19◆ 心の墓標で永遠に
コリウスが隣町に警吏を呼びに行った――というか、行かせた。
満場一致の“行ってらっしゃい”に、コリウスは眉間にそれはそれは深い皺を刻み、出発した。
瞬間移動の条件は揃っていなかったらしく、空中を飛んで行くことになっていたが、それでも俺たちの中の誰よりも早く移動できるのはあいつである。文句はなかろう。
その間に、残った五人でならず者どもを一箇所に集めねばならないわけだが、この辺りで俺の集中力は完全に切れていた。
空は白み、そろそろ夜明け。
明かりとしていた火球も消して、周囲は透明な暗がりに包まれている。
瓦礫に座り込んでぼんやりする俺の隣には、こちらは強制的に仕事を奪われたトゥイーディアが座っている。
トゥイーディア本人はまだまだ動けると言っていたが、カルディオスがさすがに止めていた。何しろ顔色が紙のようなので。
俺が座り込んだその後に、トゥイーディアがここに連れて来られて座っているよう厳命されていたので、この距離もやっぱり俺から求めたものではない。
ちら、と横目でトゥイーディアを見る。
瓦礫に座り込み、膝の上で頬杖を突くトゥイーディアは退屈そうだ。
労う言葉を掛けたかったが、言おうにも声が出ないので、俺は結局、気になっていたことを尋ねていた。
「――なあ、おまえさあ」
トゥイーディアの飴色の目が、ぱちりと瞬いて俺を見た。
意識をどっかに飛ばしていたらしく、今我に返りましたと言わんばかりだ。
「……うん?」
首を傾げたトゥイーディアに、俺は言葉を選びつつ。
「おまえ、ディセントラのこと知ってたんだな?」
言い回しとしてはおかしなことになったが、意図は通じるはずだ。
トゥイーディアは一秒ののちに意味を察したらしく、少し硬い顔になって頷いた。
「他に誰のを知ってんの?」
重ねて尋ねた俺の真意としては、「俺の代償を知っているのか」を訊きたかった。
トゥイーディアが俺の代償を知っているならば、ちょっと推理してもらえば俺の気持ちに気付いてもらうことも可能なんじゃないかと、甘い夢を見たのである。
が、トゥイーディアはさっと顔を強張らせると、俺から顔を背けた。
そして、低く呟いた。
「――きみは知らなくていい」
その声が、トゥイーディアには珍しいほどに冷たかった。
「私が何とかする」
「…………」
俺はしばらく、呆気にとられて彼女を見ていた。
――今生は、いつもに増してなお、トゥイーディアの気が張っている。
それに加えて、トゥイーディアが俺たちに隠そうとしていることも多い気がする。
彼女のことだから、たぶん俺たちを慮ってのことなんだろうけれど、そのせいで今生のトゥイーディアには暴走ぎみのところがある。
今回、六人揃って勅命を受けることになったのもそうだ。
それに――、
「――――」
口を開こうとして、出来なかった。
俺の表情は無関心で、視線は勝手にトゥイーディアから逸れる。
大丈夫か、と訊こうとしたのだ。
そんなに一人で色々抱えて、折れてしまわないか、と。
――訊けるはずなかった。
俺がトゥイーディアを気遣う気持ちを、俺に課された代償が全て堰き止める。
いつもながらのじれったさに、俺は思わず溜息を零した。
今生のトゥイーディアは、いつにも増して、危うい。
「……レヴナントの、」
不意にトゥイーディアが話題を変えて口を開いた。
ん、と顔を上げる俺の視線の先で、トゥイーディアは夜陰の残る西の空を眺めている。
「――知ってた? レヴナント本体に干渉する魔法は効かないって」
問われた言葉に、俺は首を振る。
「いいや。世双珠使ってたら気付きようもねぇし」
「そうよね……」
物思わしげに呟いて、トゥイーディアは左手の小指の指輪を撫でた。
「正直に言うと、あの兵器以外では、私の魔法が効き難いものにすら遭ったことなかったわ。
まあ、〈洞〉も壊すことは出来ないけれど、あれって壊しようもない――ただのがらんどうで『もの』じゃないから、それは納得できるんだけど。
――あの兵器だって、救世主の地位にある私なら壊せたわけだし。魔王は――まあ、魔法を喰らってくれたことがないから分からないけれど」
うん、と頷き、俺は口を開く。口調には意図せずして皮肉が滲んだ。
「確かにな。おまえ、壊すことなら十八番だもんな」
「うん」
こく、と頷いたトゥイーディアが嫌な顔ひとつしなかったことに、俺は内心で驚いた。
〈あるべき形からの変容をさせることは出来ない〉という絶対法を、破壊に特化した形で――具体的には、対象を自壊させるという形で――超える自分の固有の力を、彼女はひどく嫌っている。
だからいつも、俺がこういうことを言うと顔を顰めたものなのだが。
「その私でも、レヴナントには手を出せないのは、――おかしい」
静かにそう言って、トゥイーディアは小指の指輪を抜き取って弄ぶ。
「えらい自信だな」
ぼそっと呟く俺に、トゥイーディアは一瞥をくれて、
「ルドベキアだってそうでしょ。きみが火を点けられないものなんて、普通は無い」
「…………」
言い切るトゥイーディアに黙り込む俺。
トゥイーディアはなお暗い空に視線を戻すと、小さく呟いた。
「――でも、心当たりがないわけじゃない」
「というと?」
素っ気なく先を促す俺に、トゥイーディアはぽつりと言った。
「私には――というか、誰にも、――魂は壊せない」
俺は目を見開いた。
「私が超えられる絶対法は、〈あるべき形からの変容は出来ない〉、それ一つ。
〈魂は巡り巡って決して滅びない〉という絶対法は、普通なら、超えられない」
――レヴナントが人だと?
絶句する俺をちらりと見て、トゥイーディアははっとしたように笑顔を作った。
「――まあ、魂ってどんどん転生していくから、――私たち以外は、別人として生まれ変わっていくから、魂があんな化け物になる訳ないんだけどね。それに、レヴナント本体に干渉しない魔法なら効くわけだから、論理もそこで破綻するし」
腕を伸ばして伸びをして、トゥイーディアは強いて軽い口調で言い切った。
「私に壊せないものが、それしか思い付かなかったってだけ。忘れて。
――でも、ねえ、それはそうと」
素早く話題を転換させて、トゥイーディアは俺の顔を覗き込んだ。
「きみ、あのレヴナントと知り合いか何かだったの? 話し掛けられていたけれど」
「違ぇわ」
彼女の口調からして、それが冗談だと明らかに分かるというのに、吐き捨てるようにそう言って、俺は瓦礫から立ち上がった。
こちらを見上げてくるトゥイーディアの方には目も向けず、俺は言い捨てた。
「無駄話に付き合ってられない。じゃあな」
トゥイーディアが苦笑するのが、視界の端に見えた。
カルディオスたちはならず者たちの大多数を、瓦礫を取り除いた一画に集めることに成功したようだった。
彼らを縛める縄がなかったので、暴れ出す者がいないか懸念されるところだったが、俺たちの、レヴナント相手の戦闘を見た後にそんなことをする奴はいなかったというところ。
全員が項垂れて、沙汰を待つ姿勢である。
そんな一団を、カルディオスとアナベルが二人で見張っていた。
アナベルは眠さが臨界点を突破したのか、薄闇の中でも分かるほどの、人でも殺しそうなほど不機嫌な顔をしている。
彼女の一番近くにいるならず者は、他よりいっそう身を縮めていた。
ふらっと現れた俺に、カルディオスは恨みの籠もった翡翠色の目を向ける。
「――おっせぇ、ルド。もう終わったところだぜ」
「悪い、疲れてた」
しれっと言って、俺はふと思い出した。
「――あれ? そういえば、ここの首領は?」
「逃げたっぽい」
カルディオスは疲れた様子で呟いた。
「どいつを問い質しても行く先は知らねーみたい。指名手配するしかねぇだろーな」
「マジか」
うんざりと呟き、虜囚たちをざっと見渡した俺は首を傾げた。
「……ん? フィルは? あいつは別待遇なの?」
「――逃げたっぽい」
カルディオスの口調にとんでもない量の怒りが籠められた。
俺は唖然として口を半開きにする。
「――は?」
「あのやろう、しれっと姿眩ませやがった。あいつから目ぇ離したのはトリーだから、責任感じてさっきから半泣きで捜し回ってる」
俺は改めて周囲を見回し、思わず納得の声を上げた。
「……道理でディセントラ、いないと思った」
「マジで許せねぇんだけど」
剣呑に呟くカルディオスの肩を軽く叩いて、俺は周囲に視線を配る。
夜明けの近い透明な暗がりの中、周囲に人の気配はない。
だが、微かにディセントラの魔力の気配がする。
「ちょっと、俺も捜しに行ってくるわ」
「え、俺も行きてぇんだけど」
カルディオスが大きく目を見開いて俺を見る。
「見付けて一発殴りたいんだけど」
「それは捕まえた後にしてくれ」
俺は苦笑。
「俺はちょっと、身体動かしてないと寝そう。で、今ここでアナベルを一人にしたら、後で絶対何か言われるぞ」
む、と不満そうな顔をしたものの、アナベルを一瞥したカルディオスはひらりと手を振った。
「分かった」
「悪いな」
ぱん、とカルディオスと掌を打ち合わせて、俺は踵を返した。
寝そうなのはマジである。そろそろ目も霞んできそう。
瓦礫が積み重なる中を、漂うディセントラの魔力の気配を頼りに追い掛ける。
正直周囲のことはあんまり見ていなかったので、たとえ途中でフィルを見掛けていたとしても気付かなかっただろう。
ふあ、と欠伸を押し殺した俺が、高く積み重なる瓦礫の陰に、遠目に見えるディセントラの姿を発見したときだった。
「――あっ、いた!」
元気のいい声が響いた。
俺は耳を疑った。
「お姉さん――ディセントラ! 見て見て!」
声のする方に目を向ける。
瓦礫の向こうの地平線にてっぺんを覗かせている朝日のせいで眩しく、よくは見えないが、まさにそこでは、ディセントラが血相変えて捜索しているであろうフィルが、誰かを肩で支えたまま片手を挙げて合図しているところだった。
――逃げたんじゃなかったの?
――なんでそんな元気で明るい声出してんの?
――肩に担いでるそれ、誰?
俺でさえ思わず眠気を忘れるほどに驚いたのだから、いわんやディセントラをや。
遠目に見守る俺の目に、へなへなと膝から崩れ落ちそうになり、何とか堪えて瓦礫に手を突くディセントラの姿が見えた。
フィルも同じ様子を目に入れたのか、肩に担いでいる人物を、殆ど引き摺るようにしながらディセントラの方へ歩きつつ、叫ぶように問い掛けた。
「どうしたの? 怪我したの?」
肩に担ぐ人物は、フィル本人よりも図体が大きい。
そのため引き摺ることに苦戦しつつ、また瓦礫が散乱する悪路にも苦戦しつつ、少しばかり息の上がったフィルがディセントラに接近していく。
「でかいレヴナント出たし、もうさすがに終わったと思ったけど、救世主ってさすがだね!」
さすがだね! じゃねえよ。
内心で突っ込む俺と、奇しくも同じ台詞をディセントラが吐いた。
「さすがだね! ――じゃないでしょ!」
怒鳴るディセントラに、フィルがきょとんとしたような声を出す。
灰緑色の目を見開いている様が、ありありと俺の脳裏にも浮かんだ。
「え、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないでしょ!」
ディセントラがフィルに駆け寄るに至って、俺は足を止めた。
もう全部ディセントラに任せよう、俺にはついて行けない、聞くに留めよう――と、そのまま瓦礫の陰に座り込む。
「あんたどこにいたの! いなくなったから逃げたと思ったでしょ! その人だれ!?」
捲し立てるディセントラ。もしかしたら襟首とか掴んでいるのかも知れない。
そんな彼女に、フィルはびっくりしたような声で応じた。
「え、逃げるわけないじゃん。俺、捕まったんだよね? こいつ見掛けたから追い掛けてただけだよ」
こいつ、というのが、フィルが担いだ人物であろうということは言うに及ばず。
「だから、誰?」
ディセントラの声もやや落ち着きを取り戻した。
フィルはしれっと答える。
「この密輸団の首領」
俺は思わず瓦礫から顔を出した。
逃げ出したかと思われた密輸団の首領を見るためだったが、いよいよ昇ろうとする朝日の方向にいる二人は逆光になり、眩しくてとても見られたものではない。
すぐに諦めて、また瓦礫の奥に引っ込んだ。
ディセントラの、明瞭な驚きの籠もった声が聞こえてくる。
「――首領? 逃げたから指名手配しなきゃって話をさっきしてたんだけど……」
「指名手配なんて要らないってば。こいつだよ。逃げ出そうとしてるの見掛けて、慌てて追い掛けたの。やけっぱちで体当たりしてみたら見事に決まってさあ、瓦礫に頭ぶつけて気絶したから担いでここまで来たんだけど、重くて重くて」
軽い口調のフィルに、ディセントラが数拍の間を置いてから言うのが聞こえてきた。
「――まあ。――なら、……お手柄だわ、フィル」
フィルが嬉しそうに笑う声。冗談めかして嘯く言葉。
「マジ? お手柄? 減刑になったりする?」
ディセントラの声が、少し困ったような調子になった。
「……それは判事が決めることだわ」
「だろーね」
フィルの声が、明るいながらもこの先の覚悟を決めたものだったので、俺はやれやれと息を吐いた。
どうやら本当に、もう逃げるつもりはないらしい。
救世主であるディセントラに、判事への口利きを迫らないところも評価できる。
ふーっ、と掛け声めいた息を漏らし、フィルが首領を瓦礫の上に放り出したようだった。
どさっという柔らかい音が聞こえ、直後にディセントラの、
「こらっ、余罪を訊かなきゃいけないんだから乱暴にしないで! 死んじゃったらどうするの」
というお叱り。
ごめんごめん、と笑いながら答えたフィルの声音が、どことなく切なそうだったので、俺はもう一度、朝日に目を細めながらそちらを覗き込んだ。
フィルは瓦礫の上に脚を投げ出して座り込み、ディセントラがその傍に屈み込んでいる様子だった。
「……ねえ、お姉さん――ディセントラさ、なんで俺が財布掏ったのか、ずっと気にしてたでしょ」
唐突なフィルの言葉に、ディセントラが首肯で応じたのだろう、少しの間を置いて、フィルがぽつりと言った。
もしかしたら、今しか言う機会がないと思ったのかも知れない。
「――あわよくば、あそこで捕まっとけば、もうこれ以上犯罪の片棒担がなくて済むって思ったんだ。……馬鹿でしょ?」
涙ぐんだような声だった。
「生きたいから密輸団にいてさ、それでもやってることがホントに嫌でさ、でもやらないと殴られて痛いから、結局連中と同じことやってんの。
――捕まれば、少なくともそういうのから抜け出せると思ったんだ。……馬鹿だよね」
一呼吸の間を置いてから、ディセントラが物静かに答えた。
「馬鹿だとは思うけれど、一生懸命だったんだろうとは思うわ」
もはや見なくても表情が分かるほどに、彼女の声は優しかった。
「私は、トゥイーディアほど厳しくないのよ。
だからこそ言うんだけど、――よく頑張りました、フィル」
「…………」
「罰は罪の抑止のためにある。既に悔悟の念があるなら、厳罰にはそれほど意味がないものよ。
――判事にはあるがままに伝えなさい。適正な審判になるよう、私も何とかしてみるから」
自分から司法取引の話を出してどうすんだ。
――そう思いはしたものの、分かっていたことである。
ディセントラはこの手の話に弱いのだ。
フィルは申し出にむしろびっくりした様子で、きょとんとした声を上げている。
「えっ、駄目でしょそんなの。俺だけずるいじゃん。それに、怒られない?」
ディセントラは訝しげな声を出した。
「――怒られる? 誰に?」
「あのおっかない人。トゥイーディアって人」
即答で言い放ったフィルに、俺は危うく切れるところだった。
トゥイーディアをおっかないとは何事だ、てめぇ庇ってもらっただろうが、あのせいでトゥイーディアがどんだけ痛い思いをしたと思ってんだ、今だって顔色悪いんだぞ、と、喉までせり上がってきた言葉は、しかし代償のせいで霧散する。
ディセントラは軽く笑い声を上げていた。
「トゥイーディアは厳しいだけで怖くはないわ。それに、庇ってもらったでしょ? あの子はねぇ、良くも悪くも客観的に物事を見る癖があるから」
だから私とは喧嘩になることもあるのよ、と柔らかく続けたディセントラに、フィルは冗談めかして、探るような声を出した。
「――お姉さんいい人だね。俺、好きになっちゃいそう」
ディセントラが笑い出した。
俺はこの場からの撤退を考え出した。
笑われたフィルはむっとした様子で、
「そんな大笑いすることねーじゃん! どうせあれだろ、救世主のお仲間の誰かとそういう仲なんだろ!」
言い募るフィルに、苦労した様子で笑いを収めつつ、ディセントラが答える声。
目尻の涙を拭いながら首を振る様さえ、付き合いが長い俺にはありありと想像できる。
「まさか、違うわ。あの人たちはねぇ、付き合いは長いけれど、その分家族に近いのよ」
「えっ、マジで?」
フィルの声があからさまに弾んだ。
「じゃあ恋人とかはいねえの?」
ディセントラの顔が、俺には分かった。
あの人たちの話をするときの顔をしているだろう。
寂しそうな、嬉しそうな、愛おしそうな、優しいあの顔を見せているだろう。
「――いるわ。恋人は八人、そのうち夫になってくれた人は三人」
「えっ?」
フィルが訊き返した。
当然だろう、この国では、一夫多妻は認められていても一妻多夫は認められていない。
怪訝そうに自分を見ているだろうフィルに、ディセントラは穏やかな声で言っていた。
「もちろん、みんなそれぞれ別の時期の人だった。――みんな、先に逝ってしまってもういないけれど」
――正確には違う。先に逝ったのはディセントラだ。
恋人がいても夫がいても、ディセントラは必ず魔王討伐に臨んだから。
そしてそこで命を落としてきたから。
それでもディセントラは、必ずそう言う。“先に逝ってしまった人たち”だと。
寂しそうに、悲しそうに、懐かしそうに。
「だから、そうね。今は誰もいないってことになるのかしら。
あの人たちのことはずっと覚えているけれど――心の墓標で永遠に」
俺は――俺たちは、ディセントラの恋人や夫に会ったことはない。
それでもディセントラが語る、彼らの人物像は知っている。
ある人は恰幅が良くて読書好きで、誰より細やかな気遣いが出来たこと。
ある人は上背があって狩りが好きで、ディセントラが魔法で狩りに手を出さないよう、子供のようにむきになっていたこと。
ある人は小男で博識で、無口だったがディセントラの話す言葉を、他の誰より丁寧に聞いてくれていたこと――
一人一人を、本当に鮮明にディセントラは覚えていた。
それぞれの違いを愛し、愛情を大小で語ることは決してなかった。
中には、魔王討伐に向かうディセントラを引き留めた結果として、喧嘩別れになった人もいたというが、彼を悪し様に言うことは絶対になかった。
全員の人柄を愛しみ、彼らに愛された自分を誇っていた。
彼らと過ごした一日一日を、その思い出を、心底から大切に仕舞い込んでいた。
ディセントラの言葉の意味を、恐らく正確に理解することは出来なかっただろうが、それでもフィルは何かを悟った様子だった。
次に口に出した言葉は、彼らしいふざけたものだったが、声音は真摯で誠実だった。
「――じゃあ、俺が九人目に立候補したら可能性はあるの?」
ディセントラは柔らかく笑った。
「そうね、――あなたが自分のしたことの責任をちゃんと取ったら、考えてあげる」
そう言って、ディセントラは立ち上がった様子だった。はたはたと軍服を払う音がする。
「じゃあ、ほら、その人を連れて行きましょ。カルディオスがかんかんになってたし、神妙にしてね」
「うわ、怖……」
ディセントラがぱちんと指を鳴らした。
コリウスには及ばないものの、重力に関する法を書き換えて、大の男一人を運搬していくことなんて、彼女には造作もないことだ。
「便利だねー」
明るくそう言ってから、フィルが口調を改める。
「ねえ、あと、もしかしたら気付いてるかも知れないけどさ――」
――去っていく二人を逆光の中に見守りつつ、俺はどうしようもなく胸が痛かった。
ディセントラが堂々と選んでいける、その生き方が心底羨ましかった。
嫉妬に近い羨望が、鈍く心臓を焼いている。
――ディセントラは、人に好意を伝えることが出来る。
差し出された好意を受け取ることも出来る。
そして相手の、『最も大切な人』になることが出来る。
俺にはそれが出来ない。
――ああくそ、朝日が眩しい。
あいつらそれぞれが、大事な人を見付けてくるのは、俺にとっても心底喜ばしいことだ。
カルディオスはちょっと遊びすぎだとは思うが、それでもあいつが楽しそうなのは見ていて嬉しい。
でも、同時に、どうしようもなく羨ましい。――いつもそう思っていた。
ディセントラが羨ましかった。
カルディオスが羨ましかった。
恋人に殺されたコリウスでさえ、結ばれた瞬間には妬ましいと思った。
そして、未だにアナベルでさえ。
俺が心から愛する人、誰より恋しく思う人、〈最も大切な人〉には、俺の気持ちは絶対に伝わらない。
俺が愛しく思えば思うほど、代償に堰き止められる感情は大きくなるばかり。
愛情も恋情も慕情も、友情でさえ、親愛でさえ、尊敬でさえ、俺は何もあいつに伝えることが出来ない。
俺があいつを夢に見ることも、あいつは知らない。
俺が折れそうになるとき、必ず思い浮かべるのがあいつだということを、誰も知らない。
――瓦礫に手を突いて立ち上がる。
ディセントラたちの後ろ姿は小さくなりつつあった。
俺も戻らないといけない。
小さく深呼吸する。
胸の中にあるしこりを、腹の中に渦巻く蟠りを、それでなんとか誤魔化そうとした。
腹の底を焼く嫉妬と、心臓が痛むほどの羨望を。
――本当に、今日の朝日は眩し過ぎる。




