きそうな顔。こないだとおんなじ顔。我慢して、諦める顔」
「うわあぁぁぁ」
「・・・山本くんねえ。ここで泣くなよ。人が見てんじゃん。あたしが泣かせたみたいで恥ずいから」
*
結局、俺が一番頼みたかった用件――ミカとのことを、花染さんに取りなしてもらう件――は、なあなあになってしまった。花染さんの世界観では、ミカが月島に振られちゃったのは花染さんのせい。なのにここでもし、花染さんがミカに、俺とよりを戻すように提案したりしたら、それこそもう「あんたあたしに負けたんだから、おとなしくクレープのかけらと仲良くしてな!」と言うことに等しい、と。なので非常に言いづらいと。
その状況判断は、月島と俺が共有する認識とは、大きくかけ離れているんだが・・・。だけど花染さんにいろいろ現実を突きつけられると、元々希薄だった俺の自信とか希望的観測は、粉々に吹っ飛んでしまった。まあ、どのみち花染さんの見解を変えるのは無理。はあああ。
月島に頼ったのは最初から間違いだった。花染さんも当てにできない。となるともう、ミカにつながる道はほぼない。だけど花染さんから、改めて普段のミカの様子を聞いて、・・・俺がどれだけ超絶バカ野郎で、どれだけミカのことを誤解していたのか、どれだけ無神経にミカを傷つけてしまったのか――そういうことが、いやってほど分かっちゃって、胸をえぐる。許してもらえないかもだけど、とにかく謝りたい。だけど会ってもらえない。ほんともう。どうしたらいいんだろう?
店を出て、とぼとぼと市電の停留所へ向かって歩き出したときには、俺はほとほと疲れてしまっていた。まだ暑いし。もう何も考えたくない。帰って寝たい。
辺りがオレンジに染まり、市電のレールの上にはオフィスビルの長い影がたなびいている。突然、後ろから声がした。
「山本くんだね? 北高1年写真部」
振り向こうとしたら、首の後ろに何かひんやりしたものが当たった。
「振り返るな。そのまま、そこの角を左へ曲がれ。車が待っている」
「え?」
「心配するな。危害は加えない。我々は〈ミレーマ〉だ」




