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27◆ 思わぬ協力

 女性はユーリアと名乗った。


 俺は彼女の名前を知らなかった――さすがに忘れたとかではなくて、彼女の夫の死を伝えに行ったとき、余りの申し訳なさから訊きそびれていたのだ。



 ユーリア曰く、今は昼餐の後片付けと晩餐の仕込みのちょうど中間の時間らしく、俺たちは侵入者としては度外れた運の良さを発揮したらしい。


 トゥイーディアたちは、俺とユーリアの遣り取りから大体のところを察しただろうが、ユーリアからすれば「この人たちはだれ?」という状況だろう。

 ついでに言えば、攫われた(と噂になっている)魔王が突然の帰還である。何が何だか分かるまい。


 どう説明したものか、俺は数秒の間悩んだが――何しろ、転生云々と抜かしたところで、記憶を保持した生まれ変わりなど普通は信じてもらえないだろうし、余計に話がややこしくなってしまう――、そこはコリウスが素早くフォローしてくれた。


 コリウスは真剣かつ真摯な表情で、以下のようにユーリアに伝えた――曰く、「魔王ルドベキアは常に暗殺の危険に晒されてきた。そこで彼は身を守るために自ら城の外へ出て、以来は自分たちが魔王を保護してきた。今日は内密で魔王暗殺の黒幕を探るためにここへ戻った。事を大ごとにせず、どうか黙っていていただきたい」。


 さすが過ぎる。なんで数秒でここまで考えつくんだ。


 嘘のない真摯なコリウスの表情と声音に、ユーリアは感じ入った様子。


 ――ここまで全て、厨房の調理台の陰での遣り取りである。



 そろそろユーリアの仕事に差し障りも出てくるだろう。


 さっき、クーファス夫人と呼ばれていた女性が言っていた「御母堂さま」は、考えるまでもなく今回の俺の母親のことだ。俺がいなくなった後も、特権を享受し続けているらしい。

 そんな人の夕餉の支度で粗相をして、ユーリアが罰されてしまっては目も当てられない。


「――じゃあ、そろそろ……」


 俺が言い出すと、ユーリアは灰色の目を大きく見開いた。


「魔王さま、どこへ」


 ここで俺の我慢の限界。思わず顔を強張らせて言ってしまった。


「あの、ごめん、その『魔王さま』ってのやめてくれ。俺はルドベキア」


 おかしなことを言うものだと思っただろうが、ユーリアは素直に言い替えてくれた。


「はい。――ルドベキアさま、どちらへ向かわれるんです?」


 俺は顔を顰めた。



 ――別に俺は、たとえ魔王輔弼が俺の暗殺を命令していたのだとしても、彼を殺そうとまでは思わない。

 個人的には、安寧からは程遠く、熟睡や満腹から引き離された数年のことを思えば殺してやりたいくらいの恨みは募っているが、魔王輔弼が犯人だった場合、彼を殺すのはまずい。


 なぜなら、現在この島を治めているのは魔王輔弼だからだ。

 彼を殺せば統治が揺らぎ、治安の悪化にも繋がりかねない。

 さすがに私怨のためにこの島の人たちに不遇を強いるのは忍びない。



 なので、ここで「もしかしたら暗殺の黒幕は魔王輔弼かも知れない」なんて発言は慎むべきだ。

 ユーリアを疑うわけじゃないが、どこでどう噂になるか分からないからな。


 短く息を吐いて、俺は言った。


「――取り敢えず、魔王輔弼のところ。一応あの人にだけは顔を見せないと」


 特段疑った様子はなかったが、ユーリアはぐっと身を乗り出してきた。


「協力させてください」


「え?」


 素の声が出る俺。瞬きして、調理台を一瞥。


「いや、仕事があるだろ……?」


「はい、ですが」


 ユーリアは微笑んで胸に手を当てた。

 魔界における、主人から指示を拝受するときの正式な仕草だ。


「しばらくお待ちになっていてください。

 魔王さ――ルドベキアさまは、御本がお好きで余り表にはお出でにならない方でしたから、ご存知ないでしょうが、わたくしと同じようにあなた様にご恩を感じている者は他にもおります。

 今日は内密、人に見られてはならないのでしょう? あなた様にご恩を感じている者は、決してルドベキアさまのことを口外したりはしませんから。

 皆で協力して、ルドベキアさまたちが人目に触れずに輔弼閣下の執務室に辿り着くよう図らってみます――そうさせてください」


 俺は思わずみんなを振り返った。

 この話を受けるかどうか――土台から言えば、信じるかどうか――は、俺の一存では決められない。


 どうする? との意図を籠めた俺の視線に、コリウスとアナベルが素早く頷いた。

 あとの三人はちょっと迷っている顔だったが、明確な賛同があるならいいだろう。


 俺はユーリアに向き直って、頭を下げた。


「――ごめん、頼む」


 お顔を上げてください、と言われて顔を上げれば、ユーリアは自信ありげに微笑んでいた。


「お任せください。――この城の管理はわたくしたちがしているのですから」




 ――そう言って厨房を足早に出て行ったユーリアだったが、彼女の仕事に障りがないのか、俺の方がはらはらした。


 念のため隠れていてくださいね、とは言われたものの、調理台の端っこから顔を出して入り口を窺い続ける俺に、コリウスの声が聞こえた。


「――物分かりのいいご婦人で助かった」


「本当にね」


 言葉少なに同意して、アナベルは付け加えるようにぽつりと。


「あの人が声を掛けた人が、あの人と意見が違うようだったら大問題だけれどね」


 アナベルの悲観論が炸裂し、カルディオスが溜息を吐いた。


「あのさあ、アニー。もうちょっと、」


「カル」


 トゥイーディアが窘めるように彼を呼んで黙らせ、カルディオスがむすっとしたのが見なくとも気配で分かった。


 どきどきしながら厨房の扉を注視する俺の隣に、膝立ちで進み出てきたディセントラが、こっそりと囁き掛けてくる。


「――ルドベキア、本当に大変だったのね」


「そうじゃなきゃ、再会したときにあそこまでの醜態晒さねえよ」


 顔を顰めて答えた俺の背中を、ディセントラはぽんぽんと軽く叩いて、


「でも、誠意のあるところがルドベキアらしい。色々と抱え込んで辛かったでしょう」


「…………」


 俺は一瞬息を止め、それからゆるゆると吐いて、頷いた。


「――ありがとな、ディセントラ」


 ちょっとしんみりしてしまった俺とディセントラの間の空気に気付いたのか、茶化すようにしてカルディオスがじゃれ掛かってきた。


「なー、ガルシアに着いたときのルドは泣いてたもんな、珍しく」


 俺は笑いながらカルディオスの腕を叩いた。


「うるせーよ」


「――そうなの?」


 と、ここで予期せぬ一言。

 トゥイーディアが、軽く目を瞠って俺とカルディオスを見ていた。


「ルドベキア、そんなにひどい状態だったの?」


 カルディオスがお道化て、「そりゃあもう」などと答える一方、俺の表情は一気に無になっていた。

 カルディオスがじゃれ掛かってきたときとは比べるべくもない、徹底的なまでに不機嫌な無表情。

 そして、我ながら氷点下の声音で、切り捨てるように言っていた。


「――おまえに関係ある?」


 ぴた、と全ての会話が止まった。


 トゥイーディア以外のみんなの、咎めるような目が俺に集中する。

 俺は自分を殺したかった。


 トゥイーディアは冷ややかに飴色の目を細めると、あちらも切って捨てるように言い放った。


「――そうね、特に関係はないけれど」


 そう言われた瞬間に俺を襲う、目に見えない棘で心臓を刺されるが如き胸の痛み。

 とはいえ表情は変わらず。


「ただ、訊いておきたいんだけれど――」


 トゥイーディアは首を傾げた。


「きみの暗殺の首謀者の、()()()()()首謀者が分かったら、殺したい?」


 言い回しに微妙な引っ掛かりを覚えつつ、俺は彼女とは目を合わせずに吐き捨てた。


「――俺はおまえほど暴力的じゃない」


「ルド」


 さすがに、カルディオスが窘めるように俺の名前を呼んだ。


 その一方、トゥイーディアは含みを持たせた笑顔をその(おもて)に貼り付ける。



「そうね。――私、きみを暗殺しようとした首謀者は、何がなんでも殺すもの」











 十数分で戻って来たユーリアは、俺たちが調理台の陰に問題なく隠れているのを見てほっとしたように頬を緩めた。

 そして、きょろきょろと周囲を見渡して声を潜める。


「――大丈夫でした? 誰も来ませんでした?」


 ユーリアの中では俺はれっきとした魔王で、別に自分の城で人目を憚る必要はないはずなのだが、内密と念を押したからかめちゃめちゃ気を遣ってくれる。


「大丈夫だった」


 応じた俺に控えめに微笑んで、ユーリアはこっそりと囁く。


「――では、厨房から出てすぐ、わたくしの友人の針子が立っております。たくさん布を抱えているから分かると思います。彼女が次の者が控えている場所まで案内してくれます」


 この十数分でどこまで手を回してくれたんだ。


 俺は思わず、握手を求めてユーリアに手を伸ばした。

 まさか魔王から握手を求められるとは思わなかったのか、びっくりした顔のユーリアがおずおずと手を握り返してくれる。

 その手を軽く振り動かして、俺は深々と頭を下げた。


「――ユーリア、ありがとう」


「いえ……」


 口籠ったユーリアが、しかし、すぐに柔らかく微笑んで言った。


「一日も早い、正式なお帰りをお待ち申しております。そして恙なくご即位なさることを」


 俺は手を引っ込めた。

 この善良な女性を騙していることの罪悪感が湧き上がってきた。


 しかしそのとき、すっと俺の前に出たトゥイーディアが、割り込むようにして言っていた。


「――解決には長く掛かるかも知れません。どうぞ今を大切に」


 そしてそのまま、厨房の扉まで進んでそれを引き開け、顔を出して周囲を確認すると、「大丈夫」と手振りで示す。


 俺は最後にもう一度ユーリアに頭を下げると、トゥイーディアに続いて扉へ向かった。

 カルディオスたちもそれに続く。


 ちらりと振り返ると、ユーリアが頭を下げて俺たちを見送っていた。



 ――俺、魔王じゃないのに。



 厨房の外に出た俺たちは、ほんの数ヤード先に不安そうに佇む女性を発見した。

 山程の布地を腕に抱え、確かに針子なのだろうと見た目で分かる。


 俺たちを見るや、女性はぱっと顔を輝かせて俺たちの方へ走って来た。

 俺は思わず呻いた――俺のせいで亡くなった人の妹だ。


 が、俺が何を言うよりも早く、彼女が小さな声で捲し立てるように言った。


「今日は内密なんですよね? 早くこっちへ、人のいない糸巻き部屋にお通しします、そこにあたしの友達の侍女が向かいますから」


「あっ、ありがと――」


 言い差す間にも彼女に急かされ、俺たちは小走りに進む彼女に続いて二階へ上がった。

 俺の知らない階段――使用人だけが使うのだろう、城の端っこに位置する狭い階段だった。


 階段を上がってすぐの部屋の扉を開け、念のため、というように一度中を覗いてから、女性は俺を振り返って頷いた。


「さあ中へ! あたしの友達は、必ず五回ノックしますからね!」


 言うや身を翻して駆け出す女性に、俺は謝罪も礼も言いそびれて思わず茫然とした。



 そこで待つこと三、四分、話どおりに五回のノックに応じて扉を開けると、今度はまだ少女と言える年齢の女性が立っていた。


 この城の侍女のお仕着せを纏い、あからさまに緊張に目が泳いでいる。

 俺たちを見て頷いて、後は無言で廊下を走り出した。


「えっ、ついて来いってこと?」


 カルディオスが面食らったように囁き、俺も思わず疑問形で返答する。


「そ、そうじゃないかな……?」


 ともかくも彼女に続いて走り出す俺たち。


 途中、曲がり角で彼女が急停止し、「下がって」と身振りで示して来たので、ついて行ったのは正解だと思われる。

 壁際で取り敢えずしゃがみ込んだ俺たちを、心持ち庇うような位置に立って少女が頭を下げる。

 数秒後、貴族の令嬢数名がしゃらしゃらと装身具を鳴らしながら現れ、互いに扇子で口許を隠しながら談笑しつつ、少女に気付いたのかどうかも定かではない様子で歩み去った。


 少女はしばらく頭を下げた姿勢を保ち、それからふう、と息を吐いて顔を上げると、令嬢たちが来た方向へ走り出した。


 そのまま、今度は俺も知っている大階段を駆け上がる。

 ちょっと息を上げながら三階に到達すると、左右をきょろきょろと見渡しつつ廊下を走り、そこから分岐する細い通路に飛び込んだ。


 大階段を使われた時点で、俺も相当はらはらした。

 何しろ普通なら人通りが多い階段だからね。

 ただ今に限っては無人で、この時間帯は安全だということを、恐らくこの少女は知っていたのだ。


 細い通路をしばらく進んで、少女は細い造りの、塗装も何も施されていない質素な木造の扉を開けた。

 中からつんと黴の臭いがした。


「あ、あ、あの、この中に……」


 少女は泣きそうな目で俺を見上げる。


「すみません、でもここしか思い付かなくて……」


「いや、ありがとう」


 率先して中に入りつつ、俺はきっぱりと言った。


「それと、お父さんのことは本当に悪かった」


 少女は大きく息を呑み、それから首を振った。


「いいえ――いいえ!」


 中は箒置き場になっていて、俺たち六人が少しばかり窮屈な思いをしながらそこに収まったことを確認すると、少女は小声で告げた。


「しばらくしたら、私の姉がここに来ます」


 俺たちが頷いたのを見て、少女はばたんと扉を閉めた。


 そうなると、明かり取りすらない箒置き場の中は真っ暗である。

 壁に立て掛けてある箒を蹴らないよう注意しつつ、また足許に乱雑に置かれている掃除用の桶や雑巾を引っ繰り返さないよう注意しつつ、黴の臭いに息を詰めた俺に、ディセントラのぼそっとした声が聞こえてきた。


「――ルドベキア、案外と人望はあるじゃない」


 俺は思わず舌打ち。


「ああ、その代わり人が死んでんだよ」


 即座にディセントラが黙った。

 言葉が攻撃的だったと気付いて、俺はぼそりと付け加える。


「――ごめん、ディセントラ」


 私こそ、と呟くディセントラの声に重なって、カルディオスのしみじみとした囁きが聞こえた。


「なんでトリーには素直に謝れんのに、イーディには駄目なのかな」


「謝る気がないからでしょ」


 トゥイーディア本人の冷ややかな物言いに、俺は内心の涙を拭った。



 ――数分後、唐突にばたりと扉が開かれ、俺は外の明るさに目を細めた。

 そこに、先程の少女と面差しのよく似た女性が立っている。


 彼女は俺と他の五人を見て大きく頷くと、「ついて来てください!」と一言発して身を翻した。

 箒や桶を引っ繰り返さないよう気を配りつつ、しかし慌てて、俺たちはそれに続く。


 廊下を、お仕着せのスカートの裾を翻して走りつつ、女性はもはや独り言のように。


「この廊下、今の時間帯は滅多に人が通らないんです。このまま輔弼閣下の執務室の近くまでお連れしますが、さすがに目の前までは無理ですっ」


 俺は少し足を速めて彼女に並び、走りながらも彼女の方をしっかりと見た。


「十分すぎるよ、ありがとう、――本当に」


 そのまま俺たちは階段を上がり、廊下を渡り、また階段を上がって、鎧などが置かれている物々しい廊下に辿り着いた。


 昇って来た階段から、折り返して更に上へと繋がる階段が続いており、女性はそっちから誰か来ないかと警戒している顔だった。


 またその頃には女性がすっかり息を乱していて、俺は内心で、「やっぱり俺は体力戻ってる方じゃん」などと思っていた。

 何しろこのくらいなら全然平気だったので。

 いや、女性と比べるのもどうなのって感じだけど。


 なお、うちの女性陣は全員がけろっとしていた。

 さすが、ガルシアで訓練を積んでたり現役の騎士だったりするだけある。


 はあはあと息を整えつつ、女性は半泣きで、


「――あの実は、私、この廊下への立ち入りは本当ならお許しを貰っていなくて……。すみません、ここまでで」


「十分だ。戻るときも気を付けて」


 即答した俺は、もうここがどこだか分かっている。


 何年か前、魔王輔弼に呼び出されたとき、同じ階段を使ってここまで来た。

 まあ、そのときは昇って来たのではなくて、上から降りてきたんだけど。


 だから執務室まで、もう迷うこともないしそれほどの距離もない。


 ぺこ、と頭を下げて、昇って来た階段を、今度は駆け下りていく女性。

 それを見送って、俺はみんなの方へ向き直った。


「後は任せろ、執務室の場所なら分かる」


 そのとき、トゥイーディアがはっとしたように上を見た。

 上――階上へと続く階段。磨き抜かれた木の手摺が設けられた、重厚な階段のその上。


 数秒遅れて、俺も気付いた。

 ――上から誰かが来る。


 同瞬、下からも人声がした。


 一切の言葉もなく、俺たちは揃って廊下へ駆け込み、階段から身を隠すようにして鎧の陰に隠れた。


 当然、最も距離の近い鎧が大人気で定員オーバー。

 出遅れたアナベルとディセントラが一つ向こうの鎧に走る一方、トゥイーディアは最初から少し距離のある鎧目指して走った模様。

 俺とカルディオスが一番近くにあった鎧の陰に飛び込んだわけだが、コリウスに至っては鎧に向かって走ることすらしなかった。

 一瞬で、天井からぶら下がるシャンデリアの上まで飛んで行った。


 そうして息を殺した俺たちの耳が、ちょうど行き当たったらしき、階段の上と下からそれぞれ来た人物の会話を捉えた。


「――失礼しました。ご機嫌よう、閣下」


 その声に、俺は思わず眉を寄せた。

 まだ若い青年の声――聞いたことがある……。


「おや、お遣いかね」


「はい、輔弼閣下に書簡を」


 答える淡々とした(俺が聞いたことのある気がする)声に、応じる声はあからさまに嘲笑の響きを含んでいた。


「はは、そうか。きみにはそれすら過ぎた役目だろうね。頑張りたまえ」


 俺は思わず腕を組んで眉を寄せた。壁に凭れて顎に手を遣る。

 ――俺の記憶にある通り、この声の持ち主があいつだとすれば、この遣り取りは少々不愉快だ。


 一方、カルディオスは天を仰いでいた。

 少し離れた場所にある鎧の陰から顔を覗かせたトゥイーディアと目を合わせて、「どうする?」と言わんばかりの仕草。


 足音が複数、上方に向かって遠ざかっていく。


 一方で、一人分の足音がこちらに近付いてきた。

 輔弼閣下へ書簡を届けると言っていたからな、勿論こっちに来るだろうな。


 俺たちは動かない。

 見付かった後で動こうという暗黙の了解。


 しばらくして、俺の目の前を、先程の会話でいう目下の方の青年が、やや重い足取りで横切ろうとした。



 灰色の短い髪。

 ちょっと俯きがちの、柔らかく整った、温厚そうな顔立ち。

 自分の足許を見ている、柘榴色の目。

 城の文官の、灰色の制服を着ていて、手には平らな小箱。あそこに手紙が入ってるんだろう。



 ――ああ、間違いない。

 俺がこの魔界で、暗殺絡みでもなく、血縁もない中では唯一、顔と名前を合致させていた人物。



 言いたい放題言わせやがって。

 いやでも、こいつが自信のない性格に育ったのも俺のせいといえばそうなのかな……。



 足許に視線を落としているせいで視野が狭いのか、俺たちに気付かないまま行き過ぎようとしている彼を見つつ、俺は何とも言えない心持ちだった。


 ――あんな風に馬鹿にされる謂れはないと思うんだけどな。

 別にこいつは、愚鈍でも馬鹿でもないんだけど。


 そう考えたときだった。


 断じて、誰も物音は立てなかった。

 それでもなぜか、ふと青年がこちらを見た。


 見て、一瞬の間、怪訝そうに眉を寄せた――直後、俺を俺だと認識し、愕然とした様子で目を見開く。

 大きく口を開いたが――声は出ない。


 驚きの余りか、手にした小箱が床に向かって滑り落ちようとした。


 俺は気難しい顔で、ぱちんと指を鳴らした。

 途端、空中でぴたりと止まる小箱。


 その様子を、見開いた柘榴色の目に映し、彼は茫然と俺に顔を向け直した。


 身構えるみんなを視野の端に入れつつ、俺は唇に人差し指を当てる。

 そして、出来るだけ人当たりが良さそうに見えるよう、笑顔を浮かべた。


「――久し振り、ルイン」


 こいつこそ、俺の乳兄弟である。


 文字を覚えるスピードが圧倒的だった俺を前に、茫然としながら半泣きだった幼いこいつの顔を、俺は未だに思い出せる。

 俺の神童っぷりに委縮させてしまった、あれは悪かったと思う。


 ルインは驚愕に震える指で俺を指差し、押し殺した声を上げた。


「――ど、ど、どうして……」


「黙れ、声を出すな。――それから、」


 俺の魔法で中に浮かぶ小箱を一瞥して、俺は首を傾げた。


「これからあのジジイのところに行くのか。

 先に俺たちの用事を済ませたいんだけど、待っててくれねぇ?」













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