私も一人の人間である
全てが未定。思い付きで話が降ってきます。
時系列、構成、完全無視の文章ですので、そこはご了承の上読んでください。
私が幼稚園の頃、凄く田舎に住んでいたみたいで幼稚園が一つしかなかった。
そこはお寺が経営?って言うのかな。そういう幼稚園だった。
年長組に入った記憶はあるがそれ以前どこにいたか覚えていない。
なぜその幼稚園を覚えているかというと、
母親が幼稚園にうちの子には『それ』をさせないでくれと頼んだことがあったからだ。
『それ』が何なのかハッキリ覚えていないけれど宗教がらみのことだけは間違いない。
子供心にすごく不思議に思ったのだ。
(みんながやっているのに自分だけやらなくていいと言われ仲間はずれな気分だった)
小学校にあがってから母親が何かの宗教に入っていることがようやく理解できた。
小さい頃はあちこち連れていかれるだけで何をやっているのか理解も出来ないから
母親の言いなりのままになるしかない。
聖書を読まされたり、何かの歌を歌わせられたりとそれが小さい子供にとっての日常と化す。
小学生くらいになると何か変だなと気づき始める。さすがに私も馬鹿ではない。
それでも母親は自分が信じるものが正しいと私に強要するのだ。
私は割と早い段階から「やりたくない。行きたくない。」と主張する様になっていた。
ただそれは、その宗教?がおかしいからと全否定していた訳ではなく。
みんなと違うことをさせられたり、行きたくもない集会に参加させられたりするからだ。
私もただの子供で普通に家で遊んでいたりしたかった。
教会でもないところに集まり聖書を読まされたところで面白くも何ともない。
その時間を自分の好きな漫画や本を読んだりテレビを見たりしたいに決まっている。
それを母親は強引に引っ張っていき1時間も2時間も大人たちの集まりに
参加させられるのだから私からしたら堪ったもんじゃない。
妹がどう思っていたのかはわからなかったが...。
子供心にこの人たちは何がしたいんだろう?何を信じているだろう?と疑問を持っていた。
何かに盲信している者ほど厄介なものはない。
私は何を信じようと何を崇拝していようとカルト等危ない集団でない限り異論を唱える気は毛頭ない。
その人が生きるために何かに救いを求めたどり着いた先がソコだったのでしょうから。
ただそれを子供にしろ他人にしろ強制することがおかしいということを理解してもらいたい。
特に親が子供に強制することは間違っていると思う。
自分の子供だからといって親の所有物ではない。血がつながっていようとも一人の人間である。
母親に私にも意思があることを忘れないでいてほしいかった。私も一人の人間であると。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次は何が降ってくるかお楽しみに・・・。