真の友達
全てが未定。思い付きで話が降ってきます。
時系列、構成、完全無視の文章ですので、そこはご了承の上読んでください。
小・中・高とずっと私には友達がいた。
いつも4、5人のグループの中に入っていたが私の個人的なこと=家の状況を
知っている友達はだれ一人としていなかった。
何故、私は話さなかったのか・・・初めは恥ずかしかったからだと思う。
顔を合わせると喧嘩ばかりしている両親、
母親は精神の病気になり入退院を繰り返していることが。
小学生の時は自分の家を教えることさえしなかった。
母親が家にいても友達のところのように優しい普通のお母さんが出てくるわけじゃない。
もし家に友達を連れてきたとき、母親が可笑しなことを言い始めたりして
嫌な思いをするのが嫌だったのだ。
だから友達が今度私の家に行ってみたいと言っても何となく誤魔化して来ないようにしていた。
それに何度引っ越しをしたのだろう・・・
結局、両親の喧嘩、母親の病気による行動がご近所迷惑になり大家さんに当り障りない理由で
いつも引っ越しせざる追えない状況になっていた。
母親の行動は私が大きくなるにつれ、病気もひどくなっていったのか手に負えなくなっていった。
夜中にお酒を飲んで大声で喚いたり歌を歌ったり、外に出て大声で騒ぎ始めて
小学生の私が探しに行って引っ張って帰ってくることが何度もあった。
極めつけは夜中に家の庭にある焼却炉で色んなものを燃やし始め消防車を呼ばれたり
財布がなくなったと大騒ぎして警察を呼び出したり、私ではどうにもならなかった。
これだけ並べただけでも普通の子供なら恥ずかしくて言いたくなくなるだろう。
そのことを隠し通し私は学校の友達から元気で明るい子という印象を持たれていたはずだ。
いつも楽しそうで良いね。悩みなさそうだよね。そう言われながらニコニコ笑っていたのだから。
担任になった先生くらいは家庭訪問があるのである程度の事情は知っていただろうが、
私が友達に見せている顔だけが本物の私であると信じて疑わなかったのかは謎である。
結局のところ私には真の友達と呼べる人は誰一人いなかったのか。
学校で無理して笑っていた訳ではない、ただ外に出たら家のことを忘れることにしていた。
嘘をついていた訳でもない、楽しかったから笑っていたはずだ。たぶん…。
母親にはよく「あんたは誰かに似て外面だけは良いんだから」と嫌味をよく言われた。
誰かとはきっと父親のことだろう・・・本当に笑っていたのは私じゃなかったのだろうか。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次は何が降ってくるかお楽しみに・・・。