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24◆ 俺の好きな人

 水を打ったかの如く、集落が静まり返った。


 もはや何かを憚るように、無数の視線が俺に集中する。



 このとき、この場の全員が、レヴナントがアリーに害を及ぼすことよりも、この場で俺が怒り狂うことを恐れていた。


 ――そうさせてしまうだけの、膨大な量の魔力が俺の周囲で渦巻いている。

 皮膚を破ることこそないものの、そのすぐ下で蠢く世界最大の魔力が、具現化するまでもなく周囲の空間を歪ませて揺らめいている。


 ――俺の得意分野、俺の魔力が最も馴染む世界の(のり)の変更は、熱だ。熱を発生させること、あるいは熱を奪うこと。

 ゆえに過去、俺が我を忘れて激怒した際、暴走する魔力は悉くが大火を呼ぶ形になって顕現した。


 だがまさか、この集落を火の海には出来ない。


 ――息を吸い込む。

 冬の冷えた空気が肺腑を膨らませて体内の温度を下げた気がした。

 その冷気はさすがに、焦燥で熱くなった頭までは冷やしてくれない。


 だが、少しはましになる。

 何をするべきか、考えるだけの思考の余白を生み出すに足る。


 俺は顔を上げた。そして、腹の底から呼ばわった。


「――コリウス!!」


 は、と、誰かが漏らした一音が耳に届いた。

 その場の全員が、一人残らず怪訝そうな顔をする。


 だがどうでもいい。俺には俺の判断根拠がある。


 ――レヴナントが出現した。

 そうであれば、コリウスは間違いなく町を出る。そして、俺を捜す。


 そうすれば、この烈火の如くに荒れる魔力に気付くはずだ。


 その考えは当たった。

 呼ばわって三秒、軽い靴音と共に、俺のすぐ傍にコリウスが姿を現した。


 瞬間移動。

 この世界でただ一人コリウスのみが可能にする、念動の最高峰の魔法。


 だがそれにすら、今は驚きのざわめきすら上がらなかった。

 いつもは騒がしい子供たちでさえ、今は嗚咽のひとつも漏らさず、硬直したように俺を見上げている。


 ただならぬ雰囲気は感じ取っているだろう、そもそも俺の魔力の荒れ具合から、只事ではない気配は察しているはずだ――コリウスはコリウスで、群衆の方へは一瞥だにくれなかった。

 ただ俺を見て、手短に尋ねる。


「どうした、ルドベキア」


 俺は低い声で、呟くようにして即答した。


「〈呪い荒原〉のすぐ傍に、子供が一人向かってる。追い掛けて保護しろ。名前はアリー。栗色の髪の、女の子だ。――レヴナントは俺がやる。おまえは保護に専念しろ」


 矢継ぎ早に申し渡した俺の言葉に、コリウスは聞き返しもせずに首を振った。


「駄目だ。――ここからでは見えないが、レヴナントは〈呪い荒原〉の傍だ。その子がどこにいるか明確に分からない以上、討伐に巻き込む恐れがある」


 コリウスは上空を経由してここに来た。だからレヴナントの正確な位置が分かるのだろう。

 言い含めるように言われて、俺は舌打ちを漏らした。



 ――手の届かないところにいる誰かを心配するのは苦手だ。この無力感が大嫌いだ。

 それは、何百年経っても幼いままでいる俺の心の部分だ。

 非力な自分を嫌うのは、想い人を守ることが出来なかった後悔を、何十回と繰り返しているがゆえだ。



 ……落ち着け。


 自分に言い聞かせる。


 ……落ち着け。苛立っているのはみっともない。トゥイーディアならこんなとき、誰より冷静にやるべきことを考えるはずだ。それが俺の好きな人だ。

 ならば俺も、誰に知らせられるものでなくとも、それに相応しくあらねば。



 今警戒するべきは、まず第一に〈呪い荒原〉そのもの。アリーがあの呪われた大地に近付き過ぎて、病という呪いをもらう前に止めること。

 そして第二にレヴナント。あの人型の災害が、アリーをはじめとしたこの付近に対して害を及ぼす前に討伐すること。



 息を吸い込み、俺は断言した。


「分かった。先に二人でアリーを捜そう。あの子の心配がなくなれば、レヴナントなんてそう手間取る相手じゃない」


 レヴナントが近付いて来れば、あの巨体なのだ、さすがに分かる。

 アリーも生存本能が働いて逃げ出すはずで、それを考えれば、予兆もなしにあの子の命を奪うかも知れない〈呪い荒原〉の方が今は怖い。

 更に言えば、レヴナントを目撃すればアリーもこっちに引き返して来るはずだし、よしんば腰が抜けて動けなくなったにしても、悲鳴のひとつでも上げてくれれば居所が分かる。


「――だといいが」


 コリウスが嘆息し、呟いた。


「かなり大きい。――知能が高いものでなければいいが」


「そういう悪い予想はアナベルに任せとこうぜ」


 軽口が出るくらいに、なんとか落ち着いた振りをすることが出来た。

 トゥイーディアならこんなとき、まず間違いなく周りの人を安心させるために微笑んでみせるだろう。

 けど、さすがにそこまでは出来なかった。


 周囲の人々はなお、強張った顔で俺たちを見ている。

 そちらに掛けるべき声が、俺には咄嗟に分からない。



 ――手の届かない場所にいる人を案じるのは、本当に苦手だ。



「……念のために訊くけど、おまえ自身がレヴナントのところまで瞬間移動できたりは」


 思い付いて尋ねれば、コリウスに首を振られた。


「今の時点では無理だ。――行くぞ」


 コリウスが俺に手を伸ばした。

 俺は躊躇いなくその手首を握り、コリウスも俺の手首を握る。


 あとはコリウスが俺を連れて上空に昇るのみ――という段になって。


 がし、と空いている手を握られ、苛立ち露わに俺は振り返った。急いでいるのに何なんだ。

 そしてそこに、必死な顔をしたシャロンさんを見て、表情は瞬く間に苛立ちから驚きに変わった。


「シャロンさん?」


 驚き余って呼び掛ける。それを言下に遮って、シャロンさんが断固として言った。


「――私も」


「は?」


 これはコリウス。眉間に皺を寄せ、胡乱げにシャロンさんを見遣る。

 シャロンさんはそちらは見ず、余裕のない様子で俺に向かって言葉を重ねた。


「私も、アリーを」


「―――」


 一瞬考えたものの、俺は頷いた。



 ――危険だということは勿論あるが、この人は子供のアリーとは違って、〈呪い荒原〉が如何に恐ろしい所であるかということを、寸分違わず理解している。

 身の危険を感じれば退くはずで、それほどの心配は要らないはずだ。


 そして、この人は、有用だ。

 戦力としてではなく、アリーを保護して連れ帰るための役割として。


 俺たちがアリーを発見し、そのままレヴナントとの戦闘になれば、アリーを守るにしても限度がある。特に、レヴナントの知能が高く、俺とコリウスの二人で掛からなければならなかった場合は。

 アリー一人に「逃げてこの場から離脱しろ」と言い付けても、困惑して満足に動けないでいる様子がありありと目に浮かぶ。


 それに比べてシャロンさんは軍人で、命令には絶対服従してくれるはずだ。


 それでなくとも〈呪い荒原〉の傍、不測の事態は十分に考えられるところ。

 それにアリーがパニックになって連れ帰るのに手間取る可能性も考慮すると、あの子が懐いているシャロンさんを連れて行くのは効果的で、合理的だ。



「コリウス、出来るか?」


 振り返って発した俺の問いに、コリウスは少しばかり不機嫌に顎を持ち上げた。


「出来るだろうが。――おまえは少し自分の動きの介助をするように、ルドベキア」





◆◆◆





 正当な救世主の地位にあれば、地面を引き剥がして空中に並べ、道を造ることも容易いだろうが、今のコリウスは準救世主。そこまでの魔力はない。



 一人ならば――つい一昨日、俺に対してしたように――飛翔するコリウスが手を引く形で連れて行くことが可能だが、二人以上となるとコリウスの膂力的な問題で不可能。


 そんなわけで、「少し自分の動きの介助をしろ」という指示の内容も明確である。


 飛翔するコリウスに手首を掴まれ、眼下を過ぎ去る地面の速度に目を白黒させているのはシャロンさん。

 その彼に手首を掴まれている俺は、コリウスの〈移動〉に引っ張ってもらう一方で、自分自身に働く重力を書き換えて、コリウスに掛かる負担を軽くしている。


 その結果、俺たちの移動の速度はコリウス単独で飛翔するときにこそ劣るものの、十分な速さを保っていた。


 そうして上空に登ってみれば、レヴナントがどこにいるのかは明々白々。

〈呪い荒原〉のすぐ傍、その縁をなぞるようにして、生い茂るヒースを踏み拉いて、ゆっくりと南の方向に歩みを進めている。

 その灰色の巨人の姿は、視界を遮る小屋がなくなれば否応なく目に入ってくるというものだ。

 身の丈はおよそ五十ヤード。でかい。知能が高くないことを祈るばかりだ。


 上空からアリーの姿は見えない。

 既に〈呪い荒原〉の付近、灌木の茂みに入ってしまっていると見るべきだ。


 ――こんなときカルディオスがいれば、〈呪い荒原〉の縁に壁を作るなり何なりして、アリーの足を物理的に止めることが出来るのだが。

 あいつがここにいないのだから、ないものねだりにしかならない思考が頭の中を(よぎ)っていく。


 アリーの気配はないかと目を凝らすものの、まだ距離がある上にあんな小さな子供一人、目で見て居場所の当てなどつけられるはずもない。

 ――が。


 視界に否応なく入るレヴナントが、不意に屈み込んで、己が足許に向かって手を伸ばした。

 その仕草がまるで、足許に興味を引く何かを発見したときの子供のようで、俺は心臓が大きく跳ねるのを感じた。


 ――レヴナントに、人と同じ情動はあるはずがないのだから、その仕草への解釈は俺の主観だ。

 だが奴が、もしも足許に発見したのがアリーだったならば、――その想像が容易く湧き上がる。


 シャロンさんも同様だったらしく、俺の手首を掴む彼の手に、痛いほどに力が籠められた。


 考えるよりも先に、俺は叫んでいだ。


「――コリウス!」


 コリウスの濃紫の目が、殆ど冷徹なまでに平静に、俺たちを見下ろしてからレヴナントに向けられた。

 直後、彼の厳然たる声が風に浚われながらも耳朶を打つ。


「……苦手なんだ、自衛してくれ。――僕があちらへ向かうから、二人は二人でその行方不明の子供を捜すように。見付かり次第、上空に火花を打ち上げて合図すること。いいね?」


 頷きつつも、俺は内心で首を傾げた。

 “苦手なんだ、自衛してくれ”――って、どういうことだ?


 が、疑問は長くは続かなかった。


 コリウスが、空中で体勢を変えた。

 そしてシャロンさんの手首を握る手を、身体を中心にして大きく振り回し――


「――てぇっ!?」


 変な声が出た。当然だ。

 シャロンさんごと振り回され、むしろ彼より外側にいるために、身体に掛かる遠心力が半端でない。

 吹っ飛んでいきそうになるところを、シャロンさんの手首を握り締めて何とか堪える。

 空気が顔面にぶち当たり、胸まで圧迫されて息も苦しい。


「がっ――」


 シャロンさんも無論同様。白目剥いてるんじゃないだろうか。


 そして一瞬後――コリウスがシャロンさんの手を離した。


 ――理の当然、空中を吹っ飛ぶ俺たち。息を吸えない。

〈呪い荒原〉の方角、ちょうど灌木の茂みが見える辺りに向かって、ものの見事に放物線を描いていく。


 眩む視界の中で、俺は、俺とシャロンさんを手放して身軽になったコリウスが、それこそ矢にも勝る速度でレヴナント目掛けて突っ込んでいくのを見た。


 ――レヴナントがアリーを発見したことを懸念したからこそ、コリウスは自分が最短でレヴナントに辿り着くための策を取ったわけだ。

 俺たち二人を纏めて投げ飛ばすなんて芸当は、いくらあいつでも膂力のみでは不可能。

 だからこそコリウスは、俺たちの生身に掛かる重力を強制的に書き換えたのだろうが、――自分以外の生物相手にそれをすることを、コリウスは相当苦手にしている。

 何しろ、力加減を間違えると相手を殺してしまいかねないので。



 相手を殺してしまいかねないので。



 俺たちに掛かる重力を書き換えたのは、ごくごく短い刹那の間だけだった。

 だからこそ、コリウスは敢えてその手段を採ったのだろうし、何よりも、アリーの無事のために急いでくれたのは有難い。ありがたいんだけど――


「ちょっ、おい、マジか!」


 これ、このままだと〈呪い荒原〉に突っ込みかねない! 〈呪い荒原〉までの距離はまだまだ三百ヤードくらいはありそうだが、速度がやばい!


 慌てて行く手の空気を圧縮する。

 この速度で硬いものや密度の高いものに突っ込むと、それが死因になりかねないので、どちらかと言えば柔らかい抵抗物のイメージで空気を固めていく。


 ぼふん、と間の抜けた音と共に、俺とシャロンさんの身体が空気にぶつかる。速度が落ちる――そのまま、徐々に空気の密度を高めていく。


「――んのっ、――!」


 歯を食いしばり、気合でシャロンさんの手を引っ張り寄せる。

 俺が怪我する分にはまだいいが、この人に怪我をさせるわけにはいかない。


 胃の中が引っ繰り返るような気持ちの悪さを堪えて、シャロンさんを確保したまま、背中で空気の緩衝材をぶち抜きながら落下していく。

 背中に当たる空気を均等に圧縮できれば良かったのだが、器用なトゥイーディアならともかくとして、吹っ飛びながらの俺にそんな芸当は不可能だった。

 空気の密度の微妙な違いを受けて、身体が傾く。あるいは引っ繰り返る。


 うえっ、と洒落にならない呻きをシャロンさんが上げるのが聞こえて、そんな場合でもないんだが俺は思わず祈った――吐くのは堪えてくれ、この状況だと二人とも吐瀉物塗れになってしまう。


 視界がぐるぐると回る。

 空が見えたと思えば地面が見え、またその地面もどんどん近付いてくる。


 自分の位置を把握しておくのは大事だとは思うが、どのみち数秒後に地面に叩き付けられるのは目に見えていることなので、俺は自分の吐き気の具合を優先した。

 即ち、固く目を閉じた。


 それから五秒。めきめきばきばきと凄まじい音がして、かつ身体のあちこちに硬いものが刺さる感覚がして、俺たちは着地した。


 ぱちりと目を開けると空が見える。俺は仰向けの状態で、茂みの上に落下したようだった。

 腹の上に重みがあるので、どうやらシャロンさんはそこにいる模様。


「――ってぇ……」


 呟き、俺は上体を起こした。


 周囲を見渡せば灌木が茂っているのが見える。

 見晴らしは悪いが、固い地面に直に叩き付けられるよりはマシだった。

 空気を緩衝材にしていたことが功を奏して、茂みの枝葉も俺の皮膚を突き破ったものはない。


「……大丈夫ですか?」


 悶絶しているシャロンさんを見下ろして尋ねると同時、どこから離れた場所から轟音が響いてきた。

 考えるまでもなく、コリウスがレヴナントとの戦闘を開始したのだ。


 身の丈五十ヤードはあるレヴナントであり、彼の身が案じられるが、俺が一人で行くよりはいいだろう。

 確かに俺は防御の面では救世主の中で最も優れた能力を持っているが(何しろ名目上は魔王だから)、逃げ足の速さはコリウスがだんとつだ。

 やべぇと思ったら撤退するに違いない。


「う……アリーは近くにいますか……私は大丈夫です」


 呻くようにそう答えたシャロンさんが、一秒後に俺の上から飛び退いた。

 飛び退いた拍子に足許の凹凸に躓きつつも、さあっと蒼褪め、なぜか両手を肩の高さに挙げる。


「申し訳ございませんっ、救世主さまに!」


「そういうのいいんで!」


 もはや怒鳴るようにそう言って、俺は跳ねるように立ち上がった。


 周辺の見通しは悪いが、人がいる気配はない。

 だが声は届くかも知れないと思って、腹の底から叫ぶ。


「――アリー! アリー、いるか!」


 シャロンさんも同様の声を上げるが、返答はない。

 舌打ちを漏らし、俺はシャロンさんに下がるよう合図。


「この辺一帯焼き払います、下がって」


「焼き……っ!?」


 聞き間違いか、という顔をして、シャロンさんが緋色の目を大きく見開いて俺を見た。

 その目が下に向かい、自分が帯に提げる革袋を見たのは、世双珠を使って同じことをすることを考えたからか。

 軍人は大抵、帯の革袋の中に複数の世双珠を携帯するものだ。


「いやしかし、もしもアリーが!」


「返事がないから邪魔なものを焼き払うんです!」


 上擦った声で叫んでくるシャロンさんに、俺はそれ以上の剣幕で怒鳴り返した。


 そして迷わず、自分から見て東にある茂み一帯を焼き払う。

 熱波が走り、焦げ臭さと煙が漂う。俺の腕の一振りで灰になる茂みに絶句するシャロンさん。


 ぷすぷすと煙を上げる茂みの残骸を踏み拉き、俺は更に歩を進めた。


 付き従うシャロンさんは、通常なら延焼を警戒してもいいところを、むしろ俺より先を行く勢いで足を進めていた。

 まあ、すぐに鎮火したから延焼の心配はないんだけど。こと熱の扱いにおいて、俺に抜かりはない――大抵の場合は。


「アリー!」


「アリー、どこだ!」


 血相変えて怒鳴る俺たちの耳に、再びの轟音が届く。

 俺は眉を寄せた。


 顔を上げれば、距離を跨いでなお、レヴナントの頭部が見える。


 コリウスが、一撃でレヴナントを斃し切れていない。

 ――あのレヴナントは知能の高いものである可能性が高い。



 ――ああくそ。



 行く手の茂みを容赦なく灰にして、視界と歩き易さを確保しながら、声を限りにアリーを呼ぶ。

 早くアリーを見付けてコリウスの援護に行かないと。


 あの子が魔力を放出する術を持ってさえいれば、それを頼りに見付けられたかも知れない。

 だが生憎、あの子に魔法の技能は備わっていない。


 唇を噛み、なおも腕を振って行く手の茂みを燃え上がらせる。

 黒煙が上空高くにまで漂った。

 集落の方では何事かと騒ぎになっているかも知れないが、今はそれすら考えている場合ではない。


 俺が鎮火を終える前にシャロンさんが奥へ突っ込もうとすることが頻繁にあって、俺はその度に泡を喰ってシャロンさんの腕を押さえた。

 娘とも思って可愛がっている子供がこの危険地帯で行方不明になっているのだから、シャロンさんの焦る気持ちは俺の比ではないのだろうが、それにしても俺が熾した火の中に突っ込んで行かれては堪ったものではない。



 何度かそれを繰り返すうちに、目に見えて生い茂る草木が萎れ始めた。――〈呪い荒原〉が近付いてきたのだ。



 なおも向こうへ足を進めようとするシャロンさんを止めて、俺は進路を東から北へ変更する。

 さすがに、〈呪い荒原〉に近付き過ぎては、救助者が要救助者になってしまいかねない。


「しかしアリーが、もしもこの向こうにいたら」


 進路変更に難色を示すシャロンさんを、目に見える限りの灌木と茂みを焼き払い、良好な視界を確保することで説得する。

 視界は確保され、アリーの姿はないことが確認できたものの、その代わりとばかりに視野に入ってくる〈呪い荒原〉。


 赤黒く爛れた大地が、昨日の雨の影響か、未だにしゅうしゅうと微かに白い蒸気を淡く噴き上げながら横たわっている。

 生者どころかレヴナントまでをも拒む、不可侵の呪いの土地が、手を広げるまでもなく周辺一帯の生命を脅かしながら存在している。


 それを目の当たりにして、シャロンさんはいっそ泣きそうな顔をした。

 考えるまでもなく、アリーの身を案じてのことだろう。


「アリー!」


「どこだ、アリー! 返事しろ!」


 声も嗄れんばかりに絶叫し、俺は最悪の想像を振り払うよう努めた。



 ――さすがに、まだ大丈夫なはずだ。手遅れだったなんてことはないはずだ……。



 またも鼓膜を揺らす轟音。

 コリウスが一体どのような魔法でレヴナントを相手取っているのかは分からないが、相当派手にやっているようだ。

 それでも、これで()()()()が三撃目。


 ――もしかして、相当に知能の高い個体なのか……?


 嫌な予感が湧き上がり、俺はこっそりと固唾を呑む。

 こんなところで、今生の俺の運の悪さを発揮するわけにはいかない……。


 行く手の茂みと灌木を焼き払う。ぼうッ、と空気を撫でて青紫に伝播していく熱波が、数秒と掛けずに道を切り拓く。

 燃え残った僅かな小枝を踏むと、ぱきりと小さな音が鳴る。

 舞い上がった灰が落ちてくるのを、苛立たしげに手で払う。


「アリー! 出て来い!」


「返事をして、アリー!」


 何度目かに叫んだ、そのときだった。



 ――ひゅう、と、今までとは違う音が鳴った。はっとして顔を上げる。


 視界の中に、なお丈高く聳えるレヴナントが見えていた。激しく頭を振っている様子だ。


 だがその一方、そのすぐ傍で、コリウスが打ち上げた火花が立て続けに小さな金色の花を咲かせているのも見えていた。

 少し遅れて、ぱんぱんっ、と軽い音が聞こえてくる。



「――アリー、レヴナントの足許にいたのか!」


 シャロンさんが叫ぶ。

 それに対して俺は、思わず「いや」と反論していた。


「さすがにそれなら、コリウスもさっさと俺を呼んだはずなんで、――あの馬鹿、レヴナントの方にのこのこ歩いて行ったのか」


 後半はもはや独り言。

 とはいえ目指す場所が分かったことはありがたい。



 アリーを巻き込む恐れが無くなったために、遠慮会釈なく行く手の灌木を焼き払い、レヴナントの方へ走り出す。

 濛々と黒煙が上がり、灰が舞い、低木が倒れる音が鳴り響く。


 一際腹に響く音が行く手から聞こえてきた。

 それと同時に地響きがして、俺とシャロンさんは已む無く歩調をやや緩める。


「これは」


 シャロンさんが目を見開く。


「コリウスが多分、業を煮やして地割れでも作りましたかね」


 真顔で答える俺。

 視界に見えていたレヴナントの頭が消え失せたのが何よりの証拠だ。


 恐らく、上手いことレヴナントを地割れに落とし込んだんだろう。


「地割れ……」


 茫然と口走ったシャロンさんが、感心したように少々唇を曲げた。


「救世主さまはさすがに――規模が違いますなあ」


「これしか取り柄がないので」


 思いっ切り謙遜する俺。

 内心では、「コリウスが正当な救世主であればこのくらいは軽いし、何ならこの辺一帯の地形を変えることだって出来ますよ!」と力説したいのを堪えている。


「――まあ、コリウスがあれを片付けたなら、後は合流だけか……」


 呟き、行く手の茂みを焼き払いながら、俺は顔を顰めた。


 コリウスがレヴナントにとどめを刺したとは思うが、アリーが傍にいたならば、さすがのコリウスとてその無事を最優先にして立ち回ったはず。

 なら、レヴナントについては足止めで良しと判断して、俺との合流を急いでいる可能性もあるはずだ。


 ――とはいえ、コリウスが傍にいる以上、アリーが危険に晒されることはもうないと思っていいはずだ。

 たとえ俺たちの想定以上に手強いレヴナントであったとしても、そしてコリウスがその足止めのみをしている状況であったとしても、コリウスならばアリーを抱えて上空に避難することが出来るからね。

 そしてもしもそうなれば、あのお転婆なアリーのこと、大いに喜ぶ事態になりそうだ。



「――コリウスが傍にいるなら、アリーはもう大丈夫ですよ」


 シャロンさんを安心させるために、俺は敢えて軽い口調で言った。歩調も落とした。


 内心ではまだ焦りはあったものの、シャロンさんに掛ける心配も最小限度に抑えなくてはならない。


 シャロンさんは俺の顔を見て、それから大きく、ほう、と息を吐きだした。

 これまでどれだけ、彼が気を張っていたかが分かる吐息だった。


「アリーのことは叱ってやりませんと」


 腕捲りして呟くシャロンさんに、「まったくですよ」と、俺は思わず愚痴の口調で同調した。

 俺の指先から迸る炎が、俺の口調の強さを反映したように勢いを増す。


「本気で焦りましたからね、あの馬鹿……」


「ルドベキアさまにはご迷惑の掛けどおしでしたな」


 ふっと笑ったシャロンさんに、俺は微妙な表情で曖昧に笑った。

「そんなことありませんよ」とはさすがに言えない。


「ま――まあ、子供の相手には慣れてないんで。それだけですよ」


 降ってくる灰を払いつつの、苦し紛れのその言葉に、シャロンさんがふと緋色の目を俺に向けた。


「そうですな。……勝手な想像ですが、ルドベキアさまには子供時代も無さそうですしなあ」



 ――え?


 今、この人、なんて?



「……はい?」


 思わず、真顔になってシャロンさんを見た。


 シャロンさんからすれば、俺に対する印象の一部を喋っただけのことのようで、既に視線は俺から逸らされている。

 だが俺からすれば、驚天動地もいいところの発言だった。


 確かに俺には子供時代なんてものはなかった。

 何しろ、成人男性の精神を抱えて生まれてきたから。

 ずっと昔、それこそ最初の一回目の一生においては幼少時代というものもあったんだろうが、この数百年の間、俺はまともな幼少期を過ごすことはなかった。


 ――それを今、この人、言い当てなかったか?


 俺の驚愕ゆえの一言を、不興を買ったと勘違いしたのか、シャロンさんが慌てたように言葉を重ねる。


「ああ、いや、他意はありませんぜ。――ただまあ、何というか、失礼ながらルドベキアさまは、ご年齢の割には落ち着かれてますし、私やアーノルド相手に話すときも、何といいますか――一歩譲っているというか、年少者(としした)への気遣いじみたものがあったといいますかね」


 ――見抜かれてる。


 行く手の灌木に炎を浴びせながら、俺は思わずぽかんと口を開けていた。

 その口に舞い落ちてきた灰が入りそうになって、慌てて閉じたけども。


「それに加えて、救世主さま――コリウスさまとお話しになるときだけ、年相応の言い合いをなさるもんだから」


 ――仰る通りです。


 よく見てるな、と、俺としては瞠目を禁じ得ない。


「だから、これは相当昔からのお付き合いでいらっしゃると、こう思ったわけですよ。しかもお二人とも、お若いのに我々の方を年下と見てなさる。だからもしかしたら、救世主さまというのは、実はとんでもなく若く見えるけれども、古老のような方なのかも知れんぞ、と、勝手に想像を膨らませましてな」


 言い訳のようにシャロンさんはそう締め括ったが、俺はその慧眼っぷりに頭が下がる思いだった。


 惜しい。

 いちいち死んでるから、別に今の見た目の年齢が若作りってわけではないけど、でも殆ど正解。


 これまでの人生で、俺たちの猫被りと見た目の印象の強さのお陰で、誰一人として言い当てなかった俺たちの実年齢を、この人は見抜いてる。すげぇ。


 唖然として黙り込んだ俺を、シャロンさんが横目でちらりと窺った。


「――お……お怒りですか? 老けてるなどと申し上げて」


「あ、いや、別に」


 慌ててそう言って、俺は「殆ど正解です」という言葉を舌の上に留めた。


 だって言っちゃうとややこしいことになるし。

 下手したら、これまでにも救世主が誕生していたことがあるってバレるし。


 ――敗北した救世主なんて、歴史上の要らない汚点だろう。

 そんな汚点を、わざわざ取り上げて見せることはない。


 俺の返答が煮え切らなかったせいか、シャロンさんは誤魔化すようにして言葉を重ねた。


「いやでも、最初にお目に掛かったときは、全然そんなことは思いもしませんでしたよ。何しろほら、ケイトが泣きそうになってるのを見て、腰が引けてらっしゃったでしょう――やべ、これも失礼か」


 最後の一言はぼそりと零され、俺は思わず軽く笑いながらも、「えっと」と首を傾げた。


「ケイトって誰ですか」


「ああ、ほら、あのとき――ルドベキアさまが私らをお助けくださったとき、直接お礼を申し上げてた若い娘さんですよ」


 当時の状況を思い返し、合点した俺は「ああ」と声を上げた。


「あの子ですか」


「そうですそうです。ケイトが泣きそうになってるのを見て、ちょっとおろおろなさってるのを見まして、こりゃあ救世主さまってのは、案外に初心うぶな好青年だなあって――失敬」


 救世主を評すには余りにも率直な言葉を遣い過ぎたと気付いたのか、はたと言葉を止めるシャロンさん。

 俺としては全然気にならないので、構いませんよと手を振っておく。



 行く手にレヴナントの頭は見えない。

 コリウスが斃し切ったのか、あるいは地割れに落とし込んだ状態から動くことを許していないのか。

 やばくなれば、火花を追加で打ち上げて俺を急かすはずだ。

 だから大丈夫。



 目の前の茂みを焼き払いながら、俺は嘆息した。


 結構直球な言われ様ではあったが、間違っちゃいない。初心だと言われれば「そうですね」としか返せない。

 何しろ今まで、恋人の一人もいたことはなかったからね。カルディオスに心配されているくらいだ。


 なんかそれっぽく迫ってくる女の人とか女の子はいたけど、怖いから全部逃げるかカルディオスに押し付けるかしていたし。


 でも、


「――好きな人はいるんだけどなあ」


 ぼそっと零した俺の言葉に、シャロンさんが俺を見た。


「ほお? どんなお人で?」


 俺は半ばぼんやりしつつ、脳裏にくっきりと浮かぶトゥイーディアの像をなぞって言葉を吐き出した。


「――心根が強くて……優しくて、頭が良くて。自分の責任に対してすごく一生懸命で――真面目すぎて損なくらいのやつで」


 今だってたぶん、ガルシアで無理をするくらいに頑張っているはずだ。


「すっごい頑固なところもあるし、子供っぽいところもあるんですけど」


 怪我をしていても戦おうとしたり、それを諫められて膨れっ面をしたり。


「何が正しいかってことをいつも考えてて――そのせいでなんか、相談に乗った結果に相手を怒らせてることもありましたけど」


 そこがあいつの慎重なところであり、臆病なところであり、同時に強いところだ。


「頼られたら断らないし、仲の悪い奴のためにも一生懸命になってくれるような人で――」


 俺とかね。


「俺がほんとにもう駄目だと思ったとき、その場にいなくても、絶対に俺の頭に浮かんできて、それだけで何とかしようって思えるくらいの人で――」


「大好きですなあ」


 シャロンさんの相槌に、俺は思わず、深々と頷いた。



「生涯変わらず。ずっと。一番好きで大切な人です」



「救世主さまって、全部で六人いらっしゃるんでしたっけ? その中のお一人ですかい?」


 興味が湧いたようなシャロンさんの問いに、俺は無意識に()()()

 ()()()()()()()()()



()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」



 ぱた、と俺は足を止めた。


 ――心臓がどくどくと脈打った。


 俺が余りにも唐突に足を止めたものだから、気付かず数歩先に行って、それからシャロンさんが訝しげに俺を振り返った。


「……ルドベキアさま? どうなすった」



 ――痛いくらいに心臓が打つ。耳鳴りがする。

 手が震える。

 口を開いたが、その声も掠れて震えた。



「――……俺、いま、何て言いました……?」



 シャロンさんはきょとんと目を瞠って、それから、にっかぁ、と、大きな笑顔を浮かべた。


「救世主さまの中のお一人がお好きなんでしょ? トゥイーディアさま、ですか。上手くいくといいですなあ」


 大丈夫、ルドベキアさまなら――とシャロンさんが続けてくれている言葉が、俺の耳を右から左に突き抜けていった。



 ――どういうことだ?

 今、俺は、絶対に口に出せないはずのことを口に出した。


 俺の代償、俺を苦しめる諸悪の根源――〈最も大切な人に想いを伝えることが出来ない〉という枷。

 これがあるがために、俺はトゥイーディアに対して冷たく接することしか出来ず、それどころかトゥイーディア以外の第三者にさえ、俺の気持ちを表すことが出来なかった。


 俺がトゥイーディアに対する思慕を、恋慕を、表情であれ、仕草であれ、行動であれ、言葉であれ、そういったもので表すことが出来るのは、誰の目にも耳にも届かない、たった一人でいるときしかなかったのだ。


 それが――どうした?


 俺は今、はっきりと言った。

 生涯変わらず、ずっと、一番好きで大切なのがトゥイーディアであると。

 この言葉が愛の告白でなくて何だという。


 それを俺は、シャロンさんという第三者のいる前でやってのけた。


 ――代償が消えた?


 何の前触れもなく、急に?


 どういうことだ?

 もしかして――本当にもしかしてだけど、ガルシアでヘリアンサスが死んだのか?


 それくらいしか原因なんて思い付かない。



 けど、けど、確かに――



「俺は、――トゥイーディアのことを、」



 思わず、震える声で言い差した、その語尾に被って響いた音が二つあった。



 一つ目は、ぱんぱんッ、と――火花の弾ける音。

 それは確かに、コリウスが何かを警戒するよう伝えるため、打ち出した音に違いなかった。


 二つ目が、絶叫。

 あああああ、あああああ、と――余りにも覚えのある絶叫が。



 そして直後、――その二つの音からやや遅れて。



 ばきばきと凄まじい音がした。

 それは行く手の灌木が、力任せに薙ぎ倒されていく音だった。



 俺がシャロンさんの前に出る。何が来るにせよ――何が来るかなんて、もう殆ど分かり切ったようなものだけれど――、迎撃するために身構える。



 そして数秒後。


 巨大な掌で低木を掻き分け、茂みを引きちぎり――巨大な身の丈を地に伏せたレヴナントが、絶叫と共に俺たちの目の前に現れた。



 あああああ、と、耳を劈く絶叫が響き渡る。


 それに顔を顰めた俺は、コリウスがやはり、アリーの安全を最優先にして、レヴナントにとどめを刺し切れていなかったのだと思った。


 だが直後、違和感を覚えて眉を寄せた。


 ――小さい。

 コリウスが向かって行ったレヴナントは、身の丈五十ヤードはある巨大さだった。

 それが、こいつはどうだ。


 伏せた体躯を正面から見据えているから正確なところは分からないものの、それでも頭の大きさや肩の広さに違和感がある。

 多分、立ち上がっても三十ヤードほどの丈しかあるまい。



 ――レヴナントは二体いたのか。



 俺と同じことに気付いたらしきシャロンさんが、後ろから声を掛けてくる。


「――ルドベキアさま、私も」


「大丈夫です」


 言下に断言して、俺は息を吸い込んだ。



「今、めちゃめちゃ気分がいいんで――すぐ終わらせます。俺の後ろにいてください」














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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで一気読みしました。 [一言] 私自身辛口な評価とコメントするものだから感想は控えてたのですけど思わず書いてしまいました。 ルドの誓約が効いていないのには驚きました。 正直読んでい…
[良い点] 更新ありがとうございます! ルドベキアが、「トゥイーディアならこんなときどうするだろうか?」と考えて、それに相応しくあろうと行動している所がすごくいいなーと思います。 [気になる点] ト…
[良い点] ついに、ルドベキアが、トゥアーディアのことを、しゃべれるようになった‼︎ めちゃめちゃ気分がいいルドベキア、見てるだけでついニヤついちゃいます 活動報告に3章は明るく楽しい章になるとあり…
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