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12◆ 再会

「――トゥイーディア、死ぬ気か」


 潜めに潜めた声でコリウスが問い詰める。


 対するトゥイーディアは「まさか」と言わんばかりに目を見開き、


「いいえ、全然?」


 罪のない風を装って首を傾げた。



 灯火の少ない廊下は暗い。

 閉めた扉の僅かな隙間から、室内の暖色の明かりが細く漏れている。



「何をわざわざあれの前に顔を出す必要がある」


 コリウスの声が絶対零度にまで温度を下げている。


 気持ちは分かる。

 コリウスに同意して一斉に頷く俺たちを見渡して、トゥイーディアはわざとらしく溜息を吐いて腕を組んだ。


「あのねえ、コリウス。それからきみたち」


 溜息吐きたいのはこっちなんだけど。


「私が言ったこと忘れてない? あいつ、私たちの固有の力を使えるのよ」


 俺はピンとこなかったが、ディセントラとコリウス、それからアナベルが「ああ」と声を上げた。


 俺はカルディオスと目を合わせ、ぽかん。


「え? どーいうこと?」


 カルディオスが素直に疑問を申告し、トゥイーディアは蟀谷を押さえて、「あのね?」と。小声ながらもはっきりと彼女は言った。


「分からない? 私たちはあいつに、ムンドゥスのことを隠し通さなきゃならないの。あいつに対して、ムンドゥスを人質として、最大限に活用するためにね。でもあいつが、私の固有の力を使って私たちの記憶を盗み見たら、そういうのは全部水の泡になるでしょ?」


 ああ、確かに。


 それを聞けば、トゥイーディアが何をしようとしているのかも朧気ながら想像がつくが――それにしても一人で行くのは危ないだろ。


「――それ、ますますあいつの前に顔出すのやばくね?」


 カルディオスがきょとんとして呟き、トゥイーディアは蟀谷を押さえたまま、「だからね」と。


「あいつがいつでも自由に私たちの記憶を閲覧できるなら、ムンドゥスのことは隠し通せないの。人質作戦はちょっと練り直しになる。まず、ムンドゥスをどこか遠くに隠さないといけなくなるし。

 ――でもね、私はそんな、いつでも自由に相手の記憶を覗けるわけじゃない」


 トゥイーディアは顔を顰めた。自分の固有の力について話すとき、彼女はいつもこんな顔をする。


「目の前にいる人の記憶くらいしか、私には読み取れない。正当な救世主(いま)だから、割と深いところまで読み取ることが出来るけれど――」


 首を振り、トゥイーディアは指を立てた。


「だからまず、あいつがどのくらい深く私たちの記憶を読み取れるのか、私がそれに対抗できるのか、それを知らないと、安心して人質作戦を練っていけないでしょ?」


 一理あるけど。そうだろうなとは思ったけど。


「あいつは今、魔王の地位にあるわけじゃない。だから、魔力量において私とどっちが勝るのか、ちょっと分からないのよ。その辺も含めて探っておかないと、後々困るでしょ?」


 一理ある、けど……!


「……だからって一人で行こうとするか、普通?」


 カルディオスが俺の心の声を代弁してくれた。ありがとう。


「一人だからいいんだってば」


 トゥイーディアが潜めた声ながらも力説。


「私なら、記憶が覗かれてたら分かるし――何しろ、私自身の能力だから――、それに、対処も出来ないことはないでしょうし」


 確かに、トゥイーディアは人の精神に干渉することの出来る唯一の魔法を使う。

 ヘリアンサスが同じ魔法を使えるというなら、この世界には人の精神に干渉することの出来る魔術師はただ二人だけだ。

 俺たちからすれば、人の精神に干渉する魔法なんて未知の領域で完全にお手上げ。


 でもだからって、一人で行かせるのは駄目だ。

 トゥイーディアが無事に戻って来るまで、俺は息も出来ない。


 そう言いたいのに、俺はしれっとした顔で微妙にトゥイーディアから目を逸らしていることしか出来ない。

 誰か何とか言ってくれ。


 必死に祈っていると、まるでそれが天に通じたかのように、コリウスがきっぱりと言った。


「いや、トゥイーディア一人で行っても意味が無い」


 む、とトゥイーディアが顔を顰めた。


「なんでよ?」


 応じたのはディセントラだった。


「だって、考えてもみてよ」


 そう言ってディセントラは、言い辛そうにトゥイーディアを見る。


「考えたくはないけれど、イーディがいないときに私たちがあいつに遭遇することも有り得るわけじゃない? そのとき、私たちには精神も記憶も自衛する手段はないわけでしょ」


 想像するだに寒気がする事態だな、それ。俺は全力であいつから逃げるけど。みんなもそうだろ。


「それは大丈夫だと思う」


 トゥイーディアがきっぱりと、理路整然と言葉を並べる。


「私なら、まず最初に相手の記憶を覗き見るもの。ムンドゥスがあいつにとって価値があるものなら、魔界から戻って来てから一番最初に接触した相手を使って、私たちがムンドゥスに接触しなかったか確認する。それでムンドゥスのことを私たちが知らない様子なら、後はわざわざ他人の記憶を覗いたりはしないわ。あれ、結構難しいのよ」


 ――確かに。


 やばい、このままだとトゥイーディアが一人で行ってしまう。

 俺はトゥイーディアが戻って来るまでの間、精神的に殺され続けてしまう。


 せめて一緒に行きたい。

 なんとか、なんとかその手段はないか。


「なら、ますますおまえ一人が行っても意味がない」


 コリウスがはっきりと言った。

 俺はコリウスに対する感謝を心の内に天高く積み上げた。


 ――理由を聞けば確かに、この一度はヘリアンサスの前に顔を出すのも已む無しだが、それでもトゥイーディア一人でなんて行かせられない。


「僕がヘリアンサスなら絶対に、トゥイーディア、おまえ以外の人間の記憶を見るね。おまえには自衛の手段があるが、僕たちは違う」


 ぐ、とトゥイーディアが言葉に詰まった。飴色の瞳が揺れる。


「――そ、それは――そう、だけど……!」


「だから、ヘリアンサスに会いに行くのが已むを得ないとしても、何人かがおまえに同行するのが望ましい。他人の〈内側に潜り込んで〉、記憶を防衛することも出来るだろう? そうすればヘリアンサスを誤魔化し切れる――可能性もある。

 後はヘリアンサス本人に、なぜわざわざ会いに行ったのか、本当の理由を悟らせないだけの説得力のある理由をでっち上げられるかどうかだが」


 そう言いつつ、コリウスはすっと足を引く。

 トゥイーディアは顔を顰めていた。


「ヘリアンサスにでっち上げる理由は大丈夫だけど、――何人か連れて行くって、それ、私がきみたちの内側に干渉することになるから、割とお互いに気分が悪いことになるんだけど」


 まあ、そうだよな。



 過去に、已むに已まれぬ事情があって、それをしたことが無かったわけではないが、お互い大いに気まずくなっていたものだ。

 思考や記憶が、限定的な範囲であれ筒抜けになるのは気持ちのいいものではない。


 ちなみに、トゥイーディアが俺の精神に干渉し、記憶を閲覧したことも過去にはある。

 が、何と驚くなかれ、俺の行動指針ともいえる、トゥイーディアへの思慕は一切伝わらなかったのである。


 びっくりだ。この代償、仕事し過ぎである。


 長年に亘る誤解が解けたと確信してトゥイーディアを見た直後の、いつもと全く変わりない彼女の顔を見た瞬間の絶望は忘れられない。

 恐らくあのときのトゥイーディアが、俺を慮って、本当に限定的な範囲の記憶しか閲覧しなかったということもあったんだろうが、それにしても――トゥイーディア、慮る方向性が違う……。



「おまえが余計なところに手を出しはしないと信頼できるという、有志を募って行って来てくれ」


 コリウスがあっさりと言った。

 言外に、自分はトゥイーディアを信頼しないと言っているようなものである。失礼な奴だ。


「俺、別にいーよ」


 カルディオスがあっけらかんと手を挙げた。が、直後にその手をさっと下ろして、


「けど、あいつの前に出て行くのはちょっと」


 素直なことである。


 アナベルが、「なら最初から黙っていなさい」と毒を吐く一方、トゥイーディアは微笑んで、きっぱりと言った。


「カル、ありがとう。でも、きみは連れて行けない」


 息を吸い込んで、彼女はゆっくりと呟いた。


「誰かは連れて行かないと、そうね。コリウスとディセントラの言う通り――安心は出来ないわね。――でも、カルとアナベルと、ディセントラと、あとルドベキアは絶対に連れて行けない」


「トゥイーディア、待て。残るは僕だけだ」


 コリウスが流れるように突っ込んだ。ちょっと冷や汗が浮いている。


 気持ちは重々分かる――ヘリアンサスの前に顔を出さなきゃいけない理由は分かっても、怖いものは怖いし嫌なものは嫌なのだ。



 ――トゥイーディアが俺に声を掛けなかったことは不幸中の幸いだ。言葉にして乞われてしまえば、俺はそれを拒否する以外の選択肢を持てなくなる。

 トゥイーディアは俺の同行を拒否してくれた。

 後は、俺が何とかトゥイーディアに同行できるきっかけを見付けるだけだ。



 トゥイーディアは否定せずに目を上げて、何かを考えながら言葉を作った。


「そうねぇ。――でも、多分、私があいつなら、誰かの記憶を探らないといけないとすれば、まず間違いなくきみにするわ、コリウス」


「――なんで?」


 カルディオスがきょとんとして尋ねる一方、コリウスは濃紫の目をすっと細めた。

 それを見つつ、トゥイーディアは小さく呟く。


「私を信頼して、記憶の防衛を頼む――なんてことを、一番しそうにないのはきみだもの、コリウス」


 コリウスが愕然と目を見開いた。

 何かを言おうとして、しかし言葉が出ない様子で唇を閉じる。瞳が震え、視線が泳ぐ。


 ――大仰なまでの反応に、俺は思わず眉を寄せる。なんだ、どうした。


「おい、イーディ。さすがにあんまりな言い様じゃね?」


 カルディオスがびっくりしたように言ったが、トゥイーディアは肩を竦めて、そのままするりとコリウスの腕に手を掛けた。


「そうかしら。でも、コリウスは今のままでいいと思うけれど。――ということで、ご一緒願えるかしら、コリウス?」


 驚愕を仕舞い込むように大きく息を吸い込んで、心底嫌そうな顔をして、コリウスが俺たちを指差した。


「トゥイーディア。なぜこいつらを除外する。僕だけ不公平だ」


 ぎくりとしたように、トゥイーディアが半笑いになった。

 そして、もはや話題を逸らしたいだけだと明確に分かる慌ただしさで、コリウスの腕を引く。


「いいじゃない。行きましょ、コリウス」


「嫌だ。僕はおまえと違って命が惜しい。死に急ぐ趣味はない」


「殺されたりしないってば。あいつ、言ってたでしょ、船で。精々自分を楽しませろって。今の段階で私たちを殺したりして、あいつに何の楽しみがあるのよ」


 ――いや、あいつは常に楽しそうに俺たちを殺していってたじゃん。

 もうあいつ、俺たちを絶命せしめることが楽しみになってんだよ、そうとしか思えない。


 抵抗するコリウスに、見かねたらしきアナベルが進み出る。


「イーディ、あたしが行きましょうか」


「だめ」


 トゥイーディアが、閃光のような素早さで否定した。


「アナベルと、カルは、絶対に駄目」


 なんなんだ、その線引き。


 ――ディセントラを連れて行かないというのは、何となく分かる。

 多分だが、ディセントラの代償は、〈仲間の誰かが必ず自分を庇って死ぬ〉というもの。


 つまり、ディセントラを連れて行くことで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その結果誰かが命を落とすということを、トゥイーディアが案じていてもおかしくはないのだ。


 だが、カルディオスとアナベルはなんでだ。

 あと、俺はなんでだ。


 ――カルディオスとアナベルに関しては、マジで思い当たる節がない。

 だが、俺自身は、もしやと思い当たることがあった。


「俺は?」


 出し抜けに尋ねた俺に、トゥイーディアが目を合わせずに応じる。


「避けた方がいいんじゃないかな……」


 その目の逸らし方で確信した。

 このやろう。――だが、今だけは良し。


「おまえ、俺に隠し立てしてることがばれるのがそんなに嫌なのか」


 問い詰める声が低くなった。


 ――トゥイーディアが俺に隠し立てしていること。

 即ち、俺が今回魔王として生を享けた理由。その理屈。原理。


 トゥイーディアが首を傾げた。

 白を切るつもりのようだが、俺がこいつをどれだけの時間眺めていたと思うのか。嘘なんて一目瞭然だ。


「さあ、何のことだろ……」


「コリウス、俺も行く。いざとなったら出来るだけ守ってやるから」


 トゥイーディアを無視して言った俺に、アナベルが無表情に頷いた。


「確かに、行くならルドベキアが最適なのよね、忘れてた」


「違うから!」


 トゥイーディアが声を荒らげ、みんなから「しーっ」と窘められて首を竦めた。

 忘れてはいけない、扉の向こうにはお偉いさんたち。


 すう、と息を吸い込み、トゥイーディアは再び声を潜めて。


「違うから、全然最適なんかじゃないから。ルドベキアは残って」



 トゥイーディアに残れと頼まれるのならば、俺は「行く」と意地を張ることが出来る。


 本心ではトゥイーディアを守りたいがゆえの行動だったとしても、俺の代償は、俺の言動がトゥイーディアに――延いては、周りの人間にどう映るかを優先して、俺の言動を制限する。



「なんで俺がおまえの言うこと聞かなきゃいけねぇんだよ」


 言い返す俺に、トゥイーディアは目を怒らせた。


「私に頭の中を覗かれてもいいの? 一緒に来るってそういうことよ」


 ぜひ頭の中を覗いていただいて、俺の代償について知っていただきたい。


 ――と、そう言いたいのを口に出せるわけもなく、俺は思いっ切り冷ややかに言っていた。


「余計なところまで見たらぶちのめすぞ」


 トゥイーディアがぐっと拳を握る。

 更なる反駁のために彼女が口を開いた――しかしその瞬間、横からディセントラが手を伸ばし、トゥイーディアの掌をぎゅっと握った。


「イーディ、ルドベキアは連れてって」


 嘆願するようにそう言うディセントラに、俺は内心で土下座。ありがとうディセントラ。


「でも……」


 渋るトゥイーディアに、ディセントラがぐっと身を乗り出す。

 たじ、とトゥイーディアが一歩下がった。


「お願い、トゥイーディア。せめてちょっとは安心させてよ」


 俺たちの中で一番防御に優れるのは俺だもんな。

 まあそれも、ヘリアンサス相手なら無いも同然かも知れないけど。


 でも、だの、いや……、だのとごにょごにょ言っていたトゥイーディアだったが、ディセントラに加えてカルディオスまでもが、「ルドが行かないなら俺が」などと言い出すに至って白旗を揚げた。


「分かった、分かりました、私とコリウスとルドベキアで行ってきますから!」


 諸手を上げて降参したトゥイーディアに、コリウスが呻く。


「どうあっても僕も道連れか、トゥイーディア……」


「ごめんね、コリウス」


 眦を下げて、トゥイーディアがコリウスの肘の辺りをぽんぽんと叩いた。


「でも、私のことは信じなくていいから黙って」


 申し訳なさそうな顔してきついこと言うな、トゥイーディア。

 とはいえ、その一言でコリウスは黙り込んだ。




 斯くして話し合いを終えた俺たちは、お偉いさんがいる部屋に再入室して、俺とトゥイーディアとコリウスが席を外すことを伝えた。


 ヴェルマ将軍(疑うべくもなく、この人が最も立場の強い人なんだろう)は快諾したが、ちょっと意外そうな顔をしてカルディオスを見た。


「――席を外すならば貴君であろうと思うたが、ファレノンの坊や」


 知り合いかよ。


 カルディオスは如才なく笑顔。


「何を仰います、ヴェルマの大叔母さまとせっかくお会いできたというのに」


 ヴェルマ将軍は含み笑い。

 親戚っぽいな。カルディオスの父親も将軍だし。




 カルディオスとアナベル、ディセントラを室内に残し、再び廊下に出た俺たちは、そこでトゥイーディアの魔法を受けた。

 ムンドゥスに関する記憶と思考をヘリアンサスから防衛するための魔法だ。


 断じて余計なところは見ないと、トゥイーディアは嫌悪に満ちた顔で宣誓してくれたので、俺としては内心で溜息。



 トゥイーディアが俺とコリウスの額に指先で軽く触れる。

 身長差があるので、トゥイーディアが軽く背伸びをし、逆に俺とコリウスは軽く膝を屈めることとなった。


 触れるトゥイーディアの指先から白い光の鱗片がはらはらと散って、それが目の前を、牡丹雪のようにゆっくりと舞い落ちていく。


 その光がトゥイーディアの飴色の目に映り込み、怖いくらいに幻想的だった。


 そうして数十秒。


「――はい、これで大丈夫……のはず」


 トゥイーディアの声が掛かって指先が離れ、俺とコリウスは膝を伸ばした。


 軽く頭を振る。頭の奥に靄が掛かったような、そんな奇妙な感じがした。



 コリウスは早くも今生に別れを告げそうな顔で溜息を吐いたが、トゥイーディアは頓着せずにさっさと廊下を歩き始めていた。


「トゥイーディア……今回は独断専行がひどいな」


 コリウスが嘆くように呟くのを、トゥイーディアは肩を竦めて聞き入れて、


「ごめんね」


 困ったように笑った。


「でも、それもこれも全部、あいつを殺すまでだから」





◆◆◆





 階下で真面目に俺たちを待っていたらしいティリーたちは、下りて来たのが三人だけだったことに、戸惑ったように瞬きをした。


 見渡すと、トゥイーディアに同行して帝都にまで行った方の隊員たちは姿が見えない。

 それなりの地位の人たちっぽかったので、早速他の任務に引っ張られていったのかな。


 訝しそうなティリーたちに、すかさずコリウスが微笑む。


「僕たちはこれから侯爵閣下のお宅へ。――お疲れでしょう、今日はもうお休みになってください」


 コリウスのその台詞に、あからさまに喜色を湛えたのはアランとイーセス、そしてララとニール――つまるところ、ティリー以外の全員。


 が、ティリーが断固として口に出した言葉に、四人が四人とも絶望の表情となった。


「いえ。救世主さまたちより先にお休みをいただくなど有り得ません」


 うわ……。


 疲れ切っているだろう四人を哀れに思ったのは俺だけではないらしく、すかさず「では、」と声を上げるトゥイーディア。


「そこのお二人、私たちを閣下のお宅まで連れて行ってくださる? この格好の三人だけでは、誰何もされず追い返されるかも知れません」


 冗談めかしつつ、トゥイーディアがアランとイーセスを示して言った。


「はいっ」と踵を揃えて折り目正しく返事をする二人(目が死んでる)を後目に、俺はララを見遣って両手を合わせる。


「ごめん、ララ。ディセントラとアナベルも多分、話し合いが終わったら休むと思うから、部屋の準備頼めねぇ?」


 女性の部屋の準備を女性に頼む、これぞ当然。


 トゥイーディアがちょっと苦笑する一方、コリウスが咳払いした。


「トゥイーディアの分も、お願いできますか」


 ララはちょっと戸惑ったようだったが、すぐに「はい」と頷いた。

 俺はニールへ視線を向ける。察したニールが、


「良ければ、ルドベキアたちの部屋の準備は僕が……」


 と言い出し、俺は笑顔で「頼むわ」と。


 ティリーのことは知らない。

 待ちたいなら待てばいい。



 螺旋階段を七人で下り、相も変わらず殺気立った雰囲気の中、役所の外へ。


 日が落ち切った冬の夜は寒い。

 吹く風は体温を奪い、吐く息は白く染まる。

 夜空で煌めく星は水晶の破片のように鋭利な輝きを湛えていた。


 役所から漏れ出る灯りが、夜闇をごく狭い範囲切り取っている。


 寒さにぶるりと震える俺を他所に、故郷の冬はもっと厳しいであろうトゥイーディアが、悪戯っぽい笑顔でララたちを振り返った。


「はい、では、ここまでで結構です。お疲れ様でした。どうかごゆっくりお休みになって」


「えっ?」


 と、声を上げたのはアランとイーセス、そしてララ。


 トゥイーディアはふふっと笑って(俺はその顔を視界の端に見ていて、勿論のこと記憶に強く焼き付けた)、軽く手を振る。


「侯爵閣下のお宅ならば何度もお邪魔いたしましたし、私の顔をご存知の方もいらっしゃいます。大丈夫ですよ。部屋の支度も、私たちは自分でやるのが性に合っていますから」


 アランとイーセスが感銘を受けた顔をした。

 相当疲れていたんだろう、下がって良いと言われたことが本気で嬉しいらしい。


「本当ですか……」


「救世主だ……天使だ……」


 トゥイーディアを拝みかねない二人にちょっともやっとしつつも、俺はニールを振り返る。寒さに足踏みしながらも、こくんと頷いて、


「ってことで、おまえももう戻って休んで」


「ありがとうルドベキア、この恩は忘れないよ……」


 魂の籠もったニールの声に、「大仰だな」と苦笑。


 ニールはそのまま、よろよろと宿舎に向けて歩いて行った。

 他の三人も、ぺこぺこと頭を下げながらそれに続く。


 俺たちは手を振って彼らを見送った。


 四人が見えなくなってから、ぱん、とトゥイーディアが手を叩く。


「よし、じゃあ、行きましょ」


「死に場所にね」


 皮肉るコリウスに、トゥイーディアは真顔で。


「命に代えてもきみのことを守るから」


「全く嬉しくない」


 そんな毒舌な遣り取りにも親しさが通っていて、俺としては羨ましい。


 俺がトゥイーディアとこれと同じ遣り取りをしようとすると、ガチの喧嘩にしか発展しない。

 事実、これまでに軽口を叩こうとしたのがきっかけで喧嘩になった回数は両手で数えるに余りある。


 なお、そのせいでトゥイーディアに一切口を利いてもらえなくなったこともある。




 宿舎に戻る道が途中で分岐して、広々と広がるテルセ侯爵の邸宅に繋がっている。


 帝都に俺たちを召喚する勅命を受けたときに来た以来だな。

 さすがに明々と照らされて、夜に喧嘩を売っている感じがする。



 高い塀で囲まれた、邸宅の庭に入るためにまず門を通る。


 門衛は、唐突に現れた汚い格好をした三人組に「は?」みたいな顔をしたが、トゥイーディアの顔をまじまじと見て、俺たちが救世主だと気付いたらしい。

 さすがトゥイーディア。この邸宅に入り浸っていた期間があるだけのことはある。


「――お戻りだったのですか!」


 叫ぶ門衛に、トゥイーディアがにっこり。

 その笑顔がさすがに強張っている。


「ええ、つい先ほど。通してくださる?」


「勿論。しかし、閣下は今、マクリーン商会の会頭とご面談なさっておりまして――」


 門を開きつつ、門衛が慌てたように言うのを、トゥイーディアは遮った。


「結構。ここにはロベリアどのに会いに来ました」


 ぎぃぃ、と、軋みながら門が開く。

 その音に紛れて、門衛が恐れるように呟くのを、俺は聞いた。


「……ロベリアさまに――?」


 はい、と頷いて、トゥイーディアが門を潜る。


 門を潜れば、そこから侯爵邸までは一本道だ。

 左右には青々とした――といっても、今は夜陰で見えないけれど――芝生。

 馬車も通れる広い石畳の道の先に、堂々と聳える邸宅。夥しい数の窓悉くから暖色の明かりの漏れる、壮麗たる建造物。


「どの部屋にヘリアンサスがいるか分かるのか?」


 道を進みつつ、コリウスがトゥイーディアに囁く。トゥイーディアは首を振った。


「ううん、さすがに。入ったところで訊くつもり」


 無計画すぎる……。


 そうは思ったものの口に出すのは自重して、俺は粛々と足を進めた。



 邸宅の正面玄関を守る門衛二人組は、そのうち一人がトゥイーディアを、もう一人がコリウスを見分けて、素早く扉を開いてくれた。


 俺は二人の後ろで仏頂面。俺もここに来たことあるんですけど……。



 扉の向こうは広々とした玄関ホール。

 二階分が吹き抜けになっていて、高い天井から下がるシャンデリアが眩しい。


 きらきらする水晶で飾られたシャンデリアの光の下、開扉に気付いた侍女さんの一人が血相を変えてこっちに走って来た。

 侍女の中でも位は高かろう、年齢は三十を幾つか過ぎた程度、黒髪を耳より上の位置で一つに纏めて髷を作り、厳格そうな顔を顰めている。


「――何をしているのです!? 今夜は旦那さまはどなたのご来訪もお許しになっておりませんよ!」


 侍女さんの行く手にすっと立ち塞がって、コリウスが優雅に一礼。

 そして、慇懃ながらも冷ややかに告げた。


「それは失礼。本日は立ち入りはならぬと?」


 コリウスとしては、侍女さんが自分たちを追い返してくれることを本気で祈っていたのだろうが、そして、緊張ゆえの口調の冷ややかさだったのだろうが、侍女さんははっと息を呑んで後退った。


 そして慌てて頭を下げる。


「ドゥーツィア辺境伯閣下の……。大変失礼いたしました。何しろ先触れもなく」


 コリウスが内心でがっかりしたのが、俺には手に取るように分かった。


 しかし折れずに、コリウスは表面上にこやかに言葉を続ける。


「いえ、こちらこそ、夜分にご無礼を。――ここへはロベリアどのを訪ねて参ったのですが、やはり不作法でしたね。

 一度引き返し――」


「ロベリアどのはどちらに」


 保身に走ったコリウスの言葉を遮って、トゥイーディアがその後ろから侍女さんに詰め寄った。


 侍女さんは突然のことにぴくりと肩を揺らした。

 表情に、さっと恐怖が昇って見えた。


 だが、さすがというべきか瞬時にトゥイーディアの顔を見分けて、儀礼的に微笑む。


「リリタリスのご令嬢。お戻りを心よりお慶び申し上げます」


 頭を下げる侍女さんに、トゥイーディアは平生ならば考えられないほどに強い口調で詰め寄った。


「ありがとうございます。つきましては私の戻りを、婚約者候補に知らせたい。ロベリアどのはどちらですか」


 侍女さんは少しだけ眉を寄せ、「しばしお待ちを」と。

 それから奥へ向かって小走りで向かって行く。



 まあ、当然ながら、当人の許しなく俺たちをその傍に行かせることなんて出来ないからね。


 これからヘリアンサスに向かって、トゥイーディアが戻って来た旨の知らせが走るわけだ。



 緊張が喉からせり上がる。

 どこからかヘリアンサスの魔法が飛んでくるんじゃないかと、無意識に周囲を見渡す。壁に掛けられた絵画の額縁が、シャンデリアの光に煌めいているのみだった。


 コリウスも似たような感じで、祈るように低い位置で両手を組み合わせ、濃紫の目で一心に奥を見据えている。


 トゥイーディアも、視線の先こそコリウスと一致していたが、心中は全く異なっているだろうことが分かる表情。

 歯を食いしばって、唇を噛んで、――その表情は、婚約者候補に無事を知らせに来たものでは到底ない。



 待つこと数分。


 奥から戻って来た侍女さんが、少し強張った表情ながら俺たちに向かって頭を下げた。


「――お会いになるそうです。どうぞ、こちらへ」



 斯くして俺たちはテルセ候の邸宅の奥へと招かれた。




 ――ヘリアンサスは随分といい部屋を宛がわれているらしい。



 案内されたのは、六階建てを誇る邸宅の最上階、その西の端だった。


 臙脂色の絨毯が敷き詰められた廊下の、突き当たりの部屋。

 金の装飾が施された胡桃材の扉は大きい。風景画の飾られた廊下には扉が少なく、一つ一つの部屋の広さが推し量られる。


 本来この階は、侯爵とその家族のための階層ではないのか。


 ここまで俺たちを案内してくれた侍女さんは、扉から随分と距離を置いたところで深々と一礼し、足を止めた。


 お礼を言った俺たちは、果てしなく重く感じる足を動かし、その扉の前に立つ。

 先頭に立つのはトゥイーディア。



 すう、と息を吸い込んだトゥイーディアが、ノックもせずに扉を押し開けた。


 扉は軋むこともなく滑らかに、大きく開いた。



 見えたのは、寄木細工の床。

 俺はいつの間にか視線を下に向けていたらしい。


 息を吸い込み、視線にすら重力が掛かっているように錯覚しながら、ゆっくりと目を上げる。


 ――そうすると目に入ってきたのは、広々とした部屋だった。


 部屋の中央の床には、円形の緋色の絨毯が敷かれ、右手には白大理石の暖炉。

 赤々と火が入っているその暖炉の上には、飾り皿が数枚と、鏡。

 暖炉の前には、揺り椅子が一脚とオットマン。


 その少し奥に、華奢な細工が施された一組の机と椅子があった。

 四人掛けの食卓が想定されたもののようで、レースがあしらわれたクロスが掛けられているのが見える。


 正面に見える壁には大きな張り出し窓が開き、張り出し部分には幾つかクッションも置かれている。

 夜間とあって、今は金色の房の付いた臙脂色の帳が下ろされていた。


 左手には、ソファとローテーブルが鎮座。その上には、葡萄酒のデキャンタと背の高いグラスが幾つか、無造作に置かれている。

 更に別の部屋へと通じるアーチ形の出入り口が、左手の奥に見えていた。



 そして、正面――部屋の中央。


 手を伸ばせば届きそうな位置に吊り下げられた、水晶の煌めくシャンデリアの真下。



 そこに堂々と置かれた寝そべり椅子の緋色の褥の上で、悠然と身体を伸ばして寛いでいた青年が、ゆっくりと身体を起こそうとしていた。


「――せめてノックの一つもないの、きみ?」


 揶揄うようにそう言って、黄金の目を細めて笑う――中性的な美貌を持つ、小柄な体躯の青年。


 新雪のような白髪を照明に煌めかせ、身に纏う深青色のガウンを整える。



 そうして堂々と足を組んで座り、魔王ヘリアンサスは唇の端を吊り上げた。



「ようこそお帰り、ルドベキア。それからリリタリスのご令嬢に、そこの銀髪。

 帰って来てすぐ会いに来てくれるなんて感激だな」



 感情の籠もらない声でそう言って、ヘリアンサスは、くすり、と、嗜虐的に微笑んだ。



「――で? この僕に、夜分に一体何の用事だろう?」
















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