表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/464

18◆ 夜が終わる

 俺は二重の驚愕に深く息を吸い込んだ。


 まず第一に、恐らくは間違いないであろう、ディセントラが背負う代償に対しての驚愕。

 今のところ俺が知っているみんなの代償は、自分のものとトゥイーディアのものだけだ。

〈最も大切な人に想いを伝えることが出来ない〉にせよ、〈救世主を経験した直後の人生において記憶を失う〉にせよ、俺が知っていた代償というものは、自分の中で完結するものだった。

 まさか他人に干渉する代償があるとは。


 そして第二に、トゥイーディアがディセントラの代償を知っていたことに対する驚愕。

 俺たちは絶対に代償について話すことが出来ない。

 トゥイーディアの代償は顕著すぎるからみんなが察したけれど、それだけだ。

 ディセントラも、今まで一度も、「私を庇うのをやめて」などと言ったことがない――言えないのだ。


 トゥイーディアが、代償を背負う本人ではないからこそ、多少なりともそれを仄めかすことが出来たんだろう。

 俺たちもまた、代償が存在することを知っているからこそ察することが出来た。

 代償の存在を知らなければ、さっきのはただの意味不明の遣り取りだ。


 ――では、トゥイーディアはどうしてディセントラの代償を知り得たのか。

 まさか自力で気付いたのか。そうだとすると勘が良すぎるが――


 そのときふと、あの黄金の目を思い出した。


 白髪金眼の魔王。船上に立ち、両手を広げてトゥイーディアに向かって言った――


 ――『きみを殺す前に、色々教えてあげたじゃないか?』


 ヘリアンサスだ。


 論理をすっ飛ばして、確信が降ってきた。


 ヘリアンサスがトゥイーディアに、ディセントラの代償を教えたのだ。



 ――そうだとしても、なぜヘリアンサスがそんなことを知っているのかとか、ヘリアンサスはなぜ代償を口に出せるのかとか、俺の代償も教えたんじゃないかとか、そもそも代償は何なんだだとか、疑問は尽きない。


 だがそれでも、一番ありそうなのがその説だ。



 驚愕が過ぎて無言で唇を開け閉めした俺だったが、他の誰が何を言うよりも先に、カルディオスが苛立った声を上げた。


「――なあ、今のんびりしてる場合だっけ?」


「違うわね」


 頷いて応じて、トゥイーディアが飴色の目を僅かに細めてレヴナントを見上げた。

 熱閃に叩かれた腕を抱え、吼え猛る灰色の巨人。


「――こいつ、なんか普通じゃない感じね」


 ぼそりと呟くトゥイーディアに、なんとか驚愕を追い遣ったらしきコリウスが、それでも瞳を揺らしながら答えた。


「――そうだな。ああまではっきりと言葉を話す個体は初めてだ」


「そうよね。――ルドベキア」


 不意に呼び掛けられて、愕然として動きを止めていた俺ははっとした。


「な――んだ?」


 トゥイーディアが俺を見て、すっと右手を差し出した。

 顔色は相変わらず悪いが、決然とした、譲らない眼差しで。


「ごめんね。それ、返して」


 それ、と示されたのは、言うまでもなく俺の手の中の両手剣だ。

 本来ならば今生の救世主(トゥイーディア)が持つべき、変幻自在の武器。


 しゅう、と音を立てて、刀身で燃え盛っていた炎が消えた。俺が魔力の供給を打ち切ったからだ。


 それでも即座には渡しかねて、俺は眉を顰めてトゥイーディアを見た。


「おまえ、そんなに戦いたいのか」


 トゥイーディアはにこりともしなかった。

 ただつかつかとこちらに歩を進めて、両手剣を握る俺の手に自分の手を重ねた。親愛の仕草ではなくて、渡せという合図だ。


 そして、低く呟いた。


「――あいつが言葉を話せるなら、訊いておきたいことがある」


 諦めて力を抜いた俺の手から、トゥイーディアの手の中に両手剣の柄が移った。


 途端、両手剣はその色と質感を変える。

 味気のない黒色から、黝く煌めく独特のものへと。


 トゥイーディアが、右手一本で両手剣を振った。

 その瞬間に両手剣は細剣へと姿を変え、俺に背を向けてレヴナントへと向き直るトゥイーディアの後ろ姿を華やかに彩る。


「――ディセントラ」


 トゥイーディアが呼び掛けた。


「あいつの周囲(まわり)の瓦礫を止めて。

 他のみんなは、その辺にいる人たちに、瓦礫の陰に隠れるように言って。

 真上から思いっ切りやれば、さすがに逃げられないでしょう」


 コリウスが眉を寄せた。


 その表情から、「自分がやろうか」と言い出そうとしているのが分かった。

 確かにコリウスなら、周囲一帯の瓦礫を持ち上げて、レヴナントに落とすことも出来るだろう。

 さっきまでそれをやらなかったのは、落とした瓦礫が招く被害を考えたのと、レヴナントをちょっと舐めていたからだ。

 もっと言えば、挟み撃ち作戦のときに俺がミスらなければ、そんなことをするまでもなく片付いていただろうからだ。


 そんなコリウスの表情を視界に入れて、トゥイーディアが首を振った。


「――私がやる。ただ、念のために、」


 言い差して、トゥイーディアが俺を見た。


「ルドベキアはここに残って」


 俺は頷いた。

 トゥイーディアが俺を名指しした理由は明白だ。魔力量と得意分野を勘案したのだろう。



 反対意見はもはやなかった。


 カルディオスが案じるようにトゥイーディアを見ていたが、先刻までとは比較にならないほどの、梃子でも動かない表情を見て、物申すことも諦めた様子だ。




 長い睫を伏せて、その場でディセントラが両手を組み合わせた。


 先程の衝撃はまだ抜け切っていないようだが、それでも冷静に魔法を行使する。


 祈るような姿勢で動きを止めた彼女の周囲で、濃密な魔力の気配が渦を巻く。

 周囲一帯の瓦礫が、あらゆる変化を拒んで動きを止める。

 動きを止めただけではなく、破損すら拒む鉄壁の()()を与えられる。



 カルディオスとアナベル、コリウスが、この場から引いて声を上げ始めた。

 瓦礫に隠れろと響く声に、恐らくは瓦礫の後ろに駆け込む者が続出したはずだが、瓦礫が転がったり擦れたりする音は一切聞こえない。



 そして、トゥイーディアが空中を踏んだ。



 重力に関する世界の(のり)を書き換えているのか、それとも空気を圧縮して足場としているのかは、ぱっと見には分からない。

 ただ迷いなく空中を踏み、駆け上がって、今しも立ち上がろうとしているレヴナントの頭を目指してひた走る。


 己の眼前でぴたりと足を止めたトゥイーディアを、レヴナントが見た。

 もうあの金色の目は開いてはいなかったが、それでも彼女の存在を知覚したのだと分かる仕草だった。


 ディセントラは目を閉じて魔法を使っていたから見えなかっただろうが、俺はトゥイーディアを見ていた。

 声こそ聞こえなかったものの、トゥイーディアの唇が動くのが見え、何と言っているのかを察することが出来た。



 ――番人とは何だ、――そう言っている。



 確かにレヴナントは「バンニン」と言った。

 同時に俺は、勅命を受ける前夜、トゥイーディアが俺に訊いてきた、意味不明な質問を思い出していた。


 ――『番人って言われて、何もぴんとこない? 心当たり、ない?』


 トゥイーディアはどうしてあんなことを訊いたんだろう。


 彼女がなぜ、レヴナントを尋問するなどという、非合理的な手段に訴えてまで、「番人」という一言に拘ったのかは分からなかった。



 彼女の見据える先で、レヴナントが吼えた。

 意味のない絶叫。言葉など欠片も含まれてはいない、知能の片鱗も感じることの出来ない咆哮。


 びりびりと空気を震わせる大音声に、目の前に立つトゥイーディアの髪が翻る。


 彼女の唇がもう一度、先程と同じ形で動いた。――レヴナントは夜を切り裂く絶叫を轟かせるのみ。


 す、と目を細めて、トゥイーディアが何かを吐き捨てた。

 ――『もういい』と、その唇が動いたように見えた。



 トゥイーディアが更に一歩を踏み出す。

 なお上空へと向かう彼女を、反射的に目で追うようにしてレヴナントが顔を上げた。


 俺の生んだ火球の光の中で、その光を背負って蜂蜜色の髪を輝かせ、(おもて)を影に染めたトゥイーディアが細剣を振り翳す。

 その彼女を見上げるレヴナントはまるで、信奉する天使を見上げる信者のようにも見えた。


 トゥイーディアが掲げる細剣の切先が、金色に淡く光った――火の粉が舞っている。


 自身の固有の力ではレヴナントに有効打を与えられない彼女が選んだ手段は、熱だった。


 最初にひとつ舞った火の粉を追うようにして、細剣の切先で火球が膨らむ。

 渦を巻き、凝縮されていき、密度ばかりを高める高温の炎の塊が、細剣の先端でごうごうと空気を巻き上げる。


 レヴナントが叫んだ。

 目と鼻の先にいるトゥイーディアを握り潰そうとするかのように、爛れた右手を持ち上げる。


 だがその挙動が結実するよりも一瞬早く、トゥイーディアは細剣を振り下ろしていた。



 ――爆裂音が轟いた。



 咄嗟に頭を振ったレヴナントの脳天を外し、だがその肩口から胸に掛けてを、ばっさりとトゥイーディアが斬り下ろしていく。

 高温の炎がレヴナントの半身を包んでいくが――まだ浅い。


 俺が初めて海上で遭遇した個体よりも、このレヴナントの生命力は随分と強いらしい。


 なおも身を捩り、トゥイーディアから逃れようとしてもがく。

 巨躯を震わせ、這うようにして離れようとする。



 そんなレヴナントを、トゥイーディアは追おうとしなかった。

 なぜならば、――()()()()()()()



 手にした細剣の柄から、トゥイーディアが手を離す。

 軽い仕草で放るようにして、トゥイーディアがその武器を落とす――その真下、レヴナントの足許に、俺がいる。



 犬猿の仲とはいえ、付き合いは長い。

 こんなときにどう動けばいいのかなんて分かり切っている。



 落ちてきた細剣の柄を、(あやま)たずキャッチする。

 途端に黒く色を沈める細剣の形が変じた。

 頑丈な、平刃の片手剣へ。その刀身が燃え上がる。


 トゥイーディアから逃れようともがいていたレヴナントが、ふと気付いたように俺を見下ろした。

 絶叫がその喉を劈いたが、言葉らしきものはもうない。


「――くたばれ」


 燃え盛る刀身がレヴナントの脚を捉えた。確かな抵抗を刃が拾う。

 俺はそれを斬り進めながら、しかしそれ以上に炎の勢いを増していく。



 ――あああああああ!



 レヴナントが悲鳴を上げた。

 その瞬間、片手剣が完全にレヴナントの脚を切断した。


 ――そして、一秒後。


 これまでで最大の爆音が上がる。

 トゥイーディアが斬り払った上半身と、俺が炎上させた下半身が、燃え上がる炎の勢いに負けてとうとう爆散しようとしていた。

 まるで内側から何かが膨れ上がったかのように膨張し、どろどろと溶け出すレヴナントの巨躯。

 白熱した炎に巻かれて、レヴナントの絶叫が徐々に徐々に薄れていく。

 溶け出した端から薄墨色の煙に変じて、空中へと流れ出していく巨人の身体。



 とんっ、と軽い足音がして、俺のやや後ろにトゥイーディアが着地した。

 俺は燃え盛る炎に半ば突っ込む至近距離にいる。彼女が俺の隣に立てば火傷は必至だ。


 俺はそちらを見ない。

 トゥイーディアもまた俺には一瞥も与えず、無言でレヴナントの断末魔を見詰めている。



 ――やがて、完全にレヴナントの姿は空中へと霧散した。



 ふう、と息を吐き、俺は左手の一振りで残り火を消し飛ばす。


 それと同時に、トゥイーディアが俺の隣に歩み出て来た。

 おつかれさま、とその唇が動いたが、俺はそれには応じられず、足許に片手剣を突き刺そうとして、しかしそれが出来ずに肩を竦めた。


 ディセントラの魔法はまだ続いており、足許の瓦礫は如何なる変化をも拒むのだ。


 それを見てふと笑んだトゥイーディアが、俺の手から片手剣を受け取った。

 今度は強引に取り上げるのではなくて、掌を上にして俺に手を差し出して、俺が自分でそれを渡すのを待った。


 そしてそれを指輪の形へ戻して左の小指に収め、トゥイーディアが振り返って声を掛ける。


「――ディセントラ、終わったわよ」



 赤金色の髪を揺らして顔を上げ、ディセントラが眩しげに双眸を開いた。


 どこかで、がらりと瓦礫の崩れる音がする――ディセントラが魔法を解いたのだ。



 ――長い夜が終わる。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ