31◆ 八日目、おいとま
翌朝、藁のベッドで目覚めたのは、まだ日が昇る前の刻限だった。
背中の傷は――見えないので――治せないから、俺は俯せになって寝ていた。
身体の下が、布越しにもちょっとちくちくする。
が、思いの外しっかりと眠ることが出来た。旧友ってすごい。
お陰で頭が正気に戻ったのか、治り切っていない傷がじくじくと痛んだ。
「――いっ、つぅ……」
変な声を出しながら起き上がり、腕やら脚やらの包帯を取り、生傷の状態で残っている傷を治療していると、隣のベッドでコリウスも起き出した。
「おう、起こした?」
「いや、目が覚めただけだ」
俺の問いに応じるコリウスを、薄明の中で横目で見遣り、俺はぼそっと。
「昨日はありがと。――傷は痛む?」
「何を言っている」
コリウスが訝しそうに俺を見た。
「おまえが昨日、きっちり治してくれただろう」
俺は曖昧に肩を竦めた。
本当にコリウスの身体の損傷を全部治し切れたのか、それともコリウスが多少強がっているのかは分からなかった。
これがカルディオスとかディセントラだったら分かるんだけど。
これほど長年に亘って一緒にいたのに、コリウスだとかアナベルの表情は読むのが難しい。
トゥイーディアはまあ……顔をまともに見られないから……。
「――ガルシアを出発して、今日で七日目だな。明日か明後日にはここを発たないと、十日でガルシアに戻るという約束を守れない」
唐突にコリウスがそう言って、俺はちょっと疑わしげに彼を見た。
「いやおまえ、大丈夫なの? おまえが本調子じゃなくて、空の上から落っこちるなんてのはごめんなんだけど」
ふっ、と、鼻から息を抜くようして、コリウスは俺の懸念を一笑に付した。
「僕を誰だと思っている。もう平気だ」
「――そう」
強がりなのか何なのかは分からないが、多分大丈夫だろう。
コリウスが本調子でなければ、空の上から落っこちるのはコリウスだけではなく、俺もだ。
俺まで危険に晒すような嘘を、コリウスは絶対に吐かない。
俺は息を吸い込んで、今度は正面からコリウスを見た。
コリウスがぴくりと眉を動かす。
「どうした?」
「あのさ」
何てことない口調を装いつつ、俺は首を傾げてみせた。
「ガルシアに戻る途中に、ブロンデルに寄ったり出来る?」
コリウスはしばらく、黙って俺の顔を見ていた。
多分、俺の考えてることが分かったんだろう。
――自己満足だとか欺瞞だとか、そういうことは重々承知の上なんだけど。
俺の顔から視線を外し、はぁ、と小さく息を吐いたコリウスが、軽く頷いて請け合った。
「……分かった。では、明日発とうか」
まだ眠りに落ちたままの集落を抜けて、俺とコリウスは連れ立って町に向かった。
コリウスが得意分野の魔法で移動すれば速いのだが、やっぱりまだコリウスに頼るのには抵抗があるし、朝早いので別に急ぐこともない。
そんなわけで、徒歩での移動となった。
昨日はもはや寒さも感じていなかったが、今は寒い。
朝の冷え切った空気にがくがくと震えながら足を進める俺に、コリウスは呆れたような目を向けてきた。
羊毛の厚手のシャツでも寒いもんは寒いんだよ、ちくしょう。
日が昇り、曙光が町の高い建物のてっぺんを照らすのと同時に、俺たちは町の前に着いた。
城門前には、俺たちがここに来たときには鈴生りになっている浮民の人たちがいたものだが、今はいない。
「――ここにいた人たち、いなくなったんだな」
思わず声に出してそう言うと、コリウスに「は?」と聞き返された。
「おまえが集落の方に引き揚げさせたんだろう?」
俺はきょとん。
「ああ、初日に一旦帰れとは言ったけど――。それからずっと、あの人たち来てないの?」
「来ていない。――師団長どのがいたく感激していた」
素っ気なく言って、コリウスが門の向こうの不寝番に合図する。
間もなくして、軋む音と共に門が開かれた。
町はまだ静まり返っていて、路上に放置されたごみが風で石畳の上を滑っていた。
ごみの中にはくしゃくしゃに丸められた新聞もあって、ちら、と見下ろすと大きな字の見出しが覗いて見えた――『レヴナントノ被害留マラズ、ガルシア追加救援』。
溜息を零し、俺たちは司令部となっている建物を目指した。
――俺がこの町に入るのは二度目だ。
一度目は、ここに着いた直後、シャロンさんに案内されてのことだった。
あのときは夜だった。
こうして明るくなっていく中で町を見ると、よりいっそう寂れていることが分かる。
「――町もちょっとは落ち着いたの? おまえが来てから」
ぼそっと尋ねた俺に、コリウスはこちらは見ずに、流れるように答えた。
「多少は。だが、功績としてはおまえの方が大きいよ。集落が目に見えて落ち着いたと、こちらでも話題になっていたから」
「柄にもないことすんなよ」
思わず物申した俺の声を、コリウスは聞こえない風を装って無視した。
――柄にもなくこいつに気を遣わせてしまうくらい、俺は落ち込んで見えているらしい。しっかりしないと。
トゥイーディアなら絶対、こんな顔はしない。
司令部に入ると、さすがと言うべきか司令部の人々は既に起き出し、忙しく立ち働いていた。
コリウスの顔を見た人々が、次々に頭を下げていく。
俺は集落の方で便利屋の如き親しみやすい立場を期せずして獲得していたが、コリウスの方はきっちり、畏敬の念を勝ち取る立場を獲得していたようだ。
「救世主さま、レヴナントは」
「昨夜は集落にお泊りでしたか」
などと声が掛けられるのを、コリウスは泰然とした態度で聞き流し、軽く手を上げる挨拶のみで躱し切った。
俺には真似できない。
手狭な階段を昇る。
階段を降りようとする人が、慌てて引き返したり壁に張り付いたりしてコリウスに道を開けた。
一方、コリウスの後ろを歩く俺に対しては、「だれ?」みたいな目が向けられる。
まあ、今はガルシアの制服でもないし無理もなかろう。
そうして三階まで上がり、コリウスの先導で奥へ。
一番奥の部屋に入ろうとすると横手から、初老の男性がまじまじと俺を見ながら尋ねてきた。
「――ドゥーツィアさま、そちらは……?」
俺は一瞬、彼が誰に向かって声を掛けたのか分からなかったが、すぐに思い出した。
ドゥーツィアは、コリウスの今の家名だ。
コリウス・ダニエル・ドゥーツィア。
取り敢えず俺が会釈する一方、コリウスは冷ややかな濃紫の目で彼を一瞥。
「救世主です。お言葉は慎まれますよう」
切って捨てるような言い方をしたコリウスの後ろで、俺はもう一度会釈。
「紛らわしい格好しててすみません」
初老の男性は目を見開き、慌てて平身低頭した。
何事かを口の中で呟いていた様子だったが、コリウスはそれを完全に無視して、部屋の扉をノックもなしに開け放った。
俺はコリウスの後ろから、僅かな身長差を利用して部屋の中を覗き込んだ。
中は幾つもテーブルが並べられた広い部屋で、テーブル一つにつき四つの椅子が置かれていた。
椅子の数に比べると、室内にいる人間は半分ほどといったところ。
テーブルの上には雑然と書類が広げられており、部屋の最奥に、他より小さなテーブルが、まるで全てのテーブルを監督するように置かれていた。
その向こうに、俺も一度会ったことがある、ここの指揮官である辺境伯の私軍の師団長が座っていた。
彼は今しも、朝食であろう乾いたパンをスープに浸して口に運ぼうとしていたところであり、扉の向こうのコリウスを見て絶句していた。
「失敬」
コリウスが堂々と声を掛けると、室内にいた人々が全員、がたがたと立ち上がり始めた。
中には師団長と同じく食事中だった人もいて、俺は思わず申し訳のなさに眉を寄せる。
師団長もスープの中にパンを放り込んで立ち上がっていた。
口許を手の甲で拭い、コリウスを出迎えようとするように、テーブルを回り込んで進み出る。
俺を連れて、コリウスは堂々と彼までの距離を詰め始めた。
コリウスの後ろを歩きつつ、俺はテーブルに広げられた書類を一瞥。
ぺこぺこと頭を下げる人たちが、俺の視線にびくっとしていたが、単純に中身に興味があるだけだ。
あるテーブルの上には、几帳面に纏められた帳簿が乗っていた。
ありとあらゆる経費を計算し、今ここで使える予算と照合しているらしい。
またあるテーブルには、食糧の在庫情報に関する書類が広げられていた。
俺がそれを覗き込むと同時、まだ若い女性が、すっと掌で何かを隠したが、俺はその一瞬に見ていた。それは簡単なメモで、簡潔な二言が書いてあった――『食べたいもの……キドニーパイ』。
魂の叫びであった。
コリウスは師団長に歩み寄り、一切の挨拶を抜きにして言っていた。
「失礼。お時間はよろしいでしょうか。お話が」
「無論です」
師団長は即答した。
彼我の地位の差からしても、状況からしても、彼にはコリウスの申出を断る選択肢などないのだ。
こちらへ、とそそくさと案内されたのは、その大部屋の隣の小部屋だった。
物置として設計された場所なのか、窓は高い位置にある小さな明り取りのみで、薄暗い部屋だった。
椅子は丸椅子が四脚、放り出すように置かれているのみで、机もなければ他に家具もない。
本当に、ただ内密の話をするためだけに確保されている空間のようだった。
その部屋に入り、師団長が挨拶の口上を述べようとするのを遮って、コリウスが端的に一つ目の用件を述べる。
即ち、明日に俺たちがガルシアへ戻るということだ。
もっと早く言えと文句のひとつでもあるかと思ったが、師団長はすんなりと、「ああ、そろそろでございましたな」と言ったのみだった。
恐らくコリウスが、ガルシアを空けられるのは十日間だと予め話してあったのだろう。
そして用件の二つ目。
こちらは導入だけコリウスが喋って、あとは俺が話した。
何しろ、魔法を使うレヴナントに遭遇したのは俺だからね。
とにかく簡潔に、小型のレヴナントが魔法を使ったのだと話した。
師団長は目を剥いて絶句。相手が救世主でなければ、なにをふざけたことを言っているのだと叱責しただろうと思える顔だった。
更に、レヴナントが救世主にしか使えないはずの魔法まで使ったのだと説明するに至り、師団長は蟀谷からだらだらと汗を流し始めた。
「しかし、――それは、……ええ……」
意味を成さない相槌を打ってから、はっと我に返ったように、師団長は掌で顔を拭った。
「信じ難いことです、今まで聞いたことがない。――しかし、今すぐに皆に、魔法を使うレヴナントがいるなどと公表しては、ただでさえこの状況、一体どれほどの混乱になるか」
うん、正しい。特に集落の方はパニックになってもおかしくない。
「でしょうね」
と言って、俺は息を吐いた。
「それに、今まで出現しなかったレヴナントが、これからぽんぽん出現するようになるかと言えば、それには疑問の余地がある。
珍しいからこそ今まで出て来なかったんだ。そう考える方が自然です」
心なしか、師団長はほっとしたように見えた。
大きく頷き、「そうですよね」と自分に言い聞かせるみたいに呟く。
それを見守ってから、俺は指を二本立てた。
「ですから、師団長どのにはこの情報を、辺境伯閣下――あるいはあなたの上官に、書簡か何かでお知らせ願いたい。辺境伯閣下が陛下にお伝えするでしょう。ガルシアには俺たちから伝えます。
――あと、あなたの部下たちに、」
否応なくシャロンさんの顔が蘇ってきて、俺はちょっと息を詰めた。
師団長には気付かれなかったくらいに小さな挙動だったのに、コリウスは気遣わしげに俺を見た。
「小型の、人に近い見た目のレヴナントには気を付けるよう、重々触れ回ってください。兵卒である方々には失礼かも知れませんが、遭遇したら逃げた方がいい」
師団長がぴくりと眉を動かした。
逃げるのは屈辱だと、条件反射的に思考した顔だった。
しかし、俺は有無を言わせず首を振る。
「戦おうなんて思っては駄目です。絶対に敵わない。――背中の傷は治せていないのでまだお見せできますが、ご覧になりますか?
俺ですら重傷でした。失礼ですが兵卒の方々では、恐らくひとたまりもない」
実際にシャツの釦に手を掛けてみせると、師団長は泡を喰った様子で俺を止めた。
そしてほうっと息を吐くと、俺に向かって頭を下げる。
「――拝命仕りました。
ご無事で何よりでございました、救世主さま」
「……いや」
首を振った。
師団長は訝しげに眉を寄せた。
俺を見て、見た目以上に重篤な損傷があるのかと案じるような顔をする。
コリウスが眉を寄せて小さく首を振ったが、俺はそれを無視した。
立ち上がり、師団長の前で膝を突く。
救世主が自分に跪いているという状況に、師団長の顔から音を立てて血の気が引いた。
「救世主さま」
丸椅子から腰を浮かせる師団長を手振りで制して、俺は出来る限り落ち着いた声で言った。
「――一名、あなたの部下が命を落としました」
師団長の表情に、何とも言えぬ色が広がった。
当然だろう。
言葉は悪いが、兵士は消耗品だ。
一兵卒が命を落とすことなど、指揮官の位にある者にとっては珍しくもない事態だ。
――だから、俺は軍隊が嫌いだ。
人一人の、全世界よりも重い命の価値を、大義めいたことを抜かして落とそうとする、軍隊というものが大嫌いだ。
「多分、名前を申し上げてもあなたには彼の顔も分からないでしょう。
しかしながら身近な人にとっては、掛け替えのない大切な人でした」
息を吸う。
「俺にとっても、――親しくさせていただいた人でした」
師団長が頷く。
表情を決めかねているような、そんな顔だった。
「ですからどうか、彼の戦死における手続きに遺漏のないよう。名前はシャロンといいました。遠方に、奉公に出ているご子息がいらっしゃいます。――くれぐれも遺漏のないようお願いします」
こうやって言い添えることも、アーノルドさんに言わせれば不公平なことなんだろうが、それでもどうしても言わずにはいられなかった。
他の人たちは、俺のせいで死んだのではない。
でもシャロンさんは俺のせいで死んだ。
だから俺がその死後、全力を尽くすことに疑問の余地などないはずだ。
師団長は大きく目を見開いて俺の言葉を聞き、シャロンさんの名前を繰り返して、頷いた。
――話は終わった。
◆◆◆
俺はそこでコリウスと別れ、彼にくれぐれも無理をしないよう言い含め(そして、全く同じ内容を言い含め返され)、集落に戻った。
その頃にはとっくに日は昇り切り、集落で朝食も終わる頃合いだった。
朝食を摂り損ねた俺だったが、参列すべき儀式には間に合った。
シャロンさんの葬儀は粛々と、ひっそりと行われた。
万が一にも子供たちに事の真相が伝わることのないよう、簡単な挨拶のみで式は終わった。
人目を忍ぶようにして、彼は土の中に埋められた。
またしても頭を下げる俺の顔を見て、アーノルドさんはあっけらかんと言葉を放ったものである。
「――人間らしい顔に戻りましたな。メシは食いました?」
うんともすんとも答えないうちに、俺は食事処となっている天幕内に引っ張り込まれた。
テーブルや椅子の代わりになる木箱は半ばほど、元のように広げられていて、そんな中の一つの上に、俺は押し込まれるようにして着席させられた。
あれよあれよという間に、目の前にパンとスープが運ばれて来た。
すみませんと頭を下げる俺に、アーノルドさんはいっそ呆れたように、
「ルドベキアさま、そんなに謝ってると舐められますぜ?」
「…………」
……確かにそうかも知れないけどさ。
アーノルドさんや、他にも軍人の多くの人が、変わらず俺に好意的に接してくれた。
とはいえやはり、救世主が二人して重傷を負い、かつ軍人に犠牲が出たという事態の衝撃は大きい。
その衝撃は、失望という形で表れつつある。
食事中の俺を離れたところから見て、何かを言い合っている二人組がいた。
目の端で捉えたのみだったが、その表情からして、俺たちの――というか、救世主の能力について、何か芳しくないことを言っているのだと分かった。
他にも、天幕から出ていくときに、あからさまに俺を見てから出ていく人もいた。
やっぱり表情は複雑で、失望が大部分を占める眼差しだった。
アーノルドさんもそういう雰囲気を察していて、わざとらしい程に大きな声で俺に対する感謝を述べ始めた。
終わりの見えないレヴナント討伐と揉め事の仲裁にくたばりそうになっていたところ、ルドベキアさまに来ていただいて大変助かった、特にいらっしゃった当日と翌日のレヴナント討伐は一撃の下において行われて感服いたした――などと、そういったことを。
これには俺も苦笑してしまう。
「そんな気を遣っていただかなくてもいいんですよ」
小さな声でそう言えば、アーノルドさんはとぼけた様子で瞳を回した。
「さて何のことでしょう」
俺はますます苦笑した。
「俺が救世主に対する期待を裏切ったのは事実ですし――」
そう言って、一拍置いて、俺は呟いた。
「すぐに、救世主ってすげぇって空気になりますよ。ガルシアにいる四人の活躍が取り沙汰されるようになれば」
何しろ、あっちにはトゥイーディアがいる。恐らく獅子奮迅の大活躍を見せていることだろう。
無理をしていないことを祈るばかりだが。
アーノルドさんはちょっとばかりきょとんとしたように俺を見て、首を傾げた。
「――変わったお人だ」
「はい?」
こちらも首を傾げて訊き返すと、アーノルドさんは肩を竦めた。
「いや、てっきり――すっかり落ち込まれてしまってるのかと思っていましたが、まあ、落ち込んではいなさるんだろうが、それでもそのお歳の方にしちゃあ落ち込み方がなんつーか……時と場合と弁えてなさるというか。
それになんやかんや言われても、怒るご様子もねぇもんで」
俺は思わず微苦笑を浮かべた。
まあ、うん……実年齢は俺も覚えていないからね……。
軽く肩を竦めて返答を誤魔化して、俺は話題を変えた。
「ただ、俺ももう今日までです。明日には戻ることになりました」
「俺たちの休暇が終わるってわけだ」
少しばかり残念そうにそう言って、アーノルドさんは探るような目で俺を見た。
「――あの子たち……アリーたちにお会いになってからお帰りなすった方が、俺たちとしちゃ助かりますがね。
――ルドベキアさままで無断で行っちまったとあっちゃぁ、あの子たちが連日連夜の大泣きを披露してくれましょうからに」
「そりゃ大変だ」
笑って、俺は食べ終わったあとの食器を手に立ち上がった。
「じゃ、会いに行って俺が泣かれて来ますよ」
――その言葉に違わず、俺は大いに泣かれた。
こんなに懐かれた覚えはないと、俺はちょっと引いた。
「実は明日には帰ることになってさ」と言った途端、アリーとジェーンがわっと泣き始め、狼狽えたところにカイとトムから追い打ちがきた。
食事処である天幕を出た俺は、わざわざアリーとお母さんが住む小屋の場所を人に聞き、全員揃っているかなと思って顔を出した。
アリーのお母さんに平身低頭お礼を言われるのを必死に止めて、思った通り四人揃い踏みしていることを確認して用件を伝え、今この状況に至るわけだが――
「やだあ! ルドベキアさん、もうちょっといてよお!」
「いい子にするからあ!」
大泣きするジェーンとアリーに膝をゆさゆさと揺らされ、カイとトムには両腕を引っ張られる。
なんだこの状況。
アリーのお母さんが、すみませんと身体を小さくする。それに、「大丈夫ですよ」と声を掛け、俺は「落ち着け!」とガキどもを一喝。
「ずっといられるわけねぇだろ。ほら、泣き止んだら手品見せてやるから」
効果なし。
どうすりゃいいんだ。
カルディオスとかディセントラ辺りだったら、上手いこと泣き止ませることも出来るんだろうけど。
見かねたアリーのお母さんが参戦し、全員の頭をよしよしと撫でて落ち着かせていった。
割とガチで、俺はそれにお礼を言った。
とはいえ四人の子供はまだ泣き顔で、俺がいつもの如く――というか、最終日になるんだからいつもよりもしっかりせねばと――、揉め事の仲裁やらに出掛けようとしただけで再びの大泣き。
終わったら戻って来るからなと約束して、やっとの思いで俺は小屋から脱出した。
――こんな日であっても、日常の通りに揉め事は起こった。
俺は喧嘩を仲裁し、昼時に起こった小火を消し、怪我人を治療して回った。
昨日、血塗れの酷い格好で通り掛かった集落の人たちからは、「昨日はどうしたんですか」と興味津々に尋ねられた。
俺は笑って、子供を捜しに〈呪い荒原〉の近くまで行って、そこでレヴナントと戦闘になったのだと回答する。
そりゃ大変でしたねと掛けられる声に、もはや自分でも自然過ぎて不気味に思うくらいの作り笑いで同意した。
そうやって一日が終わって、軍人さんたちに混じって夕食を摂った俺は、そういえばアリーたちのところへ顔を出さねばと、その後そそくさとアリーとお母さんの住む小屋を訪ねた。
アリーのお母さんが恐縮する一方、そこにいた子供四人組はたいそうご立腹で、遅いだなんだと俺の手や髪を引っ張る。
アリーのお母さんは気が遠くなるような顔をしていたが、いつものことなので大丈夫ですとだけ言っておいた。
「いつものこと……!?」
と、お母さんは逆に衝撃を受けたような顔をしていたが。
子供たちを宥めて、約束通りに手品を見せる。
俺の掌の上でひらひらと様々な形を象る火花の群れに、子供たちはおろかアリーのお母さんまでが感嘆に釘付けになった。
泊まっていってと大合唱する子供たちを振り切って、俺は小屋を出た。
一緒にいるのが子供だけなら別にいいが、アリーのお母さんはさすがに嫌だろう。
俺はこれまでの人生、トゥイーディア以外の女性に興味関心を持ったことすらないが、それを知らない女性であれば警戒されて当然というもの。
更に言えば周囲の目も気になるしね。
そんなわけで俺は、一昨日までシャロンさんや子供たちと一緒に寝ていた小屋に潜り込み、何も考えないよう必死になって目を閉じ、夜をやり過ごすこととした。
――明けて翌日。
何もしなくともコリウスから迎えに来るだろうと判断して、寝不足の目を擦りつつ、俺はいつものように朝食を摂った。
ぼうっとしながら食事処である天幕を出ると、その出口付近に蹲って俺を待っていたらしいアリーたち四人を発見。
無碍にも出来ずに遊んでやっていることしばし。考えた通りにコリウスが迎えに来た。
もう本当に具合は良さそうで、空から颯爽と登場したその様子に、俺はこっそり安堵の息を吐く。
コリウスは肩に丸めた絨毯と毛布を担ぎ、もう片方の手に、食糧を詰め込んでいると分かる麻袋と地図を持っていた。
すた、と華麗に着地を決めたコリウスに、アリーたちは怯みながらも警戒の視線を送る。
もしかしたらこの子たちには、コリウスは俺をどこかに連れて行く悪役に見えているのかも知れない。
俺が子供たちと一緒にいたことに、コリウスは軽い驚きを籠めて目を瞠った。
だがすぐに、何でもないように俺に向かって麻袋を投げ渡す。
それをキャッチした俺は、またしても号泣の気配を漂わせるアリーたちの様子に、困り切りながらも頭を撫でてやる。
状況を察して、ケイリーが進み出て来て四人を下がらせてくれた。
感謝を込めて見遣ると、これまでのお礼とこれから先の武運を祈る言葉が返ってきた。
コリウスは淡々と絨毯をその場に広げ――というより、膝の高さの空中に広げた。
固定されたかの如くに空中に浮かぶ絨毯に、わらわらと集まって来ていた人たちから驚きの声が上がる。
当然の顔をしてその上に腰を下ろしながら、俺はコリウスを見て首を傾げた。
「師団長さんに、俺からも挨拶して行く?」
「いや、構わない」
と、コリウスが俺の隣に座り、俺に向かって毛布をばさっと投げながら応じた。
「僕から伝えておいたしね」
「助かる」
そう言いながら、俺はアリーたちに軽く手を振った。
それから軽くケイリーを拝む。
この後、四人が大泣きすることはもはや必至。それを見越した上での、すまないという意味の仕草だったが、ケイリーはにこっと笑ってお辞儀を返してくれた。
それにほっと息を吐き、次に俺は視線でアーノルドさんを捜して会釈する。アーノルドさんはひらひらと手を振ってくれた。
「――休暇が終わる……」
「仕方ない、仕方ない……」
呪文のようにそう呟く声も耳に入ってきた。
コリウスは俺を一瞥して、片眉を上げた。「出発していいか」の意味だ。
俺は頷いた。
ふわ、と絨毯が上昇する。
驚きの声が集落で上がったことだろうが、それは聞こえなかった。忽ちのうちに風を切り裂き、絨毯が高空に達したがゆえに。
はあ、と息を吐いた俺の肩を、コリウスが軽く押した。
「――なんだよ?」
見ると、コリウスは俺を見ずに前方を、まるで歩哨のように見ながら、言葉のみを俺に向けた。
「少し寝ていろ。昨日は眠れていないんだろう、顔を見れば分かる」
「…………」
数秒、コリウスの澄ました横顔を見てから、俺は言葉に甘えてごろりと横になった。
絨毯は、絨毯のくせに、しっかりと俺の身体を支えた。
目を閉じると同時に、がば、と毛布が身体に掛けられる。
ばさり、とコリウスが地図を広げる音がした。
恐らく、目的地までどう飛ぶか考えてくれているのだろう。
――飛行は静かで、揺れもなかった。
間もなくして、俺は眠りに落ちた。




