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02◆ 知っているはずのないこと

「なんなんだこの状況……」


 正気に戻ったカルディオスが、俺の背中の上で茫然と声を上げた。


「起きたか、降りろ」


 カルディオスを背負って歩く俺は、彼を振り落とそうとして揺さぶった。

 が、カルディオスは反射のように俺の首にしがみ付き(俺はぐえっと呻いた)、再び茫然とした声を落とした。


「え……どういうこと……?」


 カルディオスが見た光景。


 即ち、城下を歩く俺たちと、無表情に歩を進めるムンドゥス――その中に嬉しそうに混ざっているルイン。




 俺たちは城を抜けて城下に出て、町の外を目指して歩いている。


 歩調は、最も足の遅いムンドゥスに合わせた遅々たるものである。

 ちょっとは小走りになれよとも思うが、ムンドゥスには果たして俺たちと一緒に歩いている自覚があるのか。

 自分から俺たちといたいと言った彼女ではあるが、予定では彼女にはヘリアンサスに対しての人質になってもらうはずなので、何とも強く言い難い。


 ゆったりとした泳ぐような仕草で、白いドレスの裾を引き摺るムンドゥスは、まるで一人だけ別の時間を生きているようでさえあった。

 なお、ドレスの裾は土埃ですっかり汚れてしまっているが、頓着する様子はない。

 彼女の黒真珠色の長い髪は、機織り塔の前を離れる前に、ディセントラの手によって結い上げられていた。

 髪を纏めて三つ編みにして、それを項の位置で纏め上げて、なお毛先は彼女の膝下で揺れている。どれだけ長い髪か分かろうというののだ。



 城を抜ける際にはまた目くらましが必要かと思ったが、ルインが先頭を歩くことを買って出てくれたのでその必要はなかった。


 俺たちが、もはや彼の同行を止める言葉を失ったということを察知したルインは張り切って先頭を歩いてくれた。


 城内では貴族の末端、何だかんだで軽んじられていたとはいえ、城内の殆どを占めるのは使用人の立場の人たちである。

 彼らからすれば、貴族であるというだけでルインは目上の立場だ。

 その彼が、俺たちをはっきりきっぱり「連れだ」といえば、何もわざわざ誰何はされない。


 とはいえ擦れ違う全員が全員、ムンドゥスをガン見していたのは致し方なかろう。

 風変わりな格好に絶世の美貌である。目を引かない方がおかしい。



 得意分野の魔法を使ったカルディオスは、しばらく意識を失うも同然の状態に陥る。

 トゥイーディアなら即座に叩き起こすことが出来るが、それは彼女の嫌う、〈人の精神に干渉する〉魔法を使ってのこととなるため、案の定トゥイーディアはカルディオスが自然に目覚めるのを待ちたがった。


 そのために、彼と身長的に最も釣り合う俺がカルディオスを背負ってこうして歩いているわけである。




 降りろと言っているのに、カルディオスはぽかんとして状況の把握に手間取っている様子で、なかなか俺から離れない。

 重いんだけど。

 カルディオス、身長の割には細身に見えてもやっぱり訓練されている。筋肉が重い。降りてくれ。

 真夏の重労働に、俺の額には汗が浮く。


「……え、待ってここ……どこだ? あと、えっ、こいつなに?」


 ぎゅううう、と肩を掴まれる。


 俺は足を止め、カルディオスの膝の辺りを支えてやっていた両手を離した。

 うわっと声を上げ、尻から地面に落下するカルディオス。


「――いってぇぇぇ……、ひでぇぞルド!」


 尻餅をついたまま睨み上げられ、俺はふんと顔を背けた。

 大した距離を落としたわけではないので、カルディオスなら大丈夫と先刻承知の上のこと。カルも本気で怒っちゃいない。


「重いんだよいい加減」


 往来の中、何事かという視線を喰らいながらもみんなも足を止め、ディセントラがカルディオスに手を伸べた。


 なお、ムンドゥスは周囲が足を止めたことにも気付かず、ゆったりとそのまま歩いて行こうとしたので、不気味そうにしながらもトゥイーディアがそれを止めていた。

 トゥイーディアが自分の前に立った瞬間、嫌なものを見たかの如くに顔を背け、ふんわりと足を止めるムンドゥス。


「はいはい、大丈夫? カルディオス」


「トリー、ありがと……、ってか、こいつなに?」


 伸べられたディセントラの掌を握ろうと手を伸ばしつつ、カルディオスが心底不思議そうにルインを見た。


「そっちの変なのは分かるけど、――なんでそいつまで一緒にいんの?」


 “そっちの変なの”ことムンドゥスは、声すら聞こえていない様子で、銀色の摩訶不思議な眼差しで往来を眺めている。


 きょとんとした翡翠色の眼差しを向けられ、ルインはその場に屈み込み、すっと膝を突いて姿勢を正した。


「ルインと申します。兄さん――ルドベキアさまのお供のお許しを頂きまして、ご一緒することとなりました」


 濁りのない柘榴色の目を見て、カルディオスは大きく目を見開いた。

 ディセントラの手を半端に握ったまま、立ち上がることも忘れて息を吸い込み、


「……マジ?」


 俺を見て、愕然とした声を出した。

 俺は頭を抱え、呻くように応じる。


「しばらくな。しばらくして、こいつの頭が冷えるのを待つ」


「兄さん!」


 ルインに縋るような眼差しを向けられ、俺は反射的に視線を逸らした。


 だってこいつ、なんか仔犬みたいで要らない罪悪感が煽られるんだもん。


 ルインは今は小さな旅行鞄を手に持っていて――勿論、着の身着のままで連れ出すわけにはいかなかったからだが――、その荷物を奴が纏めている間中、背後に立ってみんなして延々と、「救世主と一緒にいても碌なことにならない」「引き返すなら今」「町を移れば環境も変わる……」と新興宗教も斯くやという執念で言い聞かせていたのに、こいつの意思は変わらなかった。


 最後は泣きそうな目で俺たちを見てきたので、俺とディセントラとトゥイーディアが口を噤んで敗北した。

 コリウスとアナベルが額を押さえて溜息を吐いていたのはお察し。


 なお、ルインにそうして言い聞かせている間もずっと、俺はカルディオスを背負っていたわけである。


「僕はそんなに迷惑ですか……?」


 柘榴色の目にばっちり自分が映り込んでいるのを視界の隅に捉え、俺は冷や汗。



 いきなり人生が変わってしまって不安に思う気持ちも分かるが、なんで頼る対象を俺にしたんだ。


 魔王輔弼が上手いことこいつの両親に説明するだろうと期待して、かつ、こいつも特に希望をしなかったので、俺たちはこいつに父母との挨拶をさせ損ねている。

 その負い目もまた俺の目を泳がせる。


 まあ、俺たちにとっては親子の情愛なんてピンとこないもんだけど、トゥイーディアの煩悶の表情を見てしまうと、一般的には辛いものなんだなと察してしまうというもの。

 トゥイーディアは俺たちの中で唯一、親子の情愛を正しく理解しているからね。



「いや、あの……その……」


 しどろもどろになる俺を、ぽかんとした瞳で見ながら、カルディオスは思い出したように立ち上がる。

 ディセントラの手を借りたものの、実際には自力で立ち上がったのだろう、ディセントラに負担を掛けた様子はない。


 ぱんぱんと軍服を払って砂埃を落としつつ、カルディオスは声音に深い理解を籠めて言った。


「――なんとなーく分かった。なんだかんだ、ルドって頼られたら弱いもんな」


「せめて兄さん呼ばわりを止めてくれ……!」


 絞り出すようにそう言った俺に、ルインは立ち上がりながら目を見開き、真剣な声音で言ってのけた。


「お名前をそう何度もお呼びするのは畏れ多くて……」


「おまえは俺を何だと思ってんだよ!」


 声を抑えて叫んだ俺はしかし、ごく当然のような顔でルインが口を開こうとするのを見て、慌てて前言撤回。


「いい、やっぱり言わなくていい!」


 何言われるか分かったものじゃない。トゥイーディアの前でこれ以上の恥はごめんだ。



 こいつの頭が冷えるまでの間、行動を共にすることになり、最低限の礼儀として俺たちは――というか、俺と、意識のなかったカルディオス以外は――ルインに自己紹介していたが、ルインは俺のみならず、全員を敬称つきで呼ばわる礼節の徹底ぶりを見せていた。



 往来の中、俺たちはただでさえ格好で目立つ。

 何しろ俺たち六人は軍服。ルインは豪奢でこそないものの、一目見れば高級な布を仕立てたと分かる服装。ムンドゥスは言わずもがな。


 そこでこんな遣り取りを――しかも立ち止まって――しているのだから、俺たちに集まる視線は続々と増えている。


 はあ、と溜息を吐いて、トゥイーディアが額を押さえた。


「――ねぇ、とにかくさっさと町を出ましょうよ」



 日は傾き始めていた。





◆◆◆





 ――その夜俺たちは、魔界の首都からほど近い木立の中で野宿した。


 さすがに魔界で宿を取る度胸は誰にもなかったし、「野宿つらい」とルインが音を上げてくれれば願ったり叶ったり――と思ってのことだったのだが。



「兄さん、お水のおかわりは」


「いい……」


「さっき僕が買った檬果ありますよ」


「大丈夫……」



 笑顔で卒なくあれこれと勧めてくるルインに、俺はもはや地面に手を突いて項垂れるレベル。


 なんだ、この打たれ強さ。

 歓迎されてないのは雰囲気で分かってるだろうに、なんでこんなに笑顔でいられるんだ。


 あれか。

 俺と引き比べてあれこれ言われた幼少期に、この鋼の精神が育ったとでもいうのか。



 本来ならば、魔王の城まで行って生きて脱出できたという記念すべき出来事に、みんなで祝杯でも上げたいところ、こいつとムンドゥスのせいでそれどころじゃなくなってしまっている。



「――そっそれより!」


 顔を上げ、俺は勢いよく声を出した。

 檬果を両手で包むようにして、ルインがきょとんと首を傾げる。


「はい、なんでしょう」


 俺は端っこの方で夜空を見上げるムンドゥスをびしっと指差して、逃げるように口走った。


「あいつを近くで見張っててくれ!」


 もう完全に、俺がルインを遠ざけたいだけだと分かったのか、ルインはしゅんと眦を下げた(俺は良心の疼きにうっと呻いた)。

 だが、直後に聞き分けよくにこっとして、


「かしこまりました」


 と、立ち上がってムンドゥスの傍に歩いて行き、そのまま彼女の傍に腰を下ろした。




 俺たちは、木立の中の小さな空き地で、俺が熾した焚火を囲むようにして座っている。


 ムンドゥスはその外れの、細い木の根元に身を寄せるように座り込んでいて、銀色の大きな目で樹冠と夜空を見上げていた。

 星を数えてでもいるのか、ルインが寄って来たことに反応すらしない。




 ふう、と息を吐いた俺に、アナベルがじとりとした薄紫の目を向けてきた。

 手に食べ掛けのパンを持って、膝を抱えて座る彼女は拗ねているようにさえ見える。


「――ルドベキア、責任持ってあの子のことは何とかしなさいよ」


 囁く彼女に、俺は思わず頭を抱えた。


「分かってるよ。あんなに懐かれてるなんて知らなかったんだよ」


 ディセントラとトゥイーディアが生暖かく笑った。


「おまえってさ、変なのから好かれてるな、今回」


 カルディオスがしみじみと、俺が気にしていることを指摘してきた。うるせぇ。


「人望があるのは結構だが、」


 コリウスが思案するように濃紫の目を細める。


「何としてでも、船に着く前にあの子を引き離さなければ。

 ――ムンドゥスはまだ、見た目からして異様だからね。素直に、『これがあの兵器の作り手です』と申し上げれば陛下も納得なさるかも知れないが、ルインは駄目だ。凡庸すぎて言い訳が立たない。陛下たちの御前まで連れて行かないにせよ、船の皆さんが相当大騒ぎをすることになるぞ」


「だよなあ……」


 夜空を仰ぐ俺。



 正体不明の女の子一人を連れて行けば、船の上はそれなりに大騒ぎになるだろうが、適当に言い訳をでっち上げれば――あいつら馬鹿そうだし――、何とか誤魔化しも効くだろう。


 だがそこに、どう見ても凡庸な見た目の青年がくっ付いて来ていれば話は変わる。

 さすがに色々不審に思われよう。


 最悪、大陸に戻った後に港で噂とかになりかねない。困る。


 ムンドゥスのことは探られても別にいいが――だって正体不明だから――、ルインは駄目だ。何しろ、俺の出生と直截的に関わりがあり過ぎる。


 救世主の一人が魔王でしたなんて、バレたら目も当てられない。

 俺は間違いなく、処刑台の上で石を投げられながら首を斬られることになる。

 死に方としては最悪だ。



 声を潜めた俺たちの遣り取りは、間違いなくルインには聞こえていなかっただろう。

 俺はこっそりと振り返り、ムンドゥスの傍に座るルインを一瞥。木立を透かす月光を受けて、灰色の髪が光輪を弾いている。

 視線に気付いたようにこちらを向こうとしたので、俺は慌てて焚火に向き直って溜息を吐いた。


「どうしたもんかなあ……」


「――ねえ、もういっそ」


 アナベルがごく真顔で呟いた。


「ルドベキアとあの彼だけ、別行動させるのはどうかしら。沿岸で落ち合うことにして、ルドベキアにはそれまでにあの子を振り切って来てもらうっていうのは」


 俺はぎょっとして仰け反った。


「おい、冗談だよな、アナベル? おまえ、再会したときは俺が酷い目に遭ったって怒ってくれたのに、今さら見捨てようとするなよ」


 アナベルは薄青い目を細めて、しれっと。


「……いや、あのときとは状況が違うかなって」


「おいアナベル!」


 俺とカルディオスの抑えた声が重なり、俺は思わずカルディオスの手を握った。

 カルディオスもしっかりと手を握り返してくれて、ややわざとらしくも、俺たちは肩を寄せ合った。


「助けてくれカル、俺はもう一人になりたくない!」


「――気持ちは分かる」


 少し離れたところで、コリウスが重々しく頷いた。俺は感謝を籠めて頷き返した。

 コリウス、さすが。さすが二十三年間誰にも会えなかった経験があるだけある。

 あのとき号泣したこいつは、仲間のいない心細さを十二分に知っているのだ。


 ディセントラが呆れたように焚火に向かって息を吐く。


 まあ、アナベルも本気で言ってはいないだろうが、無表情が基本のこいつの冗談は分かりにくい。

 その辺を百発百中で理解できていたのはシオンさんただ一人だ。


 俺たちが数百年かけても理解できないでいるアナベルの表情と感情の機微を、あの人は一年ちょっとで理解していた。


「――アナベル、駄目よ。ルドベキアを一人には出来ない」


 ふと、思い出したようにトゥイーディアが口を挟んだ。


 代償がなければ、俺は立ち上がってトゥイーディアを抱き締めに動いていただろうが、生憎と表情は無になった。


 焚火の明かりに煌めく飴色の目で俺を一瞥して、アナベルに視線を戻しながら、トゥイーディアはきっぱりと言った。


「なんかこの人、魔王っていう割には頼りないし」


 俺は自分の額に青筋が立ったのを自覚した。

 すうっと目を細め、トゥイーディアの澄ました横顔を睨みつける。


「てめぇ、言うじゃねえか。何があっても絶対助けてやらねぇからな」


 トゥイーディアも俺を見て、鼻で笑った。


「いつだって、別に助けてくれたりしないでしょ、私のことは」


「――――」



 返す言葉もございません。でも本当は誰より優先して助けに行きたいんだけど……。



 子供のように不貞腐れてそっぽを向いた俺の肩を抱いて、カルディオスがフォローするように言った。


「やー、そんなことねーじゃん? イーディのことも助けに飛んで行くときあるじゃん」


 トゥイーディアが眉を上げた。

 その目からそうっと視線を外しつつ、カルディオスは小さくなっていく声で、


「……イーディが他の人と一緒にいるときは……」


「そうね、ついでにね」


 吐き捨てるように呟くトゥイーディア。

 俺は外面こそ仏頂面だったが、内心は涙目。



 ――違う、逆。他の人がトゥイーディアの()()()なの。

 トゥイーディアが、俺が他の人を助けに来たと誤解するからこそ、俺はトゥイーディアを助けに動けるわけだから、彼女の誤解には感謝してるけどさ……。


 ――だから俺は、トゥイーディアが一人で行動するのが怖い。


 彼女が一人で危機的な状況に陥った場合は、俺は絶対に助けに行けないから。

 誰か他の人、俺が()()()()()()()()()()()()と一緒にいてくれないと、俺はどんなにトゥイーディアを助けに行きたくても動けないから。



「――本当に、なんでそんなに私のことが嫌いなんだか」


 珍しく、愚痴の口調でトゥイーディアが呟いた。


 だいぶ前の人生までは頻繁に訊かれていたのかも知れないが、もう覚えていない。

 今のトゥイーディアは、滅多にこんなことは言わないのに。


「なんか昔、あったんじゃないの? 覚えてないだけで」


 ディセントラの言葉に、俺は「かもな」などと答えつつも内心ではぶんぶんと首を振っている。



 ――違う、俺は昔からトゥイーディアが大好きなんだ。だからこんな態度になるんだ。誰か気付いてくれ……!



 ……まあ、無理だろうけど。そういう代償だから。無理なんだろうけど遣り切れない。


 てか、ヘリアンサス。

 あいつがディセントラの代償をトゥイーディアに教えたのなら、あいつは代償のことを知っていて、かつそれを口に出せるということになる。

 なんで俺の代償をトゥイーディアに教えてないんだよ。なんで肝心なところを漏らすんだよ。魔王だからか。



「――昔に何かあったのならいいけど」


 トゥイーディアがぼやいて、足許の小枝を焚火の中に放り込んだ。

 ばちッ、と音がして小枝が燃え上がる。


「理由もなしに私を嫌ってるんだったら、首の心配をした方がいいわよ、ルドベキア」


 焚火を見ながら落とされた言葉に、俺は思わずぱしっと自分の首に手を当てた。怖い。

 トゥイーディアなら、触れる指先が――いや、こちらへの一瞥ですら、十分に致死の武器になる。


 ぐっと息を呑んだ俺を庇うようにして、カルディオスが冷や汗の浮かぶ笑顔で元気よく言った。


「イーディ、そんなこと言うなよー、今更だろ?」


 重い沈黙が空き地を覆って、数秒。


「――さぁて、どうやってルインくんに居心地のいい場所を見付けてもらうか考えましょ!」


 ルインには聞こえないように小声ながら、ディセントラが両掌を合わせて空々しいまでに元気よく宣言した。


 話題を逸らすのが下手にも程があるが、そこはご愛敬ということで、


「そうだな」


「そうね」


「まずは安定した生活のため勤め先を」


 コリウス、アナベル、トゥイーディアが真顔でそれに乗っかり、俺はほうと一息。



 ――マジでぞっとした。トゥイーディアには嫌われている自信がある。


 まさか長い付き合いの俺を殺すことはないだろうと高を括っていたが、客観的に見ると今生の俺とトゥイーディアは魔王と救世主。

 殺し合って然るべき間柄である。


 そんなことには絶対にならないよう、細心の注意を払うけどさ。


「……何なんだよあいつ、いきなり……」


 半眼でぼやいた俺に、ディセントラが一瞥をくれて肩を竦める。


「まあ、あんたの長年の態度を見ていると、どうしてイーディがぶち切れないのかっていうことの方が不思議ね。あの子、あんたと口喧嘩はしても手を上げたことはないでしょう」


 俺は黙り込んでそっぽを向いた。



 昔は俺たちも、拳やら魔法で喧嘩したこともあって、ディセントラは大抵その仲裁役になっていたっけ。

 今となっては、俺たちも大人になったから、相当のことじゃない限り殴り合いはしないけど。


 遥か昔には、号泣事件前のコリウスのスカした態度が気に入らないと、カルディオスが夕食のスープを彼にぶっ掛けたこともある。そのあと間髪入れずに壁に叩き付けられていて、俺たちは食卓を死守しつつ唖然としていたものである。

 斯く言う俺も、アナベルに罵倒の挙句に背中を蹴り倒されたこともあるし、カルディオスの横っ面をぶん殴ったこともある。


 けど確かに、トゥイーディアが俺に手を上げたことは一度もなかった。

 言うまでもないが、逆もまた然り。

 舌戦の数は他の誰より多いけどな。



 むすっとした俺の顔を困り顔で見て、カルディオスがぼそりと言い差した。


「――そりゃあだって、イーディはずっと……」


 そこまで言って、「やべ」という顔で黙るカルディオス。


「……なんだよ」


 続きを促すも、カルディオスは素早くトゥイーディアたちの会話へ入っていって、俺を無視した。



 イーディはずっと……なんだ?


 “ずっと大人だったからな”、か?



 ――いや……。



 焚火に照らされて、真顔で「どうすればルインを穏便に置き去りに出来るか」を小声で議論しているトゥイーディアの横顔を視界の隅に収めつつ、俺は内心で(かぶり)を振った。



 ――トゥイーディアは、大人に見えても、精神的に幼い部分が多い。


 頑固だし、一人で抱え込みがちだし、寂しがり屋だ。


 彼女がいつも論説や立場の()()()()の味方をするのは、一度踏み外した道を戻るのは辛くて苦しいことだと知っているからだ。

 だから道を踏み外さないようにしている、彼女の正しさは臆病さの裏返しだ。


 その代わりに、一度正しいと決めた道を行くことには絶対に折れない。


 彼女は逆風には強いけれど、自分の中の矛盾にはとても弱い人だ。

 自分の中で、自分の行いが絶対に正しいと芯が通っている限りは、外からの苦難や辛苦には、桁外れの強さを見せる。

 だから、自分の中で正しいと決めた道を貫いて、自分の中に矛盾が生じないようにしている。


 そういう慎重さも打たれ強さも、俺にとっては好ましい尊敬の対象だ。


 それに彼女は、()()()()()()()()だ。

 彼女は、人に怒ることは多々あれど、滅多なことでは人を憎んだりしない。

 だが、一度憎んでしまえばその感情は固定されるに等しい。それを克服して許すのはとても苦手な人で――



 ――あれ?



 俺は無意識に眉を寄せた。



 ――なんで俺、()()()()()()()()()んだ?



 長い付き合いだから?

 これまでずっとトゥイーディアを見てきたから?


 いや……でも……待てよ?



 ――トゥイーディアは、一度踏み外した道を戻るのは辛くて苦しいことだと知っている?


 ならば彼女は()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()


 そんな場面を俺は見たことがないはずだ。



 ――トゥイーディアは人を許すのが苦手?

 じゃあ、()()()()()()()()()()()

 思い付くのはヘリアンサスくらいだが、あいつは許す許さないという次元にいる存在じゃない――



 ――待てよ?



 ばちん、と焚火が爆ぜた。



 ――俺たちはなんで、いつもいつもヘリアンサスを殺そうとしてるんだっけ?

 あいつが魔王だからか?


 じゃあなんで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 あいつにこれまで何回も何十回も殺されたからか?



 いや、それだけじゃない気がする――



 ――さく、と下草を踏み分ける音がして、俺ははっと顔を上げた。


 そして、ほぼ目の前に迫ったムンドゥスを見て軽く仰け反った。


「ぉわ……っ!」


 全然気付かなかった。

 考え事をしていたとはいえ不覚。


 てかみんな、気付いたなら声を掛けてくれよ――


 そう思ってみんなの方を見ると、みんな揃ってびっくりしていた。

 おい、嘘だろ。この子が歩いて来てるのに、みんな全然気付いていなかったのか。


 ていうかルインも、ムンドゥスが動き出したなら声掛けろよ。


 ちら、と距離のある場所に座るルインを見る。ルインは何も気付いていない様子で夜空を見上げていた。


 マジか。この子、実は気配を断つ熟練者か。


 ムンドゥスは首を傾げ、俺をじっと見た。

 銀の瞳が夜闇と焚火の明かりを吸い込んで、複雑な色合いに輝いていた。

 結われた黒真珠色の髪が、夜陰の中でさえ煌びやかに、重たげに背中を滑った。


 少し屈み込んで、ムンドゥスは、罅割れに覆われた右手を俺に向かって伸ばした。


「――――っ!」


 思わず俺は飛び退るようにして立ち上がり、彼女との距離を置いた。


 俺の近くのカルディオスも、半ば腰を浮かせて後退った。


 警戒心満点で自分を見据える俺に、ムンドゥスはまた、ゆったりと首を傾げた。

 その銀色の目に、俺の険しい表情が映っている。


 そうして、ゆっくりと、水の中で動くかのような仕草で、屈み込んでいた膝を伸ばし、背筋を正したムンドゥスが、水晶の笛を鳴らすかのような高い声で、はっきりと言った。


「――駄目よ」


 俺は眉を顰めた。


「……は?」


 ムンドゥスは首を傾けて、俺に向かってまた手を伸ばした。


 距離があったから、その指先が俺に触れることはなかったものの、びっしりと罅割れに覆われた手が自分に向かって伸ばされ、俺は気味の悪さに身震いした。


「そういうことは、考えては駄目」


 一本調子にそう言って、ムンドゥスは手を下ろし、銀の目を伏せてその手をじっと見下ろした。



「……痛くなってしまう」



「は……?」


 意味の分からないことを言われ、俺は顔を強張らせる。


 そんな俺の反応を意に介さず、ムンドゥスはゆっくりと踵を返し、白いドレスの裾を引き摺りながら、元いた場所に引き返し始めた。

 用は済んだと言わんばかりだった。


 そのときになって初めて、彼女が自分の傍を離れていたことに気付いたのか、ルインが慌てたように腰を浮かせる。


 ムンドゥスを茫然と見送った俺は、思わず魂の抜けたような声を出した。


「……俺の考えてること、分かってた……?」


 俺の呟きに、全員、思わずトゥイーディアの方を見た。

 何しろ考えを読むという分野において、真っ先に心当たりとして該当するのは彼女だから。


 視線の集中砲火を喰らったトゥイーディアは、口許に手を宛がいつつ、考え深げに。


「――人の思考を読み取れるのは、私くらいなものね……」


 こくりと頷く俺たち。

 彼女こそ、この世界で唯一、人の精神や記憶に干渉できる魔術師だ。


 トゥイーディアは更に、ぼそりと。


「でもあの子、ヘリアンサスと()()()()()()()()()()()って言ってたしな……」


「――ごめん、なんでここであいつが出て来るの?」


 ディセントラの訝しげな声に、トゥイーディアははっとしたように顔を上げた。


 一瞬迷うように視線が泳いだ――その目がちらりとアナベルを掠めたのを、俺は見た。

 だがすぐに、何かを振り払うかのように小さく首を振り、トゥイーディアは言った。


「ごめん、言ってなかったわね。――あいつは多分、私たちの得意分野を扱える」


 目を見開いたのは全員同様だった。


 ――俺たちの得意分野? 絶対法に喧嘩を売るこの能力を?


 けど、魔王と救世主では、絶対法を超える方向性が違うはずだ――


「――は? マジ?」


 カルディオスの声を皮切りに、各々漏れ出す声のうち、俺は思わず苦言を呈していた。


「――もっと早く言えよ!」


「どうせあいつと戦う前に言うつもりだったわよ! 私だってこれを知ったのは前回の死に際よ!」


 声を潜めつつも叫ぶようにそう言って、トゥイーディアは渋面でムンドゥスを見遣った。


「……だから、あの子が私たちの記憶や思考を盗み見ているなら、私の得意分野を使ってるんじゃないかって――ヘリアンサスと同じことが出来るんじゃないかって思ったんだけど」


 ムンドゥスの自己申告を信じるならば、その説はないということか。



 ――とはいえ、


「……あいつがあたしたちの得意分野を使ってるところなんて、見たことないけれど」


 アナベルが暗い声で呟いた言葉に、カルディオスが吐き捨てるように答えた。


「――そんなことするまでもなく、俺たちには圧勝できたってことだろ。……イーディ、前回それをあいつに吐かせたってことは、結構追い詰めたってこと?」


 トゥイーディアが笑った。

 見ていてどきりとするくらい、毒のある笑顔だった。


「まさか」


 短く、それこそ一蹴するようにそう言い捨てて、トゥイーディアは隠しようもない憎悪を声音に覗かせた。



「あいつが私の心を折るのに、ちょうどいい話題だったっていうだけよ」



 絶対折れてないだろうと分かる刺々しい声でそう言って、トゥイーディアはすうっと深呼吸。


 そして、わざとらしく両手の指先を組んで首を傾げ、にこっとした。



「――はい、じゃあ、今度こそ、ルインくんのこと考えましょうか」













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