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25◆ もっと早くに



 ――植物の蔓の這う格子屋根の下で、燦々と陽光の差す庭園を俺は見ている。


 蔓から下がる藤色の花の房はその見頃を終えてしまったようだったが、代わりというべきか、庭園にある枯れた石造りの噴水に絡む薔薇の蔦に、小振りな赤い花が咲いていた。

 天鵞絨のような深い赤色の花弁を幾重にも重ねた可憐な薔薇が、幾つも咲いている。


 俺は格子屋根の下の、繊細な彫刻が施された石の長椅子に座っていて、見るともなしにその花を見て数えていた。

 日陰に置かれた長椅子は、初夏であってさえなおひんやりと冷たい。


 ぼんやりとしていた俺は、小川のせせらぎに混じって聞こえる足音に気付き、はっと背筋を正した。

 ――誰かが、この庭園に続く狭い石の階段を足早に上がって来る。


 誰が来るかなんて分かり切っているから、俺はその人の影が見えた時点で立ち上がった。


 予想通りの人が庭園に上がって来て、思わず頬が緩む。


 すぐにこちらに来てくれるかと思いきや、意外にもその人は、下草を踏みながらゆったりと庭園を巡り始めた。

 整然とした、とはお世辞にも言えない、手が入っていないわけではないけれども伸び伸びとした花々の様子を見るかのように、時折屈み込んだりしながら、一向にこっちには来てくれない。

 ドレスの裾を摘まんで、後で侍女に怒られることがないよう、土汚れが高価な繻子に付かないよう、細心の注意を払っているのが見て取れる。


 その人が余りにもこちらを見てくれないので、俺に気付いてないんじゃないだろうか、とふと不安になったタイミングで、その人は顔を上げ、飴色の目を細めて悪戯っぽく微笑んだ。

 半ばを結い上げた蜂蜜色の髪が、降り注ぐ陽光に光輪を弾く。

 華奢な水晶の髪飾りが煌めいた。その髪飾りが、単なる身嗜みのものであって、誰かからの贈り物ではないということを知っているから、俺は平静にそれを見ていられる。


 そして、俺がいる場所に上がるために、彼女が苔生した石造りの(きざはし)に足を掛けた。


 当然のように彼女が手を伸べるので、俺もまた、上から彼女の方へ手を伸ばして、その細い手を取る。



 綻んだ唇を、彼女が開いた。



『――――――』













 ぐぅらり、と船が揺れて、俺は目を開けた。覚えず、眉間に皺を寄せてしまう。


 ――せっかくいい夢を見られていたのに。


 現実が余りにも俺の恋路に厳しいので、とうとうささやかな妄想を夢に見るようになったらしい。

 以前までは、あいつの夢を見るとすれば思い出の一幕を見ることが殆どだったというのに、細部まで作り込まれた妄想を夢に見ることに、俺は自分の精神状態のやばさを、ちょっと真剣に検討せざるを得ない。


 もしかして俺、自分が思っている以上に代償で精神的な負荷を喰らってるのかな。



 俺たちは綺麗に整頓された船室を貸し出されていて、ハンモックを吊るして眠るようになっている。

 床で雑魚寝をするよりは揺れも感じにくくなっているはずだが、今日は波が高いのかな。目が覚めてしまった。

 二度寝の気配を待ったが、どうやら眠気はどこかに去ってしまったらしい。


 起き上がって、同室で眠るコリウスとカルディオスを起こさないよう、そっと床に下りる。

 ぎぃ、と床が軋んだが、それほど大きな音でもなく、二人とも反応を示さなかった。


 出航して初めての夜である。

 元海賊たちの、俺たちをもてなそうとする意識は高く、晩餐の際には食卓にあれもこれもと出そうとするので、「後に取っとけ!」と、なぜか俺たちが船員を窘める一幕もあった。

 俺の誕生日だったから張り切っちゃったのかな。

 後から食糧がかつかつになったらどうするつもりなんだろうか。


 船室の扉を開け、外に出る。そのまま足音を忍ばせて甲板に向かった。


 途中、船員たちが雑魚寝している部屋も通ったが、爆睡している者ばかりで、俺が通っても起きる気配はない。メシのときにはしゃぎ過ぎたんだろうな。


 階段を上がり、格子の上げ戸を開いて甲板に出る。

 さすがに甲板は無人ということはなくて、不寝番がちらほらといるようだった。


 海面から突き出す岩山に気付かず衝突すれば座礁してしまうし、それこそ海賊船なんかにも気を付けなくてはいけないからね。

 甲板上には、要所要所にカンテラが置かれたり吊るされたりして、夜であってもほんのりと明るい。


 俺に気付いた不寝番の一人が、忠犬の如くに駆け寄って来た。


「兄貴、どうなさいました?」


「目が覚めただけだ。気にすんな」


 応じた俺に、不寝番の彼(名前は忘れた)が不安そうな顔をする。


「……寝心地悪かったっすかね」


「いや、大丈夫だ」


 と、俺も慌てて。


「船で寝るのが久し振りだからだろ。気にすんな、大丈夫だ」


 見張り頑張れよ、と肩を叩いてやると、不寝番の彼はぴんっと背筋を伸ばし、小走りで持ち場に戻って行った。可愛いとこあるじゃん。


 そのまま俺は甲板を端まで歩き、欄干に寄り掛かって、暗い海をぼんやりと眺めた。


 黒々と続く水面は、時折船上の明かりを弾いて橙色がかった白い光を受けて翻る。


 延々と続く暗闇を眺めていると、漂流生活の間のことを思い出した。

 あのときは辛かったな……。


 しばらくそうしていたが、ふと背後から足音が聞こえて、俺は振り返った。

 そしてそこにアナベルの姿を認めて、ちょっと目を見開く。


「よう、アナベル。どうした?」


「あなたこそ」


 アナベルは素っ気なく言って、俺に並んで欄干に肘を突いた。


「あたしは起きちゃっただけ」


「俺もだよ」


 応じて、俺は口を閉じた。


 元来が無口で無愛想なアナベルが相手だと、そんなに会話は続かない。

 でもそれがこいつとの呼吸になっているから、別に居心地が悪かったりはしない。

 もう覚えてもいない昔から、こいつはそういう奴だった。


 しばらく沈黙が続いた後、アナベルがぼそりと呟いた。


「ここ、どの辺りかしら」


「さあ」


 肩を竦めて、俺は憶測を口にする。


「諸島の辺りじゃね?」


 アナベルは小さく頷いたのみで相槌すら寄越さなかったが、こいつにとっては頷きすらも返答の一種である。

 俺はそのまま、「そういえば」と言葉を続けた。


「漂流中に、諸島のどっかに漂着したな」


「あら、そうなの」


 アナベルの声色からは、話題に対して興味があるのかどうかすら判然としない。

 こいつの声色や表情の機微を察することが出来たのはたった一人だけで、もうその人はいない。


「多分、諸島の中でも南の方の島だと思うけど。以前は人がいたっぽくて、地下になんか大広間みたいなのがあってさ。そこに落っこちて危うく死ぬかと思ったよ」


 愚痴っぽく続けた俺に、応じるアナベルの声は平淡だ。


「運が無かったわね」


「ほんとになー」


 溜息混じりに言葉を吐いた俺は、ぐっと欄干を押し出すようにして伸びをしながら、何の気なしに呟いた。


「今度は行きも帰りも船に乗れそうで安心だ」


 そう言った直後、俺ははっとした。

 そして、続いたアナベルの台詞に息を止めた。


「……帰り、ね」


 俺は息を吸い込んだ。


 ――アナベルにとっては、今回の俺たちが魔界から大陸に帰れるだろうということは、()()()()()なのだ。


 分かっていたはずなのに、どうして口を滑らせたんだろう。


「――今回は、あそこから帰れるかしら」


「…………」


 俺は返答が出来なかった。


 アナベルが、持ち前の悲観論以外に未来のことを話すことすら非常に稀で、しかも話題が話題だ。


 ――本音を言えば、恐らく、今回の俺たちは魔界から大陸に帰ることが出来るだろう。

 だって、魔界にヘリアンサスはいない。俺たちを殺す奴はいない。



 でも、それは()()()()



 黙り込んだ俺をちらりと見て、アナベルは強張った微笑みを浮かべた。


 彼女が微笑むことすら珍しいのに、こんな顔なんて、本当に数えるほどしか見たことがない。



「……本当に、魔王になるなら、――もっと早くになってくれれば良かったのに」



 小さな声で――隣の俺にすら、届くか届かないかといった程度の声で、冗談めかしてそう言ったアナベルに、俺は思わず頷いていた。


「――うん、そうだな」


 アナベルは薄紫の目を俺から逸らして、早口に言った。


「いいえ、ごめんなさい、冗談よ。今回のあなたの生まれは、本当に気の毒だった」


 こいつ、トゥイーディアと同じことを言いやがる。



 ――でも、多分、さっきのがアナベルの本音だ。

 ずっと我慢して隠していたのだ。


 それが、このタイミングで漏れてしまったんだろう。


 こいつにとって、魔王討伐よりもずっと大切にしなければならないことが人生にあったとき、アナベルはそれを選べなかった。

 絶対に、アナベルだけは生かして帰すと誓ったのに、俺たちはそれを守れなかった。



「あたしたちは、今回はきっと――」


 アナベルが言い差して、そして思い留まったかのように口を噤んだ。


 なんだよ。

 珍しく、アナベルから明るい未来予想が聞けるかと思ったのに。


 小さく首を振って、アナベルが自嘲気味に呟く。


「最低ね、あたしは」


「アナベル?」


 思わず語尾を上げて呼ばわった俺の声に、アナベルは欄干から離れながらひらりと手を振った。


「いいえ、何でもない。――おやすみなさい、ルドベキア」


「おい、大丈夫か」


 咄嗟に、アナベルを追うように欄干に半ば背を向けながら、俺はそう聞いていた。

 アナベルの纏う雰囲気に危ういものがあることを、微かに感じ取っていたがゆえに。


 もう既に俺に背を向けていたアナベルが、薄青い髪を揺らして振り返った。

 薄紫の大きな目を軽く瞠って、彼女は儚いばかりの微笑を浮かべた。


「――もちろん、大丈夫よ」


 ()()()でなくても、それが嘘だと明確に分かる声音で言って、アナベルは素っ気なく肩を竦めた。



「もう何十年も前のことよ」



 違うだろ、と俺は言い掛けた。


 確かに客観的に見ればそれほど前のことであっても、おまえにとっては違うだろ、と。

 未だに毎晩思い出しているだろう、と。



 けれど、そう言ってしまうことがアナベルの傷を抉ることになると分かっていたから、俺は言葉を呑み込んで頷いた。


「……そっか」


 ええ、と頷きを返して、アナベルは今度こそ、ひらひらと手を振って踵を返した。



 それを見送って、再び欄干に肘を乗せて暗い海を眺めながら、俺はぼんやりと()()()のことを思い出していた。


 アナベルの、唯一無二の最愛の人を。





◆◆◆





 それからおよそ二箇月後、俺たちは魔界の島影を遠目に見ていた。


 魔界の最北端に上陸するとなると、あの峻険な崖を登らなければならなくなる。

 コリウスがいるので大丈夫だろうが、俺たちはもはや癖のように、魔界の西側の漁港付近に上陸のポイントを定めていた。



 途中、レヴナントを見掛けることはあったものの、海上で出るような弱い個体を相手に、俺たちが苦戦するはずなかった。


 というか海の上であれば、アナベルがいれば何とかなる。


 何しろ周りは水だらけ。

〈状態を推移させること〉を得意分野として持つ彼女ならば、海水を如何ようにも変容させてレヴナントを片付けることが可能なのである。

 一度、余りにも鮮やかに彼女がレヴナントを始末して以来、元海賊たちがアナベルを「姐さん」と呼ぶようになった。


 海賊船らしきものも見掛けることがあったが、こちらは交戦まで発展せずにほっとしたところ。


 嵐が来ることを、俺たちとしても一番恐れていたが――何しろ、大自然相手となると救世主であれ魔王であれ、出来ることは限られる――、幸いにも大きな嵐に遭うことはなく、二箇月が過ぎて現在に至る。




 ――遠目に見える魔界の影に、元海賊たちはいつもの元気はどこへやら、びびり上がって身を縮めている。

 トゥイーディアたちは割と平気そうだが、俺としては心的負担で腹が痛い。


 何しろあそこ、俺が殺され掛け続けた場所というだけではなくて、俺のとばっちりで死んでしまった人の家族もいるところだからね。


 腹を押さえて呻く俺を後目に、コリウスがてきぱきと停船の指示を出した。

 アナベルと何やら相談して、アナベルが俺たちを振り返って、「歩いてね」と念を押してくる。

 今回はどうやら、アナベルが道を造るということで落ち着いたらしい。


 復路において、この船とどうやって合流するかが大問題だが、そこもコリウスが話を纏めた。

 半月に一回この周辺に来い、沿岸まで戻っていれば必ず合図する――と、力技すぎる提案をしていて、トゥイーディアとカルディオスがずっと肩を震わせていた。


 約束の五百アルアを支払い、縄梯子を下ろしてもらって、アナベルが作り出した氷の足場に六人揃って降り立つ。

 さすがアナベル、滑らないように氷の表面に小さな凹凸を作るところまで余念がない。

 もうすっかり季節は真夏だが、その暑い日差しの中にあってなお、溶ける気配すらない強固な氷である。


 荷物は最低限、トランクはこの船に置いて行き、麻袋に必要なものを移し替えて担いでいる状態。

 コリウスは路銀を手元に持っているが、魔界で大陸の通貨は使えないことは俺が保証する。単純に、有り金をこの船に置いて行ってしまえば、復路の約束が守られず、元海賊どもがとんずらする可能性があるからである。


 まあ、その危険性は薄そうだけど……。


「兄貴ーっ、お気をつけてーっ!」


「無茶しないでくださいねーっ!」


「姐さんもご無事でーっ!」


「待ってますからねーっ!」


 欄干に鈴生りになって手を振る元海賊たちに手を振り返しつつ、俺は思わず半笑いでアナベルに向かって言った。


「懐かれてるじゃねえか、アナベル」


「あなたほどじゃないわよ」


 極めて素っ気なくアナベルは答え、薄青い髪を靡かせながら行く手に向き直った。


 す、と手を伸ばして、繊細な仕草で前方を指差す。

 ――途端、ぱきっ、と高い音がして、進行方向に氷の足場が広がった。


 薄青く冷気を纏って伸びる氷結の道に、船の上から大歓声が上がった。


「――見世物じゃないのよ」


 眉を顰めて呟くアナベルの肩を、トゥイーディアが励ますように叩く。


「まあまあ、いいじゃない。――行きましょ」


 みんなに先んじて一歩を踏み出しつつ、トゥイーディアは口調をがらりと変えて、冷淡なまでの声音で呟いた。



「言いたいことが山程あるのよ、私には」



 ――そうして、俺は不本意ながら里帰りを果たすことと相成った。


 耳許で、空耳だろうが、陶器が罅割れるような微かな音が聞こえた気がした。





◆◆◆





 俺が家出ならぬ島出をしたときと比べると、段違いに楽な道程となった。


 何しろみんながいるからね。

 口癖が「つらい」だったあのときとは雲泥の差。


 そもそも移動からして、コリウスがいるのといないのとでは速度が全然違う。


 魔界に来たとき恒例の移動方法――漁港で適当に見繕った流木に俺たちが腰掛け、宙を飛ぶコリウスが魔法でそれを牽引して俺たち全員を運ぶという、速度以外の何も重視していない方法――は、見た目こそシュールだがそんなに欠点はない。

 過去に一回だけ、カルディオスが流木から転落して俺たち全員の肝を潰したが、血相変えたコリウスが救助して事なきを得た。

 それからというもの、「落ちてもコリウスが何とかしてくれる」という信頼感溢れる移動方法になっている。


 俺ですら、〈動かす〉魔法を使いながら相当の日数を過ごすことが出来たのだから、コリウスはそれ以上に決まっている。

 山があれば、俺は山道を探して通っていたが、コリウスなら頂上を越えていくことも可能だ。さすがにそのあと休憩しなきゃならなくなるけど。



「――ってかさあ」


 空飛ぶ流木の上で、腹が立つくらい絵になる姿で檬果をかじりながらカルディオスが言った。


魔界(ここ)じゃあ世双珠って流通してねぇのな。町に入ってびっくりした」


「俺が世双珠見てびっくりしてた時点で察しろよ」


 と、これは俺。


 持って来た物資ではさすがに限界があるので(俺が身を以て実証済み)、毎回のことだが、俺たちは途中の町で物資を補給したりする。

 勿論、魔界で使える通貨なんて持っていないので、店の手伝いとかを申し出て恵んでもらったりする。

 大抵、カルディオスかディセントラが行くと上手くいく。

 いつも、魔王を殺しに来てるのに何やってんだろう――と思わなくもなかったが、結局これが一番平和的なんだよな。

 用があるのはヘリアンサスだけであって、他の魔族には別に恨みも何もないし。


 今回も、カルディオスが道中の町に潜り込んで物資を調達してきてくれたわけだが、彼曰く、町中の様子にひどく驚いたとのこと。


「だってさ、もうなんか懐かしい感じ。大陸じゃ考えらんねーよ。前回までの人生そのまんまだった」


「あんた、そんな様子で怪しまれなかったでしょうね?」


 ディセントラがじとりとカルディオスを見遣る。赤金色の髪を靡かせて、こっちも絵になる姿である。

 カルディオスはけらけら笑って、


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。顔面は平然としてたよ。内心はめちゃめちゃびっくりしてたけど」


 だろうな、と俺は頷く。俺が大陸に到着したときと逆なわけだ。


 ちなみに今回、俺は物資の調達担当から外されている。

 無いとは思うが、万が一魔王が指名手配喰らってて、似顔絵とかがばら撒かれてたら困るからね。


 これを言い出してくれたのはトゥイーディアで、「さすがに魔王が指名手配されるとは考え難い」というみんなの意見を押し切ってくれた。

 俺は内心で彼女への感謝を募らせた。


 だって、あの暗殺に掛けられた執念を思い出すと、指名手配されててもおかしくねぇもん。



 途中の川で釣りをしたり、ついでに水遊びしたり、全員で身を寄せ合って野宿したり、俺からすれば楽しいレベルで日々が過ぎて行った。


 前回、魔界を縦断して脱出を図ったときとは天地の開きがある。

 一人じゃないって偉大。みんながいるって最高。



 とはいえ、魔王の城が近付いてくるに従って、俺の胃がきりきりと痛み始めた。


 毒殺を謀られた何十回――いや、事によると何百回――、その全てにおいて毒見役が犠牲になったわけではなく、俺の救命が間に合った人も勿論いた。

 でも命を落とした人もいるわけで、その度に犠牲になった毒見役の家族に頭を下げた記憶が蘇る。

 俺が魔王だから、誰も強いことは言わなかったけれど、多分、俺を殺したいと思った人も中にはいるはずだ。

 俺が食卓に座りさえしなければ、あの人たちは死ななくて済んだわけだから――。


 魔王の城が近付くにつれ、どんどん無口になる俺と比例して、トゥイーディアもどんどん黙っている時間が長くなっていった。

 厳しい顔で行く手を眺めていることが多くなった。

 前回の死に際に、ヘリアンサスから言われたことを思い出しているのかも知れない。




 いよいよ魔界の首都まで辿り着き、あとは城下を抜ければ魔王の城に辿り着くという段になって――毎回そうするんだけど――、俺たちは町の手前で一晩休んだ。

 言うまでもない、ここまで殆どぶっ通しで魔法を使い続けてくれたコリウスの、魔力の回復のためである。

 このときばかりはみんなして、余剰の物資をコリウスにあれこれと勧めて元気を回復してもらう。


「お水飲む?」


「桜桃いるか?」


「お肉焼けたけど食べる?」


「パンもあるから一緒にどうぞ」


「チーズも食えよ」


 上陸からここまで一箇月少々。

 さすが、俺が強行軍で進むのとコリウスが進むのとでは速度が違う。感謝である。


 体力と魔力の回復のため、早々に眠り込んだコリウスを置いて、俺たちは小声で明日の作戦会議。


「取り敢えず、私たちの目的は、あの兵器を大陸に寄越した首謀者を突き止めて排除することだけれど」


 ディセントラが膝を抱えて首を傾げる。


「ルドベキア、心当たりは?」


 俺は首を捻った。


「悪いけど、全然ない」


 おいマジか、とカルディオスが翡翠色の目を瞠る。

 その表情に顔を顰めつつ、俺は続けた。


「あの兵器を寄越したのが、俺の暗殺を企てた連中と同じなんだと仮定しても、全く心当たりがない。

 ここにいたときは、取り敢えず生き残ることに全力挙げてたし。誰が自分を殺そうとしてるのかなんて興味すらなかったし」


「じゃあ、犯人捜しから始めることになるわけね?」


 アナベルが念を押すように言った。


 が、トゥイーディアがぼそりと断言。


「――今現在、魔界で一番偉いのは誰なの? そいつに訊きに行きましょう」


 すかさず、カルディオスとディセントラが真っ直ぐに俺を指差した。


「一番偉いのって魔王じゃないの?」


「偉かったら暗殺なんて仕掛けられねぇよ!」


 声を抑えて叫んだ俺は、ふう、と息を吐いて答える。


「一番偉い――ってか、一番立場が上なのは、魔王輔弼だろうな。俺が正式に即位するまでは、執政は全部あのじいさんが取り仕切るってことだったし」


「その、魔王輔弼って、」


 トゥイーディアが、俺からすれば奇妙な問いを向けてきた。


「先祖代々の地位なの? それとも能力で就くものなの?」


 俺は怪訝に眉を寄せた。

 問い返した声は勝手に低く、喧嘩腰のものになった。


「――なんでそんなこと訊く?」


 トゥイーディアは飴色の目で俺を見たまま、何かを言おうとして口を開き――ふとその口を閉じ、俺から目を逸らして呟いた。


「気になっただけ。――どうなの?」


 ――その仕草を見て、俺はぴんときた。



 前回の死に際に、ヘリアンサスから言われたこと――それ絡みだ。

 もしかしたら、俺が魔王として生まれることになったのと関係があるのかも知れない。

 だから、トゥイーディアが理由の明言を避けた。


 俺が魔王になったからくりを、意地でも伏せておくつもりなのだ、こいつは。



 俺はトゥイーディアから視線を外して、投げ遣りに答えた。


「さあ。詳しくは知らねえけど、家柄なんじゃねえの?」


「ふうん……」


 白々しいまでにさり気なくそう言って、トゥイーディアは夜空に視線を向ける。


 俺が熾した焚火の光が、その顎の線をくっきりと輝かせていた。



 ――斯くして翌日、俺たちは魔王輔弼を標的として城への潜入を試みることになったわけである。
















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