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06◆ そっちは朗報、こっちは災害

 約二箇月に及んだ航海だったが、その間、ムンドゥスは一切目を覚まさなかった。



 ――彼女が倒れたその瞬間は、俺たちも大いに狼狽え、大騒ぎになった。


 彼女が顔面から甲板に倒れ込みそうだったところを、滑り込んで受け止めたルインには拍手喝采。

 しばらくすれば起きるだろうと思って様子を見ていたが目が覚めず、揺らしても呼び掛けても頬を軽く叩いても、全くもって微動だにしない。


 これは何かがおかしいぞと、船上で高まる緊張。

「元海賊船ってバレたんすかね、だからっすかね」なんて頓珍漢なことをハーヴィンが言い出す始末。


 それに対して、「落ち着いて」と声を掛けていたトゥイーディアも、内心は相当動揺していたらしく、指輪の形にしていたはずの救世主専用の変幻自在の武器を、腕輪やらナイフやらに無意味に立て続けに変形させつつ弄んでいた。目もめちゃめちゃ泳いでいた。



 とはいえ、顔色が極端に悪いだとか、呼吸が止まったとか、そういったことは一切なかった。


 むしろ、状態を見ると、()()()()()()()ようにしか見えない。

 うなされることもなく、微動だにせず眠るその姿は、容姿の完璧さも相俟って、よく出来た人形そのものに見えた。


 とにかく女性の船室にムンドゥスを運び入れて寝かせたものの、待てど暮らせど目覚めない。


 俺たちとしては、「魔界から引き離してはいけなかった生き物なのでは」だとか、「ヘリアンサスに何か露見して、ヘリアンサスが遠方から何らかの手段でムンドゥスを昏倒させたのでは」だとか、裏付けの取りようのないあらゆる可能性を考慮したのだが、考えるだけ無駄というもので、正解など分かろうはずもない。


 ムンドゥス自らが俺たちとの同行を希望したという事実があるので、あの島から引き離してはいけなかったとは考えづらいというのが、唯一の救いといえば救いである。



 動揺し過ぎて、船賃の支払いを俺はすっかり忘れていたが、そこはコリウス、抜かりはない。

 俺たちが大騒ぎしている間に、ムンドゥスとルインを乗船させたことによる割増料金を弾み、千アルアを船長に手渡していたようだ。



 今日こそムンドゥスが目を覚ましますよう――と祈っているうちに船旅が終わろうとしている。


 生きてはいるが、やばい。

 俺たちのせいで昏睡状態だとか、どうすればいいんだ。

 あと、この状態ではヘリアンサスに対する人質として機能するのか分かんねぇぞ。



 俺たちの間に漂う雰囲気を如実に映し、往路とは打って変わって船上は葬儀の雰囲気を以て海を進んだ。


 途中、一度嵐に遭ったものの、ディセントラとアナベルが船を守り切ってくれた。

 船周辺の海水を、うねりに呑まれないよう〈止め〉続けたディセントラと、ディセントラが留め切れず、船にまで届く高波を、瞬時に蒸発させ続けたアナベル。


 俺たちの熱い声援と感謝を受けた二人は、嵐が収まった翌日、ムンドゥスと同じ船室で爆睡して過ごした様子だった。

 船上唯一の活動している女性となったトゥイーディアが、あれこれと世話をしている様は微笑ましかったが――それにしてもムンドゥスが目覚めない。どうなってんだ。



 レヴナントにも幾度か遭遇したが、その度に手が空いている救世主が対処した。

 往路のときもそうだったが、既に船が犠牲になった後に遭遇することしかなくて、俺たちとしては口惜しい。

 俺たちなら、海上で出るにレヴナントくらいなら問題にならないのに。

 どうせならレヴナントが発生するその場に居合わせたいものだけれど、そう上手くはいかないらしい。


 俺たちがレヴナントはもはや一切問題にせずに片付けることが重なったために、元海賊どもは「さすがガルシア!」と沸いていたが、ガルシア隊員が全員このレベルだと思わない方がいい気がする。

 俺たちはかなり特別な部類だし。普通の魔術師は、周辺一帯の海水を凍結させたりは出来ない。



 ――それにしてもムンドゥス。


 昏々と眠り続けて、食事すら摂っていない。

 何より異様なのは、食事をしていないというのに、彼女の外見に何らの変化も訪れないということ。衰弱している様子がなく、いつ見ても、最初に倒れたときの姿そのままで眠り続けている。


 ルインが一度、「人形の世話をしていると錯覚しそうです……」と零していたが、まさにその通り。


 カルディオスがめちゃくちゃ怪訝そうな顔をして、ムンドゥスの呼吸を確かめていたこともある。




 ――そうして二箇月。



 目覚めないムンドゥスのお蔭で、俺たちは胃を痛める思いで迫る大陸の影を見ていた。

 目指す港は、出発した港と同じ、アミラット。



 季節はすっかり晩秋。

 気温の上がらない日が増えてきて、朝晩は肌寒さを感じるようになってきた。


 南の島で育った今生の俺は寒さに弱く、冷えた空気のせいで目が覚める日が重なった程である。海の上って輪を掛けて寒いんだよ。


 因みに、今生のトゥイーディアの出身地レイヴァスは西の大陸の北方にある。

 そのため彼女には、寒さがむしろ心地よく感じられるらしい。「過ごしやすくなってきたねぇ」とアナベルと話しているのを小耳に挟んだのは先日。



「……今日もムンドゥスが起きない」


 ディセントラが深刻な顔で呟いた。この頃のみんなの口癖である。


「大陸まで着いて様子を見て……意識が戻る様子がなければ最悪、魔界まで取って返すしかないかも知れないな……」


 コリウスが暗鬱な声で零したが、「やめて本当にやめて洒落にならない」と無表情のアナベルに早口で断りを入れられていた。


 まあ、確かに考えたくない可能性だけどさ。それにしても、いや、おまえが言うなよってもので。

 この船旅の間、アナベルがムンドゥスの意識が永久に戻らないことに言及した回数は、数えるに余りある。


 それに対してぶち切れたカルディオスと、なぜかアナベルを庇いだてしたトゥイーディアで、珍しく口論になった程である。

 仲裁したディセントラは涙ぐんでたね。



 今はムンドゥスの傍にトゥイーディアとカルディオス、そしてルインが付いている。

 残る一時間ほどの航海の間にムンドゥスの目が覚めますようにと、甲板にいる俺たち同様奇跡を祈っているはずである。



 粛々と近付く大陸。

 以前この船に乗って大陸に辿り着いたとき、俺はようやくの大陸にめちゃめちゃ嬉しい思いをしたものだったが、状況次第でこうも心持ちは変わるんだな。


 清々しい秋晴れの空の下、広大な斜面を切り拓いて造られたアミラットの町並みが遠目に見えるが、全く心は浮き立たず。


 六人揃って魔界から帰って来られたのは、この長い人生で初めてのことだから、それなりにめでたい日のはずなのに。



「――ちょっとだけ、思うんだけど」


 ディセントラが、一縷の望みを懸けるかの如き声で呟いた。


「船が動き出すと同時に昏倒したんだから、船が止まると同時に起きないかしら……」


 どういう理論だそれ。

 ――と、思わなくもなかったが、もはや何にでも縋りたい気分だったので、俺たちは一斉に、深々と頷いた。


「――兄貴ぃ、そろそろ着きますぜぇ」


 ハーヴィンに声を掛けられて、俺は「ありがと」の意を籠めて頷いた。


 船長が何だか可哀想なものを見る目で俺たちを見てきたが、まあ航海の間中祈り続けていればさもあらん。



 カモメの声を聞きつつ、船は港に入港。

 海賊ではなく合法的な商会のものであるこの船は、特段の問題もなく空いている船着き場に停泊した。


 錨が下ろされ、桟橋に先んじて下りた一人が船を係留する。

 波に揺られ、船体は軋む音を立てながら、長期に亘る船旅が終わった――



 ――瞬間、視界の隅に巻き上がる粉塵を捉え、俺は怪訝に眉を寄せてそちらを見上げた。



 見上げた先、斜面に拓かれた町の中腹よりもやや下で、なぜか盛大に粉塵が舞い上がっているのが見えた。

 遠くに悲鳴も聞こえてくる。


「…………」


 長らくの航海で頭がボケていたのか、俺はマジで一瞬、それが何を意味するのか分からなかった。



 ただ目を(しばたた)く俺の視界に、そのとき、粉塵を割るようにして立ち上がる、薄墨色の巨人の姿が飛び込んで来た。



 レヴナントだ。


 町中で見るのは久し振りなので、余計に巨大に見える。

 海上で出たものよりも、一回りか二回りでかいのは確実だ。



 元海賊どもが「うおっ」と声を上げたまさにそのとき、図ったかのようなタイミングで、船室に通じる格子の上げ戸が勢いよく持ち上げられた。

 そこから息せき切ってトゥイーディアとカルディオスが甲板に飛び出してきたので、俺は思わず、「どうやって船内にいながらにしてレヴナントの発生を察知したのだろう」と真面目に考えたほどだ。


 が、どうやら違った。


「――()()()()()()!!」


 トゥイーディアが叫んだ。


 へ? と一様に瞬きした俺たちに向かって突進して来ながら、トゥイーディアが、彼女にしては珍しく捲し立てるような口調で言い募る。


「ついさっき! やっと!! 目が覚めたの!

 具合が悪いこともないみたいで、今はルインくんが様子を見てて――」


「えっ? ムンドゥス? ムンドゥス、目が覚めたの!?」


 アナベルが目を見開いて叫び、カルディオスがトゥイーディアのやや後ろから、


「だからそーだって言ってんじゃん! 祝杯だ!!」


 万歳しかねない勢いで叫び、トゥイーディアとカルディオスが手を打ち合わせる。


 甲板にいた俺たちとしては目が回りそう。


「そっちは朗報ね、こっちはレヴナントよ!」


 ディセントラが両手を挙げて声を張り上げ、そのときようやく、トゥイーディアとカルディオスの目が揃って町の方へ――延いてはレヴナントの方へ向かった。



 粉塵を透かして、レヴナントの灰色の巨躯が見えている。

 丈高く、蒼穹に向かって咆哮する巨人。


 ――粉塵が上がっているということは、少なくとも建物が被害を受けたということだ。

 だが、粉塵が上がっている範囲は極めて狭い。まだそれほど大きな被害には発展していない。



 さっとトゥイーディアの表情が変わった。


 朗報にはしゃいでいた、俺の大好きな十六歳の少女の顔から、俺の尊敬する救世主の顔へ。



 飴色の目を細めて遠目に状況を見て、声音の変わった言葉を綴る。


「――発生直後みたいね、まだ余り動いてないように見える……」


「ディセントラ、距離的に無理か?」


 トゥイーディアの方には視線を向けていられないので、ディセントラの方へ向き直って、俺は首を傾けて尋ねた。


 言葉足らずな問いだったが、意図は伝わるはずだ。

 ――町並みを守るためにディセントラの固有の力に頼りたいのは勿論だが、こう距離が開いていると、さしもの俺たちとて魔法の行使には支障を来す。

 特にディセントラの固有の力は、人に向けるには十分な凶器になるから、〈止める〉対象を緻密に選別しなければならない。

 だからこそなおいっそう、対象物との距離は大きな障害になる。


 そう分かってはいるが念のため、事の可否を尋ねたのだ。


「そうね、さすがに見えてないと周りの人も巻き込んじゃうかも……」


 呟くように答えたディセントラを一瞥して、トゥイーディアがすっと指を立てた。

 そしてコリウスを見て、端的に指示をする。


「コリウス、ディセントラを連れて町に。私たちは後から追い掛ける」


 妥当な判断に、コリウスが頷く。


 速度に優れるコリウスが、町並みを保護できるディセントラを連れて先に向かうのは妥当だ。

 建物の倒壊は人命に関わるからな。



 方針決定。


 俺たちは輪になって全員の拳を軽く打ち合わせた。


 はい、行動開始。


「失礼」


 他人行儀にそう断って、ディセントラに歩み寄ったコリウスが軽く屈む。

 彼女の膝裏と背中を支えて横抱きにしたコリウスが、涼やかな表情で、とん、と軽く甲板を蹴った。

 赤金色の髪を靡かせるディセントラも落ち着き払って泰然とした様子である。


 客観的に見て美男美女の取り合わせだから、あの二人の登場を目撃した町の人は大いに盛り上がるだろう。

 事実、元海賊どもは呆気にとられた様子ながらも感嘆の声を上げていた。


 ディセントラを抱いて宙に浮き上がり、そのまま尋常でない速度で町へ向かって飛翔するコリウスを見送ることもなく、トゥイーディアは振り返って元海賊どもを見渡し、にっこりして言い渡した。


「申し訳ないけれど、ルインくんとムンドゥスをしばらく船の上で待たせてあげてちょうだい。あれを片付けたら迎えに来ると伝えておいて」


「はいっ!」


 複数人の元気のよい返答に混じって、「兄貴、頑張ってくだせぇ!」と俺に声が掛かる。


 分かった、と手を振って、俺は他のみんなと甲板の端の欄干まで足早に歩く。


 そのまま示し合わせたように欄干を乗り越えて、俺たちは船の外の中空に身を躍らせた。

 肌寒くなってきたので羽織っている、外套の裾が翻る。


「兄貴っ!?」


「皆さんっ!?」


 元海賊どもが目を疑った様子でわらわらと欄干に寄って来たが、心配ない。



 欄干よりもやや下の位置で、俺たちは全員が空中に踏み留まっていた。


 俺とトゥイーディアが欄干のすぐ下の空中を踏んでいる一方、カルディオスとディセントラ、そしてアナベルは、それよりもやや下の位置に立っている。

 各々、重力に関する世界の法を書き換えているか、あるいは空気を圧縮して足場としているかのどちらかだ。


 そこからは、特段の掛け声も必要ない――何しろ付き合いが長いので。


 ――ここから、レヴナントの発生地点まで走るのだ。

 コリウスと違って、飛ぶというよりは走るという移動になるため、速度としては彼に大幅に劣ることになるが、障害物を避けつつ地上を走るよりも段違いに速い。


 それに、結構この移動方法は魔力を食うけれど、それでもなお、レヴナントを相手取るには十分すぎるくらいの魔力の余裕はあるからね。

 さすがにこの後、立て続けに十体のレヴナントを討伐しろと言われたらきついけどさ。



 コリウスとディセントラは、既に豆粒ほどの大きさになって見える。

 間もなくレヴナントに到達するだろう。俺たちの到着前に討伐まで終えてくれれば万々歳だ。



 すっ、と、トゥイーディアが蜂蜜色の髪を払ったのが視界の隅に見えた。

 左の小指から指輪を抜き取り、一振りしてそれを片手剣に変じさせている。黝い切先が、日光を弾いてきらりと光る。



 ――そうして俺たちは、秋空に向かって咆哮するレヴナント目掛けて、真っ直ぐに空中を走り始めた。













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