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 聞こえるのは、ただ、穏やかに寄せては返す波の音。潮風が心地いい。月のない夜は本当に真っ暗で、LEDの光だけ。それが照らし出すもの以外は何も見えない。ミカがいいよと言ってくれたので、思い切ってライトを消してみた。もろ真っ暗。


 でも、徐々に目が慣れてくると、海の向こう、水平線の辺りがほんのり明るくなっているのが分かる。船か、それとも湾の向こう側の町灯りかな。それと満天の星。これはすごいね。星ってこんなに明るかったっけ? その光だけで、空に小さく浮かぶ雲の形や、眼下の遠い暗がりにさざめく波頭のきらめきまで見えてくる。


 ミカは、何も言わずにただ空を眺めている。その姿が、ぼんやりと輪郭だけ浮かぶ。でもバスの中と違って、不思議と気まずくはなかった。なんでだろ。ただこうして暗闇の中で、並んで座って、脚をぶらぶらさせていると、何となく、外界から完全に切り離された二人だけの世界っていう感じがして――そこでは無言でいるのがデフォで、別にそれでいいんだって思う。分かります? 満ち足りちゃってるっていうか。言葉要らないっていうか。


 まあでも俺は、ほんとはミカとお喋りもしたいんですけど。楽しいんですけど。そう思っていたら、ミカの方が口火を切ってくれた。


「山本くんは、星とか詳しい? 星座とか分かる?」

「いや。全然。・・・ごめん」

「いいわよ別に。謝らなくても」


 はあ~。せっかくミカが振ってくれたのに速攻でしぼんじゃった。このタイミングで、あの星座が何、とか教えてあげられたらかっこ良かったのに! なんかそんな歌あったよね。だけど残念。タコのことしか調べてこなかった。次回までにウィキペディア暗記するぞ! でも忘れそう。


 そう言えば、俺ってミカのこと、実はよく知らないよね。もっと知りたいな。パパのことは聞いたし、校則の愚痴も聞いたけど、普段何してるかとか、好きなものとか、嫌いなものとか。いろいろ。何でも。でも、何をどう聞いたらいいんだろ? 「ご趣味は?」とかか? ・・・婚活かよ。


 もうあれこれ悩むのがめんどくさくなって、俺は何も考えずに、ただ頭に浮かんだことを聞いてみた。脈絡ないんだけどね。でも雑談ってそんなもんだよね。


「ミカさんは料理とかするの? 今日はまあ収穫ゼロだったけど、普段とか。休みの日とか」

「ん~あまり。ごくたまに。気が向いたら。あんまり上手じゃないし」

「じゃ、晩ご飯とか毎日どうしてるの? パパ作るの? それともやっぱレストラン?」

「パパは料理うまいけど、あんまりいないし忙しいから。今はコンビニ弁当とかかな。東京にいたときは、外食が多かったけど。友だちいたから」

「そうなんだ。お昼は? 南高って学食ないんだよね?」

「そう。でもパン売ってる。自販機もあるし」


 でもそれって普通じゃん。庶民じゃん! それもどっちかっていうと、寂しい方の。思わずちょっと同情しそうになったが、ここでミカの反撃が待っていた。


「・・・ちゃんと料理作れ! とか思ってる? 大きなお世話。そんなの、将来の旦那さまにやってもらうから。そういう山本くんはどうなの。料理」

「俺すか? 得意料理は! ・・・まあカップラーメンですね」

「ぷぷ」


 ミカは、「しょうもないな」的な情けない笑いを、しょうもない感じで返すと、なぜだか暗闇の中で俺の顔を覗き込んだ。何も見えないのに。癖ですね。でも顔近いっ。ミカの表情は分からない。ただ瞳の奥がきらりと光った。そしてからかうようにまたぷぷと笑った。


     *


 それにしても、ちょっとびっくりだな。ミカのことは、白鳥先生にさんざん「有名人のご令嬢」とか「お嬢さま」とか吹き込まれたし、その優美な立ち振る舞いも見慣れていたから、何となく心のどこかで、彼女の日常生活も、浮世離れした優雅なものだろうと思い込んでいたんだ。だって、アイドル歌手がコンビニのレジで一円玉数えてたら、驚くでしょ?


 まあそう言えば、確かに、シェフなんかいないって言ってたし、実際あの邸宅にも使用人はいなかったわけだけど。だけどさ、あのすごいうちだろ? コンビニ弁当って、ミスマッチもいいところじゃないか。


 不意に、隣に座っているミカのことがすごく身近に感じられて、俺はどきっとした。体温とか。息遣いとか。だって、ファッション雑誌から抜け出てきたお姫さまみたいな天上の存在が、突然舞い降りてきて、パンの購買に並んだり、コンビニ弁当パクついたりしてる、同い年で等身大の女子の姿になったわけだから。まあミカのことだから、コンビニ弁当一つ食べるのでも、めっちゃ洗練されているはずだけどな。


 でもやっぱ無理があるよ。東京にいたころは、しょっちゅう友だちとレストラン巡りしてたんだろ? ちょっと電車で渋谷とか西麻布とか。フレンチとかイタリアンとかお寿司とか無国籍とか。知らんけど。でもそっちの方が、ハイソなミカには絶対似合ってるじゃん。それがここでは、急に、一人寂しくコンビニ弁当ってか?


 ・・・闇の中に、夜の美しい中庭の情景が、鮮やかに浮かび上がった。あの素晴らしいデザインのダイニングに、ぽつんと座っているミカの姿が、大きな窓越しに見える。チンしたコンビニ弁当を広げて、優雅に、でも無言で食べている。テーブルの上には高級ケータイ。その画面を見つめながら、誰かからの着信を、ひたすら待ち続けている。


 それで、俺のラインにも即座に返信できたってわけか? 俺は、自分勝手に想像したその孤独な姿に、思わず涙した。よく考えたら、庶民にとってはどうってことない風景なんだけど。だけどこんなの、ミカには似合わないでしょ。そんな風に食事をすべきひとじゃない。理不尽に虐げられたシンデレラみたい。許せない気がした。


 なんだよ! オラオラ! ミカパパ出てこいや! 有名か忙しいかなんか知んねえけど、あんなグレイトなうち造っといて、中で娘をほったらかしにしてんじゃねえよ! 忙しくても、ちゃんと晩飯作れよ! ちゃんと栄養バランス考えてな! じゃなきゃシェフ雇えよ! じゃなきゃ隣に、ミカ専用のレストラン建てろよ! 俺がお呼ばれして、フレンチフルコース、ゴチになれるようにな!


「・・・山本くん。また泣いてる? 料理のことで嫌な思い出があったの? よしよし」


 しまった。闇の中でも、ミカは俺の様子に気づいたみたいだ。真っ暗なのにすごい勘。よせばいいのに、俺の背中を手でそっとさすりながら、慰めようとしてくれちゃってる。だけどミカ! それまずいです! 美少女のその無邪気なボディタッチが、有史以来、いったい幾千の男どもの運命を狂わせてきたことか!


 それに、なんか誤解されてる感が半端ない。俺のことを、各種トラウマを抱え込んだ気の毒な少年だと思っているらしい。・・・ん? でもこれって、母性本能をくすぐるアドバンテージかも! 俺、別に騙してるわけじゃないし。向こうが勝手に誤解してるだけだし。この際フル活用して、好感度倍増計画を発動するぜっ。


「ううっ・・・ぐすっ・・・ミカさんっ・・・」

「なんか背中がピクピクしてるんだけど。そんなに辛いの? 耐えられないんだったら、私の胸に飛び込んで泣いてもいいのよ」


 よっしゃあ!


「ほんとですか? ミカさん! ありがとう! うええええ~んっ」

「もちろん冗談だけど。ほんとにやったら殴るけど」

「うえっうえっうえええ~んっ」


 今度はまじで泣いた。


「・・・辛すぎるみたいだから話題を変えましょうよ。もっと楽しい話題に。音楽とかどお? 山本くんはどんな音楽聴くの?」


 おおっと! またミカさんが振ってくれた! よおし今度はしょぼらないぞっ。意気込む俺だったが、ミカはすぐに続けて、


「やっぱりアニオタはアニソン聴いてるの?」

「は? アニオタじゃないし」

「でもみどりが言ってたわよ。山本くん、絶対アニオタだって。顔で分かるって」


 花染さん! 変なことミカに吹き込まないでっ。


「ちげーし。それにアニソンとか恥ずいよ、高校生にもなって。やっぱ、俺の場合クラっシックですね。ミカさんの育ったヨーロッパ、本場だよね! クラっシック。それも俺の場合、モーツァルトとかじゃないよ? ふっ。そんな分かりやすいやつじゃなくてね。もっと高級なやつです! ワーグナーとかっ。ね? 例えばこのフォルダを見てくれ。『トリスタンとイゾルデ』とか。ねっ?」


 俺は、漆黒の闇に輝くケータイを、ここぞとばかりミカに振りかざした。


「へー。すごそうねこれ。こんなの毎日聴いてるの? 4時間47分!」

「いや、最後まで聴いたことは一回もないですね。途中で寝ちゃうんで。ドイツ語分かんないし」

「・・・。でも、よく聴いてるのはこっちのフォルダじゃない? お気に入りの中の。ええと。『ClariS シングル盤全部(85曲)』」

「う。ミカさん勝手に人のケータイ見ちゃだめじゃないですかっ」

「あなたが見ろって寄こしたんじゃない」

「そうですけどっ」

「あら? こっちのフォルダは? 『ClariS 期間生産限定盤』」

「あ! 目ざといですねミカさん。それはね。通常版のカラオケの代わりに、TV MIX バージョンが入っているのだよ。やっぱ両方揃えておくのが、偉大なアーティストに対する最低限の礼儀ってもんだからね。・・・おっと誤解するなよ。べ、別に、熱狂的なファンってわけじゃないんだからねっ」

「・・・」

「そう言うミカさんは、どんなの聴いてるの? やっぱクラシック?」


 ミカはちょっと考え込んで、


「う~ん。クラシックとかあんまり聴かないかな。ポップかな? でも誰の曲とか、そういうのあまりなくて。ビルボードとか。そういうチャートのやつ。ユーチューブで流行ってるやつとか。あと飛行機のイヤホンラジオで流れてるのとか。昔からCDとかもあまり買わないの。引っ越しのとき荷物になるから。本とかも」


 少し沈黙があった。


「・・・あのさ。そういうの変だと思う? 好きな歌手とかバンドとか、ないのって? みんな、だいたいあるよね? 私、変? 変わってるのかな?」

「そんなことないよ。人それぞれだから。別にそんな気にしなくても。それにこれから出会えるかも知れないじゃん。好きな音楽とか。ミュージシャンとか」

「・・・うん。だよね」


 我ながら陳腐で当たり障りのない発言だったけど、それでもミカはちょっと安心してくれたかな。でも、ミカにごひいきの歌手がいないことより、そんなことを気にしていることの方が驚きだった。いつでも自分に自信たっぷりのお嬢さまだとばかり思っていたんだが。内心はそうでもないのかな?


 それとも、ただ、ちょっと寂しくて弱音が出ただけなんだろうか。俺はすっかり保護者気分になって、あれこれ心配し始めた。ミカパパが頼りないんなら、俺が代わりに守ってやるぜっ。ぶはっ。


 それに第一、この街の広告塔のご令嬢が、偏った食生活のせいで病気にでもなられたら、それこそ一大事。街のイメージダウン必至。ってことはつまり、ミカの心身面の健康管理も、アンバサダー業務の一環と言えるのではないでしょうか。うんうん。


 一緒に晩ご飯を食べるような友だちは、まだいないのかな? 花染さん以外に。今度、花染さんに、南高の様子をちょっと聞いてみようか。なんか、今のミカに必要なのは、俺ごときが提供する大自然ツアーじゃなくて、もっと普通に、駅前とか繁華街につるんで繰り出せるような友だちなんじゃないか、って気がしてきた。東京ほど良いレストランがなくても、それでもコンビニ弁当よりか、よっぽどマシでしょ? ・・・だけど、お嬢さまに直接、「友だちまだできないの?」なんてぶしつけに聞くのは、さすがにはばかられましたね。


     *


 帰りはバスがもうなくて、タクシーになった。ったく、これだから地方中核都市は。・・・おっと失言。なしなし。でもタクシー代をミカが払ってくれたんで、地味に助かった。将来はお金持ちになりたいです。


「今日はごめん。無駄足で」


 はああ~。次はもうないかも。アンバサダー失格だな。それにミカには、早く友だちを作ってレストランへ行く方を優先していただきたく。栄養学的に。・・・だけどミカは、うっとりするような明るい笑顔を見せてくれた。


「大丈夫。楽しかったよ! 面白いよ山本くん。変だけど。真っ暗とか! なにそれって思ったけど。これがほんとのブラインドデート!」


 言ったとたんにミカは自分でちょっと赤くなった。なにそれ! ぎゅってしたい!


「・・・次は何? 大自然ツアー、今度こそ期待してるからね!」


     *


 帰ってきたら、俺んちの前にBB弾が落ちていた。


 人間、慣れって恐ろしい。もう驚かないもんね。〈P〉からのメッセージは、例によって短い。そして大きなお世話だ。


〈新月とは考えたな。だが見えてるぞ〉




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